【東京地裁2016年2月17日】 第4回口頭弁論は2016年2月17日に開かれた。 午後3時の開廷前、午後2時40分で締め切られた傍聴整理券の申し込みは定員に満たず、抽選なしとなった。締め切り時点で行列に並んでいたのは82人。103号大法廷は96席で、この日は10席弱の空席があったので、抽選後に入廷した人も含め傍聴者は90人弱といったところ。 午後3時に開廷した。 【原克也裁判長】裁判官が交代したので、弁論を更新します。 <左陪席裁判官が小久保珠美裁判官に交代した。他の裁判官は変わらない。小久保裁判官は同地裁に着任したばかりで、まだ極めて若い。裁判体の議論にどんな変化が生まれるのか、あるいは、裁判長の事実上の発言力の強さから変化は全くないのか……> 【裁判長】原告の請求の変更、被告は2月5日付準備書面の陳述。 【被告側・喜田村洋一弁護士】陳述します。 <「陳述します」のひとことで、すべて内容を陳述したことにする便法。2月5日付準備書面は、「捏造」とした記述が事実摘示か意見・論評かの点、および請求の拡張の点について、被告側の主張を改めて述べたもの。新味は乏しい> 【裁判長】原告の求釈明書。証拠は甲号証57号から63号、乙号証は8号と9号。 【吉村功志弁護士】本日は甲号証57号、60号、61号を説明します。それぞれ原告が1991年8月の記事を執筆した当時のソウル支局長の小田川興さん、支局員の波佐場清さん、大阪企画報道部次長だった柳博雄さんの陳述書です。 被告は真実性、相当性の抗弁として、 (1)原告は、金学順さんが述べていない経歴を勝手に付け加えた、(2)原告は金学順さんが述べた経歴を意図的に欠落させた、(3)原告は記事に利害関係があった の3点を主張しています。このうち(3)への反論とします。 小田川さんは、原告が金学順さんのテープを取材した事情について、小田川さんが(韓国挺身隊問題対策協議会の)尹貞玉さんから元従軍慰安婦の証言テープの話を聞き、そこにちょうど植村さんが電話をしてきた。「大変なことになっているぞ、植村君、取材に来たらどうか」と述べた。 義母の梁順任さんが幹部を務める太平洋戦争犠牲者遺族会の裁判を有利にしようとして記事を書いたのではない。なぜ小田川さんがその情報を原告に伝えたかというと、 ① 原告は前年にも韓国に来て熱心に取材していた ② 当時のソウル支局は、冷戦崩壊により激動する東アジア情勢の取材のために多忙で、慰安婦問題を取材する余裕がなかった ③ 梁順任さんが義母だと知っていたが、熱意ある記者こそいちばんいい記事を書くという小田川さんの信念に合致した 波佐場さんは、当時ソウル支局員で、大変多忙だった。日朝国交正常化交渉や、南北の国連同時加盟の問題をかかえ、慰安婦問題を取材に来てくれるのは大歓迎だった。波佐場さんも原告の義母のことを知っていたが、慰安婦問題の取材の障害となるとは思わなかった。 柳デスク。被告らは前川惠司・元朝日記者の記事を引用し、1991年12月25日の本件記事について、「原告が義母のことを言わなかったし、言っていたら使わなかった」と柳さんが言ったかのように述べている。しかし今回、柳さんの陳述書によって、その主張は崩れた。 「原告の義母が遺族会幹部だと知っていたら原稿は使わなかった」と述べたという前川さんの記事について、柳さんは明確に否定した。「金学順さんは初めて名乗り出た慰安婦だったから使った。私は強い人がのさばる社会は好きではない。この記事を載せないと記者になった価値がない」と述べた。 前川氏は柳さん宅に2回訪れたが、SAPIOの取材だということは柳さんに告げなかった。一般論として聞かれたことに「それは使わない」と柳さんが答えただけなのに、その言葉尻をとらえて前川氏は記事を書いた。 柳さんはパーキンソン病で、この陳述書は完成までに2回、郵便で往復して書き直され、署名された。 それから、乙1号証から3号証について。私は1988年から2005年まで朝日新聞に勤めていました。このうち朝日新聞の綱領は社員手帳にも記載され、よく知っている。しかし朝日新聞記者行動規範は2006年以前の社員手帳には載っていない。記者行動基準は06年制定であり、1991年に原告が記事を書いた当時は関係のないものです。 【裁判長】陳述書5ページの「私」とは。 【吉村】私、吉村のことです。 【裁判長】調査嘱託の申し立てがありますが、甲27号証、乙9号証はすでにあるから必要ないと。 【神原元弁護士】おっしゃる通りです。 【裁判長】進行状況は。 【神原】松蔭女子学院は話ができており、そのまま調査嘱託は取り下げます。北星学園は少し時間をいただいて、1週間から10日間調整して、結果を報告します。 【裁判長】取り下げも書面で提出してください。被告側の対応は。 【喜田村】内容を見て、2週間程度で。 【裁判長】求釈明書についてはどう対応するか。 