東京第13回 2018.9

東京地裁 2018年9月5日】

本人・証人尋問 速報
札幌に次ぎ東京でも劇的展

西岡力氏、重要な誤りと証言改変を認める

重要部分を削除し、引用には他記述を付加!

東京訴訟の第13回口頭弁論は9月5日、東京地裁で開かれ、原告植村隆氏(元朝日新聞記者)と被告西岡力氏(元東京基督教大学教授)、証人の竹中明洋氏(元週刊文春契約記者)に対する人証調べ(本人および証人の尋問)が行われた。午前10時30分に始まった尋問は、竹中、植村、西岡氏の順に行われ、午後5時過ぎ終了した。


■裁判の核心にかかわる重大事態
西岡氏は、自身の記述に重要な誤りがあることを認め、韓国人元慰安婦・金学順さんの証言の重要な部分を削除したり、韓国紙の引用としてもとの記事にない記述を付け加えたりして「捏造」決めつけの根拠としたことも認めた。いずれも、この裁判の核心にかかわる重大な事態である。先の札幌訴訟・櫻井尋問と同じように、「捏造」決めつけの根拠は完全に崩壊した。植村氏への「名誉毀損」攻撃の違法性は法廷で明白になった。もはや西岡、櫻井両氏の抗弁は成立しないことを、両氏が認めたということである。

尋問後に今後の進行について意見交換と裁判官合議があり、植村弁護団が求めていた2人の証人尋問は不採用となった。このため、次回で審理は終了することになった。次回第14回口頭弁論は11月28日(水)午後2時から同法廷で開かれる。

この日の東京は、前日に関西を直撃した台風21号の余波の強風が吹いたが、初秋の強い日差しの下、最高気温は34度となり、きびしい残暑の1日となった。
裁判所が103号法廷に用意した傍聴席は94席。抽選予定の午前10時10分までに整列した人は84人だった。定員にわずかに満たなかったため抽選は行われず、全員が入廷できた。

午前10時27分、原克也裁判長と2人の裁判官が法廷に入った。弁護団席は植村氏側が14人、西岡氏側は2人が座っている。植村氏側には、中山武敏(団長)、宇都宮健児、黒岩哲彦弁護士や、札幌弁護団の渡辺達生、大賀浩一弁護士の姿もあり、午後には札幌から秀嶋ゆかり、小野寺信勝両弁護士も加わった。
「少し早いですが始めます」と原裁判長が宣言し、証拠に関する弁論手続きを終えて本人尋問が始まった。法廷全体に緊張した空気が張りりつめる中、本人尋問は淡々と進んだ。尋問内容を巡る異議の発出や、裁判長の注意や発言制止はほとんどなかった。午前10時半から午後5時過ぎまで、2回の途中休憩をはさんで尋問は正味4時間40分。東京訴訟では初めての長丁場となった。

■西岡氏、意図的な証言改ざん
もっとも注目されたのは西岡氏の尋問だった。西岡氏は、植村氏の記事を「捏造」と決めつける根拠としている重要な事実について、訴状に書かれていないことを「訴状に書き」と紹介するなどの記述の誤りを認めた。さらに、穂積剛弁護士の追及により、韓国紙記事からの引用として金さんの証言を記述した論文で、もとの記事にない「40円で売られた」という記述を付け加えていたことを認め、「間違いです。気づいて訂正した」と述べた。さらに金さんの証言のうち、強制連行を裏付ける重要な部分を引用してこなかったことも認めた。「意図的な証言改ざん」ともいうべき記述について、穂積弁護士は「あなたは植村さんに対して、事案の全体像を正確に伝え読者の判断に委ねるべきだった、と批判するが、それは逆にあなたに向けれられるべきだ」と迫った。西岡氏は「批判はあり得るが、(その部分は)必要ないと思って書かなかった」と普通の口調で答えた。無責任で不誠実な答えではないか。廷内はざわつき、「それこそが捏造だ」と声を出す人もいた。

