臼杵散歩 臼杵城〜二王座界隈


 

 

八町大路

イエズス会宣教師ルイス・フロイスが著した『日本史』には、「教会と城をつなぐ真っ直ぐな街路」があったと記されています。この街路は発掘調査や史料から現在の中央商店街「八町大路」であることが判明しています。このことから教会群は、現在の畳屋町界隈にあったと推定されます。 また、戦災や開発による改変を経験していない町割りについて、野上弥生子は『迷路』のなかで以下のように臼杵を紹介しています。
 
「一筋の河で中央を貫かれ、河口の江湾の方へいくぶん傾き加減に作られた市街地そのものも、それぞれの通りが昔ながらの町名で、道路の幅1インチもひろげなければ、狭めもせず、まっ直ぐでも、曲がりくねっても、袋小路でも、またどんな炎暑にも涸れぬ噴き井のある四辻でも、みぢんも変わらず保たれているから、フランシスコ・大友の支配下に、クリスト教とともに盛んにやって来た紅毛碧眼の商人たちが、どうかしていまの由木に現はれたところで、当時の留守地たる唐人町を見つけるのにはさう困らないはずである。」



ルイステイセラ『日本図』1595年



作者のL.テイセラは、ポルトガルの地図製作者。アントワープで出版されたオルテリウスの "Orbis Terraum" (世界の舞台)に掲載された日本図です。
 
九州がBVNGO、 臼杵がVsuqiと表記されており、西欧世界がこの時すでに臼杵を認識していたのは、大友宗麟の臼杵城築城とキリスト教保護が関係していると思われます。

また、この地図には世界遺産の石見銀山と思われる「Hiwami」、及び「Argentifodina」(銀鉱山)との表記もあります。

二王座界隈

二王座は臼杵城下の武家屋敷のあった地域で当時の風情を今に伝え、今も人々の暮らしの場として生きています。