東京第5回報告集会

第5回裁判終了後の報告集会は、午後4時から6時30分まで、衆議院第二議員会館第3会議室で開かれた。会場には定員を超える約60人が詰めかけ、補助椅子もすべて埋まった。(2016年5月18日)

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集会は、植村応援隊の今川かおるさんが司会して行われた。弁護団報告の後、札幌で結成された「植村裁判を支える市民の会」の七尾事務局長と崔共同代表があいさつ、佐高信さんの講演などをはさんで、最後に植村隆さんが韓国での生活と最近の著作活動について報告した。

発言者は順に、角田由紀子弁護士(東京)*、神原元弁護士(同)*、上田絵理弁護士(札幌)*、七尾寿子さん(植村裁判を支える市民の会事務局長)*、崔善愛さん(同会共同代表、ピアニスト)*、近藤昭一さん(民進党衆院議員)、徳島県教組元書記長(在特会を訴えた損害賠償請求訴訟の原告女性、匿名)、佐高信さん(評論家、「櫻井よしこ氏と背後勢力」と題して約50分間講演)、植村隆さん*の9人。以下は*6人の発言要旨。

角田由紀子弁護士

この裁判は、スタートのときは裁判官は男性3人だったが、今回から両脇が女性2人になった。裁判官は圧倒的に男性が多く、女性はまだ24%しかいない。それでも裁判官はまだ女性の割合が高く、弁護士は18%しかいない。両脇が女性になったことは、この裁判にとって喜ばしいことになるんだろう、と考えた人もいるかもしれないが、そこは何とも言えない。でも、もしうまくいけば、この裁判のテーマは名誉毀損ではあるが、根底の事実関係には慰安婦問題があり、女性の裁判官がそれをどう理解するかという点が大事だと思う。もう一つ法曹の問題として、法学教育ではジェンダー認識を持たせる教育をしていない。教える人も、教科書を書く人もほとんど男性だ。女性裁判官が、男の先生に教わるその影響をどこまで排していくかということでいうと、傍聴の問題が大きい。女の人の目が光っているのがとても大事。裁判官はみなに見られている、聞かれているのがとても大事です。若い女の人にたくさん傍聴参加してもらうのは難しいかもしれないが、そうすることで女性裁判官にエールを送れたらと思う。

神原元弁護士

今回、第3準備書面を提出した。すでに第2準備書面で大事なことは言っているので付け足しといえるが、なぜ付け足したか。

この裁判は、西岡が植村さんを「捏造記者」と決めつけたことが名誉毀損にあたるということが裁判の争点になっている。西岡はその理由として、植村さんが、女子挺身隊の名で連行された、と書いたこと、キーセン学校、キーセンに身売りされたと触れなかったこと、植村さんの義母が遺族会の幹部だったこと、の3つをあげている。

2つ目の件、「キーセン」と書かないことが捏造というのは常識としてもおかしい。キーセンに触れないからというのは日本語としてもおかしい。

女子挺身隊の名で、というのも、当時の新聞を見ればそう書いてある。最近、新たに提出したなかでは、読売新聞が91年12月に、「女性挺身隊として強制連行され」と書いている。当時は挺身隊という言葉は慰安婦という言葉と同義に扱われていた。これだけ証明すれば、植村さんが捏造したということにはならず、それだけで裁判が終わっちゃうところだが、向こうが言ってくるので、あえてそれに対して反論したのが今回の書面です。

被告は、挺身隊というのは当時は確かに一般的に使われていたかもしれないが金学順さんはそう言っていない、と主張している。しかし、金学順さんもそう言っている。名乗り出た瞬間から「私は女子挺身隊だった」と切り出したという記事が北海道新聞にある。

それから、キーセンの検番に身売りされたという件。養父に連れて行かれた、とハンギョレ新聞8月15日付に書いてある。植村さんの聞きとりでは、金学順さんはキーセン学校に通ったが、身売りとは言っていない。養父とは言わず、友だち2人で行こうと決めた、と言っている。

植村さんの義母は遺族会の理事だった、だから植村さんは裁判を支援するため記事を書いた、と被告は言っている。しかし記事が最初に出たのは8月11日。金さんは原告ではないどころか、義母に会ったことすらない。これは朝日の検証紙面でも言っているのに、被告はいまだにこういうことを言っている。完全な事実誤認だ。

それから、12月25日の記事。この記事は、裁判が起きた後に出ている。キーセン学校に通ったとか、養父が行ったとか、すでに出ている訴状に書いてある内容を書かないことが裁判に有利になる、という被告の理屈が裁判で通りますか。

向こうは論評だと主張しているが、だとしても、意見を言う前提となっている事実が一つもない。あるとすればキーセン学校に通ったということを書かなかった程度。「捏造だ」と言っている根拠が一個もないことが問題です。

まったく事実にもとづかないバッシングで植村さんは、事実上、北星にもいるのが大変だということで今回、韓国カトリック大学に移らざるを得なかった。こんなことがあっていいのか。北星と松蔭にどんな批判のファクスやメールが来たのかについて、裁判所に書類が届いている。北星からは3500枚来ている。次回8月3日には、文春記事と植村さんバッシングの関係を立証する「損害論」の主張をする。それに対してさらなる反論が被告側から来るというのが、次回以降の流れです。

