Obama

カンザスシティーの週末

民主党大統領候補者オバマ氏に会う!

2008年10月18日

カンザスシティーの週末

Isoko Durbin のブログ集

アメリカ人夫の一言

アメリカ生活録

アメリカで出会ったおいしい料理

 

 

 数日前の朝、地元のニュースが民主党大統領候補者オバマ氏が、カンザスシティーにやって来ることを報じていた。良く聞けば、今週の土曜日である。土曜日といえば、夫の休みの日でもある!そこで早速夫に、「今週の土曜日、オバマがカンザスシティーにやって来るんだって。彼を見に行きたい?」と聞いてみた。オバマ氏と言えば、アメリカ初の黒人大統領候補者である。これだけでも、彼は既に歴史を作ったのである。もちろん夫も行きたいと言った。

 地元ニュースのホームページには、「National World War I Museum、4時」とある。きっとすごい人出になるに違いないので、早めに出たほうが良いと話し合っていたが、夫の友人から電話があり、夫のトラックを必要としていた。仕方がないので、急いで彼を手伝い、すぐに帰ってきてもらうことにした。

「ジェーソンも一緒に、オバマ見に行きたいんじゃない?」と言うと、「いや、彼は行きたがらないと思うよ」と夫は言う。

3時過ぎになって、夫が帰ってきた。玄関のドアを開けると、夫の後ろに友達のジェーソンも立っていた。

「彼も、オバマ見に行きたいって。」

さすがである。今日のアメリカは、黒人初の大統領候補者であるオバマ氏を、無視することはできないのだ。と言うことで、夫の友人の車に乗り、私たちは、開催地の「第一次世界大戦博物館」まで行くことになった。この博物館は、メモリアルパークというダウンタウンの公園内にある。高速を降りて、メモリアルパークに近づくと、歩いている人たちをたくさん見た。「きっとあの人たちも、オバマを見に行くんだよ」という私の言葉通り、会場に近づくと、人、人、人で、駐車場が見つかるか心配になった。運転手のジェーソンに「駐車料金、私払ってもいいからね」と言っても、「いやいや、そんなことをする必要ないよ」と、あくまでもどこかに無料の駐車場を見つけようとする。メモリアルパークの周りをしばらく迂回し、やっと少し離れた坂の上に駐車場を見つけた。

 車を降りると、すぐ側にいた女性が、「鞄を会場内に持っていくことはできないわよ」と言う。私たちがオバマ氏を見に行くことを、前提として言っているのである。素直にその言葉に従い、私は日本で買った大きな肩掛け鞄を車に残すことにした。大きな財布を持ち歩きたくなかったので、現金もなしに行くことになる。途中、オバマ氏のTシャツや、バッジを売っている人たちがいたので、「現金を持っていればなー」とは思ったが、後にこのアドバイスに従って良かったと思うことになる。

 メモリアルパークの入り口に行くと、長蛇の列が出来ていた。その中に潜り込み、中に入る順番を待つ。ところどころにボランティアの人たちが、白い用紙を群衆に渡していた。初めはアンケートか何かかと思っていたが、実はその用紙を書かなければ、中に入れないとのことだった。そこで、夫に用紙を書いてもらい、ボランティアから登録をした印として、胸に貼るシールをもらった。その登録用紙には、電話番号や住所を書く項目があったので、きっと後で電話がかかってきたり、手紙が来たりするのだろう。私達に用紙を渡した人は、ボランティアがもっと必要だと言っていた。アメリカでは選挙権がない私ではあるが、ボランティアで働いても良いかもと思った。

 さらに坂を上り、公園内に入る。広々と緑の芝生が広がる向こうに、戦没者の塔が見え、その下には、第一次世界大戦博物館の建物がある。10月にしてはとても暖かく、美しい日であった。なんだか、とても晴れやかな気分になった。アメリカの歴史の一こまの中に、自分もいることを感じた。オバマ氏が大統領になれば(そして私は彼がなると信じているのだが)、彼が大統領になるためのキャンペーンに、私も参加したのである。こうして写真を見てみると、まるで映画「フォーレストガンプ」に出てくる、ワシントンDCに集合した戦争反対のヒッピー達のよう、というのは言い過ぎだろうか。しかし、そんな気分だった。

 会場の入り口には、空港のようなセキュリティーチェックがあった。私の前に、友人のジェーソンがまず、センサー付きのゲートをくぐった。タトゥー(入れ墨)いっぱいのジェーソンは、人相が悪く見えるのか、ゲートをくぐっただけでは、まだ怪しさが消えないらしく、警察官が彼の身体をくまなくセンサーで調べた。次の私は、当然警察官が全員を身体検査をしていると思い、「どうぞ」というしぐさで、両手を広げたのだが、「あんたは、いいよ」と言われた。どうやら、私は危険人物からは程遠い様相らしい。

