平賀晋民

経学者 平賀晋民

大儒者 平賀晋民

芸備の地古来偉人を輩出すること尠からず、我晋民先生亦其一人なり。

先生は享保七年(1722)忠海木原家九男に生れ、十四歳の時本郷土生家に養はる。

幼にして穎悟(えいご)才学(さいがく)夙成(しゅくせい)、

嶄然(ざんぜん)頭角(とうかく)を現す、長ずるに及びて益々経学に志し、

一隻眼(いっせきがん)を開けり。

爾後(じご)竹原桜井氏の女を娶(めと)り、家にありて研鑽大いに勉む、

この時 頼春水 来り学ぶ、

年不惑にして、九州に学び肥後蓮池の大潮禅師に学び、

長崎に唐音を修め、後帰郷し郷関に教ふ、

明和二年(1765)入洛して、青蓮院に仕へ遂に禁裡に奉仕し大舎人となり。

従六位下若狭介に任官す。

後幕府に迎へられて、賓師となり、専ら四書六経の研究に投入す、

時に諸候権門争ひて先生の仕官を慫慂(しょうよう)懇願するもの多し、

而(しか)も先生言を老齢に託し、固辞して受けず。

老年幾多の苦患と戦ひつゝ、齢古希に達し、

遂に一世の大著述 春秋稽古八十一巻 を始め、詩経原志九巻大学発蒙一巻論語合考一巻世説新語補索解二巻唐詩撰夷考五巻日新堂集二巻学問捷経三巻、等あり。

寛政四年(1792)十二月、大阪に於て長逝す。

時に年七十歳なり。

大阪城の南 天王寺 邦福寺 葬れり。

昭和六年(1931)十一月 町の有志相図りて、大正公園山麓(西小学校校庭)に建碑す。

永井潜博士曰

「晋民無ければ即春水無く、春水無ければ即山陽無し」

と此筆法によれば先生は実に山陽の生の母にして、王政維新の大業に翼賛せりと云ふも過言に非ざるなり。

ー 大儒者 平賀晋民 ー「忠海案内」忠海商工會 昭和10年発刊

名 晋民 初め 晋人(すすんど) 叔明

字 子亮 房父

号 中南 果亭 南嶺

平賀總右衛門

忠海村の人、名は晋民、字は房父、中南、又果亭と號す、

白市城主平賀氏の裔なり、

初め本郷村、土生某が養子となり、養父の為に、三年の喪を行ふ、

後養家の族子をして、某家を纉しめ、自らば、本姓に復す、

長崎に遊學し、業成て、京都に授徒し、居るを廿年許にて、大坂に居を移せり、

寛政のはじめ、幕府執政吉田君の招に應じて、江都に往く、

一年許にて病を得、大坂に歸り、遂に起たず、

寛政四年十二月廿四日歿す、歳七十一、

遺言して墓面に、姓名年月を記さしめず、

吉田君より、好古先生と諡せらる、

後廿年にして、門人相謀りて、碑文を勅す、

所著、

左傳折衷、詩經原志、世狭說索解、

唐詩夷考、大學發蒙、論語合考、

学問捷経、逸史則註、日新堂集等の書あり、

幕府執政吉田君 = 老中首座 松平信明(三河吉田藩主)

ー頼杏坪 編纂 「藝藩通志」 巻九十一 安藝國豊田郡六 人物 より抜粋 ー

参考資料

「忠海案内」忠海商工會 昭和10年発刊

「経学者平賀晋民先生」文学博士高楠順次郎 閲 澤井常四郎 著 昭和5年発刊

「藝藩通志」頼杏坪 編纂 文政8年

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