第2回公判の後、午後4時から参議院議員会館の講堂で報告集会が持たれた。ここにも100人を超える人が参加、報告集会だけに駆けつけた学生もいた。 ■山口正紀さんの講演 この日のメインの一つは、元読売新聞記者のジャーナリストで、「人権と報道・連絡会」世話人の山口正紀さんによる「安倍政権のメディア統制と『植村攻撃』」と題した講演だった。 山口さんは、読売新聞記者として週刊金曜日にメディア批判を書いたところ、社外の「救う会」などから「山口記者に書かせていいのか」とのクレームが来て、読売社内で何度も配転され、結局辞めた経緯を語った。 また、自分も91年12月に従軍慰安婦の記事を書いたことに触れ、植村さんの91年8月の記事は加害の歴史を見つめ直す流れの中で高く評価される、とした。「西岡さんたちにはきちんと謝罪してもらわないといけない」と話した。 朝日新聞社の慰安婦報道についての第三者委員会が、植村さんの記事について(捏造については否定する一方)「誤解を招くようなところがあった」「不用意」などともしたことについては、執筆当時の韓日における挺身隊と慰安婦についての認識を考えれば今になって「不用意だった」とか「誤解を招く」と言うことは「許し難い」と断じた。「慰安婦たちが戦場を連れ回され、逃げ出せなかった。一人の女性としての尊厳を日本政府が奪ったことは、間違いない」とも語った。 講演は、安倍政権によるメディアに対するアメとムチに説き及び、「メディア幹部を料亭などに呼び、飲み食いしつつ安倍さんが直接、秘密法や靖国について話す。渡辺恒雄さんは8回くらい、産経も。朝日も3回くらい行っている。飼いならされている。他方で、気に入らないメディアは呼び出したりする。先日の自民党若手勉強会の『マスコミを懲らしめる』などの言いたい放題はその延長にある」。 イスラム国人質事件での政府の対応のおかしさや、それを利用しての憲法破壊など、安倍政権下でのさまざまな危険な動きについても指摘した。 最後に「植村さんは、そうした流れを押し返し、彼らを追いつめるところまで進んできた。日本社会を変えるために植村さんを孤立させてはいけない。私たちのやっている秘密保護法に対する裁判と植村さんの裁判は、権力にとっては困ったことなのだ。この闘いは、委縮攻撃を受けている大手メディアの若い記者にも、頑張れることを示すことができる、大きな意味がある」と結び、会場の拍手を受けた。 続いて、神原元弁護士が裁判の現在の段階を報告した。神原弁護士は、「きょうのやり取りは、いわば前哨戦。次回10月26日に双方の主張が出そろい、証拠調べについてもどこまで出て来るかがわかるだろう。次回の第3回口頭弁論が注目だ」とまとめた。※この項、公判記録に収録。 ■植村隆さんの報告「勇気をもらったアメリカ講演」 報告集会のもう一つのメインは、植村さんによる米国レポートだった。 米国の大学の招きで4月29日から5月8日まで、米国の6つの大学で8回の講演等をした。その経過と、植村さんが感じたことなどの報告だ。植村さんの話は、「勇気をもらったアメリカ講演」という演題の通り、生き生きとした内容だった。 招いたアメリカの研究者たちは、嫌がらせに近い圧力に抗して、勇敢に植村講演を成功させたこと。話を聞いた学生らの感想には、「植村さんは世界の女性のために闘ってくれているのです。ありがとう」など、「ありがとう」という言葉が目立ったこと。取材に来た産経新聞記者は比較的客観的な記事を送稿したことなど、興味深い事実が報告された。 同行したジャーナリストの徃住嘉文さんと長谷川綾さんの2人も会場におられ、長谷川さんは、「コロンビア大の歴史学者キャロル・グラックさんをはじめ何人もの人が植村さんに『ありがとう』と言った。民主主義への攻撃、不正義に対して闘っている植村さんは、私たちのために代表して闘ってくれているのですから、と言った。帰国して植村さんは『人生は捨てたもんじゃない。脅迫され、仕事を失った。でも世界中に友達が出来た』と話した。きょうこの会場にもこれだけの人が集まっている。日本の民主主義社会も捨てたもんじゃないと思う」と述べた。(以上 K.F記) ※同行した2人のルポは「植村隆氏のスピーチを米国市民はどう受け止めたか」(『週刊金曜日』2015年5月22日号)と「植村隆氏の訪米講演は何を投げかけたか」(『世界』2015年7月号)に掲載されています。ぜひお読みください。 |
東京第2回 2015.6. >