西岡氏は「金学順さんは人身売買によって慰安婦にさせられた」との従来の主張も繰り返し、植村さんの記事については、「いまも捏造だと思っている」とも述べた。植村氏への批判を「事実誤認」から「捏造」へとエスカレートさせた点については、「捏造とは、誤りようのない事実誤認のことを意味する」との新しい解釈を明かし、「私の植村批判は一貫している」と答えた。

■4年前の記憶失った?元文春記者
吉村功志弁護士による竹中氏の尋問は、同氏が2014年1月と8月に書いた週刊文春の記事の取材意図と社会に与えた影響に絞られた。植村氏の大学教授就任内定(神戸松蔭女子学院大)と非常勤講師継続(北星学園大)にニュース価値があるのか、との問いに竹中氏は、「編集部デスクの指示によるものだった。指示に従うのは当然だった」と答えた。記事の重要な骨格となった秦郁彦氏と西岡氏への談話(コメント)取材の経緯については、「覚えてません」「記憶にありません」と繰り返した。
意味不明の答弁に廷内に失笑がもれる場面もあった。記事中にある「朝日新聞関係者」の発言について、今回提出した陳述書では「朝日新聞とは別のメディアの記者」から聞いた、と書いていることについて説明を求められると、「広い意味での朝日新聞関係者だが、必ずしも社員ではない」などと、しどろもどろな口調で答えていた。
尋問が終わった後、小久保珠美裁判官と原克也裁判長からも、デスクの取材指示の内容や秦、西岡両氏の関連文献を読んだ時期などについて、詳細な質問が飛んでいた。

■「不当なレッテルをはがして」と植村氏
植村氏の尋問は、主尋問を神原弁護士と永田亮弁護士が担当した。神原弁護士は、1991年8月と12月に植村氏が書いた記事について、西岡氏が「捏造」と決めつける根拠(①金さんは「女子挺身隊の名で連行された」とは言っていない②金さんはキーセン学校に通っていた③義母が幹部を務める団体の裁判を有利に進める動機があった、など)への反論を求めた。植村さんは3年8カ月前に提訴して以来、法廷と講演、執筆などで繰り返してきた説明を簡潔にまとめる形で答えた。裁判官席で背をきちんと伸ばし、植村氏の話に聴き入る小久保裁判官の表情が印象的だった。

永田弁護士は植村氏が受けた被害と損害を詳しく語るように求めた。本人、家族、大学への脅迫やいやがらせの実態も、提訴以来同じように語り続けられてきたことだが、植村氏は最近の動きとして、国内の大学教員への公募にはいまも応募しているがすべて書類選考ではねられていることを明かし、「私の生活はずたずたにされ、私の夢は断たれたままだ」と訴えた。
そして最後に裁判官席に向かって、「私は捏造記者ではありません。私は当時、被害者やその支援者団体の人々から聞き取った話を正確に記事にしたに過ぎません。裁判所に提出した証拠資料を精査していただければ、私が捏造記者ではない、ということは明らかだろうと思います。私にかけられた不当なレッテルをはがしてください。そのような判決を望みます」と語りかけた。

■枝葉末節な記憶はない
植村氏への反対尋問は、喜田村洋一弁護士が48分にわたって行った。喜田村弁護士の口調はいつものように静かで穏やか。しかし、声が小さくて聞き取れないこともあり、尋問の冒頭、傍聴席から「マイクの音量を上げるように」との声が飛んだ。
尋問は、植村さんが記事の前文で書いた「女子挺身隊の名で戦場に連行され」と、本文で書いた「(金さんは)だまされて慰安婦にさせられた」とのふたつの記述について、取材で聞いた証言テープの内容の詳細な記憶を含め、同じ質問が行きつ戻りつ、繰り返された。時折、喜田村弁護士の声が苛立ちで震えているように聞こえた。
植村氏は、「先ほどの竹中さんは4年前のことも良く知らないという。私が記事を書いたのは27年前。枝葉末節にかかわる記憶はまったくないが」と答え、記事はテープの聴き取りとその前日の取材、そしてそれまでの取材で得た知見に基づいていることを説明した。尋問の後、裁判官からの質問はなかった。


本人・証人尋問 詳報1 西岡氏

これこそが「捏造」ではないか!

