吉見裁判について

慰安婦問題の著作・研究活動をめぐる名誉棄損訴訟(原告=吉見義明中央大教授、被告=桜内文城前衆院議員)は、東京地裁で2016年1月20日に判決があり、吉見教授の損害賠償請求は棄却された。吉見氏は東京高裁に控訴したが、2016年12月15日、東京高裁は控訴を棄却した。吉見氏は最高裁に上告した。

吉見義明氏名誉毀損事件の東京高裁判決に対する弁護団声明
1  本日、東京高等裁判所第19民事部は、桜内文城前国会議員(旧日本維新の会)の吉見義明中央大学教授に対する名誉毀損事件について、吉見氏の控訴を棄却するという不当な判決を下した。

2  この事件は、橋下徹大阪市長(当時)が、2013年5月27日、「慰安婦」問題に関して日本外国特派員協会で講演した際に、同席していた桜内氏が、「ヒストリーブックスということで吉見さんという方の本を引用されておりましたけれども、これは既にねつ造であるということが、いろんな証拠によって明らかとされております。」と述べたこと(以下「本件発言」という。)が、吉見氏の名誉を毀損したという事件である。

3  本判決は、本件発言中後段の「これは」の意味について、控訴人が主張するように「吉見さんという方の本」と理解することも考えられるが,被控訴人が主張するように日本軍が女性を強制的に性奴隷としたとの事実又は慰安婦について強制性があったとの事実を意味するものと理解することも十分に考えられるとした上、そもそも曖昧な言い回しであることから、何を意味するかが分からない者も少なくないと述べ上で、控訴を棄却した。

4  しかし、一般人の通常の理解を前提とした場合、本件発言は「吉見さんという方の本」であるということは明瞭である。しかも,本判決は様々な理解が可能であるとする根拠 についてひとことも述べていない。控訴人は、「これは」について「吉見さんという方の本」を指すことを示す証拠をいくつも提出しているのに対し、被控訴人が主張する事実を認定する証拠は全く出されていない。
  また、仮に本判決が述べるとおり、「これは」についていくつかの理解が可能であるとしても、少なくとも控訴人が主張している理解も考えられるとしている以上,その点において名誉毀損が認められてしかるべきである。
    さらに、地裁判決は社会的評価の低下を認めているのに対し、本判決はそれすら認めておらずさらに後退しているのであり、断じて容認することはできない。
  歴史研究者にとり研究成果がねつ造とされることは、研究者生命を抹殺させるに等しい最大限の侮辱であり、社会的評価の毀損であることは容易に理解できるものであり、この点からも本件判決の不当性は明らかである。

5  私たちは、不当な本件判決に強く抗議するとともに、速やかに上告し、吉見氏の名誉回復のために最後まで戦う決意を表明するものである。

                        2016年12月15日
                        吉見義明氏名誉毀損訴訟弁護団
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■「初歩的な言葉の理解ができない高裁判決!」 
吉見義明氏と弁護団が記者会見
吉見義明氏の弁護団は同日午後5時から司法クラブで記者会見を開いた。出席者は、吉見義明・中央大教授のほか、吉田裕・一橋大教授、大森典子弁護士、穂積剛弁護士、川上詩朗弁護士。以下は主な発言。

【川上】控訴棄却という不当判決が出た。断固抗議したい。弁護団声明は、短い時間で検討したので暫定版ということで。「これは」が何をさすかが争点になっていた。「さまざまな理解が可能だ」ということで、控訴人が主張しているような内容と認定することは難しいという入り口論で切り捨てられた。その後につづく捏造、名誉毀損、事実摘示か評価かといったところに入る前で判断された。