 中に入ると、全員にボトル水を配っていた。のどが少し渇いていたこともあり、このような配慮がありがたかった。第一次世界大戦博物館であると書いてあったのだが、実際の会場は、外のメモリアルパークだった。もちろんこれだけの人数を収容できる建物は、この辺にはないだろう。なんとこの日、七万五千人が集ったのである。

 4時に始まるのかと思っていたが、近くの人から、実際は6時に始まるという情報を得る。

「4時というのは、ゲートが開く時間だよ。」

それならそうと、書いといてくれても良いのに。ということは、これから2時間、この七万五千人の群集の中、立ったままで待たなければならないのだ。ヒールつきの靴ではなく、スニーカーを履いてくれば良かったと思った。しかし、車を降りた時に女性が忠告してくれた通り、大きな鞄を持ってこなくて良かったとも思った。周りには小さな子供を連れている親もたくさんいる。大人の私でも2時間待ち続けるのは大変なのに、こんな小さな子供達にとっては、もっとつらいことだろう。しかし、一旦中に入ったからには、よほどの覚悟をして群衆の中を突き進まない限り、前にも後ろにも動くことは出来ない。そしてもちろん、私は帰るつもりなど、さらさらなかった。

 

 後ろにいる夫を振り返ると、大きなアメリカ国旗が掛けられた博物館が、夕日に照らされていた。とても美しい建物だと思った。良く見ると、その屋上に、黒い衣服を身にまとったスナイパー達が、待機している。スナイパーとは、何か事件が起こった場合(例えば、ここでは大統領候補者のオバマを誰かが暗殺しようとするなど)このように遠くから、その犯人を射殺する人物達である。実際にスナイパーを生で見るのは、初めてだった。まるで、映画か何かを見ているような気がした。しかし実際、こんなに離れていても、犯人だけを射殺できるのは、よほど腕のいい人でなければ出来ないことだと思う。世の中にはいろんな仕事があるものだ。しかし、それだけ大きな瞬間に自分がいるんだということを、感じさせられた。なにしろ、もうすぐ次期アメリカ大統領に出会おうとしている瞬間である。

 6時近くになり、何人かの前座スピーカーが、話を始めた。そして、以前ベースボールの試合を見に行ったときに見過ごした、アメリカ国家斉唱が始まった。念願であった、アメリカ国家斉唱時に群衆の一員になることが出来たので、満足であった。しかし、背の低い私は、その歌い手を見ることが全く出来なかった。とにかく、私の前には、人の壁が立ちはだかり、ステージはそれほど高くない。きっとわざとそういう設定にしてあったのだと思う。ステージが高ければ、それだけ大衆の目にさらされ、標的になりやすい。 スナイパーが登場するような場なのである。私の目には見えなかったのだが、観衆から一気にブーイングが出る場面があった。何が起こったのか夫に聞けば、ステージにスピーカーを囲むように、カードが置かれたということだった。オバマを守るための物だろう。しかし、それは丁度私達の目から、スピーカーの顔を隠す位置にあった。

 私の夫は、背が高い。アメリカ人の中でも、いつも頭一つ分突き出ている。私はステージのスピーカーをほとんど見ることが出来なかったが、夫は良く見えると言っていた。こういう時、背の高い夫は、大変役に立つ。いつもは、私が写真を撮ることが多いのだが、(このブログで写真を撮るのが多いため、いつの間にか彼のデジカメを自分の物にしている)この日ばかりは、夫を写真取り係にした。実は、彼にカメラマンになるよう命じたのは、私だけではない。周りにいた背の低い女性も、彼にビデオ撮影を頼んでいた。その他に、トイレに行くため人波を掻き分けて進んできた親子連れが、彼を目印に元の場所に戻っていった。

 そして、とうとう、待ちに待ったオバマ氏の登場である!一斉に観衆全員が、カメラを掲げて写真を撮り始める。一番上の写真を、もう一度見ていただきたい!まるで、ロックスターのコンサートのようである。私も人の頭の間から、なんとかオバマ氏を見ようと、一生懸命にスポットを探すと、なんとかたまに顔が見えた。きっとオバマ氏は背の高い人に違いない。というのは、他のスピーカーは、私からは見えなかったのだが、彼はたまに見えたのである。横にいた女性が「見えないわ」と言うので、「私は見えたわよ。ほら、ここ、ここ」とスポットを教えてあげた。とにかく興奮で、実際のスピーチは、あまり良く聞こえなかった。みんなキャーキャー騒ぎ立て、私も群衆に合わせ、拍手をしたり、「Yes, We Can!」と叫んだりした。

