東京第10回 2017.10

【東京地裁 2017年10月11日】

なおも「論評」と言い逃れる

被告側の逃げ道をふさいだ

東京訴訟で今年最後となる第10回口頭弁論が1011日、東京地裁で開かれた。傍聴の抽選はなかったが、専修大・藤森ゼミの学生など初めて傍聴に参加する人も多く、同地裁で最も大きい103号法廷は満席となった。遅れてきた数人は入場できずに「立ち見はだめですか」と残念がる一幕もあった。次回から抽選が復活する見通しだ。壇上の裁判官たちは、傍聴席を埋め尽くした老若男女が真剣に耳を傾けている姿を目の当たりにして、植村さん支援の熱意が続いていることを実感したはずだ。 

「論評」の前提となっている事実の記述は「論評」ではない

午後3時前に開廷。被告の西岡氏・文春側は主任の喜田村洋一弁護士が欠席し、若い弁護士ひとりけ。原告側弁護団は植村さんを囲むように10人が顔をそろえた。原告が提出した準備書面や証拠説明書を確認したあと、原告弁護団事務局長の神原元弁護士が第9準備書面の要旨を朗読した。

 裁判の焦点である「捏造」という表現が名誉棄損にあたるかどうか、をめぐって、被告側は「『捏造』というのは事実の摘示ではなく、意見ないし論評」であると主張している。言い逃れとしか思えないような主張だが、神原弁護士は切れ味のよい2段構えの反論を展開した。「捏造」という表現が「意見ないし論評」にあたるがどうかは別としても、その「論評」の前提になった事実摘示そのものが「不法行為にあたる」という主張だ。

たとえば、「(植村さんが)義理のお母さんの起こした裁判を有利にするために、紙面を使って意図的なウソを書いた」と西岡氏は書いている。「捏造」という言葉こそ使っていないが、「意図的にウソを書いた」という記述は「意見ないし論評」ではなく明らかに事実として書いている。新聞記者が利己的な動機で読者をだます記事を書いた、ということを「事実」として述べているわけだ。

神原弁護士は「これは証拠によって存否を決めることができる問題です」と指摘。被告側が「意見ないし論評」と言い逃れる抜け道をピシャリとふさいだ。

 社会的評価を低下させる記述自体が不法行為にあたる

ほかにも、「(金学順さんの)キーセンへの身売りを知らなかったなどあり得ない。分かっていながら都合が悪いので意図的に書かなかったとしか言いようがない。」などという西岡氏の記述を取り上げて、これは植村記者の社会的評価を低下させることを狙っており、「それ自体が不法行為にあたる」と断言した。

もう一つの論点は、西岡氏と文春側は何を、どこまで立証するつもりなのか、という点だ。

週刊文春の記事は、植村さんが就任先の大学で「慰安婦問題について取り組みたい」と述べたと書いているが、被告側はこの点を立証していく意思を示した。神原弁護士は「この点は、被告・週刊文春が植村さんに対するバッシングを故意にあおった部分であり、重要な意味を持ちます」と指摘。取材にあたった週刊文春のT記者の取材メモの提出を求めた。植村さんは当時そのような言動をしていないので、いったいどうやって「立証」するつもりか、被告側のお手並み拝見というところだ。

この「立証」の要求に対して、被告側弁護士は「持ちかえって検討します」と答えただけ。原裁判長は被告側に11月13日までに回答を提出するよう求めた。今度は被告側が、どんな「取材」をしたのか、しなかったのか、その手の内を明らかにする番だ。


■第9準備書面要旨
神原弁護士が朗読した「要旨」書面は次の通り。
見出しの一部と書式・書体は変えてあります。

はじめに

本日提出の第9準備書面の要旨は以下のとおりです。

1 「捏造」以外に事実摘示による名誉棄損に該当する部分

これまで原告は、本件各記載中「捏造」という表現が「事実をねじ曲げて記事を書いた」という事実を摘示するものとして構成してきました。被告は、「捏造」は事実摘示ではなく「意見ないし論評」であると主張している。