【大森】被控訴人が記者会見されたと聞いている。詳細に申し上げたいが、ほんとにシンプルに、もう一度被控訴人の当該発言をよくごらんいただきたい。彼は次のように言っている。「彼はsex slavaryといっている。そのような言葉を使うのはアンフェア。それからヒストリーブックスということで吉見さんの本を引用されたが、これはすでに捏造ということが明らか」というセンテンス。
日本語を使っている者から、吉見さんの本は捏造だと明らかというふうにここで「これは」と接続詞、代名詞を使えば直前のものをさすのは明々白々。被控訴人は「sex slavery」と言い、言葉足らずだったと言っている。すなおに読めば吉見さんの本は捏造だと明らかにされているとしか理解できない発言だと思います。
それに対して、一審判決は敗訴しましたが、「本件発言の後段部分で、原告の名前をあげて『これ』と言ったことから、性奴隷説とは認められない」と判断している。それを認定したので、捏造という言葉が単に誤りというところで被告を勝たせた。
そういう判決も被告勝訴の結論から無理な論述を重ねたが、その判決でさえ、この「これは」は吉見さんの本としか理解出来ないと認定した。
それについて今回の控訴審判決は、吉見さんの本と理解する人もいるかもしれないが、sex slaveryと理解する人もいるかもしれない、あいまいだと認定している。通常の日本語の理解ができない人の判断だ。吉見さんの本としかいえないところをどうやって被控訴人を勝たせるかということで、吉見さんの本と述べたとはいえないとして、名誉毀損にあたらないと。そういうところで結論をだした判決と読める。
まさかこんなところでこんな論述をされるとは。ほんとうにびっくりしました。わたしどもとしては、理解の限界をこえるので、上告しますし、これまでの判決の積み重ねからはこのような判決を理解するとは思えない。

【吉見】研究者にとって捏造、改竄、盗用は研究者にとってやってはいけない。そのことを認めない高裁判決に深い憤りを覚えます。名誉毀損判決を広く容認することになると憂慮している。ごくごく初歩的な言葉の理解が、高裁で理解できないというのは、ほんとうにそれこそ理解できない。
歴史修正主義者による歴史の歪曲が起こっている。そのような歪曲に対しては今後もたたかっていきたい。

【穂積】短時間で検討した結果、弁護団声明に記載したが、内容について触れたい。発言自体は短いもので、原判決の添付によって、橋下市長を紹介するコメントのなかでsex slaveryと言うことば、「これは」、アンフェアである。
そして二つ目の「これは」。これだけの内容です。二つ目の「これは」が何をさすのかと。小学校のテストだって間違えません。小学生ですら間違えない文脈の読み間違えをこの裁判所はやっていると判断せざるをえない。
弁護士として絶望的な気分にならざるをえません。知性の頽廃が裁判所まで毒されているのかと恐怖を覚えざるをえない。
われわれは、二つ目の「これは」が吉見先生の本をさすとみなが認識しているという証拠を出した。
記者会見の内容を速報した朝日新聞デジタルは、「桜内文城衆院議員は、橋下市長を紹介するコメントの中で、ヒストリーブックスということで、吉見氏の本を紹介したが、すでに捏造である」と書いている。だれが読んだって吉見先生の本ですね。
ブロゴスというサイトも速報していました。編集部注として要約した文章で、「同席の議員からsex slaveryという単語はアンフェア。吉見義明という人については捏造だ」と書いている。当たり前です。小学生ですらわかる。証拠に出しています。なんでいっさい無視されているのか。
ニコニコ動画で記者会見が生中継されていた。動画にコメントが次々と流れていく。こういう人たちがどうコメントしたか。「吉見 捏造本 捏造だ 岩波書店の本を堂々と捏造と」と流れている。当たり前ですよ。小学生ですらわかること。
だれもみんな捏造の対象は吉見義明先生の本だと。
これに対して被告側のほうからは「sex slavary」だという証拠が出ていない。どうして裁判所は正反対の結論を出すのか。これは裁判所の知性の後退が進んでいるのは恐怖だ。裁判所に知性はない。みなさんの権利が侵害されるかもしれない。判断されるかもしれない。極めて恐ろしいと思わざるをえません。
当然上告して争います。このような反知性主義が最高裁まで毒されていないことを願いますし、国家としての危機といっても過言ではない。

