東京控訴審第1回

【2019年10月29日】

植村裁判東京訴訟控訴審の第1回口頭弁論は29日午前、東京高裁で開かれた。

植村弁護団は、控訴審の開始にあたり、一審判決後に新たに発見、発掘した37点の証拠を提出した(甲176~212号証)。その中には、植村氏の記事が「捏造」ではないことを証明する具体的で決定的な証拠がある。西岡力氏が植村氏の記事を「捏造」ときめつけた根拠は完全に崩れたといっていいだろう。書面に基づく意見陳述では、一審判決には法理論と判例に照らして重大な誤りがあり、異常な判決であることを具体的に指摘した。

西岡力氏の責任を免じた東京地裁判決から4カ月。舞台を高裁に移した東京訴訟は、決定的な証拠が提出されたことで、大きな転機を迎え新しいフェーズに入った。

決定的な証拠は、金学順さんの証言が録音されたテープである。

■「キーセン」に一言もふれなかった金さんの証言

金さんは1991年11月、日本政府に補償と謝罪を求めた戦後補償裁判の原告に加わり、その裁判の弁護団の聞き取りに応じて証言をした。録音テープはそのときのものである。金さんは約2時間にわたり、弁護団長の高木健一弁護士の質問に対して、時に口ごもりながら、怒りと悔恨の気持ちを交え、慰安婦とされた経緯、慰安所での生活、性暴力被害を語っている。植村氏はこの時、取材記者として弁護団に同行していた。録音は植村氏がした。高木弁護士と金さんの一問一答が終わった後の最後の約5分間には、植村氏が金学順さんと韓国語で直接交わしたやりとりも収められている。

植村氏はこの録音テープをもとに、金さんの半生を紹介する記事を書いた。91年12月25日付の朝日新聞大阪本社版「語りあうページ」の記事で、見出しは「かえらぬ青春 恨の反省――日本政府を提訴した元従軍慰安婦・金学順さん」、前文には「弁護士らの元慰安婦からの聞き取りに同行し、金さんから詳しい話を聞いた。恨(ハン)の半生を語るその証言テープを再現する」とある。

この記事を、西岡氏は「捏造」と決めつけた。西岡氏は「この12月の記事でも、金学順さんの履歴のうち、事柄の本質に関するキーセンに売られたという事実を意図的にカットしている」「都合が悪いので意図的に書かなかったとしか言いようがない」と断定している(『増補新版 よくわかる慰安婦問題』草思社)。この記事が、植村記事の捏造決めつけの重要な根拠とされているのである。

ところが、このテープで金さんは「キーセン」という履歴を語っていない。いや、それどころか、「キーセン」という言葉すらひとことも発していない。金さんが言わなかったことを植村氏は書かなかった。それがどうして捏造とされるのか。

植村弁護団の事務局長、神原元弁護士は、法廷でこう陳述した。「植村さんは取材相手が話さなかった事実を記事にしなかったに過ぎない。それが捏造といえるはずがないではないか。それだけではない。証言テープの内容は記事の内容と詳細に一致している。これは、植村さんには事実をねじ曲げる意図がなかったことの端的な証であり、記事が捏造ではないことの具体的かつ決定的な証拠である」。植村氏の怒りも大きい。植村氏はこう述べた。「金学順さんがテープの中で語っていないことを、書かないのは当たりまえのことです。本人が語っていないことを書かなかっただけで、捏造だと言えるはずがないではありませんか」。

※神原弁護士と植村氏の陳述全文 こちら

■金さんの遺族会入会の日付

決定的な証拠はまだある。金さんは、戦後補償裁判に原告として参加する際に、植村さんの義母が役員を務める韓国太平洋戦争犠牲者遺族会に入会した。その時に提出した入会願書も今回、証拠として提出された。重要なのはその日付である。日付欄には1991年11月とある(日にちの記載はない)。西岡氏は植村氏が同年8月に書いた記事について、「義母の裁判を有利にする意図があった」とし、それも捏造決めつけの根拠とした。しかし、植村氏は義母から取材の便宜を受けたことはなく、金学順さんを取材したのは朝日新聞ソウル支局からの情報によってだった。入会願書の日付からみて、植村氏が記事を書いた時、金学順さんは義母の裁判にかかわっていなかったことも明らかであり、西岡氏の主張はここでも崩れるのである。

このほか、キーセンという職業が戦前の朝鮮でどのように見られていたかがわかる資料(雑誌、報告書、取締規則など7点)も証拠提出された。キーセンは、戦前の韓国社会では歌舞音曲に秀で、教養も備えた女性が就く職業(芸妓)として認められていた。売春を業とした娼妓とは異なっていた。証拠資料はそのことを具体的に示している。西岡氏は金学順さんが「キーセン学校に通っていた」「キーセンに身売りされた」などと語ったということにこだわり、慰安婦になった売春婦、という言説を執拗に繰り返している。これらの証拠は、そのような偏見に満ちた差別意識を否定するものである。

■次回12月16日の結審の可能性大

法廷は午前10時30分に開廷した。この日、東京は朝から晩秋の冷たい雨が降っていた。

開廷に先立って傍聴するための抽選が予想されたが、整列した希望者は101号法廷の定員(90人)に満たなかったため、約60人が無抽選で傍聴席に座った。

定刻に裁判官3人が入廷した。中央の裁判長は白石史子・高裁民事第2部総括判事。左右に角井俊文、大垣貴清両判事が陪席した。白石裁判長は、さいたま市の公民館が憲法九条について詠んだ俳句の月報掲載を拒否したことをめぐる損害賠償訴訟で、掲載拒否に正当な理由はないとして表現の自由の侵害を認めた一審判決を支持し、さいたま市に賠償を命じている(昨年5月。賠償額は5万円から5千円に減額)。また、日本郵便の契約社員3人が手当てや休暇付与で正社員と格差があるのは不当だと訴えた裁判では、損害賠償を命じた一審判決を変更し、賠償額を増額した(昨年12月)。

弁護団は、中山武敏弁護団長はじめ、宇都宮健児、梓澤和幸、黒岩哲彦弁護士ら17人が勢ぞろいし、札幌弁護団からも秀嶋ゆかり弁護士が参加した。一方、西岡氏・文春側は喜田村洋一弁護士ともうひとりの計2人。いつものように西岡氏の姿はなかった。

植村弁護団の意見陳述は、穂積剛弁護士、神原元弁護士、植村氏の順で行われた。穂積弁護士は、一審判決に欠落している重大な問題点を中心に、控訴理由の骨子の核心部分を約10分にわたって論述した。神原弁護士と植村氏は、金学順さんの証言録音テープがきわめて重要であることを中心に陳述した(神原弁護士4分、植村氏7分)。西岡弁護団からは意見の開陳はなかった。

この後、裁判官はいったん退廷して合議に入ったが、1分後に戻り、次回期日について協議をした。結果、第2回口頭弁論は12月16日(月)午後3時30分から開くことになった。白石裁判長は、「書面は11月中に提出して下さい。次回で結審することもあり得ます」と述べ、午前11時ちょうどに閉廷した。