椿(つばき)科。日本原産。学名、英名ともサザンカ(Sasanqua)。江戸時代、長崎の出島のオランダ商館に来ていた医師ツンベルクがヨーロッパに持ち帰り西欧で広まった。花言葉は、困難に打ち勝つ、ひたむきさ。
引っ越して2回目の冬、玄関先の小さな山茶花がそっと咲いた。そして、いくつかの小さなつぼみも見つけた。楽しみ。今年また、フランスに行けるかも知れない。おととしのフランス滞在は約10日間だったがテロの後ということで外国人観光客にほとんど会わず英語もなかなか通じない環境のなかで、日本語しか話せないこの私がまさかフランス語をカタコトであっても話すとは思ってもみなかった。Bonjour. Au revoir. Merci. Pardon. Un cafe, s'il vous plait. ....簡単な言葉。レンヌでフェスティバルを終えた翌朝、駅でミネラルウォーターを買ったときMerci. Au revoir. と小さく言ってみた。すると店のお姉さんが、笑顔で Bon voyage ! と言ってくれた。とっても嬉しかった。というわけで、今年からフランス語の教則本を持ち歩く日々。添付のCDを聴いてみると、さっぱりワカラナイ。でも懐かしい発音。けれども、どうしても同じように発音できないのは何故か。それは昔習ったというだけで、記憶のなかの英語がジャマをするからだ。英語だって、ろくに話せるわけでもないのに。潜在能力おそるべし。アメリカが他国の土地や命を使って、戦争を始めさえしなければ晩秋には再びフランスへ行ける。この貴重なチャンスをぜひ今度はフランス語で体感したいと思うのだけれど。平和は全ての生き物に平等に分け与えられるべきもの。真紅の花に願いをこめて。
春が来て桜が咲くと思い出すあの頃のこと。あの頃の自分。物思いにふける心地よいひととき。やはり日本に生まれて良かったとしみじみ思う。今年は「花の下で宴会」ではなく、いくつかの公園や神社や寺の桜をしんみりと見てまわった。香りたつ桜の花びら舞う小路を歩きながら、戦争で身体や心に深い傷を負った多くの人達にもこの美しい風景を見せてあげたいと思ったが桜の根付きはとても難しいのらしい。「思い出す」と書いたけれど実際には何度も忘れようとして、つまりその度に思い出すのでちっとも忘れられないのが現実というもの。代わりに思い出の中の顔や声なんかはすっかり忘れてしまって、私はこんなに薄情だったのかと少々反省も込めて空を見上げた。
ギターをヴァイオリンに持ち替えてから、もう何年も経っているのにちっとも上達しない奥の深い神秘の楽器。始めた頃は毎日触っていないと落ち着かないくらい「とりこ」になってしまった。私にとってヴァイオリンはいろんな意味で魔物である。最近やっとギターの左手の癖が取れてきたなと思ったところへ弾き語りLIVEの復活。全てが振り出しに戻りそうで少々不安。でも大丈夫。もうすぐ秘密の猛特訓が始まるので海外ツアー出発までにはものすごく上達している予定。だといいな。
山あいの湖のほとりでヴァイオリン合宿。その直前に誤ってネックを壊してしまい工房へ修理を出すはめに。修理費3万円。思わぬ出費だったが他の不具合も見つかり、それも直してもらったおかげで少し音が良くなったようで嬉しい。合宿は温泉つきで優雅だった。往復の急行電車は指定席。窓に向かって作られた真紅のロングソファーにゆったりと腰かけて車窓の景色をぼうーっと眺めていたら森の中に怪しい野鳥を発見。そして乗り換え駅のホームで売られていた「ホロホロ鳥弁当」を見てびっくり。とても縁起の良い鳥だそうで美味しいよと勧められたが食べる気になれず買えなかった。さっき見たばかりだし。ヴァイオリンとの関係は果たしてあるのか。うーん。