【吉田】思いもよらぬ判決でびっくりしています。予想もしていなかった。「これは」は何をさすかと聞かれたら吉見さんの本をさす、というのは当然だ。
捏造と認定されることは処罰の対象。センシティブな内容を精査もなしに捏造と決めつけること自体ヘイトスピーチ。研究者自体、こういう問題をとりあげるのに萎縮したり自主規制したりすると強く危惧する。不当な判決だ。

【大森】わたしどもはこの裁判は、吉見先生の本を捏造だと名誉毀損発言をしたという発言者に対して、言論の自由の埒外でペナルティーをはらうべきだというところに主眼がある。捏造だという発言が今日あちこちで簡単に出されている。そいういう根拠内発言は許されないというのが訴訟の主眼です。被控訴人が捏造だ、捏造だといい、控訴審の法廷でも、吉見さんは捏造をして世界に振りまいて日本人の名誉を傷つけていると根拠なしにふりまいている。こういう言論は許されないということを示していただきたいというのが目的です。そこのところははっきりさせていただきたい。
裁判所が理解できないからというよりは、むしろ政治的にこの種の事案について、裁判所は当然ほかの場面なら判断しただろう枠組みの適用をしないで、無理な論述をしてでも発言した側を救おうという政治的配慮が働いている。そういう危険性を感じるというように思います。

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■以下は1審判決についての記録です
慰安婦問題の著作・研究活動をめぐる名誉棄損訴訟(原告=吉見義明中央大教授、被告=桜内文城前衆院議員)は、東京地裁で1月20日に判決があり、吉見教授の損害賠償請求は棄却されました。
この判決について、吉見弁護団の穂積剛弁護士は、同日都内で行われた裁判報告会で、「自分の都合のいい結論をまず出して、それに見合うものをつまみ食い的に設定していく。これはネトウヨの思考法と同じだ」ときびしく批判し、さらに「看過できないことは、まったく同じこの裁判体(民事33部)が植村隆さんの名誉棄損訴訟を担当していることだ」とも述べました。
集会での発言を全文、掲載します。
◆穂積弁護士の発言は、IWJ(Internet Web Journal)に掲載中の動画から記事起こしをしたもので、文責は当サイト管理人にあります。
◆吉見裁判判決の全文PDFは、この記事の末尾にリンクがあります。

穂積剛弁護士の判決批判「これはネトウヨと同じ思考法の判決だ」
2016年1月20日、吉見裁判報告集会(東京・中大駿河台会館)で

弁護士の穂積です。よろしくお願いします。ちょっとひとこと、にはなりませんが発言をさせていただきたいと思います。

私は率直に言って、本件、負けるなどとは毛ほども思っていませんでした。まったく思ってもいませんでした。それがこういう結果になったことに関して、私は弁護団の弁護士として、まず吉見先生にお詫びを申し上げます。申し訳ありませんでした。<頭を下げる> それから、支援して下さっている皆様方にも、こんなの負けるわけない、というふうに私は言ってきたわけですから、その期待を裏切ったということでお詫びを申し上げたいと思います。申し訳ありません。<再び頭を下げる>

けれども、私がこんなの負けるわけがない、と思ったのには理由があります。

たとえばですね、去年の判決があります。AⅤ女優がAⅤの出演契約をさせられたけれどもAⅤに出るのはいやだと言って出なかった。で、プロダクション、製作者側がその女性に損害賠償の請求の訴訟を起こした。これを棄却した裁判体、この民事33部です、同じ人たちです。理由は、そういう性行為をさせて撮影させようというようなことは契約で拘束できるようなことではない、という判断を示して請求を棄却しました。妥当な判断だと思います。

