田角先生のお話を聞く会 講演筆記録

田角先生のお話

テーマ : 「摂食障害児の食事を楽しくとはどういうことか」

 

 昭和大学の田角(たつの)です。よろしくお願い致します。

 まず、一番重要なことは、食事を「楽しく」食べるということですね。これが一番のポイントです。では、「摂食障害」を伴った場合、「楽しく食べる」となにが対立するかというと、「栄養」になります。栄養をどういうに取るかということです。栄養が入って且つそれが楽しければ全く問題ないわけですが、「楽しく食べる」といっても「楽しくやっていると栄養が入らない」ということが、乳幼児の摂食障害のとき一番の問題になります。

 こういうような摂食嚥下障害は、以前からいろいろな疾患や重症な子どもたちがいました。摂食嚥下障害が問題として、小児科や弘中先生のいる歯科などで、積極的に取り上げられるようになったのは、弘中先生の先々代の教授の金子先生が、非常に熱心に考えてくださり、この摂食嚥下障害ということについて、いろいろな対応が行われてきました。そのときの一つのポイントとしては、重症な子どもたちをイメージして、考えられてきました。なかなか歩くことができない、寝たきりの子に医療が何かやってあげられることはないか、というようなことからです。

 私がその金子先生と知り合ったのも、そのようなことで「なにかできることはないか」と考えていたら、私のところに来ている患者さんが「昭和大学に摂食嚥下障害についてやっている先生がいる」と教えてくれました。自分の大学にいても歯学部と医学部はちょっと離れていて知りませんでしたので、「金子先生ってどこの先生かな」と調べました。教えてくださったお母さんが、誤った講座を教えてくれたものですから、いくつかの講座に「金子先生いらっしゃいますか」と電話をかけて、三つめくらいで口腔衛生学教室にたどりつき、早々に面会に行き「それじゃあいっしょにやりましょうか」ということで、すぐに一緒にやり始めました。

このころの少し前から、小児リハビリテーションの考え方が、ドイツから入ってきました。リハビリテーションをやると極端に言うと、重症の子も治るような感じがありました。実際には、なかなかそうはいきません。では子どもたちに何をしてあげられるかと考えたときに、一番可能性のある機能は「食べる機能」かな、ということで、重い子どもたちについて一生懸命に考えました。そうしたら、それがだんだんと広まりました。それでなにが起こってきたかというと、軽い子どもたちにも、重い子どもたちと同じような指導法が広まりました。基本的な考え方というのは、金子先生と知り合った約30年位前、そのころと基本的なところはあまり変わりませんが、その広まり方というのは、少し違う方向もあり、そのようなところは少し修正しないといけないんだろうということです。これが、今の摂食嚥下障害に対する対応についての背景になります。

 

 まず食べることは、「楽しく食べる」ということが極めて必要なことです。「楽しく」と「栄養」とどちらに重要性があるかといったら、ここで話すことの場合は、圧倒的に「楽しく」に重要性があります。

では、「楽しく食べて、栄養が入らない」ということになると、どうなるか。経管栄養や胃瘻(いろう)ということになります。そうすると、「今おかれている現状と、何も変わらないじゃないか」ということになるわけですけど、実際にはそんなことはありません。胃や経管栄養をしていても、可能な一部分だけでも、「楽しく食べられる」ということが非常に重要になります。

食べることが楽しくなくなる・楽しく食べることが阻害される理由は、沢山あります。何らかの原疾患があります。何も問題のない子たちは、経管栄養や胃瘻になることは少なく、やはり何か元々病気を持っている場合が多いです。それは発達の問題、心臓の問題、呼吸の問題であったりします。いずれの理由においても、呼吸の状況が良くなければ、もう少し広く言えば、体調が良くなければ、おいしく食べられません。

食べられない理由は、それぞれありますが、ます体調を良くするために、呼吸を良くするために、どうしたらいいだろうか、ということを考える必要があります。呼吸の状況が悪い時においしく食べられるはずがありません。どんなおいしいものを出されても、体調の悪い時においしく食べられるはずがありません。ですから、このような場合は、まずこれを改善することです。では改善できない場合はどうすればいいかということになりますが、少しなら楽しく食べられれば、それで良いと考えることでしょうということいなります。

我々も体調が悪かったら、食べる量が減ります。そういうときでも、例えばケーキが好きな人だったら、少しぐらいのケーキだったら食べたいかなと、思うかもしれません。いずれにせよ体調とか呼吸をしっかり整える、これをやらないと、楽しく食べられることに、つながらないといことです。