西岡氏、重要な証拠記事の改ざんを認める

慰安婦記事を「捏造」したと攻撃された元朝日新聞記者の植村隆さん(60)が名誉回復を求めている訴訟の本人尋問が95日、東京地裁で開かれ、被告の西岡力氏(元東京基督教大学教授)が初めて証言した。西岡氏は「捏造」と決めつけた根拠として元慰安婦の訴状と韓国紙の記事を証拠にあげていたが、そのいずれも引用を誤り、記事には原文にない文章を加えていたことを認めた。「捏造」という西岡氏の主張は、法廷に提出された証拠によって大きく揺らいだ。

植村さんは1991年に韓国で初めて元慰安婦として名乗り出た金学順さんについて記事を書いた。それらの記事について、西岡氏は①「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という本人が述べていない経歴を加えた②本人が述べた「親に40円でキーセンに売られた」という経歴を書かなかった、などを理由に「ねつ造」と主張。論拠として、同年8月の韓国紙ハンギョレ新聞の記事や同12月に日本政府を提訴した際の訴状で、金さん本人が「親に身売りされて慰安婦になった」と述べていると指摘していた。

西岡氏は2014年2月6日号の『週刊文春』に掲載された「”慰安婦捏造“朝日新聞記者」という見出しの記事にコメントを寄せた。その中で、植村さんの記事について、金さんが「親に身売りされて慰安婦になった」ことを知りながら、「そうした事実に触れずに、強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではありません」と断言した。この記事がきっかけで、植村さんが同年4月から赴任するはずだった女子大に250通もの抗議メールや電話が殺到。再就職をあきらめざるを得ない立場に追い込まれた。

西岡氏は、植村さんの義母が日本政府を訴えた韓国の団体の幹部だったことも指摘して、「義母の裁判を有利にするために、紙面を使って意図的にウソを書いた」とも主張。そのため、植村さんとその家族はネット上に顔写真や住所などを公開され、「殺す」などと脅迫が相次ぎ、高校生の娘に警察の警護がつく事態になった。その攻撃がピークに達していた141023日号の『週刊文春』で、櫻井よしこ氏と対談して「被害者ぶるのはお止めなさい」と追い打ちをかけた。植村さんは結局、日本の大学では転職先が見つからず、現在は韓国の大学に客員で勤めている。

ところが法廷の尋問で、金さんの訴状にも、韓国紙の記事にも、西岡氏が書いたような記述はないことが明らかになった。それどころか、金さんの記者会見を報じた韓国各紙によると、金さんは自らを「挺身隊」だったと話していた。また、会見を伝えたニュース映像で、本人が「強制的に引っ張っていかれた」と述べていたことが確認された。

訴状に「親に40円でキーセンに売られた」という記載がなかったことについて、西岡氏は「記憶違いだった」と認め、訂正について「裁判が終わってから必要があれば考える」と述べた。

もうひとつの論拠だったハンギョレ新聞についても、「私は四〇円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という核心となる部分の記述が、元の記事にはないことが明らかになった。

西岡氏は「間違いです」と認めたが、「なぜ付け加えたのですか?」「どこからこの文章を持ってきたのですか?」という弁護団の追及には、「覚えていないです」「確認していなかった」と小声で繰り返すばかりで、詳しい説明を避けた。

このハンギョレ新聞の西岡訳は、主著『よくわかる慰安婦問題』や雑誌『正論』などで「捏造」の証拠として繰り返し引用されてきたものだ。西岡氏は、その翻訳に際して「捏造」説に都合のよい文章を自分で挿入していた、と法廷ではっきり認めたのだ。傍聴席もどよめいた。