2日前、おととい、もう1件別の判決がありました。アイドルが恋愛中止という条件でプロダクションに所属したのに恋愛をしてしまった、それでプロダクション側がアイドルに対して損害賠償請求をしました。去年あたり似たような事例があって、そっちのほうは60数万円の損害賠償を認めましたが、この民事33部はおととい棄却しました。どういう理由か。恋愛は人間の尊厳に直結する問題だ、そのようなことを、違反したからといって違法行為として損害賠償義務を負わせるわけにはいかない、損害賠償義務を負うとすれば、それはもう初めからわかっていて損害を与えるような目的で、たとえば交際を開始したとか交際を公表したとか、そういうような事情でない限りそれは人間の尊厳の問題だ、だから損害賠償義務を負わない。そういう判断をおとといしました。きわめて妥当な判決だと思います。これらの判決をみて、これで負けるわけはない、というふうに私は思った。

それならなぜ負けたか。いまのふたつの事案は妥当な判断だったと私は思っています。なぜそれなのにこの件だけは負けたのか。どっかおかしいです、どっかおかしい、としか私は思えませんでした。頭に思い浮かんだのはいわゆるネトウヨです。彼らの論理、脳の構造、構成っていうは私はよくわからない、つねづね疑問に思っていることですけど、事実とか論理から出発するのではなくて、自分の都合のいい結論をまず出して、それに見合うものをつまみ食い的に認定していく、それが正しい事実であるかのように判断する、それが彼らの特性だというふうに私は思っています。

この判決は、残念ながら、まさに、まさに、そのもんじゃないかと思っています。ほかのことではまともな判断ができるのに、ことこういうことになると判断がこれだけ歪んできてしまう。恐ろしいことだと思いました。しかも本人たちは気がついていない。びっくりしました。

2点指摘します。この判決のおかしいことを、2点これから指摘します。今から説明すれば簡単に皆さんもわかると思います。

判決文をお持ちですね。10ページをご覧ください。10ページの上から3行目から、本件の被告の発言があります。ここに書かれている通りです。「①橋下市長を紹介するコメントの中で彼は『sex slavery』という言葉を使われました。これは日本政府としては強制性がないということ、その証拠がないということを言っておりますのでそのような言葉を紹介の際に使われるのはややアンフェアではないかと考えております。それから」と言ったうえで「②『histoy books』ということで吉見さんという方の本を引用されておりましたけれどもこれは既に捏造であるということがいろんな証拠によって明らかとされております」。今までおそらく皆さん何度も繰り返し見てこられたでしょう。これです。

で、これについてまず事実の摘示なのかあるいは意見とか論評なのかということを決めなければなりません。これは確立した最高裁判例があります。そのことがこの判決文にも出てきます。見てください。11ページ。(2)に「捏造の意味」というのがありますね。そこの2行目からです。ここに書いてあるのが最高裁の判断基準です。「問題とされている表現が」、いいですか、「証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を明示的又は黙示的に主張するものと理解されるときは」、それは事実の摘示だ、しかし、そうではなくて、つづけて「物事の価値、善悪、優劣についての批評や論議などは、意見ないし論評だ」、と言っています。これ正しいです。ここに書いてある通りです。今ね、この10ページと11ページのところをちょっと見比べてみてください。10ページの先ほどの②のところで被告は何て言いました。「これは既に捏造であるということがいろんな証拠によって明らかとされております」と言っていますね。単に捏造だと言ってるんじゃないんですよ。いろんな証拠によって明らかになっている、と言ってるんです。右側の最高裁の判断基準を見てください、同じところを。「証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項」。同じじゃないですか。<語気を強める> 被告の桜内氏がこの捏造という言葉を、事実の摘示という意味で使っていることは「いろんな証拠によって」ということがあることで、まさに最高裁の基準にドンピシャ当てはまるじゃないですか。これ、なんで論評になるんですか。<語気を再び強めて> アッタマ(頭)どうかしてるんじゃないですか。私は本当にそうとしか思えません。