ところで、本件各記載には、「捏造」以外にも、「捏造」という記載の前提として記載された部分が「事実摘示」といえる部分がある。仮に「捏造」が論評だとしても、論評の前提となる部分が独立に事実摘示による名誉毀損を構成するのであれば、「捏造」という記載を一旦脇におくとしても、これ自体不法行為を構成する場合にあたる。

これは、たとえば、「あいつは人の奥さんに手を出すような奴だから、女たらしだ」と言う場合、「女たらし」という論評が名誉毀損に当たるかどうかという検討とは別に、「人の奥さんに手を出した」という事実摘示が名誉毀損の対象にならないか、検討を要するのと同様である。

たとえば、「義理のお母さんの起こした裁判を有利にするために、紙面を使って意図的なウソを書いた」(記事A⑤ 甲3号証47頁)という部分は、原告が義理の母親の起こした裁判を有利にするために新聞の紙面に意図的な嘘を書いたという事実を摘示しています。これは、真実を追求すべき新聞記者である原告が、利己的な動機で読者をだまして意図的に事実に反する記事を書いたとの印象を持たせる記載ですから、仮に「捏造」という記載を一旦脇におくとしても、原告の社会的評価を低下させます。「ウソ」とは「真実に反すること」であり、「意図的なウソを書く」とは「知っていながら意図的に真実に反することを書く」ことです。原告が「知っていながら意図的に真実に反することを書いた」かどうかは、「証拠によってその存否を決することができる」ものであることが明らかであるから、これを「論評である」等と認定することはできません。

ほかにも、植村記者がキーセンへの身売りを知らなかったなどあり得ない。わかっていながら都合が悪いので意図的に書かなかったとしか言いようがない。」「記者が自分の義母の裁判を有利にするために、意図的に『キーセンに身売りした』という事実を報じなかった」「本人が語っていない経歴を勝手に作って記事に書く」等、本件各記載には、本件各記載には、「捏造」という記載の前提として記載された部分が「事実摘示」といえる部分があり、これらは、「捏造」という記載を一旦脇におくとしても、これ自体不法行為を構成することが明らかです。

2 関連事件の分析

歴史学者吉見義明氏を原告とする東京地方裁判所平成25年(ワ)第19679号損害賠償事件は、本件と同じくいわゆる従軍慰安婦問題に関連し、「捏造」という表現が争われたものであることから、本件との関係が問題となります。

当該判決は、的確にも、『捏造』の「本来の語法」が、「事実でないことを事実のように拵えて言うこと」であることを認めています。その上で、「そもそも本件発言は,司会者発言部分②にその場で直ちに対応するために口頭で述べられた短いコメント」であることや、翻訳者が、本件発言中の「捏造」という言葉を,「誤り」あるいは「不適当な」という意味を表す「incorrect」と英訳している」ことを挙げています。

しかし、本件では、西岡論文や文春記事は、「口頭でなされた短いコメント」ではなく、報道記事ないし論文であり、とりわけ西岡論文については、20年以上にわたり同趣旨で繰り返し執拗に書き続けられている。また、被告西岡の著作 英文冊子『The Comfort Women Issue in Sharper Focus』(『慰安婦問題―さらに問題の核心に迫る』)では、「捏造記事」が「fabricated article」と翻訳されている。これは、そのまま日本語にいう「捏造」の意味であります。

そうすると、別事件判決の論理は本件には該当せず、「捏造」は本来の意味である『事実でないことを事実のように拵えて言うこと』の意味に理解されるべきであり、本件で「捏造」は事実の摘示であると理解されるべきです。

3 被告準備書面について

被告準備書面は、原告が松陰女子学園大学において「慰安婦問題について取組みたい」と述べた事実をあくまで立証する旨述べています。当該事実の有無は、被告文藝春秋が原告に対するバッシングを故意に煽った事実の核心をなす部分であり、訴訟上重要な意味を占めます。

そこで、原告は、当該事実を取材した被告文藝春秋の竹中記者が保有する、当該事実に関する取材メモの証拠提出を求めるものであります。

以上