ハンギョレ新聞の記事は後半で、金さんの言葉として「私を連れて行った義父も当時、日本軍人にカネをもらえず武力で私をそのまま奪われたようでした」と報じている。だが、西岡氏はこの部分は一度として引用していない。

つまり、記事の翻訳に元の記事に書いていない文章を挿入する一方で、元の記事が書いていた「強制連行の被害者としての証言」の部分は無視してきたわけだ。

植村さんが提訴した後も、西岡氏は、「(金さん)本人が話していた貧困のため母親にキーセンとして置屋に売られ、置屋の主人に日本軍慰安所に連れていかれたという重大な事実を書かなかった」として、植村さんの「捏造」を非難している(「私を訴えた植村隆・元朝日新聞記者へ」『正論』15年3月号)。

しかし法廷で明らかになったように、「キーセン置屋の主人に日本軍慰安所に連れていかれた」とは、金さんは一度も語ったことがないのだ。西岡氏が法廷に提出した証拠でも、金さんは「姉さんと私は別の軍人たちに連行されました」「養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」と明言している。

本人が語った「日本軍に連行された」という証言は無視して、本人が言ってない「親に四十円でキーセンの置屋に身売りされた」「置屋の主人に日本軍慰安所に連れていかれた」という経歴を書き加えてきたのが西岡力氏である。これこそ「捏造」ではないだろうか。

「義母から便宜をうけて記事を書いた」という主張も、当時のソウル支局長が植村さんとの電話で情報を提供して「取材にこないか」と誘ったことが立証されている。

植村さんと西岡氏のどちらが「捏造」したのか、その問いに対する答えが浮き彫りになった法廷のドラマだった。              

text by 水野孝昭(神田外語大学教授、朝日新聞OB)

解説■西岡力3つの大ウソ➡ こちら 


本人・証人尋問 詳報2 竹中氏 

あぶり出された「植村バッシング」の構図と背景

元文春記者、「捏造攻撃」加担の詳細語らず

週刊文春で植村バッシングを煽る記事を書いた元記者、竹中明洋氏に対する証人尋問は、原告植村隆氏と被告西岡力氏の本人尋問に先立って行われた(第13回口頭弁論、9月5日東京地裁)。

植村弁護団はこの日の尋問で、記事の意図と取材の経緯、記事がもたらした影響、被害とその責任について、具体的に明らかにするように強く迫った。竹中氏は取材の意図については「デスクの指示に従って取材した」と答え、被害をもたらした責任については「脅迫などを煽ってはいない。大学に向けて抗議が起こることは予見もしなかった」と述べ、責任を否定した。その一方で、詳細については語ることを避け、「覚えていません」「記憶がありません」などと逃げの姿勢に終始した。

植村弁護団の持ち時間は25分だった。時間の制約と竹中氏の逃げの答弁によって、尋問は真相解明の入り口にさしかかったところで終わった。しかし、重要な事実関係を語ろうとしない証人の不誠実さと無責任な態度は法廷で際立つ結果となった。植村氏と家族の人権、名誉、プライバシーを踏みにじっていまも平然とする記者の取材姿勢もはっきりと浮かび上がった。

■竹中氏「指示に従い適正な取材」と主張

竹中氏は白いシャツ姿の軽装で出廷し証言台に立った。「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず偽りを述べないことを誓います」と型通りの宣誓文を読み上げて、午前10時30分すぎ、尋問は始まった。

最初に被告側代理人の藤原大輔弁護士が25分間、主尋問をした。竹中氏はすでに取材の経緯や所感を綴った陳述書を法廷に提出していた(3月20日付)。主尋問はその書面をなぞる形で進行した。
主尋問で竹中氏は、

▽取材は週刊文春編集部デスクの指示で行った。西岡力氏には会って取材した。植村氏には取材を申し入れたが、朝日新聞の広報を通してといわれた。広報には質問書を送り回答を得た。▽2つの大学には質問メールを送ったが、その内容に問題はない。植村氏の職を奪い社会から抹殺しようとしたことはない。あくまでも記者として指示に従い、適正な取材をした。▽脅迫行為は断じてあってはならないと思う

