utsuo diary 2006 tour

Pascals Europe Tour 2006(6/23 - 7/31)

フランス、ドイツ、イギリス

2006年6月23日(金)

成田 → Paris

フランスに行くためにはまず、どうしてもこの飛行12時間を避けては通れない。

ドリンク追加もらったり映画を見たりトイレに行ったり通路を散歩したり、あれこれ時間を費やしてみたものの、どうにも持て余してしまい時計を見ると、いつも通りまだ5時間しか経っていなかった。

機内映画で「明日の記憶」を見る。自分にも思い当たるフシが多く深刻な気分に。

フランス時間の夕方、パリ CDG空港に到着。他メンバーは迎えに来ていた2台のワゴン車に乗り換え、そのままフランス東部のMulhouse(Kingersheim)へ向かった。

石川さんとあかねと私はワゴン車での長距離移動が厳しいため、みんなと分かれてパリnord駅近くのホテルに一泊し、翌朝電車で向かうことに。

ホテルにチェックイン後、ホテルから駅までの道のりを下見に行く。

インド人街に行って夕食、夜10時過ぎてようやく暗くなり始めた下町の石畳を彷徨い歩きながらホテルへ戻り就寝。

明け方4時頃、現地に向かったメンバーから「いま到着しました」とメールが入る。

2006年6月24日(土)

Paris→Mulhouse→Kingersheim
(Espace Tival)パスカルズ リハ

翌朝。Paris nord駅よりSNCFでMulhouse villeへ。駅からは迎えに来ていたRUNのフィリップ運転する車で、今日からavecカミーユのためのリハーサル&コンサートの日々を過ごすKingersheimへと向かった。KingersheimはMulhouseの隣り町。

20分ほどでリハーサル会場EspaceTivalに到着。しばし休憩のあとカミーユ曲のリハーサル開始。コーラスの練習など明日に備えて最終調整。

2006年6月25日(日)

Kingersheim
(Espace Tival)リハ avec Camille 1日目

今日からカミーユと一緒にリハーサル。その前にもう少しパスカルズだけでリハしようということになり午前中からステージへ。

昼頃カミーユ達が到着し会場内のBarで一緒に昼食。滞在期間中は朝・昼・夕食ともケータリングの食事付き。お昼は私の大好きなアルザス地方の郷土料理シュークルート。ついつい食べすぎてしまう。

食後休憩をして、午後からリハーサル開始。プロデューサーのマチューとともに細かいフレーズの注文が出る。譜面が書けないというので口頭で言うのを各自、譜面に書きとめる作業に追われる。

いつもの事だが相手はフランス語。なかなか意志が伝わらなくて、いろいろ不安になる。とにかく何だかすごく疲れた。

暑い一日だったが夜は一変、嵐となり、今日は早めにリハーサル終了。

2006年6月26日(月)

Kingersheim
(Espace Tival)リハ avec Camille 2日目

リハーサル会場はKingersheimだが、メンバーの宿泊先は2ヶ所に分かれていて、私ほか数名はMulhouseの森の中にある合宿所のようなホテルに滞在している。

毎朝たくさんの鳥の鳴き声で目覚める。森じゅうの色とりどりのカナリヤが一斉にリラリラ〜と歌っているような本当に美しい音色。

リハーサル2日目、早くも煮詰まる。

1曲に非常に細かい指示が出て、その練習をして過ぎていく時間が何だか重い。

パスカルズのアレンジということで仕上げてきた演奏がもう何処にも残っていないような状態になり、無性にストレスが溜まってきて口が利けなくなる。

2006年6月27日(火)

Kingersheim
(Espace Tival)リハ avec Camille 3日目

朝5時に起きて大量の洗濯。ストレス解消。とりあえず、前回ツアーに比べれば今のところ天国のようなゆとりスケジュール。こうして日記を書く時間もある。7/3以降のパスカルズツアー用に体力気力を残しておかなければ。

リハ会場の「Espace Tival」に着くとBarのテーブルに沢山のオブジェがあった。地元の子供達が長い期間をかけて仕上げたという力作。

午後は、Noharaコンサートのための曲目及び曲順の打ち合わせ。

ちぎって曲名を書いた紙切れの列を20人位で真剣にジッと見つめる。

鉛筆で区切った先はアンコール候補曲。

夜はBar内に巨大スクリーンを用意してワールドサッカー観戦。

フランスが勝ったため、ホテルへの帰り道は街中お祭り騒ぎで、大きな国旗を掲げてクラクションを鳴らしながら暴走する車に箱乗りして何やら叫んでいく若者たちや、低空飛行物体(軍?)も沢山見た。怖かった。

日本ではありえない光景。その様子を坂本さんが箱乗りして写真を撮っていた。

2006年6月28日(水)

Kingersheim
(Espace Tival)リハ avec Camille 4日目

きのう届いたオブジェが飾られたBarで朝食。

フランスでは食後に必ずスイーツが出る。今日はショコラ2段重ね。カラメルソースの上にナッツ。一切れが大きいので、コーヒー飲みながらこれを2人で分け合って食べる。

リハーサル4日目。ゲネプロのはずが、またチェックが入る。カミーユも煮詰まっている様子。

2006年6月29日(木)