 家に帰ってからニュースで、この時の模様がホームページに載っていると言うので、早速アクセスしてみる。(上の赤い文字をクリックしてください。テレビで放送されたスピーチが見れます!)このビデオを見て、やっとどんなことを言っていたのか、理解できた。基本的に、彼は困窮しているアメリカ経済の建て直しについて語る。彼は、スピーチがとても上手であると思う。ユーモアをあるし、間の取り方もうまい。それに、なんと言っても、真摯な言葉に勇気付けられるのである。その中で、私が気に入ったのが、オハイオ州で彼が訪れたダイナーレストランのオーナーとのやり取りである。ダイナーのオーナーは、熱血共和党ということだ。そこでオバマは「商売はどうですか?」と聞く。彼がそういうと、群衆から笑いが起こった。もちろん、このアメリカの経済低迷は、ジョージブッシュ政権のせいであるというのが、見えていたからだ。レストランオーナーは、「商売はあまり良くない」という。「客足があまりない。みんな家で食事をするだけで、外食をする機会が減ってきている」というのである。そしてオバマは言う。「過去4年間、政権を握っていたのは、誰ですか?」そしてオーナーは、困ってしまう。「共和党でしたね」と言うオーナーに、「今度は民主党を試してください」と、オバマは言う。このエピソードは、大変面白いと思う。

 その後オバマは、「私の対戦候補者マッケインは、私がブッシュ大統領に会ったことがあるという。(笑い)そんなことは、当然わかっています。マッケインは、90パーセント、ブッシュ案に賛成しています。だから、私は、ブッシュ政権の失敗が、100パーセント、マッケインのせいだとは言いません。後の10パーセントは、ブッシュ自身がしたのですから」という自分のジョークに、ワッハッハと笑う。こういう余裕があるところが、カリスマ的な雰囲気を醸し出すのではないかと思う。彼は、自分の勝利を確信している。それは、傲慢さではなく、決意だと私は思った。アメリカを変える決意、変るまで諦めない決意。そういう人がアメリカの大統領になってくれることを、切に祈る。彼は、特に中流家庭の税金削減を訴えている。これは、本当だと思う。彼が副大統領候補を選んだ理由も、彼は中流家庭が、経済的にどのように苦しんでいるかを知っているからだと言う。そういう観点で選んだと言うのなら、納得がいくというものだ。

 共和党のマッケインの税金削減は、年収250,000ドル以上の上流家庭のみを対象にしている。

「しかし、一体何人がこの上流クラスに属するのでしょうか?この中で、年収250,000ドル以上稼ぎたいと思う人は、手を上げてください。」

もちろん、ほとんどのアメリカ国民の年収は、250,000ドル以下である。一斉に手を上げる群衆と一緒に、私も手を上げた。

「この上流クラスに属するのは、たった5パーセントだけです。後の95パーセントの民衆のために、私は次期大統領に立候補しているのです!」

この声に、一斉に歓喜の声が上がる。

以上が、テレビ放送されたビデオのまとめであるが、実際に私が見たのは、こんなまとまったものではない。周りに騒ぐ子供がいる。写真を撮るのに夢中になっている女性がいる。私の隣にいた若い母親は、息子を連れていた。彼女はオバマが見えないようであったが、息子は見えると言う。そこで母親は、「見続けなさい」と言う。きっと、息子の目に、未来の大統領の姿を焼き付けたかったのだろう。そして彼自身も努力すれば、いつかこのように立派な人物になることが出来るということを、教えたかったのかもしれない。とにかく、周りは騒がしく、相変わらずオバマの姿は良く見えない。私は少しでも隙間があれば、人波を掻き分けて前に進んでいった。夫はそれが出来なかったのか、だんだん夫と私の間に距離が出来始めた。それでも初めは、後ろを振り返り、彼に手を振って居場所を確認させていたのだが、いつの間にか、それも出来ないほど離れてしまった。後ろを振り返っても、彼の姿が見えない。私はステージのかなり近くまで来ていた。ふと、迷子になった子供が一生親と離れ離れになった物語などが頭をよぎったが、「私も彼も大人。後でちゃんと見つかるわ」と、さらに前進を続けた。

 いつの間にか、オバマがステージから降りているようだった。私には何が起こっているのか、全く見えなかった。近くにいる人が、「子供の頭を撫でてるわ」等とリポートしていたが、もうそろそろ夫を探すときだと思い、私は後ろに走り出した。しばらくすると、夫が友人ジェーソンと話しているのが見える。「家なき公」などのようにならなくてよかったと思った。夫もジェーソンも、大急ぎでここを出ようと言う。なにしろ7万5千人である。これらの人々が一気に帰るとしたら、交通渋滞は当たり前だ。そこで疲れた足で、走るように、公園を降りてゆく。途中で他の友人2人に出会った。彼らとも短く話し、そして走る。ホットドック屋からいい匂いが漂っていたが、「とにかくここを出なきゃ」ということで、無視である。やっと車にたどり着いても、なかなか道に出られない。自分が運転しているのでなくて良かった。乱暴な運転のジェーソンの車に乗っているのは少々怖かったが、彼がこの渋滞から抜け出そうと努力しているのはわかっていたので、「運転してくれてありがとう」とだけ言っておいた。彼の傲慢な運転のおかげで、しばらくして渋滞から抜け出した。私が運転していたら、普通に走り出すまで、1時間はかかったであろう。大きなイベントの後はいつもこんな調子であるが、それでも、今日の集会に行ってよかったと、大満足の一日だった。