 他の食べられないことの理由には「ストレスがかかる」ということもあります。このストレスは、色々な意味でのストレスなので、先に述べた呼吸状態が悪いということも、ストレスといえばストレスになります。通常のストレスは、どういうことがあるかというと、例えばこのような場で何か話さなければならないということで「緊張」することもストレスになります。そのようなストレスが大人だと緊張により食欲が落ちるかもしれません。子どもはこのようなことでは、それほど緊張することはないかもしれませんが、食事において嫌なこととなると結構あります。それは残さずに食べなくてはならないというようなことです。場合によっては、食べる「訓練」も大きなストレスになります。以前は食べることへの対応の一部に対して、「訓練」という言葉をときどき使っていましたが、今は「訓練」という言葉を使わないようにしています。食事は訓練であるはずがなく、食事の問題は訓練ではなおせません。厳密にいえば訓練という言葉を使うのは、本当はどちらでもよいのですが、実際に頑張るというような意味での「訓練」というようなことになるのはよくないと考えています。食事は生活であって、特別に訓練する場所ではありません。もし訓練するのがいい場合もないとは言えません。それはどのような時かというと、「自主的にできる」時です。それは自分の意思で訓練をしたいと思っている時です。例えば、野球を上手になりたいために、今はつらいけど頑張って野球の練習をしようというのが、自主的という意味です。このようなことは、いくらでもあります。どんなことでも自分から進んで行い、その結果が後に褒美や報酬につながるということで、自分から一生懸命やろうということです。ただ食べることが苦手な子どもが、食べるときにそのようなことは現実にはありません。食べることで、これを食べたら、後にお腹が気持ち良くなって、ということはありません。このようなことから、食べる「訓練」という言葉はあり得ないというよう思います。だから、訓練ではなくて「食事を楽しみましょう」ということです。楽しめる訓練はないと考えると、訓練ではなく、食事を楽しむということにつなげることです。

 好き嫌いも考えてみる必要があります。一般によく言われる好き嫌いというレベルの問題は、ここの場合ではないのかもしれませんが、好き嫌いについても考えてみます。普通の子どもたちでも、それぞれ好き嫌いがあると思います。そもそも好き嫌いが、あってなんでいけないのでしょうか。最近、楽しく食べられない子供をいろいろ見ていると、好き嫌いなんてあってよいのではないかと思います。なんで好き嫌いがあったらいけないのかというと……なんなのでしょうね? やはり考えてもよくわかりません。うーん……例えば、このような顔の人が好きとか嫌いとかあっても、誰も文句ないですよね。太めの人が好きとか痩せている人が好きとか、それぞれの好き好きですから、全然問題ありません。それと食物の好き嫌いも大差ないように思われます。

ピーマンが嫌いであるとか、ピーマンを食べさせるにはとか、そのような話がよく出ますが、ピーマンを何で食べさせなければいけないのでしょうか。私がピーマンを嫌いなわけではありませんが、ピーマンを食べさせなければいけない理由は、どこにもないと思います。ピーマンって、そもそも少し苦いです。元来子どもは、苦味を嫌いです。苦いものや辛いものを、子供たちは嫌いです。あとは、酸っぱいものも嫌いです。余談になりますが、どうして嫌いかわかりますか?苦いものは、基本的には毒かもしれないと考えるものです。遺伝的になるべく毒は食べないように、仕組まれて生まれているわけです。年齢が上がってくると、こういうものに挑戦するようになり、徐々に食べられるようになってくるわけです。では、酸っぱいものは何かというと、これは腐ったものと考えられるからです。だから酢の物なんて小さい頃は、あんまり好きではなかったですね。多くの人がそうだったと思います。大人になり味覚が鈍くなり、頭でチャレンジするようになり、段々と苦味や酸味にだんだんと大丈夫になってきます。子どもにとってピーマンのように苦いものが嫌なことは当然で、なにもピーマンで緑の栄養を取らなくたって、他のもので栄養を取る機会がいくらでもありますから、ピーマンを食べる必要はどこにもありません。好き嫌いがあるので、ピーマンを刻んでわからなくして、ピーマンの味を隠して食べたりしても、これはピーマンを食べてないのと一緒です。好き嫌いがなくなったわけじゃなくて、ピーマンを食べてないと子どもは、感じているだけです。