Kingersheim
(Espace Tival)Nohara コンサート 1日目

今日はNoharaコンサート1日目。大人のお客さんを招待して公開リハーサルの形だが実際には普通のコンサートと変わりない。

本番前、楽屋の赤いソファに座って小休止。

さすがに4日間も濃密リハーサルした直後とあって、完成度の高い演奏だった。

タイムも計っていたので何だかキッチリした仕上がりでパスカルズ的にはちょっと、という思いもあったが、ライブは大いに盛り上がった。

終演後、カミーユのツアーマネージャーが夕食の席で大変興奮した様子で語っていた。

この調子で7/1の本番まで持っていければ。

2006年6月30日(金)

Kingersheim
(Espace Tival)Nohara コンサート 2日目

Noharaコンサート2日目。今日は午前中からMulhouse、Kingersheim、各小学校別に生徒さん達とワークショップ。

昼食をはさんで午後からはご家族も招待してコンサート。

興に乗ったカミーユが、パスカルズツアースタッフに、着物に着替えてお茶をたてるようリクエスト。

次々と入れるお茶を客席にまわして、ザワザワしているうちにコンサートは終了。

午後8時夕食。外はまだ昼の明るさだ。

メンバーの一人が今日お誕生日。EspaceTivalのスタッフの方がロウソクを用意してくれて一緒にHappy Birthdayを歌った。こころ和むひとときだった。

2006年7月1日(土)

Belfort
(Chapiteau)
「Eurockeennes」 avec Camille

いよいよ本番。Kingersheimから車で1時間ほど行った山の上に「Eurockeennes」の会場があった。大きな湖や森があったりして敷地はとても広い。

演奏会場のキャパは1万5千人。チケット完売。サウンドチェック&リハ終了後、本番までの長い待ち時間は各自、会場内の屋台を見てまわったり湖のほとりの木陰で暑さをしのいだり自由に過ごす。

そして本番。パスカルズで2曲演奏のあとカミーユ登場で大歓声。

しかしその後、リハ中からトラブッていたモニタが完全にオフとなり演奏が聞こえなくなる。スピーカーから聴こえてくる音を頼りに何とか演奏し続けていたが、夕方から始まったワールドサッカー中継でフランスがゴールしたのをきっかけにカミーユも観客も興奮の渦となり、遂にスピーカーからの音も何も聞こえなくなった。

メロディはマツさんの弾くアコーディオンの指の動きなどを見て譜面をたどり、リズムはドラムの振動だけが頼りだった。

ツアーに来られなかった知久くんの代わりに石川さんが「326」を歌ったが、周囲の騒ぎで全く聞こえない。するとメンバーのために石川さんが両腕で身体を叩いて懸命にリズムを伝えてくれた。涙目だった。

終演後の楽屋で「よく最後まで崩れずに演奏できたね」と皆んな自らを褒めあった。

2006年7月2日(日)

Kingersheim オフ

今日は一日オフ。この数日間がんばったご褒美だと思った。

メンバー数名と、通訳でお疲れさまの半田さんも誘って、近隣の町、コルマール観光に出かける。

おとぎの国に迷い込んでしまったような美しい青空とかわいい町並みに囲まれて、昨夜の混乱とストレスから一気に解放された。

夜までゆっくりしていたかったが夕食の時間を気にして帰宅。ツアーバス運転手のパスカルが到着。朝からほとんど休まずに12時間かけてやって来たという。

一緒に夕食を食べホテルまでの車中で再会を喜びあった。明日からいよいよパスカルズ欧州ツアーが始まるのだ。

2006年7月3日(月)

Kingersheim → Poitiers オフ

朝10時、滞在中たいへんお世話になったEspace Tivalのスタッフのみなさんに見送られ、Poitiersに向けて出発。

「Eurockeennes」でもらったお土産セットを広げて写真を撮る。

途中ドライブインで昼食。今日はPoitiersまでの移動で終わり。明日から6日までオフでPoitiers滞在なので気分をカミーユからパスカルズに切り替えるにはちょうど良いと思った。

しかし、昼食を終えてバスに乗り込んでふと昨日のパスカルの言葉を思い出した。バスで12時間の移動。

Poitiersのホテルに到着したのは日没のころ、つまり夜10時だった。

2006年7月4日(火)

Poitiers オフ

今日から数日間オフ。今回は40日間という長いツアーのうち9日間のオフをこの街で過ごす。宿泊先も2003年ツアーでも泊まったホテルで懐かしく、街中にあるので何かと便利だ。

まずは市内観光。旧市街に広がる名所旧跡をのんびり見てまわる。

散策途中のノートルダムで、ふと思い立ち、友人のためにロウソクを立ててお祈りをした。

この時点ではまだ、数日後この場所で行われる出来事を誰も想像していなかった。

夜は、RUNプロダクション社長宅にてホームパーティ。郊外の緑あふれる大自然に囲まれた素敵な家で美味しい手料理やワインやケーキをご馳走になり、お礼にみんなで演奏した。

雷が鳴りはじめ大粒の雨も降り出すなかでの演奏だったが、ツアーに来て初めて純粋にパスカルズの曲が演奏できる喜びに浸る夜だった。

私は到着後から激しい胃痛(ストレスか)でほとんど食事も出来ない動けない状態に。社長のヨリックが気にして日本の温かい煎茶を入れてくれた。これが日本でもめったに飲めないくらい美味しい高級煎茶で、深い香りとともに身体に染みてすっかり元気になった。

