札幌第5回 2016.12

【札幌地裁2016年12月16日】

▼入廷する植村さんと弁護団

■櫻井氏の代理人発言で法廷に波乱

植村裁判札幌訴訟(被告櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド社、ワック)の第5回口頭弁論が12月16日、札幌地裁803号法廷で開かれた。
この日、午後3時の気温は氷点下3.9度。裁判所近くの大通公園は凛とした冬化粧に包まれていた。そんな師走の週末の午後にもかかわらず、この日も傍聴券を求める行列ができ、抽選となった(傍聴席72、行列は75人)。
午後3時30分開廷。まず、原告側が第4、第5準備書面の要旨朗読を約10分行った。二つの書面は、前回、新潮社とダイヤモンド社が櫻井よしこ氏の表現は名誉棄損にはあたらない、と主張したことに対する反論だ。齋藤耕弁護士は、新潮社が「事実の摘示であっても原告の社会的評価を低下させない」とする理由に対して、「表現を文節ごとに分解などして、一般読者が受ける印象とかけ離れた解釈をしている」と批判した。また、竹信航介弁護士は、ダイヤモンド社が「表現が具体性に欠けるから原告の社会的評価は低下しない」とする理由について、最高裁の重要な判例を引用して「社会的評価を低下させるものであるかどうかの判断は一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべき」と反論した。
これでこの日の陳述は終わり、次回以降の進め方について岡田忠広裁判長の考えが示された。原告と被告の主張を裁判長があらためて整理し直し、土俵をきちんと作って審理の速度を早めようという趣旨の提案だ。裁判長は双方に同意を求め、いくつかのことを確認して閉廷する段取りだった。
ところが、ここで波乱が起きた。櫻井氏の代理人弁護士が、「ワックの陳述を原告は読み違えている」「きょう予定されていた弁論を原告はしなかったため2カ月も空転が生じた」などと発言した。傍聴席には失笑があちこちでもれた。呆れた人もいたはず。原告弁護団は黙ってはいなかった。伊藤誠一弁護団長、小野寺信勝事務局長、大賀浩一弁護士が次々と大きな声で反論した。
結局、岡田裁判長のソフトな裁きで混乱には至らなかったが、閉廷したのは午後4時10分。波乱気味のやり取りを含め40分も費やした口頭弁論は、植村裁判ではこれまでの最長記録だ。
このやりとりについて、弁論の後に開かれた報告集会で、大賀浩一弁護士は、次のように解説した。
そもそもワックの準備書面(9月30日付)は、よくわからない、はっきりしない、煮え切らない内容のもので、私は10回読み直したが理解できなかった。裁判長が、それでは困るので裁判所が内容を整理しますよ、ということなのです。それについて、原告が内容を読み違えたとか変えたというのは、ワックに代わって口を出した弁解、いちゃもんです。2カ月の空転とかいうが、原告側が待っていた櫻井氏の準備書面を代理人は9月30日までに提出せず(出版3社は提出)、その1カ月後に、書面はどうしたのかと問いただすと、各社の主張を援用すると言ったのですよ。各社の中にはワックも入っている。ワックにしても、提出した重要書面を陳述しながら、その内容を変えるというのは、民事訴訟法では「自白の変更」といって、よほどの事情がない限り許されないことなんです。

■原告の第4準備書面要旨の抜粋

被告新潮社は、櫻井論文イ(甲8)に関して、原告の指摘した表現の事実をそれぞれ分断して検討するなどして、これらは、事実の摘示ではなく、論評であったり(表現)、または、事実摘示であっても、原告の社会的評価を低下させないものであり、名誉毀損に該当しないとするものである。

そこで、まず、過去の判例の検討から、名誉毀損該当性について、再検討する。

これまでの最高裁判決によると名誉毀損該当性については、「一般読者の注意と読み方を基準として解釈した意味内容に従う」としており、その判断は、判例として確立している。

そのため、新聞や雑誌が一般大衆によって読まれることに鑑みるのであれば、その記事内容が、ある人の名誉を毀損するかどうかを「平均的な一般読者の印象(解釈)を基準とすべきこと」になる。

そして、その検討に当っては、文節ごとに分解して検討するのではなく、筆者のメッセージがどこにあるのかを考えつつ、各文節の有機的関連性を検討すべきである。そうでなければ、筆者のメッセージとかけ離れた解釈になってしまい、筆者の文意を曲解することになるからである。

また、一般読者の注意と読み方を基準とする解釈は、普通人が極く常識的に受け止めたものが、その内容となるが、場合によっては、いくつかの解釈もありうる。しかし、その解釈は、文意全体から筆者の意図・メッセージを忖度しつつ、解釈しなければならない。

このことは、最判H9.9.9の趣旨からも読み取れるものであり、新聞や雑誌を読む一般人の感覚にも合致する。

以上を前提に、櫻井論文イ(甲8)を読むと、「意図的な虚偽報道」(表現)との表題以下が、本件で問題となっている部分であり、これらは、上記表題以下、筆者の一つのテーマとして、一体のものとして読み、そのメッセージを読み取ろうというのが、一般読者の注意と読み方を基準とする解釈であり、これらをさらに細分化して、解釈しようとする被告新潮社の主張は、逆に筆者のメッセージを曲解することになりかねない。