 嫌いなものとなると、気持ちの問題だけで食べられなくなります。講演開始前の雑談ででましたが、納豆を食べる人と食べない人がいて、これは腐ったものと感じる人がいてもそれは当然なわけです。人それぞれです。では、そのような嫌いなものが、目の前に出てきたとき、どうなるかというと、“オェ”となったり、気持ち悪くなったりします。私の子どもがキュウリを嫌いで、キュウリを出すと“オェ”となりました。それで本人はキュウリのかけらまで排除していましたが、そういうのは好き嫌いだから仕方ないです。でもそれを繰り返していて慣れると、好きになるわけじゃなくて、さらに嫌いになります。

 ですから、「楽しく」食べることは、どこが決めているかということになります。これは口で楽しさや美味しさを決めているわけではありません。頭(脳)で食べています。脳で食物を感じているということです。子どもたちもそうですけど、なにが好きなのか、なにが嫌いなのか、快適なのか不快ないのかを頭で感じています。食事を楽しく食べるには、その快適さを、気持ちいい感覚を養っていくことが必要になってきます。

 健康な子どもたちが経管栄養や胃瘻になることは、実際にはめったに起こりません。原疾患は除けば、ストレスとか好き嫌いは、子どもたちはある程度あるはずなのに、普通の子どもたちは経管栄養や胃瘻になりません。それでは、なにが違うのでしょうか。一つは、呼吸障害や体調不良です。もともとの病気で体調が整えにくく、さらに何とか食べさせようと、体調の悪い時になんとか食べさせなければいけないとなります。その結果、食べさせられることが嫌な経験になってしまいます。もう一つは、訓練として一生懸命周囲が頑張ると、食べるのがもっと嫌になってしまうということ等です。

話は少し横にずれますが、訓練ということの例を挙げると、「過敏」があります。いろいろな摂食嚥下障害に「過敏」が挙げられます。摂食嚥下障害のときに「口の中が過敏です」と言われることもあります。しかしながら口は、みな敏感です。敏感でない人はいません。体の中で最も触覚等が敏感な部位の一つです。だから全ての人が口唇や口腔が敏感です。我々も口の中に指を入れられたら嫌です。顔も触られたら、当然避けようとします。多くの場合は過敏というより、そのような敏感さはみんな持っており、それを過敏と間違えてはいけません。では、どういうものを過敏といえるのでしょうか。それは脳性麻痺の重度の子どもたちの一部には、確かに過敏と考えていいのかなという人たちがいます。どのような状況かというと、ちょっと触られただけでも体全体を伸展しまうことがあり、それは嬉しいことがあってもみられます。これは楽しいけど、伸展してしまうつようなことです。

 過敏ではない場合は、嫌だから、伸展し突っ張るとことや、口を閉じるとか、顔をそむけるとかです。嫌だからそむけるのは、自然の反応で過敏ではありません。その子が嫌だから、拒否しているわけです。ですから、過敏と拒否していることは違います。

 過敏に少し近いのは、自閉症の子どもたちで、感覚的に独特のものを持っている子どもたちがいます。こういう感覚が嫌いだというようなことで、例えば、粒状のものが嫌いだとか、べとべとが嫌いなこともあります。ほかの感覚においても普通の音はいいけど、子どもの泣き声がものすごく嫌いなこともあります。

ただここで話す摂食障害を持った子どもたちは、自閉症とは違います。しかしながら、こだわりを持つこともあるので、場合によっては「自閉症も合併していますね」ということを言われていることもあります。こだわりはありますが、自閉症とはちょっと意味合いが違うと考えており、経験的にこだわりのような部分が、少し出ていると考えています。

 この過敏と拒否は、大きな違いということになります。これを分けことは簡単ではありませんが、大きく分けてしまうとすると自分の指をしゃぶれるとかおもちゃをしゃぶれる子どもたちは、「過敏」という面での大きな問題がないということになります。自分の手なら大丈夫というわけですから、それは口の中の触覚が自分の手だと安心でき心配ないというようなことがわかっているわけです。だから、他人の手や食物が入ってくるのが嫌だということで、拒否していることになります。ですから、過敏と拒否では、対応を変える必要があります。

 脳性まひの重症心身障児のような子どもたちは、過敏を持ち、この過敏の除去のために歯肉マッサージなどをやります。それは口腔ケアにつなげます。歯肉マッサージに慣れることによって、歯磨きや、歯科治療、口腔ケアがやりやすくなることにつながります。