帰りはヨリックの友人がホテルまで送ってくれた。もうすっかり友達になったんだなぁと思い、嬉しい一日だった。

2006年7月5日(水)

Poitiers オフ(ホテルでリハ)

朝食後、ホテルの中庭をお借りしてリハーサル。どの曲を演奏しても何だかとても楽しい。

今回パスカルズは、長いオフを過ごすこの街でレコーディングができたらと思い、Poitiers住人のフィリップに相談していた。そして午後、フィリップとともに場所の下見に出かける。

いくつか当たってみたんだけど、と言いながら、ノートルダムに着いたとき、ここでやれるのではないかと言い、指さしたのでビックリ。なんと昨日お祈りした場所だ。レコーディング日は後日相談して決めることになった。

ノートルダムの夜のライトアップがキレイだというので、夕食のあとみんなで見に行く。

夜10時半、教会の鐘が一度ガラーンと鳴り響き、その後、短いメロディが奏でられると正面入口の照明がパッと消えた。

いつの間にか集まってきていた沢山の観光客とともに静かに見守っていると、ぱぁーっと壁が色づき始めた。中世の頃を再現したものらしい。胸がいっぱいになり涙が出そうになるという感じの神秘的な美しさ。

正面広場の石畳に座り込んで、ただ呆然とこの壁を見つめながら、ここでレコーディングするパスカルズって一体..などと、運命について深い思いに浸ってしまった。

この晩はもうひとつ、市庁舎前の広場に巨大スクリーンを張って、サッカー観戦会場となり、町中の人々や観光客までも集まってきて応援していた。

そしてフランスが勝ち、明け方までお祭り騒ぎは続いた。

2006年7月6日(木)

Poitiers オフ(ホテルでリハ)

昨日に続き、ホテルでリハーサル。雨が降っていたのでフロント脇の応接室をお借りして。

午後には雨も止み、今夜もノートルダムに。

ビデオカメラを持って出かけた。

夜中の帰り道、Espace Tivalでお土産にいただいたTシャツを着たメンバー3人組とホテルに戻る途中のカフェで和む。

「もうずいぶん長くフランスに来ているけれど、明日やっとパスカルズ1回目の本番なんだよね」と話す。このゆったり感は何だろう、とも。

ところで、信じられないようだがこの日、以前に書いた、6/12横浜サムズのパスカルズ「行ってきますLIVE」リハ中に落としてなくしたケシゴムを、ホテルの部屋にあるテーブルの下で見つけた。

ヨーロッパに不思議体験はつきものだが、こういうのは初めて。二度となくさないように油性ペンで名前を書く。

2006年7月7日(金)

Poitiers → La Roche Sur Yon
(Jardin de la Mairie)
Les Concerts du Cafe l'Ete

午後2時過ぎに今日の公演地、La Roche Sur Yonに到着。駅前のホテルにチェックインしてしばし休息のあと、会場のあるJardin de la Mairieに。

Jardin=庭。今年のツアーはほとんどの演奏会場が屋外。閉所苦手な私にはとても嬉しい。

ステージ裏に案内されると特設のコテージにケータリングの食卓が。これだけ美味しそうなメニューが並んでいたら食べないわけにはいかない。

着いたらすぐセッティング、というフィリップの言葉を無視してステージ裏の楽屋で遅い昼食をとる。コンテナの楽屋には洗面台もベッドもあるし、トイレ横にはシャワールームも。

そして本番。一応チケットも出ているが街中の公園のこと、気がつけば通りの向こうまですごい人だかり。

公園を出て通りを挟んだ向かいのBarのお客さんたちも、石川さんの怪しい舞踏に何だ何だと立ち上がり、街灯によじ登って見ている人もいた。

ツアー先でのパスカルズ物販コーナー。遠くからでも一目でわかる。かわいい。

2006年7月8日(土)

La Roche Sur Yon → Chaptelat
(Place de l'abbe Rousseau)
CATALACUM 2006

今日は、2003年の欧州ツアー初日を飾ったリモージュ郊外にあるChaptelatという町で公演。途中、バスのラジオから今日のイベントのPR放送が聞えてきて「Am 8 beat」が流れ出して嬉しかった。

その後、Chaptelatという標識を見たあたりからバスは山中へ。急斜面を蛇行して登った先に別荘群が見えてきた。その終点あたりに古い礼拝堂のような建物。今日のイベント会場だ。

フェスなので共演者が大勢いる。他のバンドは外のテントだが、パスカルズだけ建物2階のソファベッドつきの広い部屋。体調を崩したメンバーを気遣ってくれたようだ。しかし出番はなんと午前0時。

到着時はほぼ無人だった会場が、夜になると何処からともなく人が集まりパスカルズ本番の頃にはものすごい人だかりになっていた。

前に来たことがあるからなのか、またはEurockeennes効果なのか、本番後、広場の売店に向かうまでに実に多くの人からパスカルズ!と声をかけられ肩を叩かれシャツを引っ張られ。少々手荒ではあるが暖かい歓迎を受ける。

ステージ脇を流れる小川のあたりから猛烈にうるさい蛙の鳴き声と、おぼろ月夜の美しい晩だった。

2006年7月9日(日)

Chaptelat → Toulouse オフ(移動日)

