札幌第2回報告集会

【植村裁判報告集会 2016年6月10日、札幌市教育文化会館】


午後6時から、裁判所近くの札幌市教育文化会館(3階研修室)で開かれた。出席者は80人を超え、会場は満員だった。

はじめに、弁護団の秀嶋、成田両弁護士が報告と解説をした。秀嶋弁護士は、「事実摘示の具体的な主張」を裁判長から求められたことについて、「事実摘示は細かな部分ではなく文脈全体で論じるべきこと」としながらも、「早い段階で論点を整理しようという、裁判促進法に則っている」と、裁判長の訴訟指揮に納得のいく説明をした。

植村さんは、3カ月がたった韓国での生活ぶりを、スライド映像を使い、語った。ジョークを交えた軽妙な語りが、会場の参加者の柔らかな笑いに包まれていた。

休憩をはさんで行われた講演は、北大准教授の玄武岩さんによる「ナショナリズムとメディア」。玄さんは1時間にわたって、なめらかな日本語で、「国益」についての新聞社間の意見対立と朝日新聞バッシングとの関連や、社説の変容の背景を分析した後、「少女像」をめぐる最新の韓国社会のホットな状況を報告した。


弁護団の報告と解説(秀嶋ゆかり弁護士・成田悠葵弁護士)=要旨

前回の第一回口頭弁論で被告の櫻井よしこ氏側は、「自分たちの主張はさらに続きがある」としていたため岡山忠広裁判長は「フル規格」の主張を求めていた。今回出された櫻井氏側の書面に新しい主張はほとんどなかった。

名誉棄損訴訟は、被告らが「公然と事実を摘示して原告の名誉を棄損したか」どうかが争点となる。今日の法廷で裁判長は、私たち原告側に対し、被告らの行為のどこが事実の摘示か、それがどのように名誉を棄損しているか、その理由についても明確にするよう求めた。そしてサンプルを示して読み上げた。

私たちは、名誉棄損(という不法行為)をどう考えるべきか、総論的なものは訴状で出しているが、どこが事実の摘示で、どんな損害(社会的地位の低下)をこうむったか、一つ一つ特定して次回までに提出することになる。そこで、この裁判の土俵が設定される。

次の第3回口頭弁論(7月29日)以降は、11月4日に第4回、12月16日に第5回を開くことになった。第3回~第4回は間隔が空くが、次回までに提出する私たちの主張に、被告側が反論を準備する時間が必要となるからだ。裁判促進法で、概ね2年で見通しをつけるようになっている。裁判所側はそれを前提に、早い段階で問題点を整理し、きちんと裁判を進めて行こうと、口頭弁論の期日を入れたと思われる。

裁判長が読み上げたサンプルは週刊新潮の2014年4月17日号で、「(植村)氏は韓国の女子挺身隊と慰安婦を結び付け、日本が強制連行したとの内容を報じたが、挺身隊は勤労奉仕の若い女性たちのことで慰安婦とは無関係だ。植村氏は韓国語を操り、妻が韓国人だ。その母親は、慰安婦問題で日本政府を相手どって訴訟を起こした『太平洋戦争犠牲者遺族会』の幹部である。植村氏の『誤報』は単なる誤報ではなく、意図的な虚偽報道と言われても仕方がないだろう」という部分だ。

私たちは訴状に、これ全体が名誉毀損の表現だと書いている。文脈を見ないと分からないが、どこを中核にして名誉棄損だといっているのか特定してくれというのが、今回裁判所から言われたことだ。私たちは「捏造」ということ自体が事実の摘示に当たり名誉棄損性を持った表現だということ、最高裁が名誉棄損についてこれまでどう判断してきたかを含めて、今日の法廷でも成田悠葵弁護士が総論的に説明した。それを踏まえて今度は各論的に、櫻井氏が書いたりネット上で発信した内容のどこが事実の摘示で、それがどう植村さんの社会的地位を低下させたか明らかにしていく考えだ。

裁判全体を通した中で、最初の大事な時期を迎えたと思う。弁護団は準備をぬかりなく進めていきたい。これまでのように傍聴席を埋め、裁判を見守って欲しい。

櫻井氏は「発表したのは論評であり事実の適示ではないと」一貫して主張しているが、今回も同様だ。名誉棄損の被告側は「言った内容は事実だ(事実の適示)」と主張・立証しなければいけない。それが論評だとしても「真実だったと信じたことに合理的な理由がある」ことを立証しなければならない。事実の摘示の方が論評より主張・立証のハードルが高い。

問題は「表現の自由」と違法性の境界はどこかであり、表現の中身と、名誉棄損の程度の問題だと思う。「表現の自由」は憲法で認められているが、人の名誉を傷つける違法な言論活動は保護されない。「捏造」とか「意図的な虚偽報道」は植村さんにとって死刑判決に等しく、名誉に直結している。