 しかしながら、子どもが口腔内に指を入れられることを拒否している時に、口の中に指を入れられると、もっと嫌になるわけです。嫌なことというのは何回もされると、もっと嫌になる。こういうことをしばらくしていると、だんだん拒否反応がなくなります。実際に、脳性まひの子どもたちが口腔ケアをしやすくなるわけです。要するに慣れるわけです。拒否の場合はどうなるかというと、慣れるということは、表現を変えると、抵抗しなくなり諦めるということになるわけです。歯磨きなども、最初の頃はそうかもしれません。お母さんに一生懸命マッサージされると、最初は一生懸命嫌がります。でも、首を振ってもどうしてもやめてくれない、そうなるともうじっとしていたほうが早く終わるかもしれないと考え、無反応になります。そういうことも場合によってはあり得えます。もちろん、その子どもによって違いますから、その状況を見ていかなくてはいけません。だから、過敏についても一番重要なことは、自分の指やおもちゃをちゃんと口に入れられるということであれば、「過敏」ではなくて「拒否している」と考えていけばいい、ということになります。そのような場合には、外から指を突っ込むよりも、おもちゃが口に入るのなら、おもちゃから、他のものへ広げていくということを考える方が、スムーズにいくということになります。

 

 話を少し変えて、乳児の食べることの発達について考えてみましょう。みなさんのお子さん方は、乳児期を過ぎている子どもたちが多いと思いますが、乳児期の子どもたちが、どのような発達をしていくのでしょうか。

まずは、哺乳している時期、離乳食を食べる時期(離乳期)、そして幼児期になります。食事からは、母乳やミルクを飲む時期、これは離乳食と母乳などを飲む時期、そして基本的には少し柔らかめかもしれないですが、大人に近いものを食べる時期になります。摂食障害は、哺乳期にも多いのですが、この時期には比較的問題がなく、離乳期に起こってくる場合もあります。

いずれにしても、大きな変化のある離乳期は大切で大変な時期です。離乳期というのは、0歳の時ですが、この時期の中でキーワードとなるのが、「楽しく食べる」ことと、その隣り合わせにある「自分で食べること」になります。自分で食べることは、忘れられがちですが、非常に大切です。自分で食べるのは何かというと、言葉の通り自分の手で食べることです。乳児期には、この自分で食べる意欲を育てていかないとなりません。

 乳幼児期の摂食障害を持つお子さんを持った皆さんが、苦労した子どもの乳児期を振り返ってみると、「自分で食べる」ということはあまり意識せず、「どうやって上手に食べさせるか」、そして「どうやってたくさん食べさせるか」ということが、中心ではなかったかと思います。でも、この時期は自分で食べるということも育てる時期でもあります。

それでは、乳児がいつから自分で食べるかというと、およそ生後56カ月からです。このころから自分で食べることができる時期になります。まさに自分で食べるこの時期の食べ物の代表的なもので言えば「赤ちゃんせんべい」や「たまごボーロ」、もちろんほかのものでもかまわないわけですが、いまは卵アレルギーの人たちも多いですから、たまごボーロではなくて、別の○○ボーロなんてものになるかもしれません。

これらの何が普通の離乳食と違うかというと、固形物であるということです。固形物を食べさせることが、自分で食べるには大切だと考えています。それでは、どうして固形物でないといけないのでしょうか。離乳食について書籍を見ると、この時期はペースト状のもの、粒のないものと書いてあります。これは別に悪くはありませんが、固形物とペースト状の離乳食を併用していく必要が基本的にあります。自分で食べるために何故このようなものが必要かというと、ペースト状のものは手で持てないからです。これは極めて当たり前のことで、我々もペースト状のものを出されても、手ですくって上手に食べられる人はいません。そこでスプーンを使うわけです。ではスプーンが使える時期は、いつかというと、およそ1歳くらいです。もちろん上肢の発達に問題がないということが前提ではあります。子どもにとって、スプーンで溢さずに食べることはすごく大変です。まずすくい、上手に持つことも必要なります。赤ちゃんはスプーンを握って持ちますから、それですくって口までこぼさずに持っていき、食べ物を口に入れて、そのあと口から抜くという作業をしなければなりません。それが非常に難しいわけです。スプーンより若干簡単なのはフォークです。フォークの場合は、刺しておけば、すくうという動作はいらなくなります。また口へ持っていく途中でこぼすということは、とりあえずはなくなります。ですから、口まで持っていくのは、フォークの方が当然のことながら簡単になります。でもフォークは、離乳期では刺せる食物がないということです。刺せるものとなると、ほどほどの大きさが必要になります。例えば、芋みたいなものをフォークに刺しておいて、0歳の子どもが食べられるかというと、それはちょっと無理です。でも固めのものじゃないと、崩れたりするので、実際問題フォークで刺せるものはなかなかありません。