早朝、昨日まで強力助っ人してくださったヴァイオリンの美尾さんを見送ったあと、もうひと眠りしてからホテル朝食へ。

体が重い。やはりここは標高が高そうだ。昨日の出演バンドの人達がみんなこのHOTELに宿泊していて、会場でお土産にもらったTシャツを着ている人が多くて、どこまでがどのバンドか区別がつかない。

パスカルズもその中に混じって一緒に朝食。昨日は楽しかったねとか昨日の演奏良かったよとか声かけあって和やかな雰囲気。こんな風に他のバンドと話す機会があるのも今回ツアーの楽しいところかも知れない。

今日から2日かけて南仏マルセイユまでの旅。山越え谷越えて、フランス時間の夕暮れ時、ようやくToulouseのホテルに到着。

2006年7月10日(月)
Toulouse → Nimes オフ(移動日)

いよいよ南仏入り。ニームに到着。予定より早く着いたため、ホテルのチェックインができないので市街地にバスを留めて、2時間ほど自由観光。

わーい!と外に出たがあまりの暑さに目眩が。痛みのある暑さ。

少しでも涼しそうな道を行こうと日陰を求めて渡り歩いて、古い闘技場やら変なワニの池やら見て回るが、どうにもこうにも暑くてこのままでは熱で倒れてしまいそうなので、近くにあった冷房の良く効いたデパートに避難したら、他メンバーもみんないた。

FNACでパスカルズのCD見つける。ツアー日程がシールで貼ってあった。

その後、街中で夕食となり、日が暮れてライトアップされた広場のメリーゴーランドを見ながら中華料理店へ。

夕食後、ホテルまでの帰り道でとても大きな美しい満月を見た。明日はいよいよマルセイユだ。

2006年7月11日(火)

Nimes → Marseille
(Parc Francois Billoux)
Theatre de la Sucriere CINE-CONCERT

ニームを出発。マルセイユに近づいて風景がすっかり変わった。白い壁に赤い屋根の町並みが延々と続く。

どうしてパスカルズツアーに南仏はないのかと以前ツアー中のバスの中でフィリップに聞いたことがある。夢にまで見た南仏公演。今日も公園内野外劇場でライブ。その後、映画が上映される予定になっている。

豪華ホテルにチェックイン、荷物を置いて近くのイタリアンレストランで昼食(冷房なし)後、厳しい暑さに耐えながら会場裏の楽屋にたどり着く。

なんと冷房が効いていた!助かったと思った。ケータリングの食事がまた豪華。マルセイユ名物という品々をふむふむとかみしめながら堪能したあと、セッティングが始まる。

涼しい楽屋とは対照的に、屋根のないステージは焼けた鉄板の上にいるような熱さで楽器もあぶないので一人5分交代で。

日焼け止めも汗で一瞬で流れてしまうし日傘も全く効果なし。蒸発してしまうかと思うくらい暑かった。

アンコールで、岡地さん+長見さん、登場し盛り上がりました。

2006/7/12(水)

Marseille → Arles
(Cour de l'Archeveche)Les Suds a Arles

アルルに到着。今日は本番前に地元テレビやラジオ、ルモンド紙など各取材があり、まずは今日も豪華ホテルにチェックイン後、歩いてローヌ川へ。

川沿いの堤防でプチ生演奏。地元テレビなど撮影にきていたが堤防前の道路をびゅんびゅん車が通り、その向こうにいたお客さんに演奏が届いたかどうかは謎。

そのあと向かいのテラスで昼食とりながら取材あり。メンバーが持ってきていた粉末お茶をもらい、水に溶いて飲んだら暑さや疲れが少し遠のいた気がした。

それにしても南仏の暑さは脳にくる。きのうマルセイユは46℃、今日ももちろん40℃はとっくに超えていると思うその証拠に、演奏会場(古い教会の中庭)楽屋にあった冷蔵庫は冷凍室も温かった。

冷蔵庫の前に水の入ったポリバケツが置いてあって、その中にジュースやビールが入れてあり、その何本かはカチカチに凍っていてたぶん、氷の代わりになっているようだった。その凍ったもの以外は全部、人肌の温かさだった。

明るい時間の、まだ暑いなか始まった本番。夕暮れに染まっていく教会の壁と、中庭に輪を描いて飛んでいくハトを見ながら演奏。ステージの端に古井戸があった。

後半エキサイトしてお客さんが立ち上がり地元の撮影スタッフも大変そうだった。

ステージを降りるとまたドッと汗がふき出して、お客さんに「まぁカワイイ帽子、でも暑いでしょ」と頭をなでられた。そういえばニットの帽子を被っていたんだった。

本番終了後、闘技場の側にある広場で夕食。途中から雷雨となり木陰に避難しながら。

帰りはカフェ・ゴッホでお茶したり、

深夜の町をぶらぶらと散歩しながらホテルへ。

2006年7月13日(木)

Arles → Poitiers オフ

早朝ホテルを出発してポワティエへ。今日からしばらくオフなんだから、なにもこんなに早く出発しなくても、と名残り惜しんでみたが、ポワティエまでの道は遠く、延々バス旅で一日が過ぎた。

日没後(夜9時過ぎ)、一週間前と同じホテルに到着。部屋も同じ。家に帰ってきたような安堵感があった。

2003年ツアーのポワティエ公演終了後に、友部さんとみんなで食事した店に行ってバケツ入りムール貝を食べる。

2006年7月14日(金)