上田絵理弁護士

訴訟提起から1年2カ月もたって、ようやく札幌でも第1回口頭弁論が開かれた。時間もたってしまい、傍聴人が集まるのか、弁護士が結束できるのか不安もあったが、当日は57人の傍聴席に198人が並んで3・5倍の抽選。多くの方に傍聴していただいた。弁護団109人のうち28人が出席し、札幌の法廷は一回り小さいが、弁護団の席が真ん中まで出てきてしまうほどだった。

被告側も計6人。桜井さんも意見陳述、植村さんも陳述し、最初から最大のクライマックスを迎えるという、双方が裁判に向かっていく気迫のある法廷になった。

最初に手続きがあったのち、意見陳述を始めますというときに、「ここは裁判所なので、拍手やヤジを飛ばしたくなっても、心の中にとどめてください」と裁判長がおっしゃった。どちらに偏るでもなく、司法としてどう判断するかを見きわめていきますよ、とのメッセージ。われわれも闘いやすいという雰囲気だった。双方が主張をたたかわせようという空気が感じられる法廷だった。

植村さんからの意見陳述は、堂々と落ち着いていた。内容は大きく分けて2点。被害の実態、裁判を訴えるまでにどれほどの状況があったのか、娘さんに攻撃の矛先が向いていった経過。「千枚通しで胸を刺されるような痛みを感じた」と聞いたときは、当時、いっしょにやらなければならないという気持ちになったことをあらためて実感した。もうひとつは、言論の場で植村さんが伝えても、バッシングが止まらない、脅迫が止まらないという中、裁判で闘わざるを得ないということ。植村さんには、裁判所も事実に向き合ってもらいたい、と訴えていただいた。

弁護団の共同代表の一人である伊藤誠一弁護士も陳述した。伊藤弁護士は、われわれがなぜ裁判を起こしたのか、どういった訴訟進行をしてほしいか、について述べた。植村さんと朝日新聞だけが特定されて激しく攻撃され、マスメディア全体が萎縮している状況であり、その結果、言論空間が狭められている、と。原告の権利や自由だけでなく、自由な言論の交換によって成り立つ民主主義の危機的状況について、正面から向き合っていただきたいと、訴えた。

これから戦いに突入していくわけです。争点は名誉毀損だが、民主主義とは何か、言論のありかたはどういうものかという大きなテーマを抱えている。東京訴訟はかなり進んでおり、札幌にもいい影響をもたらしている。連携して闘いに臨んで行けたらと思っている。

七尾寿子「支える会」事務局長

「植村裁判を支える市民の会」は4月22日の裁判に向けて4月12日に立ち上がった。裁判というのは裁判所の中で内向きになるが、傍聴者がいないとダメだよね、ということで集まって、支える会ができた。労組や市民団体、宗教関係、大学もまわって、傍聴の協力をお願いした。57席に198人が駆けつけて並び、裁判のあとの報告集会も220席びっちり集まった。

札幌で裁判をしたかった。札幌に北星学園大があり、私の娘も女子高校にお世話になった。地域に根ざした卒業生も多い。地域が萎縮した状況を打破したいという思いもあった。それと、マケルナ会が活動を開始した当初、植村さんは毎日無言電話が鳴り続けるということで、顔が真っ白で、そのつらさも目にしていて、札幌での裁判が大事と思っていた。

植村さんとともにさらに前へということで、共同代表に上田前札幌市長、さきほどの上田弁護士のお父さまです、ほかに小野有五さん、神沼公三郎さん、結城洋一郎さん、東京からも崔善愛さん、香山リカさん、北岡和義さんで計7人です。

次回は6月10日に札幌の第2回口頭弁論、12日にマケルナ会の総括シンポジウム、7月29日に第3回弁論がある。「支える会」にもご参加いただけたらと思っています。

崔善愛「支える会」共同代表

この1年、植村さんのすさまじい力強さに引っ張られ、ここまで来たという気がしている。私は30年前に指紋押捺反対のデモをしていて、右翼に取り囲まれたが、新聞記事にもならず、だれも守ってくれなかった。国家を相手に声をあげれば右翼が出てくるというのがこの国のありよう。声を上げるのが命がけという状況は今に始まったわけではない。右翼の街宣車に「やめてください」とも言えず、ただ体がこわばるばかりだった。

そのなかで、この国を代表する朝日新聞が、長年にわたって右翼の標的にされ、銃弾の銃撃もされている。ガードマンが本社の玄関に立っていて、いいなあ、ガードマンがいて。私たちはガードマンをやとうこともできない。朝日新聞社は大きな新聞社だから右翼とたたかえるだろうと思っていた。

