札幌第4回報告集会

第4回口頭弁論の後、札幌教育文化会館で報告集会が開かれ、小野寺信勝弁護士と植村隆さんの報告、俵義文さんの講演があった。(2016年11月4日)

 弁護団事務局長・小野寺信勝弁護士の報告

名誉毀損とは、人が社会から受けている評価を低下させることをいう。裁判では2つの段階がある。まず、その表現が名誉毀損に当たるかどうか。次の段階は、名誉を毀損するけれど免責される事情があるかどうかが判断される。免責する事情がなければ不法行為が成立し、損害賠償などが発生する。

まず第1段階。名誉棄損と判断されるためには社会的評価を低下させた(侮辱では足りない)ことが必要となる。名誉を棄損する表現が真実であっても、社会的評価を低下させれば名誉棄損にあたる。

(「植村隆氏は慰安婦と女子挺身隊を結びつけた」とする櫻井よしこ氏のコラムを例に)被告らは問題の記事を捏造記事だとし、植村さんが真実を報道する新聞記者の職業倫理に反する人物であるとの印象を読者に与え、社会から受けている評価を低下させている。この第1段階は、こちらの主張が通っていると思って良い。

現在の中心的な争点は、櫻井氏側の名誉毀損の表現が免責されるかどうかだ。

被告らはこれまで、櫻井コラムなどでの表現は「『事実を摘示』したものではなく、すべて『意見』ないし『論評』である」と主張してきた。私たちは、櫻井氏の表現はすべて「事実の摘示」だと主張している。

例えば「記事を捏造した」という表現が「事実の摘示」なら、捏造が真実であること(または真実と信じてもやむを得ないこと)を被告側は証明しなければならない。「論評」であれば、少なくとも重要な点だけは真実だと証明できればよく、免責のハードルは低い。「事実の摘示」か「論評」かは第2段階の論点だ。

今回出された書面で被告らは、月刊誌WILLのコラム3カ所、週刊新潮のコラム2カ所を「事実の摘示」と認めた。表現を細切れに分断しているのは不当であり、被告らの基本的な主張は「論評」だが、被告らは少なくとも「事実の摘示」と認めた表現について真実性を立証しなければならなくなった。

次回(12月16日)までに私たちは被告らの主張に反論する。それ以降に、植村さんと家族・北星学園大学への被害を主張。「事実摘示」か「論評」かの争点のやりとりを終え、次のステップ(真実又は真実相当性、被害の主張・立証)に進むことになる。

植村隆さんの韓国報告

今日は、私が韓国でいまどんなことをやっているかということと、8月に判決が出た娘の訴訟について話したい。

手記『真実 私は「捏造記者」ではない』(岩波書店)の韓国語版が9月末に韓国の出版社プルンヨクサから出版された。それを記念して行われた記者会見にはほとんどの新聞がきて大きく報じられ、ケーブルテレビなどでも紹介された。実は中央日報がこなかったが、なぜか確認すると「日にちを間違えた」ということで、私に悪意があるわけではなかった。うれしかったのは、ジャーナリストを目指す学生たちをはじめ、若い世代が興味をもってくれ、交流が増えたことだ。大学から講演に呼ばれ、地方の大学の学生が私の研究室にインタビューにきて、英文の記事にしてくれた。

ここで、私が韓国とかかわるようになった原点を振り返りたい。まず、1981年のことだ。学生時代、ずっと金大中氏に共鳴し、東京で釈放運動をしていた。金氏は厳しい状況の中でも「行動する良心」を実践しており、私が延世大学に留学しているときに政治的に自由になった。1997年12月、金氏が大統領になったときにソウル特派員だった私は、一面トップで紹介することができた。

もうひとつの原点として、詩人の尹東柱(ユン・ドンジュ、1917〜45)がいる。戦時下に日本の大学で学んでいて治安維持法違反で有罪判決を受け、1945年に福岡刑務所で獄死した。彼の遺稿詩集「空と風と星と詩」が1984年11月に出版され、私の愛読書になった。その中の代表作「序詩」の一節が刻まれた詩碑が延世大学にある。韓国カトリック大学の授業では彼の詩を読み、学生と詩碑を訪ねもした。来年は生誕100年なので、再びクローズアップされるだろう。