Poitiers オフ

前に来たとき気になっていたお店で昼食、その後、午後3時過ぎにツアーバス運転手パスカルがチャーターしたマイクロバスでホテルに私たちを迎えにやってきた。

これから彼の町Chauvigny(ショーヴィニ)へ行く。

今日はパスカルの家でホームパーティだ。パスカル家に楽器など荷物を置かせてもらって、目の前にそびえる古城に登る。

城の中腹あたりで立ち止まり振り返ると、Chauvignyの町並みが一望できた。吹き上げる風が心地良い。

その後、お宅の庭で演奏。「だんだん畑」など。美味しい料理やケーキをたくさんご馳走になる。幸せなひととき。

7/14はフランス革命記念日で国民の休日。この町もお祭り。夜は、庭から見える古城の上に激しく打ち上げられる花火を堪能。

西洋の花火は光も音もこんなに激しいのか。火花が古城内の何かに燃え移って火事になったりしていた。この城は世界遺産じゃないの?など心配しながら深夜までお祭りは続いた。(火事になっているように見えたのは演出だったと後で聞きました。史実を再現していたそうです。)

2006年7月15日(土)

Poitiers
Hotel de l'Europe にて REC

滞在しているホテルの応接室をお借りしてレコーディング。

一見、日本にもありそうなヨーロッパ調の小部屋だけれど響きがとても良いのは天井の高さや壁の材質や空気のせいだろうか。

私たちが南仏公演に行っている間にホテルに迷い込んだ猫が、ギターの太郎さんの部屋で出産したらしい。

まだ生まれたばかりで小さくてかわいくてなんとか写真を撮ろうとするけれど母猫が警戒して難しい。その後、街のどこからか猫を保護する人がやってきて、連れて行った。元気に育ちますように。

2006年7月16日(日)

Poitiers
Hotel de l'Europe にて REC 続き

ホテルでの朝食。クロワッサンとフランスパンにジャムとバターとゆで卵。コーヒーの入れ方もすっかり慣れた。

今朝はカプチーノを飲んでみる。デザートはフルーツの角切り。1回の食事の量が増えてきている。食事しながらふと思った。むくむく太ってきた感じ。ヤバイかも。

昼頃からレコーディングの続き。

そして夜は、ホテルから歩いて行けるフィリップの家でホームパーティ。

奥さん手作りのラタトゥィユが泣けるほど美味しく3杯もおかわりする。

2006年7月17日(月)

Poitiers
(Notre Dame La Grande)REC & Consert

昨晩、フィリップ宅から歩いて帰る道すがら、どうも頭がクラクラすると思ったのは夜更けまで飲みすぎ食べすぎた以外に、私にとって禁断の生カキを食べてしまったからだったと、今朝になって気がついた。

トイレに5回ほど駆け込んで、なおフラフラになる。太陽の恵みと思いポワティエ滞在最終日、まだ見てない観光エリアを探索しつつ日光浴散歩。

元祖、自由の女神を見たり、旧市街をウロウロ、フラフラする。

夕方からノートルダムでレコーディング。マイク2本で生音を録音。教会の音響はものすごくて、少しでも離れてしまうと前の人の演奏音が折り返し後ろからやってきてどうにもテンポが合わない。ひっそりと暗い空間には厳かな恐怖感も。

そして今晩ここへ見学にいらっしゃる観光客の皆さんのために演奏することに。

夜のライトアップが終わり10時45分。ゴォーと正面の大きな扉が開くとともに演奏開始。

BGM演奏なのかと思っていたが、前を見たらお客さんが整然と並んだ椅子に座って聞いていたのでビックリして急に緊張してしまった。

失礼のないようにと楽器の持ち替えにも指先まで緊張が走る。石川さんのパフォーマンスもいつになく上品。それでもお客さんのククク・・・という笑い声は暗闇にエコー付きで響いていた。

2006年7月18日(火)

Poitiers → Angers
(Cloitre Toussaint)Festival Angers l'Ete

厳かな夜から明けて、長期滞在のポワティエを後にロワール地方のアンジェという町に行く。

今日も古い教会の中庭で演奏。もちろん今日もとても暑い。暑いという理由でグランドピアノの到着が遅れる。冷蔵庫に入っていたペットボトルの水を2階の屋根裏部屋のような楽屋でグラスに注いだら、水がみるみる凍ってシャーベット状になった。

急用で坂本さんが帰国したので、火花もトランスも少な目の静かな演奏に。期待していたお客さんはちょっとがっかりしていた様子だったが、フランスで有名なセバスチャンというギタリストをゲストに迎え盛り上がることができて良かった。

終演後のステージ裏では、セバスチャンのおばあさん手作りのクッキーをいただき、ほのぼのとした夜だった。

終演後、近くのBerのようなレストランまでみんなで歩いて行って、テラス席で打ち上げ兼ねた遅い夕食。

一列に並んだテーブルの向こうに、ライトアップされたサン・モーリス大聖堂をぼんやり見ながら。

2006年7月19日(水)