などと語った。

「朝日関係者」の談話は作り話

竹中氏のよどみない口調は、植村弁護団の反対尋問になって一転、あいまいな部分が多いものになった。担当したのは吉村功志弁護士。朝日新聞記者から転じた気鋭の法曹である。吉村弁護士は、陳述書で書かれていることの矛盾点や、たったいま竹中氏が滔々と述べた答弁の詳細に次々と迫った。以下、尋問の流れを整理して、主なやりとりを再現する。(いずれも要約。一部、順の入れ替えがある)

竹中氏は週刊文春2014年2月6日号で、「朝日新聞関係者」の談話として「本人は『ライフワークである日韓関係や慰安婦問題に取り組みたい』と言っているようです」と書いている。ところが、竹中氏は陳述書の中で、談話の主を「別のメディア記者」と書いた。そもそも、植村氏は記事が出た直後から、「そのようなことは言っていない、当時は慰安婦問題とは距離を置いていた」と強く否定し続けている。そうすると、竹中氏は談話をもっともらしいものに仕立てるために「朝日新聞関係者」と書いたが、植村氏の追及を免れるために、陳述書では「別のメディア記者」と書いたのではないか。吉村弁護士は、尋問の冒頭にこの点を追及した。

吉村弁護士 記事と陳述書では矛盾してますね。

竹中証人 取材源に関わる部分なので詳しくは説明できないが、別のメディアの記者というのは、広い意味で朝日新聞に関係している人で、陳述書の通りだ。

吉村弁護士 朝日新聞関係者と書いたのは誤りではないか。          

竹中証人 朝日新聞に関係されている方だ。関係しているという意味は広い意味で関係しているという意味だ。

吉村弁護士 朝日新聞関係者というのは朝日新聞の社員とかそこで働いている契約社員とかをいうのではないのか。

竹中証人 必ずしも社員であるという場合だけではないというふうに思う。

吉村弁護士 朝日新聞の関係者であるならば、朝日新聞に関係のある別のメディアの記者と書くべきではないか。

竹中証人 ただ、その方は、繰り返しになって恐縮だが、朝日新聞に関係のある方でもありますし。

吉村弁護士 関係者というのはどういう関係か。

竹中証人 それは取材源の秘匿にかかわる部分なので詳しくは申し上げられない。

吉村弁護士 朝日新聞の記者ではない、朝日新聞で働いている人でもないということですね。

竹中証人 いま現在は朝日新聞記者ではありません、取材した当時、朝日新聞の記者ではありません。

冒頭から不意打ちを食らわされたような気分だったのだろう。竹中氏の答えは理解不能領域で行きつ戻りつしている。竹中氏はこのあとにつづく尋問で、防御姿勢を強め、殻を固くしていった。

竹中氏は2014年2月と8月、週刊文春で植村氏の実名をあげて「捏造」記者と決めつけ、神戸松蔭女子学院大学の教授就任予定(2月の記事)と札幌の北星学園大学で非常勤講師をつとめていること(8月)を、大学の実名をあげて書いた。

この結果、両大学に抗議やいやがらせの電話やメールが殺到し、植村氏はふたつの大学での職を失うこととなった。「捏造」記者との表現は、2月の記事中、西岡力氏の談話で用いられた。

■取材の経緯と脅迫状まがいの質問状

2014年当時、週刊文春は嫌韓、反朝日キャンペーンを連発し、部数を伸ばしていた。当時の編集長は新谷学氏。文春のスクープは「文春砲」の異名でもてはやされ、新谷氏は「週刊文春編集長の仕事術」というドヤ本をダイヤモンド社から発行している。その中では同誌の取材体制も得意げに明かされているが、毎週木曜日に開くプラン会議に出席する記者には、5本の記事プラン提出がノルマとして課せられていたという。竹中氏は正社員でなく特派記者と呼ばれる契約社員だった。だからスクープ競争の激しい週刊誌業界の最前線にあって、スクープには人一倍の執念を燃やしていたのではないか。ところが、2つの記事とも、自分のプランではないという。