いま、韓国では被害者の声を聞かずにすすめられた慰安婦問題の日韓合意について、再交渉すべきだと答える人や少女像の移転に反対の人が増え、時間がたつほど世論の批判が強まっている。日韓合意はお金を出して終わりではなく、始まりにすべきではないか。

日本では先日、「wam 女たちの戦争と平和資料館」に爆破予告のハガキが届いたことが報じられた。同館は戦時性暴力の根絶を目指し、慰安婦問題に焦点をあてた展示をしている。だが、朝日新聞の見出しは「戦争資料館に爆破予告」で、萎縮しているのではないかと思う。北海道新聞は「慰安婦」という言葉を出しているが、どちらもベタ扱い。韓国はどうか。ハンギョレ新聞は現場資料館に行き、「屈しない」という同館の姿勢も入れて大きく報じている。

最後に、娘のことも報告したい。17歳の高校生だった娘が2014年、写真と名前をツイッター上にさらされ、「反日韓国人の母親、反日捏造工作員の父親に育てられた超反日サラブレッド」などと中傷の書き込みをされた問題で、このツイッターを書き込んだ投稿者本人を相手取った訴訟で8月3日、被告に170万円の損害賠償金の支払いを命ずる「全面勝訴」の判決が言い渡された。被告側は期日までに控訴せず、判決が確定した。

娘は元気です。彼女の闘いから教えられることが多かった。途中、裁判所は、『被告に謝らせるので」と和解を勧めてきたが、娘に相談したところ、高校を卒業した出た直後だった娘は、「和解じゃなくていい。判決を求めてほしい。私に起きたことは他の人にも起きる。こうした攻撃にさらされる人がない社会になってほしい。判例にして、私以外の人が攻撃されないようにしてほしい」と言った。

成長したのは私ではなく娘。私はそんな娘の姿勢に支えられ、教えられた。

私は、河野談話を継承、発展させようとずっと思っている。慰安婦問題は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」として、元慰安婦への「心からのおわびと反省」を表明した。そして、歴史研究、歴史教育を重ねて、同じ過ちを繰り返さないようにという方向性も掲げた。僕もジャーナリストとして、大学で教える者として、歴史教育に力を尽くし、これからも闘っていきたい。


■講演=「日本会議とは何か」

子どもと教科書全国ネット21事務局長・俵義文さん

<植村さんの勝利を確信> 今日の法廷に、見たことがある弁護士がいました。南京事件をめぐる2件の裁判で、虐殺事件を否定する側の弁護団長でした。当時、その隣にいたのが今の防衛大臣、稲田朋美弁護士です。敗訴してから彼女が書いた南京事件の本が自民党の安倍晋三幹事長代理の目に留まり、それが政界入りのきっかけだったそうです。

沖縄戦集団自決の軍関与が争われた裁判を含め連戦連敗してきた弁護士の顔を見て、植村さんは絶対勝てると確信しました。

日本軍「慰安婦」問題を展示する「女たちの戦争と平和資料館」に先月、爆破予告の脅迫状が届きました。実は慰安婦に関連する同様の脅迫は1996年にありました。中学校の97年版教科書に日本軍「慰安婦」の記述が登場すると報道された年です。報道直後から右翼や右派の学者・メディアによる教科書「偏向」攻撃が始まりました。

当時私は出版労連の教科書対策部長で、各労組を通じたりして教科書会社への様々な圧力を調べていました。嫌がらせの中には社長の自宅の写真を同封し、朝日新聞襲撃の犯行声明「赤報隊」を引き合いに「草の根を分けてでも探し出す」と、社長や執筆者へのテロをにおわせる卑劣極まりないものがありました。

<架空の話を語る「戦うジャーナリスト」>  植村裁判の被告、櫻井よしこ氏が「戦うジャーナリスト」と右派にもてはやされるようになったのはこの時期です。横浜市教委が96年10月、櫻井氏を招いて教職員研修を開きました。テーマは「国際理解を深めるために」。櫻井氏は途中から、頼まれてもいない慰安婦問題に話題を移していきました。

「慰安婦は強制連行ではないというのが私の信念である。私が愛し尊敬する両親と同じ世代の良き日本人たちが、南京事件を起こしたり強制連行をするはずがない。私の血の中から疑問を感じる。2つの事件は日本の学校では誤って教えられている」。朝鮮の植民地化を正当化し、福島みずほ弁護士(現参議院議員)との架空の作り話も語りました。