Angers → Paris オフ

翌朝。写真は泊まっていたオテル・ダンジュー。地球の歩き方にも載っている高級ホテルだった。

そのレストランで朝食後、昨日、バスの中から見たアンジェ城へビデオカメラを持って出かける。

美しく整備された庭園。

頑丈そうな城壁。

有名なタピストリーがあるらしかったが入場料が高くて断念。売店をウロウロして終わる。

ホテルに戻る途中にも美味しそうなショコラティエがあったけれど暑さで何だか素通りしてしまう。

夕方ころ、明日からの5日間を過ごすパリのホテルに到着。

大型バスを何処に停めて置こうか相談しているフィリップとパスカル。

2006年7月20日(木)

Paris 13e(Parc de Choisy)
Paris Quartier D'Ete

翌朝。簡単な朝食を済ませた後、洗濯。

パリの5日間を過ごすホテルは滞在型。室内にキッチンがあり調理器具や食器も揃っている。冷房も効いていて快適だが朝昼晩3食とも自炊だ。自由といえば自由だが。

パリ1日目は13区にあるParc de CHOISY。公園内の広場だが到着すると誰もいない。暑さで遅れているとのこと。公園の隅を「あそこが楽屋」と指差され途方にくれる。炎天下、スタッフ到着を待つ。

スタッフが到着して、ようやくテント小屋が出来て中に入ると突然雷雨となった。

テント内に雨が入り込むほどの豪雨。ステージも水浸しに。

あまりの豪雨に中止も危ぶまれたが開演時間のころに何とか小降りになり、お客さんも集まっているので演奏することになった。

公演初日のEurockeennesですっかりパスカルズのファンになってしまったというカミーユのお父さんが見に来ていた。

終演後の夜は、公園から歩いてすぐの中華料理店でとっても甘いパイナップルチャーハンなどを食べる。

私はまだ生カキの余韻でフラフラしていて何を食べたか食べなかったか記憶がない。

満月の美しい夜だったらしい。私は演奏の記憶もあまりない。

2006/7/21(金)

Paris 9e(Boutique Zwilling)workshop
Paris 20e(Parc de Belleville)
Paris Quartier D'Ete

部屋で朝食。ホテル近くのマルシェで調達してきた食材であかねが作ってくれた。

今日はパリ9区にある「Boutique Zwilling」のショールームスペースでワークショップ。

演奏ではなく料理。

ギターの金井太郎シェフ監修のもと、メンバーがお揃いのZwillingエプロンをかけて、集まった生徒さん達と日本料理を作る。

酢の物、いんげんの胡麻和え、海老のかきあげ、厚焼き玉子、鳥の味噌漬け焼き、おむずび。何故だ、何で私たちこんな事してるんだと思いながらも料理はどれも絶品に仕上がり大好評。

40人分ほど作ったが一瞬のうちに完食。

あとで知ったが、この様子はダイレクトに店の外のスクリーンに中継されていたらしい。

今日の演奏はパリ20区にあるベルヴィーユ公園。高台から傾斜面に広がる芝生の向こうに霞んだエッフェル塔が見える。石畳の照り返しが過激な暑さ。40℃近くあるらしいと聞き急にぐったりとなる。楽屋のテントに避難するが、テント内もサウナ状態で長時間は居られなかった。カミーユのサウンドプロデューサー、マチューが来てアンコールにキーボードで飛び入り参加。盛り上がった。

2006年7月22日(土)

Saint Denis 93(Place Jean Jaures)
Paris Quartier D'Ete

パリ・カルチェ・デテ、3日目は、パリ郊外、北東にあるサンドニ県にあるジャンジョー広場で演奏。

特設ステージから見た広場の向こうに見える教会が楽屋。その隣りにはマリーアントワネットの墓もあるバジリカ聖堂。

この辺りは大変治安が悪いとのこと。携帯電話も隠してくださいといわれる。

少しだけ待ち時間があったので、隣接するバジリカ聖堂へ。

マリーアントワネットが着用していたという、宝石がたくさん散りばめられたガウンなどが展示してあって、それらを眺めたりしていたが、途中から執拗に跡をつけてくる人がいることに気づいて、急いで楽屋に戻った。

今日から松井さんも加わり13人になる。斬首されたお方の棺がある礼拝堂の脇で、オモチャとはいえモナリザの首でパフォーマンスするバンドを見物客たちはどう見るだろうかとドキドキしながら演奏。

終演直後、神の逆鱗に触れたかどうかは知らないが、突然の激しい雷雨となり急いで片付けてパリ市内へ。

帰りは寄り道をして、Grand Palais 前に到着。何もわからずみんなバスを降りる。

Le Grand Répertoire。今日は土曜日で無料らしい。昔の大道芸や撮影の道具など集めた楽しいイベントを見学して楽しんだあと、深夜にホテルに帰る。

夜のエッフェル塔ライトアップが遠くに見えてきれいだった。

2006年7月23日(日)

Paris 19e
(Parc de la Butte du Chapeau Rouge)
Paris Quartier D'Ete

今朝は濃厚なパイナップルジュース。

そして、サラミのパスタ。

ソースが激辛だったため、あまり食べられなかった。

4日目はパリ19区の公園。

一面の緑の芝生がきれいだ。お客さんはその芝生に座ったり寝そべったりして木陰もあるのでさほど暑さも感じずにのんびり見られる。なんか羨ましい。

公園入口近くでクレープとケーキを買って食べる。

ツアー前半の疲れとともに、この数日間移動がないからと思い、飲むのをやめていた数種の薬の副作用が、ここにきてドッと出た。

気分もローで演奏もロー。

演奏中、石川さんの飛ばすシャボン玉に集まってくる天使のような子供達の笑顔に救われて何とか持ち堪える。

2006年7月24日(月)