8月末、オーケストラ本番無事終了。あこがれの楽団に特別参加させてもらい夢のような数ヶ月間だった。本番はきっと感動で泣いてしまうだろうなと思っていたら実際には演奏することに必死でそんな余裕はなかった。そして、最後の曲を弾き終えた瞬間、あー、もう一度1曲目からやりたい!と思った。未熟な私にはこの数ヶ月間ではとても完成し得なかった、名曲マタイ。悔しい~。またいつか再演したいと心に誓った夜。それもこれも来たる11月のパスカルズフランスツアーに向けてのヴァイオリン強化訓練だった。周囲の美しい演奏を耳に蓄え、いろんな奏法も教わって、かなり成果はあったと思う。問題は同時期から習い始めたフランス語教室。今ちょうど最初の大きな壁にぶつかっているところ。その越えられない壁に貼りついたまま、もうすぐ出発である。
現地時間の11/5夕方、パリ着。ホテルに荷物を置いて食事へ。12時間空の旅疲れで空腹のはずなのに眠くてよくわからない。またここに来ることができた喜びより、やっと着いたという安堵感に浸る夜だった。翌朝、メンバー数人と朝食がてら散歩に出ると街中が紅葉の真っ盛り。とにかく美しい。セーヌ川沿いも公園も建物に絡まる蔦の葉も。みんなみんな美しい。
時間に追われる毎日。起床、ホテルで朝食、バス移動、ドライブインで昼食、バス移動、ホテル着、荷物を置いて演奏会場へ、会場リハ、夕食、本番、(打上)、就寝。いろんな感覚が少しずつ麻痺していくのがよくわかったが、特に体調を崩すこともなくて良かった。困ったのは食事。今思えば贅沢な話だが、毎日ドライブインでの昼食が前菜からデザートまでフルコースで大盛り。無理せず残せば良いものを美味しいのでついつい食べ過ぎて早くも「背負いフランス料理」に。だんだん食事タイムが寡黙になっていく。
フランスツアー中、唯一の国外。スイスのチューリヒへ。初めて体験した陸路での国境越え。ちょっと立派な料金所という感じであまり感動はなし。急に街中がドイツ語標記になり建物の雰囲気もガラッと変わる。路面電車も清楚なイメージ。泊まったホテルの周辺はガイドブックで見たのとは違い冷たくて寂しかった。早くフランスに戻りたいと思った。
スイスから戻りホッと一息。貴重なオフをこの街で過ごせたのは本当に良かった。こじんまりとした古くて優しい感じの町並みに疲れも癒える。3つの古い教会を訪ね歩いた先にそびえる山全体が巨大な城になっていた。遊歩道を登り頂上をめざすが途中で力尽きる。振り返って見た景色の美しさにしばし言葉を失う。まだ朝もやの残る山あいに点在するお伽の家々。標高が高くスイスよりも寒かったが、暖かい街だった。
ツアー最後のエッソンヌでのフェスティバルを終えた翌朝。フランス中を一巡りしてホコリまみれのバス後部。落書した「Pascals」とCDの宣伝が哀愁を誘っていた。お疲れさま。実は閉所(狭所)恐怖症ぎみの私。毎日、平均約5時間(最高9時間!)の移動を窓の開かないバスの中で過ごし通せた自分が信じられない。車窓の美しい田園風景と紅葉と、出会った人々との暖かい交流に助けられた3週間だった。 日本からはるばる駆けつけてくれた人達もいて、とても嬉しかった。歌ってくれた友部さん。アンコールに出てきて1曲歌っただけで客席から「ブラボー!」の声が。。すごい人だなと思った。それから、何度か現れて快く参加してくれた川口さんもツアーメンバーのように身近だったし。そして見に来てくれた人も!知らない街で迷子になったとき偶然、友人に会って助かった~という安堵感に似た喜びかな。。前回よりは少しだけ使ってみることが出来たフランス語も、次に行くことがあれば今度はちゃんと会話してみたいと思う。。身近なことを一緒に感じたり笑ったりしたいと思った、みんな素朴でステキな人達だった。ありがとう。