吉村弁護士 記者には5本のノルマがあったそうですね

竹中証人 おっしゃる通りです

吉村弁護士 陳述書では、デスクに指示を受けて取材を開始した、とあるが、あなたのプランではないのか。

竹中証人 そのような事実はない。

吉村弁護士 このプランをデスクはどうやってみつけたのか。

竹中証人 わからない。デスクが自分でネタをみつける場合もあるので、なんとも申し上げようがない。

吉村弁護士 デスクから指示があったということか。

竹中証人 おっしゃる通りだ。

吉村弁護士 秦郁彦氏や西岡力氏に会ったのもデスクの指示か。

竹中証人 デスクの指示だったか私が思いついたのか、記憶が定かではない。

竹中氏はこの取材の過程で、神戸松蔭女子学院大学に植村氏の教授採用予定があるかどうかを質問している(2014年1月27日)。そのメール文面には、「この記事をめぐっては現在までにさまざまな研究者やメディアによって重大な誤り、あるいは意図的な捏造があり、日本の国際的イメージを大きく傷つけたとの指摘がかさねて提起されています。貴大学は採用にあたってそのようなな事情を考慮されたのでしょうか」とある。

吉村弁護士 質問状を出す前にあなたは大学に電話して、「植村さんが教授になるのは本当か、捏造記事を書いた人ですよ」と言ってますね。

竹中証人 記憶にない。

吉村弁護士 この記事が出て、神戸松蔭には抗議があって、植村さんの採用は取り消された。抗議があったことは知ってるか。

竹中証人 伝聞で聞いた。

吉村弁護士 どういう伝聞か。

竹中証人 覚えていない。

竹中氏は朝日新聞社にもファックスで質問を送った。陳述書によると、質問は3点あり、①植村氏の神戸松蔭女子学院大学の教授に就任予定の有無、②植村氏の記事が誤りだとする指摘への見解、③前主筆・若宮啓文氏の「吉田証言」関連記述についての見解、を求めている。ファックスで送ったのは1月28日午前中、朝日新聞社から回答があったのは同日午後、とも書いている。

このうち②の内容は次のようなものだった。

<植村氏の署名入りの1991年8月11日付の記事について、これまでに西岡力氏や秦郁彦氏から、事実関係に誤りがあるとの指摘がなされているほか、2013年5月15日付け読売新聞4面の「Q&A従軍慰安婦問題とは」と題する記事には、「朝日新聞が『日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた』と報じたことがきっかけで、政治問題化した。特に『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』と事実関係を誤って報じた部分があり、韓国の反発をあおった」とあるが、これら指摘に対する見解を聞かせてほしい>

吉村弁護士 朝日新聞社から回答がありましたね。

竹中証人 詳細は覚えていない。

吉村弁護士 (②の回答を読み上げて)このような回答でしたね。

竹中証人 正確な記憶がないのでなんともお答えのしようがない。

吉村弁護士 あなたはこの回答をあえて紙面に載せていませんね。

竹中証人 あえて、ではなく、結果として載せていない。

脅迫状まがいの質問状は、8月に北星学園大学にも送りつけられた。その文面には、「植村氏をめぐっては、慰安婦問題の記事をめぐって重大な誤りがあったとの指摘がなされていますが、大学教員としての適性に問題ないとお考えでしょうか」とある。

吉村弁護士 あなたが植村さんには大学教員の適性がないと考えたからですね。

竹中証人 たしかに適性という言葉を使っているが、私が植村さんに適性がないなんていうことを思ったことはない。

吉村弁護士 じゃあ、どうして訊いたのか。

竹中証人 ほかに表現を知らなかったからだ。(傍聴席に笑いとざわめきが起きる)