Paris 6e(Jardin du Luxembourg)
Paris Quartier D'Ete

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パリ公演5日目。パリ公演最終日はパリ6区のルクサンブール公園。都会だ。心地良い安心感。パリで演奏しているんだという実感に浸る。

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ステージは大きな噴水池の脇にあるあずまや。お客さんは、ほぼ360度好きなところから私たちを見ることができる。演奏中ふと前を見ると、遥か遠い遠いところまでぎっしりの人がこっちを見ていた。あんなところまで音が届いているのかしらと思い急に緊張。日本人も多く、いろいろ話ができて嬉しかった。

演奏終了後ステージ裏で新しいプロモ用の写真撮影をしていたら、それを見ていた人達がカメラや携帯片手に集まってきて大撮影大会になってしまい恥ずかしかった。

この5日間、日本から見に来てくれたお客さんもいて心強い毎日だった。大所帯での移動だけれど言葉の通じない異国で演奏する心細さはどうしてもあり、はるばる日本からの応援はなにより嬉しい。

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帰りはセーヌ川沿いに作られたパリ名物の人工ビーチを見ながらホテルへ。実際ビーチになっているのはごく一部で、あとは歩行者天国になって出店が出ている程度の地味なものだった。

2006年7月25日(火)

Paris → Bremen(オフ)

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朝8時半ホテル出発、ドイツのブレーメンへと向かう。バスに揺られ、ひと眠りして起きたら4時間ほど経っていたが、なんとまだパリにいた。大渋滞だ。今日中にブレーメンに着けるだろうか心配になる。

パリを抜けると渋滞もなくなりホッとしたが、ドイツ入りして最初のドライブインで今の位置確認したらまだ全行程の3分の1しか走っていなかった。

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その後まもなく、今度はドイツの渋滞にはまる。

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夜中12時半、やっとホテルに到着。

16時間バスの旅。ツアーバス移動の最長記録更新。

2006年7月26日(水)

Bremen
Radio Bremen Studio Live REC

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頑張って早起きしてタクシーでブレーメン市内観光に出かける。広場のカフェでのんびりしたり

かわいい路地を歩いたり

教会のステンドグラスに酔ったり

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ブレーメンの音楽隊像。順番待ちしてやっと記念撮影。

街中は空気がとても澄んでいる印象。カフェのお姉さんもテキパキしていて都会的。言葉が通じなくてもスムーズに買物もできた。

その後、他メンバーと合流して一緒に市電(バス?)でホテルに戻る。

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今日は、ホテルから歩いて行ける「ラジオブレーメン」にて公開録音コンサート。ドイツ製の高価な機材がセットされスタッフも録音なので少々ピリピリしているのかちょっとしたノイズにもチェックが入る。

私は楽屋でなぜか狂ったように果実を食べ(とても美味しかったのです)お腹をこわしヨロヨロで演奏。アンコールにムーンリバーをやったら客席から、おぉ!とどよめきが起こり、石川さんが歌いだしたら笑いが出た。

久々の室内演奏で違和感があった。客席は年配の方が多かった。

2006年7月27日(木)

Bremen → Karisruhe
(TOLLHAUS)ZELTIVAL 2006

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ブレーメンからカールスルーエに移動。渋滞にはまり到着が遅れる。ドイツに入ってからずっと、あちこちの高速道路が舗装工事中で道が悪く、腰や背中が痺れて痛い。今日は少し車酔いもしてしまった。

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今日も屋内会場と聞いていたが古い工場跡地のような建物で、屋内だが客席左右は大きな幕が下ろされただけのもので、開けていれば風通しが良い。

ドイツに入ってからも相変わらず大変暑いのでリハ中は幕を開けたままだったのが、本番は幕を下ろしたため会場内がサウナ状態になり、滝のように流れる汗を拭いながら演奏。汗で バイオリンを落としそうになる。

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公演終了後、楽屋奥の扉の向こうに幻想的な夜のビーチが作られた中庭があってお客さんたちがくつろいでいた。私たちもそこで夕食。たいまつの灯りがユラユラきれいだった。

2006年7月28日(金)

Karisruhe → Nurnberg
(Vordere Insel Schütt)Bardentreffen

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そして今日も渋滞。カールスルーエからニュルンベルグまでは近いはずだが、もう5時間走っているのに標識が見えて来ない。腰の痛みも増して座っているのも辛い。

前方に赤いバンが停まっているのが見えた。渋滞で動かない車に何か配っている。コカコーラの文字。コーラだ。新製品ノンカロリーの瓶コーラを配っていた。バス先頭に座っていたフィリップが立ち上がり声をあげた。天の恵み!

