【前照燈No.01】1949(昭和24)

V8コンマーシヤル

体育会自動車部々報復刊に際して

部長 難波正人


終戦直後体育会自動車部の再建が当時僅か数名の部員により計画されたときは、戦災により先輩諸君の努力の結晶たる一切の施設と設備を焼失し、残ったものは部室にあった二三の工具のみと云う状態であつた。

学徒として出征された文化系統の学生諸君が続々と復員され、軍隊で自動車の取扱いの経験を経た人が多かつたので、人的再建は短時日の内に着々進行したが、車輌の獲得には誰も目算を立て得る自信は持てなかつた。

ところが幸いにも特殊物件としてフォードの36年V8コンマーシヤルシヤシイが学校に払下げとなり、一切の運営を自動車部に委嘱されたので一応ぶとしての形態を調える事が出来る様になた。

当時(昭和21年7月)全早稲田学園只1台の自動車であったのでその活躍はものすごく部員は文字通り日夜故障と戦いながら奮闘したものであつた。

其後学園関係の自動車も増え、現在では元理工学部機械化実習工場の跡に6台格納出来る車庫が新設され、部の車(現在はニッサントラック)も同居させてもらい施設の点では一応再建が完了したと云つてもよい。

本年初頭には駅伝競走の応援に参加して箱根に遠征し、昨年春に鮫洲で行はれた早慶戦には敗れたが、9月には都の交通局の試験に参加して富士五湖迄運行試験を行い、秋のインターカレツジには優勝カツプを獲得する等対外的にも華々しい成果をあげている。

昨年四年生の申請大学の発足にあたり体育が正科として取入れられることになり新たに体育部が設けられ、体育会各部もこれに全面的に援助協力することになった。ところが自動車部外二三の部は施設及び維持に莫大な費用がかかるとの理由で設置を延期されることになった。これは自動車部が体育部から除外されたわけではないのであるが、先輩諸氏から強くお叱りをうけ、現役の諸君にも腑甲斐なさを大いに鞭撻される等の事もあつたが、来年度迄には一般学生訓練用の車輌も購入し新学年度より正式に体育部の正科として教育が行はれる予定である。

自動車が学生スポーツとして体育会に属するのはおかしいとの意見が体育会の部長先生の間にも二三ある。試合は無いし、体力も要しないし自動車を乗り廻はすだけでスポーツと云えるかと云うのが主な理由らしい。今さら学生スポーツの定義を云々する迄もなく自動車部の本質と目的と実状を解しない人の見当外れの意見として一笑に付してここに取上げる必要もないと思ったが、自動車部部員としては理屈よりは現実でこれ等の人々の考へを啓蒙されんことを希望する。

最近の部の活躍振りの背景には各方面の絶大なる援助があることを忘れてはならない。現状に満足し、安寧を貪るならば進歩は無い。常に反省し、依頼心を捨て自ら会えて茨の路に突入する気概をもつてますます部のため、学生スポーツのために努力することこそ先輩諸氏の恩に報いる最大のみちであると思う。