植村隆さんの報告=要旨

 韓国に赴任して3カ月経ちました。 カトリック大学は医学部などもある総合大学で、私は文科系が集まる聖心キャンパスの教養課程で「東アジアの平和と文化」を韓国語で教えています。学生は36人。うち7人は日本からの留学生です。裁判の日程にぶつからないよう、授業(3コマ)はすべて火曜日にしています。

北星学園大学では、新聞を活用した授業をしてきました。新聞は社会や日本を知る「窓」です。関心を持った記事を留学生たちが切り抜き、発表する授業です。北星では教材は朝日新聞が無料で提供してくれました。韓国でもそんな授業をするつもりでしたが、どうすれば新聞を入手できるかなど、準備は何もしていませんでした。新聞記者の特質は「場当たり主義」、なんとかなるの精神ですが、なんとかなりました。

着任早々の朝。散歩から帰って来ると大学の前で、おばちゃん2人が学生に新聞を配っていました。日本だと日経新聞にあたる韓国経済新聞です。韓国でも学生が新聞を読まなくなっており、無料で配っているという。これはラッキー! 「授業で使いたい。週1回学生に無料で貰えないか」。おばちゃんは携帯電話で新聞社に即連絡してくれ、販売局の責任者と折り合いがつきました。

ソウルの名門・漢陽大学校で特別講義をする機会もありました。セットしてくれた漢陽大の鄭炳浩(チョン・ビョンホ)教授とは2月、幌加内町朱鞠内 で知り合いました。日・韓・在日の若者たちの集会「東アジア共同ワークショップ」でした。いろんな出会いが次々に広がっていくことを実感しています。特別講義後の懇親会が大いに盛り上がったのは言うまでもありません。

漫画家の金星煥(キム・ソンファン)さんと再会しました。1950年から50年間、新聞漫画を書き続けてきた人です。李承晩から金大中に至るこの50年は、独裁政権誕生や朝鮮戦争、大統領暗殺などの重大な政治事件、めざましい経済発展から経済危機へ一転するなど、激動の時代と重なります。辛口で辛辣な金さんの風刺は何度も筆禍事件を起こしましたが、いま作品集は韓国で重要な文化財とされています。

私は2003年、その中から約150編を選んで日本語に翻訳、エッセー風の解説をつけた「マンガ韓国現代史」を角川文庫から出版しました。もう絶版です。アマゾンで扱う中古本のレビューは、「風刺漫画を手掛かりに、韓国現代史を庶民の視点から理解するのに最適」と高く評価しています。さらに「解説から、韓国にそそぐ植村氏の愛情の深さがよく理解できる」と書いていました。再会した金さんと増補改訂版を出すことになり、また新しい仕事ができました。

岩波書店から出した手記「真実 私は『捏造記者』ではない」は増刷が決まりました。また韓国の出版社3社から翻訳の申し込みがあり、歴史書で有名な社から出版されることになりました。すでに翻訳は済んでおり、夏以降に出版されると思います。私のことが韓国でもきちんと伝わることをうれしく思います。

国連人権理事会の「表現の自由」特別報告者デビッド・ケイ氏が4月来日してメディア関係者からヒアリングし、私も事情を聞かれました。ケイ氏は暫定報告で日本の現状、問題点を指摘しています。NGO「国境なき記者団」は、言論の自由度で日本を180カ国中72位に後退させており、国連も私の問題に関心を持っています。

不当なバッシングをしてきた産経新聞、読売新聞の報道のインチキぶりを『週刊金曜日』に連載しました。例えば「強制連行」です。名乗り出た元慰安婦のおばあさんについて産経、読売は「強制連行」されたと書きながら、強制連行と書いていない私を攻撃する、これはでっち上げのようなものです。植村バッシングの一番の問題は、なんでもないことを、私だけを標的にして、集中的に攻撃したことです。それはリベラルなジャーナリズムを圧迫し、委縮させていきます。

事実摘示か論評かについて質問と解説がありましたが、私の理解では、「捏造記事だ」とする証拠があるというのが事実摘示で、「捏造記事だとするのは、私の意見だ」というのが論評です。事実摘示などではないと主張し始めたことで、私が捏造記者ではないということを、彼らが証明していることに等しいと思います。


玄武岩さんの講演「ナショナリズムとメディア」=要旨

ナショナリズムは時代によってその様相が異なる。グローバルな状況のいま、ナショナリズムによって対立があおられたり、悲惨な事態が生まれているが、国民国家を生み出した「統合」の役割を果たしたのもナショナリズムだった。