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小雨模様の会場に到着。

お城の中庭に作られた特設ステージで演奏。会場内に広がる屋台の美味しそうな香ばしい匂いをくんくん嗅ぎながら私たちはステージ裏のケータリングで昼食&夕食。

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ハートの風船を飛ばし、今日も平和と愛のある演奏を披露。雨が降ったので涼しかった。

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アンコールがかかり、ステージ裏で何を演奏するか相談しているところ。

2006年7月29日(土)

Nurnberg → Koblenz
(Festung Ehrenbreitstein)
Horizonte Festival

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翌朝、出発前のホテルロビーで地元新聞一面トップに昨夜のフェスティバルの写真が載っているのを見た。

後ろから覗き込んでいた宿泊客が石川さんを指さしてクックックッと笑った。今日はドイツ公演最終地コブレンツに向かう。

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今日の会場。切り立った岩山の上にそびえる古城でのフェスティバル。

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いくつもステージがあり様々なジャンルの音楽が演奏されるが各エリアが分厚い城壁で隔たれているため隣の音は聴こえないようになっている。城内に作られた食堂で遅い昼食をとる。

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リハーサル後に長い待ち時間があったので、広い城内を散歩して売店を見てまわったりアイスクリームを食べたりのんびりする。

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本番前やリハーサル後にこんな時間の余裕は今までのツアーでは殆ど無かった。そういう意味では今年はユルくて快適。夏の身軽さも良い。食事も、どこもみんな美味しい。

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そして本番、曲中のメンバー紹介でツアーバス運転手パスカル、RUNのフィリップを紹介。毎日ありがとう、と。

終演後、イギリスへの大移動が始まった。あす早朝の飛行機に間に合わせるため、空港近くのホテルまでバス移動。大渋滞でホテルに着いたのは夜中2時半になってしまった。大変だ。

2006年7月30日(日)

Koblenz → Reading
WOMAD RIVERMED 2006

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ホテル到着後、大急ぎで荷物の仕分け。楽器類以外は最低限の手荷物のみ持って行き、他の荷物はバス運転手のパスカルが預かり、帰国日のパリで待っていてくれることになっている。

急いでシャワーを浴びて着替えて時計を見たら3時半。30分だけ横になる。

4時、朝食。私たち以外にもたくさんの宿泊客が朝食を黙々と食べていた。みんな早朝の飛行機に乗るのだ。

私は何を食べただろう。何か食べただろうか。思い出せない。

4時半、ホテル出発。

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6時30分発、Frankfurt-Hahn→London Stanstedへ1時間程のフライト。機内で時差調整。時計の針を1時間戻し、イギリス時間、6時45分着。

空港で待機していたWOMADのスタッフにハロー!と挨拶したらグッモーニン!と言われ、そうか、まだ朝だったと気づく。

今日のイギリスは最高気温23℃。前日までのことを思うとかなり寒い。スタッフの方の運転する2台のバンで、ホテル経由→ツアー最終公演地、ReadingのWOMAD会場へと向かった。

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会場に着くと素晴らしい青空。風になびく旗も美しく、感動しながら楽屋へ。

今日は3時から本番。サウンドチェック後すぐ本番のため時間がない。会場内にあるスタッフ用フードブースで早い昼食を取り(美味しかった!)すぐ準備にとりかかる。

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高いステージに上がると風景は一層美しく、また見とれてしまう。

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サウンドチェック中は人影もまばらだったが、一旦ステージを降りて、再びステージに上がると一気に人が増えていてびっくり。ユロケンのように観客側にテント屋根もないのでどこまでも人の波が続いている。

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時間が押していたため調整に追われた会場側が私たちの演奏を最後の曲の手前で強制ストップ。事実上、最後の曲がアンコール曲となり、50分程度の短いステージに終わり残念だった。

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前日から不眠で移動&本番、はさすがに厳しく、疲労感と違和感、寒さと強風に包まれていた私は、観客の異様な盛り上がりを他人事のようにボンヤリ見ていた。

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演奏終了後、会場内にあるグリーンルームという場所(室内)でワークショップ。フェスティバルに来ている人たちとの交流会的な催し。1時間程度で終了し、あとは午後10時まで自由時間。

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広い広い会場内に延々と並ぶ魅力的な店を寒さに震えながら散歩見学。楽しい時間だった。

2006年7月31日(月)

Reading → Paris → 日本 へ

2006年8月1日(火)成田着

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あまりにも近代的なホテルに泊まってしまうと印象が薄く疲れていたこともあり室内がどんなだったか記憶がない。覚えているのはロビーの奥に滝があったことくらいか。窓からの景色も殺風景だった。

翌朝ロビー6時集合。朝食エリアがまだ準備中のため食事なし。9時40分出発、London Luton → Paris CDG へ。

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Paris CDG空港でパスカルと再会。みんなで記念撮影をして荷物を受け取り、空港内ファストフードエリアで石川さんのお疲れさま挨拶、乾杯する。

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別れを惜しんで涙を流しながら去っていったパスカルがいつの間にか戻ってきて一緒に食事していた。

今回はRUNのフィリップも名残惜しそうにしていた。ホームパーティしてお互いがもう家族のようになった、ビジネスでない、こういう関係が持てる機会を今回は何度も持てた。

10日間ほどをともに過ごしたEspaceTivalのみなさんも大変お世話になりました。

そんなことも含め今回のツアーは実に収穫の多い、濃い40日間だったと思う。

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夜8時、Paris CDG発、成田行きの機内で再び映画「明日の記憶」を観る。その後は起きていたような寝ていたような意識もおぼろげなまま帰国。

久し振りの日本。わー日本語だー、と周囲を見渡してしまったり、トイレで低い便座にひっくり返りそうになったりする。

帰国したという実感がなく、また別の国に来ているような変な気分だった。身体以外はまだヨーロッパに居るんだろう。中身の帰国はまだしばらく先になりそうだ。