しかしそんな意識を変えたのは、29年前に朝日新聞の記者2人が銃撃された事件だった。当時29歳の小尻さんと植村さんは同期だった。私ともほぼ同じ年代。植村さんは慰安婦問題を書いたということで攻撃されている。小尻さんは在日コリアンの指紋押捺問題を書いていた。そのことで「国賊」と呼ばれ、殺されたのであれば、それは「わたし」に向けられた銃弾ではなかったのか。小尻さんのことと植村さんとご家族への暴力、朝日新聞社への襲撃は、わたしたちへの暴力と感じる。朝日新聞は植村さんを守るために何かしらの手をつくすだろうと思ったが、何も動きは見えないままだ。

新聞は国家権力を監視する。だから国家権力は新聞に圧力を与え、何とか書かせないようにする。新聞はだれのものなのか。わたしは、はじめて在日であることの苦悩を話せたのは新聞記者だった。学校でもだれにも話せず小さくなって生きていた時代があった。しかし自分が在日であることで受ける恐怖を話したのは、何人かの新聞記者だった。そこから闘いがはじまり、20年以上わたしはふたつの裁判を最高裁まで新聞記者と闘い抜き、ときに導かれ、同志のような友人を得ることができた。

私にとって新聞記者は市民の代弁者です。朝日新聞社のような大きなところだから、やられても大丈夫だと思っちゃうが、そうではない。私たちを代弁する新聞社を、私たちが一緒に守る、一緒に声をあげる、この裁判がそんな機会になればと思ってかかわっています。

札幌地裁の弁論も聞きに行ってきました。すごいものでした。桜井氏が法廷で、「ここに立っていることは感慨深い」と言っていました。彼女にとっても信念をかけた闘いがここにきたという思いがあふれていた。

この札幌と東京のふたつの裁判を支えるために、「植村裁判を支える市民の会」がたちあがりました。支援サイトはよくできていますので、ご覧ください。

植村隆さん

ソウルに行く前に「真実」という本を岩波書店から出したところ、岩波の読者センターにメールで感想が寄せられた。ある弁護士は、感銘を受けた、一緒に闘いたい、市民運動のレベルで勉強会をやろうと。東京でやってくれることになり、大集会も考えている。

もう一つ、朝日新聞の販売店さんから、「植村さんの本を読んで、植村さんのような記者がいる朝日新聞を配ることに誇りを感じている」と岩波を通じてメールをいただいた。涙が出た。朝日新聞が吉田清治証言を取り消したときに、私もバッシングを受けた。読売は当時「朝日をやめて読売にしろ」といって販売キャンペーンをした。朝日新聞のなかでも誤解している人もいたし、販売店は防戦一方で大変だったと思う。

試練があったが、その試練からさまざまな出会いがあった。その出会いがなければ私は二流の記者のままだった。みなさんと出会えて世界が広がった。一冊の本がさまざまな出会いをつくってくれた。

私が直面している問題は私だけの問題ではない。4月には国連人権理事会から「表現の自由」調査官が来て、私の名を出して暫定報告を出した。世界も注目しているということが分かった。

西岡さんが「捏造」と言ったのは1998年からだが、最初は「誤報」とか「重大な間違いがある」といっていた。その前年、97年2月27日、安倍晋三氏らが「日本の前途を考える若手議員の会」を作った。中川昭一代表、安倍事務局長、90年代後半のバックラッシュの代表だ。安倍さんの登場の次の年に西岡さんは私の記事を「捏造報道」とエスカレートさせた。

97年と98年の関係をもっと考えなければならないと私は思っている。「真実」には私の体験はある程度書いたが、日本の現代史の大きな流れに巻き込まれたということが明らかになっている。97年の安倍さんらの登場、98年の西岡さんの変化。ある意味、日本版のマッカーシイズム、歴史を変えようとしている。こういう動きについての調査報道を始めたいと思っている。

「週刊金曜日」(5月13日号)に、桜井さんと私の対決の記事が出ている。札幌の裁判で私は、はじめて桜井さんと対面した。本人が来ると聞いて、意見陳述書を書き換えた。彼女は産経のコラムの中でウソを書いている。私は金学順さんのことを、記事では強制連行と書いていない。読売や産経は強制連行と書いている。それを抜きにして桜井さんは「訴状で14歳で継父に売られたとあるのに、植村は書いていない」と主張しているが、真っ赤なウソで、そんなことは訴状に書かれていない。産経新聞は訴状を読まず、桜井さんの言う通りに出している。

桜井さんは「間違っていたら訂正します」と言っているが、結局、私を標的にした罠は、日本を変えて戦前に戻そう、日本を美しい国にして、日本は悪いことをしていないということを一般化したい、という流れ。その流れの中で標的にされているのではないかと思っている。

去年は産経、読売とやりあって、記事を週刊金曜日に載せた。能川元一さんは私をバッシングしている人を批判してくれた。暗闇に光を見た思い。それらの記事を集刷して、週刊金曜日の別冊が5月末に発行されることになり、きょうゲラ刷りが出てきた。能川さんのほかに、道新の徃住記者、北大の中島岳志さん、辛淑玉さん、神原元弁護士。私の連載もある。

われわれが負けたら、植村は捏造記者、朝日は捏造新聞、慰安婦問題はなかった、ということになってしまう。そういう流れを止めたい。みなさんに勇気をいただいている。どうもありがとうございます。