もうひとつ出します、例を。いいですか、同じ11ページで下から5行目、「そもそも」という段落がありますね。ここをよく見てください、ここを見るだけでこの判決がどれだけおっかしいのか、わかるんです。いいですか、「そもそも本件発言は、司会者発言部分②にその場で直ちに対応するために口頭で述べられた短いコメントであり、これを耳にした者が「事実でないことを事実のように拵えて言うこと」という「捏造」の本来の語法通りに理解するかは疑問がある」と言ってますね。まず、ここでこの判決は、捏造の本来の意味は事実でないことを事実のように拵えて言うこと、これは事実の摘示ですけども、この意味であることを認めています。で、それに、その通りに理解するかどうか疑問があると言ってるんです。なぜか。理由は。<語気を強めて> 短いからです、何言ってんですか。<大きな身振りでさらに語気強める> 短かったら、本来の語の意味の通りに認識するに決まってるじゃないですか。なんだっていろいろくっつけてその上で言ってるんだったら、本来の意味じゃないというふうに判断するかもしれませんよ。だけど、短いコメントで捏造としか言ってないんだから、多くの人たちはみんな捏造の本来の意味、つまり事実でないことを事実であるように拵えて言うこと、そのものだと理解するに決まってるじゃないですか。なんで正反対の意味になるんですか。<会場大きな拍手>

これだけでもうこの判決は完全におかしいんですよ、この部分だけで。なんでこんな正反対の解釈をするんですか。初めっから結論決めて、ねじ曲げて、都合のいいようなつまみ食いしかしていないからです。明らかでしょう。誰がどう見てもそうですよね。

もう1点あります。

12ページをご覧ください。下の方に争点2というのがあります。こんどは、論評とした上でどういう時に免責されるのかっていう話です。さっき、本件発言が吉見先生の社会的評価を低下させるって言いましたよね、この判決も、そう認めてますよね、だけど免責はされるんだということです。じゃ、どういう時に免責されるのか、ということです。ここにそれが書いてあります。免責の要件として、(1)のところ、下から2行目、「ある事実を基礎としての論評の表明による名誉棄損にあっては」とありますよね。で、それちょっと細かいことは飛ばして13ページの上のところを見てください。「その論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、違法性を欠く」、つまり免責される、そういうふうに言っているんです。これ、論評という言葉、事実の摘示なので本来、本来、この言葉を使うと面倒くさいから、ここでは混乱するから、例えを変えます。

仮に、被告の発言が、吉見先生が捏造したというんじゃなくて、吉見先生はインチキ学者だ、と言ったとします。仮定です。インチキ学者だという言葉は、これは論評でしょう。事実の摘示ではない。だってインチキ学者かどうかを証拠等をもってその存否を確定できるような他人に関する特定の事項とはいえないでしょう。むしろ意見とか評論の話ですよね、インチキ学者だというのは。だからインチキ学者だと仮に言ったとしましょう。じゃあ、堂々とインチキ学者だって言った人がどういう時に免責されるんですか、ということです。それがインチキ学者といえるようなこういう問題点がこの人にあるのだという前提があるわけですよ。たとえば文献の引用がデタラメだとか、あるいは重要な文献資料を落としているとか、あるいは何度も指摘されているのにそれを無視した上で同じこと繰り返すとか、みんな右翼学者がやっていることのような気がしますけど、それはちょっと置いといて、そういうインチキ学者だっていえるような前提となる事実があって初めてインチキ学者だっていう論評ができるわけですよ。そんなふうに最高裁は言ってるんです。だからここで言っているその論評の前提としている事実というのも、インチキ学者の前提となる重要な事実、部分についてたしかにあなたのいう通り重要な事実をこの人書いてないねとか、あるいは指摘されていることを無視しているね、とかそういうことがあって初めてインチキ学者と言えるんです。それが名誉毀損に関しての法律の構成です。