そのため、これらが、全体として事実を摘示し、かつ、その内容が原告の社会的評価を低下させるものであることは明らかである。

同様に、櫻井論文ロ(甲9)も、また、櫻井論文ロは、朝日新聞批判をその目的として、その批判材料として、原告及びその勤務先の北星学園大学への脅迫問題を取り上げているものであるが、このテーマに基づき、表現ないし表現が摘示されているため、これら各表現は、分断してその文意を探るのではなく、全体を通じて、その意味内容が何かを読み取ろうとするのが、一般読者の注意と読み方を基準とする解釈に該当する。

そして、その内容もまた、具体的事実を摘示し、かつ、その内容が原告の社会的評価を低下させるものであることは明らかである。

■原告の第5準備書面要旨の抜粋

<第1 新聞・雑誌等の表現の名誉毀損該当性の判断基準について>

新聞・雑誌等の表現による不法行為たる(事実の摘示による)名誉毀損に該当するかどうかは,事実の摘示に当たるかどうか,その表現がいかなる事実を摘示しているか,その事実の摘示によって被害者の社会的評価が低下するかといった点によって左右されるものです。

これらの点の判断基準は,既に判例上明らかにされています。

 (特に,最判平成9年9月9日民集51巻8号3804頁では,以下に引用する重要な判示がされ,判例として確立しています。

 「ある記事の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、当該記事についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきものであり(中略)、そのことは、前記区別に当たっても妥当するものというべきである。すなわち、新聞記事中の名誉毀損の成否が問題となっている部分について、そこに用いられている語のみを通常の意味に従って理解した場合には、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張しているものと直ちに解せないときにも、当該部分の前後の文脈や、記事の公表当時に一般の読者が有していた知識ないし経験等を考慮し、右部分が、修辞上の誇張ないし強調を行うか、比喩的表現方法を用いるか、又は第三者からの伝聞内容の紹介や推論の形式を採用するなどによりつつ、間接的ないしえん曲に前記事項を主張するものと理解されるならば、同部分は、事実を摘示するものと見るのが相当である。また、右のような間接的な言及は欠けるにせよ、当該部分の前後の文脈等の事情を総合的に考慮すると、当該部分の叙述の前提として前記事項を黙示的に主張するものと理解されるならば、同部分は、やはり、事実を摘示するものと見るのが相当である。」)

判例に照らして,被告ダイヤモンド社の櫻井論文エないしカについて検討すれば,いずれも原告の社会的評価を低下させる事実の摘示に当たる表現である,というのが今回の書面の趣旨です。

<第2 週刊ダイヤモンド2014年9月13日号(櫻井論文エ・甲10)>

 ここでは,原告について触れたのは連続する2つの文ですが,被告らは,この2文を別々のことを指していると主張しています。しかし,内容的にも体裁的にもそのような読み方には無理があるので,その旨反論しています。

また,被告らはこの論文について,金学順さん個人の事情について原告が記事で捏造したと主張します。これに対して,「女子挺身隊という勤労奉仕の少女たちと慰安婦を結びつけて報じた」という表現からすれば,「女子挺身隊」や「慰安婦」一般について原告が捏造したと述べていると読むべきであると反論しています。

さらに,被告らはこの表現が具体性に欠け原告の社会的評価を低下させないと主張します。これに対して,以上に述べたことからすれば具体性に欠けるところはないとの反論をしています。

続いて,被告らは表現が具体性に欠けることなどを理由に事実の摘示ではなく論評であると主張します。これに対して,既に主張したように,証拠による認定可能性に欠けるところはないなどの反論をしています。

<第3 週刊ダイヤモンド2014年10月18日号(櫻井論文オ・甲11)>
この論文については,被告らは表現が具体性に欠けるから事実を摘示しておらず,原告の社会的評価も低下しないと主張します。これに対し,論文全体の内容を受けているのが「捏造」という表現であり,そこには論文全体に現れている具体的事実が含まれているので,原告の社会的評価を低下させる事実の摘示として具体性に欠けるところはないと反論しています。

また,被告らは「捏造だと言われても仕方がない」との言い回しをとらえて,「仕方がない」かどうかは証拠によって認定できないから意見・論評であると主張します。これに対し,判例の基準によって,普通に読めば「〜と言われても仕方がない」の前に書かれた事実を摘示しているものであると反論しています。

<第4 週刊ダイヤモンド2014年10月25日号(櫻井論文カ・甲12)>
この論文については,被告らは表現が具体性に欠けるから原告の社会的評価が低下しないと主張します。これに対し,判例の基準によって,この論文がこの連載の他の回を引用していることなどにかんがみれば,それらの表現と一体として評価されるべきであるから,原告の社会的評価を低下させる事実の摘示に当たるとの反論をしています。