【喜田村】追って書面で3週間程度で。 【神原】文書が出てから書面提出までにさらに1月半くらい。 【裁判長】次回は5月連休明けとします。次回期日は5月18日でいいですか。 【神原】問題ありません。 【裁判長】では5月18日、時間は同じ午後3時。書類はその1週間前、5月11日までに提出を。 <この日の口頭弁論は、17分間であっさり終わった> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 集会後に開かれた報告集会で、吉村弁護士は弁論内容を詳細に説明した。 【吉村功志弁護士の説明】 具体的に3人の陳述書について述べました。 小田川興・元ソウル支局長、羽佐場清・元ソウル支局員と大阪企画報道室の柳博雄さん。 名誉毀損の裁判の場合は、表現が事実にもとづいているか、事実でなくても真実と信じたことに相当な理由がある場合は免責される。被告側は真実性や相当性の抗弁を述べる。 (1)原告が金学順さんの述べていない経歴を付加した (2)原告が金学順の述べた経歴を意図的に欠落させた (3)原告が本件記事に関して利害関係、動機を有していた 本日はこのうち(3)に対する反論。 ■義母の裁判を有利にする動機も利害関係もなかった 小田川さんは、植村さんが金学順さんの証言テープを取材するきっかけを話しています。小田川さんは、尹貞玉さんに取材に行った際、尹さんから「元慰安婦が話している証言テープがある」と言われた。それを聞いた小田川さんがソウル支局に戻ったら、ちょうど植村さんから電話があった。前の年も来ていた植村さんに「大変なことになったぞ。ソウルにいる元従軍慰安婦が語り始めたらしい。録音テープがあるから取材に来たらどうかね」と話したという。 梁順任さんの裁判を有利にしようと書いたのではないということがこれによって明らかになります。小田川さんの陳述書は「義母の裁判を有利にする動機も利害関係もなかった」ことを証明する。 特ダネを植村さんに教えた理由。 (1)前の年も熱心に取材し、すばらしい若手記者と評価していた。 (2)激動する東アジア情勢取材のため多忙で慰安婦問題を紙面化する余裕がなかった。 (3)植村記者の義母については知っていたが、あるイシューに関して熱心に追究する記者がもっともよい記事を書く--という信念にかなうものだった。 当時ソウル支局員だった羽佐場清さんは、当時のソウル支局が大変多忙だったと述べている。日朝国交正常化、南北同時国連加盟などだった。91年は金丸・田辺訪朝の翌年。南北の国連加盟問題が大きな外交的問題で、9月に電撃的に同時加盟することが発表された。歴史の転換点という激動の時期。植村さんが大阪から来て取材してくれたのは波佐場さんとしても「大歓迎だった」。 波佐場さんは、桜井よしこ氏、阿比留記者らの鼎談で、「当時大阪から出向いたのは不自然ではないか。わざわざ大阪から呼びつけるのか」と桜井さんが尋ね、阿比留さんは「通常はあり得ません。支局長やソウル支局の別の記者に書かせるでしょう。日本から呼び寄せるのはまったく意味がわからない」と答えていることについて、「(あり得ることは)ソウルにいた記者に聞けばすぐわかることなのに、あまりに取材不足だ」と憤慨していた。 原告の義母が遺族会幹部だとは知っていたが、そのことが取材の障害になるとは思っていなかった。 3人目、大阪の柳博雄さんの陳述書。これはA3資料にまとめてあります。柳さんはパーキンソン病で寝たきり。手紙を2往復くらいした。約2時間弱、お話を聞いた。波佐場さんと2人で話を聞いた。 ■元朝日の前川恵司のSAPIO記事には重大な問題がある 先ほどの小田川さんと波佐場さんの陳述書で、太平洋戦争犠牲者遺族会の梁さんが義母だということが動機ではないことが明らかになったが、今回被告らは、準備書面の16ページで、前川さんのSAPIO記事を引用し、91年12月の紙面に掲載された経緯について、 この記事を紙面化した当時のデスクは「植村記者からの売り込みで、母親が関係者だった」「知っていたら使わなかった」と言っている、と書いている。 しかし今回、(「当時のデスク」である)柳さんの陳述書によると、重大な問題のある記事は、植村さんではなく前川さんの記事だった。 前川さんは「原告の義母が遺族会と知っていたら記事を使わなかったか」ということを聞いていない。SAPIOの記事を読んだ柳さんは「私が答えた趣旨とまったく違う」と次のように語った。 前川さんはもともとの知り合いだった。大阪の府庁担当をしていたときに前川さんは写真記者で一緒に仕事をした。ひょっこり訪ねて2回来てくれた。そのなかで話をして、このようなSAPIOで植村さんの記事を書くとは聞いていなかった。一般論で、重要なことを隠して記者が売り込んできたらデスクとしてどうしますかとは聞かれたので「それは使わないね」と一般論で話をした。 