吉村弁護士 疑問を感じたから訊いたんでしょう。

竹中証人 ですから、ここに書いてあるように指摘されていると。

吉村弁護士 だれが、適性がないと指摘しているのか。

竹中証人 巷間、一般的にです。

吉村弁護士 ネットで見たのか。

竹中証人 ネットであるのか記事であるのかわからない。そのような言い方をされていたので、どこにどう書いてあったのかは覚えていないが。

吉村弁護士 あなたが取材した西岡さん、秦さんに言われたのか。

竹中証人 うーん、誰と言われても、それは記憶していない。

吉村弁護士 少なくとも疑問は持っていたわけですよね。

竹中証人 私は識者である西岡さんが書いたものをそのまま記事にしただけだ。そのような先入観を持っていたわけではない。

吉村弁護士 そうですか。あなたは、週刊文春の8月の記事の地の文で「今ではこの記事には捏造と言えるほどの重大な誤りがあることが明らかになっている」と書いている。

竹中証人 言えるほどの、と書いていて、断定はしていない。(傍聴席、笑い声)

吉村弁護士 あなたは同じ記事の文末で、「韓国人留学生に対して自らの捏造記事を用いて再び“誤った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ」と書いている

竹中証人 いたとしたら、と仮定の話として書いている。断定はしていません。 

■記事による影響、被害と責任

西岡氏の「捏造」決めつけ攻撃は、2014年当時、たくさんの雑誌、新聞を舞台に繰り広げられたが、最も影響力を持った媒体は週刊文春だった。事実、週刊文春の発行日に符合するかのように、植村バッシングは勢いを増していた。しかし、竹中氏はそのような事実に正面から向き合う説明はしなかった。

吉村弁護士 この記事が出た後、松陰には次々と抗議が殺到したんですが、ご存じない。

竹中証人 伝聞では聞いた。

吉村弁護士 植村を辞めさせろという抗議ですよ。

竹中証人 くわしくは存じ上げない。

吉村弁護士 文春には反響が来たんですか。

竹中証人 来たかどうかも存じ上げない。

吉村弁護士 あなたは、2月の記事で神戸松蔭に抗議が殺到したことを知っていた。8月に同じような記事を書くとき、同じように北星にも抗議が殺到することを予見していましたね。

竹中証人 同じようなことが起きるとは思いません。

吉村弁護士 期待していましたね。

竹中証人 とんでもない。そんなことを期待していたことはない。

週刊文春は、2月の記事の1カ月後にも朝日新聞の慰安婦報道を批判する特集記事を掲載している(3月13日号)。その中で、植村氏が神戸松蔭の採用を取り消されたことを報じ、同時に文春側が朝日新聞社から受けた回答を16行にわたって掲載している。「91年8月11日付朝刊記事を書いた当時、韓国では『女子挺身隊』と『従軍慰安婦』が同義語として使われていました」という内容だ。朝日新聞社は2月6日号用の竹中氏の取材に対しても、同趣旨の回答をしている。この朝日の回答が2月の記事に載っていれば、「捏造ではない」とする朝日新聞社の見解が神戸松蔭にもきちんと伝わっていたのではないか、と植村氏は憤っている。

竹中氏はこの3月の特集には関わらず、記事も書いていない。読んでもいないという。自分の記事によって起きたことを書いている記事、しかも自分が所属する雑誌の記事を読んでいないということがあるのだろうか。あまりにも不自然である。植村弁護団の穂積剛弁護士は、吉村弁護士の尋問が終わったあと、補充質問を行った。

穂積弁護士 あなたはこの記事を読んでいないとおっしゃいましたね。ただ、この記事が出た当時、編集長やデスク、同僚から、植村の神戸松蔭への就職はなくなったらしいぞ、というような話は聞いたことがありますか。