人権団体などの抗議、申し入れで、神奈川、兵庫、埼玉県などで予定されていた櫻井講演は全てキャンセルされました。櫻井氏はこれを朝日新聞で「言論弾圧」と主張。右派ジャーナリズムが取り上げ、読売新聞は社説でも書きました。今は日本会議の広告塔で中教審委員、天皇の生前退位について有識者会議が意見を聞く「専門家」の1人です。

改憲実現をめざす極右政権の安倍内閣は、閣僚20人のうち16人が日本会議議連に所属しています。日本会議は97年5月、天皇中心国家をめざす「日本を守る国民会議」と宗教右翼組織の統合で発足しました。ともに元号法制化(79年)の運動から生まれ、「憲法改正」をめざしてきた右翼団体です。

草の根改憲運動を展開する「美しい日本の憲法を作る国民の会」の設立総会(2014年10月)で衛藤晟一首相補佐官は「最後のスイッチが押される時が来た。最終目的の憲法改正のために第2次安倍内閣は成立した。参院選がある平成28年のそのときまでに、われわれが憲法改正を実現する状況をつくるかどうか、その1点に尽きる」と発言しています。

この「国民の会」共同代表は、日本会議の会長(田久保忠衛)、名誉会長(三好達)と櫻井氏の3人。1000万署名運動などに取り組んでいます。憲法改正の国民投票で過半数を得る基礎のための1000万で、今年5月3日発表の700万人から7月末754万人、目標達成府県24。日本会議の都道府県本部や地域支部などが機能していることをうかがわせます。

安倍政権の改憲運動は、93年7月総選挙で自民党が敗北、野党となったことが出発点でした。日本軍「慰安婦」に軍の関与を認めた河野官房長官談話(93年)、細川護熙首相の「日本の戦争は侵略戦争だった」発言、戦後50年国会決議をめぐる対立は激しくなり、教科書問題も対立の舞台でした。

安倍晋三、岸田文雄(外務大臣)といった「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(教科書議連)設立メンバーは、自民が敗北した総選挙の初当選組です。

日本会議は60~70年代の右翼・民族派学生運動の活動家がコアメンバーで、宗教団体「生長の家」出身者たち。支部249、会員3万8千人。元号法制化、国旗国歌法制定、教育基本法改正、道徳の教科化を実現させ、選択的夫婦別姓法案や外国人地方参政権法案反対などを掲げています。日本会議地方議員連盟(会員1630人)と連係して議会決議を挙げて、地方議会から目標実現をめざす活動も進めています。

<議員連盟を通じて次々に要求を実現> 日本会議の議員連盟が作られていることは、彼らにとっても私たちにとっても非常に重大な意味があります。これまでの右翼運動は、ことがあると議員と連係する時限立法的な関係が常でした。それが恒常的に合同の役員会や勉強会を開いたり、議連の勉強会に日本会議の学者や文化人を講師にする日常活動になってきました。日本会議の幹部には安倍のブレーンが並んでいます。

そして日本会議の要望、方針が、議連の国会議員によって様々に具体化され実現している状況が生まれています。たとえば文科省が02年に小学校に配った道徳の本「心のノート」です。道徳を教科にし教科書を作れという日本会議の主張を議連所属の議員が国会で質問したら、議連会長代行の中曽根弘文文部大臣は「検討する」と答弁。1週間後に本を作ることが決まりました。日本会議は「われわれの要求が国会質問で実現した」と成果を誇っていました。

同様の事例は06年の教育基本法改悪でした。「人格の完成」をめざす子どもが、国家や大企業のための人材に変わり、教育基本法を全面実施する学習指導要領は家族や地域も縛る内容になります。そこにも日本会議が大きな役割を果たしています。

日本会議が今、何よりも力を入れているのは憲法改悪です。しかし簡単にはいかないことも事実です。そこで狙っているのは緊急事態条項から手をつけることです。大規模な災害などに対応するためなら受け入れられ易いという考えです。緊急事態宣言で、ナチスが憲法に拘束されず無制限の立法権を握った全権委任法と同じ役割を果たします。戒厳令と同じで、極めて危険な手法と言わなければなりません。