慰安婦報道をめぐる朝日新聞バッシングでは、反日、売国、亡国という言葉が飛び交った。「国益を損ねた」というのが理由だが、何をもって国益というかは単純ではない。新聞社それぞれの国益のとらえ方が変化してきたことは、60年安保以降の各社の社説などからうかがえる。

国益には、国民の生命・財産を含めた安全保障、領土主権、経済利益といった要素が含まれる。その国益も3・11以後は「国全体の利益」を意味しなくなった。国の利益と公共の利益は必ずしも一致せず、ズレが目立つ。もう一つのキーワードは「正義」だ。人権、知る権利、表現の自由といった価値を「国益」の上に置くか下に置くかで、メディアは立場が違ってくる。

朝日新聞をバッシングし、河野談話を骨抜きにした日本政府や右派メディアの次のターゲットは、「慰安婦」少女像だと思われる。昨年末に日韓で「慰安婦問題の解決に向けた取り組み」として財団設立などが合意されたが、日本は(基金出資の)条件として少女像の撤去を求めている。私は先日、少女像をいくつか見てきた。韓国の人たちはこれを守ろうと様々に活動しており、次に日韓の争点になっていくだろう。

その少女像を辛辣に批判している朴裕河教授の著作『帝国の慰安婦』は、非常に多くの問題をはらんでいる。ソウルの日本大使館前の像について朴教授は「チマチョゴリを着た可憐な少女の姿であり、大多数だった成人慰安婦ではない」「(朝鮮人慰安婦は日本に)協力したという記憶を消し、抵抗と闘争のイメージだけを表現している」「デモの歳月と運動家を顕彰するものでしかない」と批判を浴びせ、結果的に「朝鮮人慰安婦」はないと言っている。

重要なのは、実証的資料と慰安婦の証言の、どちらが歴史として意味があるかということだ。「文書で確認できない」からとか「慰安婦は少女ではないのでは」として日本軍慰安婦の強制性を否定するのは、慰安婦が生きてきた記憶を破壊するものだ。

本の副題は『植民地支配と記憶の戦い』となっている。記憶の選択、再生産される記憶、公的記憶などと「記憶」が多用される。歴史学の重要な研究方法である記憶論は「どのような過去が、誰によって、どのように記憶され、なぜ想起させられるのか」が重視される。少女像に関していえば「像がなぜそうした形になったのか、どんな人々が、どんな思いを込めて作り上げていったのか」という問題である。

慰安婦像は韓国内に33カ所あるが、日本大使館前の少女像のようなものばかりではない。中国人少女もいる像、亡くなった被害者ハルモニ(おばあさん)の胸像、煉獄から這い出ようとする像もある。

大使館前の像制作者が当初依頼されたのは、黒い石に白い文字の小さな碑だった。設置に日本から圧力がかかり、日本を叱咤するハルモニ像に変更したが圧力はやまなかった。「ハルモニが人生を奪われたのは少女の時でしょう」という妻の意見で、等身大の今の少女像になった。慰安婦本人が描いた絵や証言に基づいて作られた映画や演劇、アニメなどの作品と同様に、この少女像は作家がそうした証言に共感し、想像力を発揮して制作した芸術作品だ。

哲学者の野江啓一氏は「歴史的証言は、証言者が生きている限りその人の意図から切り離すことはできない。歴史家の叙述に対しその人は絶対的な『否』を突きつける権利を留保している」と述べている。

ハルモニたちの証言に基づいた作品は、いずれ他界する彼女たちの思い、記憶を形として残していこうと作られたであろう。現在も生きている人たちの証言を無視して「韓国ナショナリズムの表象として出来上がった像」とする朴教授の非難は妥当ではない。歴史に対して非礼であり無礼だ。

少女像の制作者はこの春、死んでいる赤ちゃんを抱くベトナムの母親「ピエタ像」を現地に作った。韓国軍によるベトナム戦争の被害者だ。韓国でベトナム戦争への評価は定まっていないが、人権、戦争がもたらす被害に社会的な目が向けられている。このことを見ても慰安婦像が単に韓国ナショナリズム、反日ナショナリズムの象徴ではなく、人権、平和、反戦というもっと普遍的な意味を持っている。


玄武岩(ヒョン・ムアン) 北海道大学大学院准教授。1969年、韓国済州島出身。漢陽大学校新聞放送学科卒。東京大学大学院博士課程修了。同大学院情報学環助手を経て2007年から現職。著書に「コリアン・ネットワーク-メディア・移動の歴史と空間」(北大出版会)、「サハリン残留-日韓ロ 百年にわたる家族の物語」(高文研、共著)、「『反日』と『嫌韓』の同時代史-ナショナリズムの境界を越えて」(勉誠出版)など。

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text by H.H