竹中証人 えーと、聞いたことがあったか、なかったか、記憶は正直ありません。

穂積弁護士 自分の書いた記事の反響だから、聞いてたら覚えているのではないか。

竹中証人 あのー、ほんと、私たちの仕事は毎日毎日取材してるもんですから、覚えておりません。

穂積弁護士 神戸松蔭のほうに反響があったことは伝聞で聞いたと先ほどおっしゃったがどのようなことを聞いたか。具体的に言ってください。

竹中証人 神戸松蔭の先生になる予定だったのが、なれなくなったという感じです。

穂積弁護士 その理由については、どういうふうにか。

竹中証人 そこまではよく覚えていない。

穂積弁護士 自動的に採用がなくなるわけがないから、たぶん抗議か何かがあってなくなったんだろうと。

竹中証人 たぶん、そうなんだろうなあと思ったかどうか、ちょっとそこまでは、詳細に記憶しておりません。

■裁判官も質問を追加

吉村、穂積両弁護士による反対尋問は、予定通り25分で終わった。この後、尋問を経ても明確な答えが得られなかったポイントを、裁判官と裁判長が問い質した。主なやりとり。

小久保裁判官 西岡さんと秦さんの取材についてデスクからはどういう指示があったのか。

竹中証人 よく覚えていない。

小久保裁判官 慰安婦問題で以前に書いたり取材したことはあったか。

竹中証人 記憶の限りでは、ない。

小久保裁判官 慰安婦問題のようにいろいろな考えや意見がある問題で、だれにコメントを求めるかは、相談して決めるのか。

竹中証人 することもあり、なかったり、とケースバイケースだ。この場合は記憶が定かではない。

原裁判長 朝日新聞社への質問②の、記事には誤りがあるとの指摘は、媒体あるいはものといってよいのか、具体的になんなのか、今の時点で特定できますか。

竹中証人 記憶が定かではない。

原裁判長 文面だったり記事だと思うが、それえは読んでいたんですか。

竹中証人 質問するときには読んでいた。

原裁判長 西岡さんの本は取材するさいに読んでいましたか。

竹中証人 はい、取材する前か後かに読んでいた。

原裁判長 その本はなんですか。

竹中証人 4年前のことなので覚えていない。

原裁判長 甲3号証から6号証は、西岡さんが書いたもので、原告から(名誉毀損だと)指摘されているものですが、これらは読んだことはありますね。

竹中証人 えーと、4号証はサイトの記事ですね、記憶がない、いや読んだか、あとは読んだか読んでないかわかりません。

原裁判長 そうすると、読んだか読んでないかわからない、ということですね。

竹中証人 そうです。

原裁判長 わかりました。終わります。

 

裁判官の質問は約15分。この間、竹中氏の緊張はピークに達していたようだ。ここでも理解不能の答えが目立った。質問で深入りされるのを防ぐためにとぼけているのか、ほんとうに記憶がないのか。たぶん、その両方だろう。

原裁判長の最後の質問は、証人尋問に臨むにあたって竹中氏が重要な書面をきちんと読み込んだかどうかを問うもののようにも聞こえた。そして、竹中氏は予想に反して、まったく読んでいないことを白状した。


その竹中氏は、その後、週刊文春を去り、フリーのジャーナリストとして沖縄をめぐるヘイトスピーチ行動に加わり、沖縄紙批判などの記事を書いている。現在は沖縄県知事選の保守候補の選対に入り込んでいるという。

植村バッシングに加担した週刊誌記者がじつは、歴史修正勢力と深くつながっていたということである。植村バッシングの構図と背景を、竹中氏は法廷と沖縄で自ら、さらけ出すことになった。

このような記者を重用し、「朝日・植村バッシング」を先導かつ扇動した文藝春秋の責任も厳しく問われるべきだ。

■植村氏が提出した意見陳述書の第9項に、「週刊文春の取材姿勢の問題点」があります➡  こちら


【参考】 竹中氏の沖縄での近況を伝える情報

リテラ ツイッター

週刊金曜日 2018年9月14日号「沖縄県知事選最新ルポ」