エンジンブロックの破損修理の手段は無い、廃車せざるを得なかったが、偶々、他の用件で現在の大田区下丸子にあった三菱自動車を訪れたら、4気筒であるがフォードのエンジンブックが工場の隅に転がっていた。
此れは、利用できるかも知れないと閃き、工場の人に売ってもらえないか持ちかけたら タダで持ち帰らせてくれた。
学校に帰り、部室で幹部を集め、此れを組立て乗せて見ないかと持掛けた、ブロックしかない部品ゼロ、然も年式の違う4気筒、どう取組むのかと皆は考えしまったが、そこは自動者部の面々、中山君や星野君を中心に部品を探し組立てが決意され、卒業時、完成は見られなかったが、シャシーの完成には立会いできた。
手分けして深川を中心に部品集め、1つ2つの部品を買っては序に、小物をタダで頂いた。そこは学生の特権、解体屋の主人も顔見知りになり、自分で外して使えるものは持って行きな、と便宜を図ってくれた。
エンジンは、4気筒と質を落とし、プルブルと揺れるエンジンとなったが再登場の目途は立った。
誰とはなしに部にはトラックはあるが、乗用車がない、利用し易いようにステーションワゴンにしょうとの話になり、エンジンの組立てとボデーの準備が進められた、卒業前にエンジンが完成し、会社勤め、最初の御盆休みに部室を訪れ完成したステーションワゴンを見て、涙が出るほど嬉しかった、以上が私のV8物語である。
<完>