だとすれば、この判決も、吉見先生がインチキ学者だというふうに指摘したことが名誉棄損に当たらないと言うんだったら、どういう事実がその前提として、吉見という学者にどういう問題点があるのかというのを具体的に書いて、それは確かにあるねとやった上で、それでこういう事実があるんだったらインチキ学者と言われてもしようがないとか、そういう論理にならないとヘンなんです、わかりますよね、すごくわかりやすい話ですよね。

この判決、<語気を強めて> なんて書いてるんですか。13ページの真ん中です。(2)の本件発言についての検討のところで、4行目、「そして」と書いてありますね。「そして、上記1(4)のとおり本件発言がその前提としている『原告が著書に従軍慰安婦は性奴隷ないし性奴隷制度である』という記述について』真実だと言っていますよね。これ全然違いますよ。<大きな身振りを交えて> 真実を証明、認定しなきゃいけないのは、吉見先生がインチキ学者といえるだけのそれだけの材料があるって言うことを言わないと、この認定できないんですよ。

こんなの司法試験で受けるような話ですよ、こんなの。だって刑法にあるんだもん、刑法各論に名誉毀損罪というのがあって、その中でこの勉強するんですよ。この3人は、この裁判官は、司法試験にも通らないようなむちゃくちゃなことを書いてるんですよ。なんでこんなムチャクチャな判断になるんですか。初めから認知が歪んでいるからですよ。結論を初めから決めているからですよ。だからこうなるんです。

なぜ彼らがここまで認知が歪んだのか、それは最近の情勢が影響していないとは言えない、いないとは言えないと私は思いますよ、影響しているかもしれない。だけど、最高裁はもうはっきりとした枠組みを作っているんですね。それに当てはめるようにしなきゃいけないんだけど、いくらなんでもこれはずれているよね、というところにならないように本当は裁判所はしなきゃいけないんだけど、もう全然できていないと言わざるを得ない。そうしたら、どうなるか。私はこれが高裁で維持できるとは全く思いません、高裁で十分、判断を変えることはできる、そういう内容だと思っているんです。むしろ逆に、ここまでメメャクチャな判断をしてくれて、これじつに闘いやすいな、というふうに思いました。もっと分厚く書かれて、いろんなことを書かれて、反論するのがやっかいなようなことを判決書に書かれたらそれはいやだったかもしれないが、いやそんなネタはじっさいにはないんですけどね、しかしここまでメチャクチャにやってくれたら、その意味では高裁を戦うということははやりやすい、というふうに思いました。

力が足りなかったというか、読みが甘かったというか、あるいはもうどうしようもないことだったのか、わかりませんけれども、不本意な結果になったということに関しては、ほんとうに支援してくれた皆さんにお詫びをしなければならないと思っています。だけれども、これは十分に闘える内容だし、ここまでメチャクチャであれば、反駁することは十分できる。だとすれば、申し訳ありませんけれども、引き続き皆さんのご支援をお願いしたい。

 それからもうひとつ看過できない問題があります。看過できない問題というのは、この全く同じ裁判体が植村隆さんの名誉棄損訴訟の裁判体だからなんです。ここまでメチャクチャだとですね、もうたしかにきびしいです、これは。なので、高裁の方は高裁の方でやれば戦いやすいと思いますけれども、そちらのほうもどうするのか、あわせて考えないといけないと思います。

ただ、いずれにしても皆さんの多くの方たちが見守っている、見ている、支援している、いい加減な判断は許さないという姿勢を示していただくことが裁判所にとって大きなプレッシャーになっているのは厳然たる事実です。傍聴者もいないような裁判でいい加減な判決が出されるのを何度も見ています。ぜひともこんなバカなことがこれ以上続かないように、皆さんの引き続きのご支援をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。(会場拍手)


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nakasap2011,
2016/02/08 5:12