この植村さんの金学順さんの記事について答えたのではない。そのことについて訪ねられたのではなかった。陳述書をまとめた内容では「金学順さんは実名で名乗り出た初めての慰安婦であり、植村さんの義母のことを知っていても使った。強い人がのさばる社会は好きではないと思って記者になった私にとって、この記事を使わなければ記者になった価値がないと思ったからです」と柳さんは述べている。 ■パーキンソン病と闘う栁博雄さんの胸に迫る言葉 柳さんは中国大連で生まれ、思えば生家の近くに慰安所があり、そこにいた女性からかわいがられて一緒に遊んだ。そこが慰安所とは知らなかったが、大きくなってから慰安婦だったと聞いた。慰安婦問題には関心があり、「女たちの太平洋戦争」という紙面は、慰安婦に限らず当時の女性の戦争中の話、日本、アジア、米国など投書を載せる欄で、単行本にも文庫本にもなっている。金学順さんの記事は、直感的にニュースだと思い、自分が担当していたページで最大限の扱いをするように面の担当者に指示した、と語っています。 柳さんは、プロの社会部記者が書いた原稿は何重ものチェックをしたものとして掲載するので、いちいち記者の経歴を確認して掲載することは有り得ない、とも述べています。 私も個人的に、1988年10月から2005年3月まで朝日にいました。16年半勤務して弁護士になりました。妻も同期入社で読書面編集長です。私と植村さんは朝日時代から韓国取材で顔見知りでした。W杯のときは日韓友好面というページができ、私は東亜日報の記者交流で、韓国側写真記者の現地キャップとして植村さんと電話でやりとりした。 前川さんは植村さんのソウル支局の先輩。写真記者として入社して川崎支局から外報部、ソウル支局員となった。会社をやめてから写真部OB会でお会いした。 顔見知りの先輩なので悪口はいいたくないが、外報部時代は上司とそりが合わず希望通りの仕事ができず恨みをいだいているのではないかという分析をする人もいますが、個人的うらみからでっち上げ記事を書くのは許されるものではない。 長谷川煕さんという記者は「崩壊」という本を書いたが、60歳の定年から嘱託で2014年まで書いてこられた。82歳で本を書いたというが、80歳を超えてから朝日を批判するような本をなんで書かれるのかよく理由が分かりません。この本には朝日新聞がマルクス主義者ばかりであるように書かれているが、お名前を聞いたこともありますが、そういう方もいらしたかもしれないが、みながみなそうだったとは思えない。 私は大学がマルクス主義系の多いところだったが、私の妻をはじめ友人や仲の良い先輩後輩にマルクス主義者は見たことがありません。学生運動をしていた人もいますがマルクス主義ではない。 柳さんは紳士で、鉛筆書きで細かく手直しを入れて送ってきた。郵送すると、ずいぶんかかりました。すぐではなかった。奥さんが出て「最近は具合がわるい」ということで3週間くらいかかり、鉛筆で直しを入れてあった。私は柳さんの思いを反映して、署名をし直していただきました。 まじめに直してくださる方で、弁護士としては、裁判に提出する陳述書は必要な範囲で短くまとめてしまいがち。柳さんの朱直しを見てふつふつ涙がこみあげた。 柳さんは投稿を引用し「いつまで過去の負の遺産にこだわるのか。一方的に日本軍を悪とするのは自虐的」という意見があれば「日本国民は被害者でもあり加害者でもあった。それを認めないと平和は達成できない」という意見もあった。大変すばらしい先輩がいたことを誇らしく思いました。 私も自らが犯した事実にほっかむりせず反省することが愛国的態度だと思っています。歴史修正主義者の主張は恥知らずだと思っています。 ■不意打ちをやってのけた原克也裁判長 本題の裁判に戻ります。 最後に厳しいことも言うと、楽観ばかりはしていられません。吉見教授の名誉棄損裁判を担当したのは同じ原克也裁判長で、吉見教授は負けてしまいました。私のボスである高木健一先生が藤岡信勝先生を訴えたが、同じ原克也裁判長で負けてしまいました。 こちらが名誉毀損だとしてきた記事を組み直して判断するという不意打ちをやってのけたのがこの裁判長。東京高裁で継続中だが、高裁裁判官も不意打ちだというのには理由があると思っているようで、主張整理をおこなっている。 原告の主張、被告の主張、双方が言っていないことを判決が認定していることを記していた。
一部は事実であり一部は意見ないし論評であると原裁判長は言っていたということなので、そのような裁判長なので、気を緩めることなく主張して勝訴を勝ち取りたい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 注=この傍聴記と弁論説明は、R.KおよびK.F両氏による記事を基にしており、文責は当サイト管理人にあります。 |