 それでは自分で食べるには、何かといったら、「手づかみ」です。当たり前のことですが、道具を使うより簡単なことです。手づかみで食べられるものが、赤ちゃんせんべいやボーロのようなもとなるわけです。また手づかみでうまく食べられない子どもが、自分でスプーンを使い食べられるはずがありません。ですから、スプーンで練習するよりも、手づかみで食べる練習をたくさんして、それで上手になってきたら、フォークやスプーンで食べられるというステップを踏みます。

 では、現実ではなぜスプーンで食べる練習をたくさんするのかということになります。摂食障害のある多くの子どもは、スプーンの練習に、たくさん時間を割いたと思います。それは、離乳食がペースト状であるからともいえます。話がぐるぐるまわってしまいますが、ペースト状のものを食べるにはスプーンでないとできないから、スプーンであげる。そうすると、さっき重要であるといった「自分で食べる」ことができなくなります。そして「食べさせてあげる」、子ども側からいえば「食べさせてもらう」練習となります。

食べるということで話していますが、食べることは栄養を取る意味での食べるということ以外に、運動の発達、その中でも上肢の発達にとっては、一番いい練習になります。リハビリテーションにおける作業療法でも、おもちゃで楽しく遊ぶ、積み木を重ねる等での練習ももちろん悪くはないのですが、こういうことが苦手な子どもにとっても、食べるということを通して、より生活に近いところで上肢機能の発達のための練習ができます。積み木を「積み重ねて楽しい」、「崩して楽しい」と思えるのは、より高いレベルが要るわけです。それ以上に食べるというのは、それでおいしいなど、いろいろ感じられるわけですから、上肢機能の発達に食べるということを利用しない手はありません。食事を全面的に利用し、「自分で食べる」ことを練習します。そのチャンスを作るためには、固形物を食べさせなければいけないということになります。

 

 最初の話に戻りますが、重症心身障害児の食物形態は、ペースト中心のようになります。なぜこのようにペースト食が広まったかというと、重症心身障害にとっては、誤嚥の心配があります。誤嚥があると、気管に食物が入り、ここから肺炎になり体調を悪くし、場合によっては命にもかかわりますので、なるべく減らさなくてはなりません。そのために、少しでも安全な、ペースト状の食物形態ということになります。粒状のものが入ると、食べにくかったり、気管に入りやすくなったり、むせやすくなったりするようなこともあります。それはその通りです。さらさらとしたものに粒状のものが入ると、慣れないとその処理がうまくできなくて、誤嚥につながるということがあります。それで、重症の子どもたちにはペーストなどが勧めらます。

そうはいっても、あまりペーストばかりにしていると、この食物形態に慣れてしまいます。基本的に子どもは、新しい食物を嫌いです。新しいものにチャレンジしてみるというのは大人になっての考えであり、子どもは食事に関しては、あまりチャレンジしようとは思いません。それは食事に関しては、新しいものにチャレンジすることは、危険があるかもしれないからです。変なものを食べることは、毒が入っていたら危険で怖い、置いてあるものがよくわからないものであると、誰かが保証してくれないと心配になります。子どもにとって、それを一番保証してくれるのは、お母さんや普段食べさせてくれる人になります。その信頼関係がすごく重要になります。こういう点からも、お母さんや食事を介助してくれる人とのあいだで、楽しく食事を食べないとなりません。そうでないと、また嫌なものを持ってきたかなとか思われてしまうかもしれません。親としては危険なもの、嫌なものを与えているつもりは全くないのですが、新しいものに対して、危険があると感じては困るわけです。このようなことのために、食事における信頼関係をいつも作っておく必要があります。

 

 話がずれてきましたので、もとに戻します。

摂食嚥下障害がある場合には、誤嚥や肺炎などを起こすことが多く、それを避けるためにペースト状のものが比較的いいと言われています。では、どうしてペースト状のものがいいのでしょうか。もともと摂食嚥下障害に対する対応は、子どもたちのところから始まりました。それが高齢者に拡がりました。今は高齢者の方の人口が多く、障害を持っている人も高齢者の方が圧倒的に多い状況です。高齢者では、ペースト状の食べ物が、誤嚥しにくいということは、基本的にその通りです。そういう人たちがペースト状の食物形態やその他の選択も本人が、それを食べたければ、それを優先すればよいと考えます。粒状のものを食べるとむせやすい、ペースト状の物がむせにくいから、ではこういうものを食べましょうと本人が選べば、それが一番です。50歳すぎて食べる機能が進んでいくわけではないので、その状態を維持し、それ以上落ちないようにするということを目標にすることになります。

 しかしながら、子どもたちはそうではなく、ペースト状のものから、その先の固形物へと上がっていかなければならません。

その前に、なぜペースト状のものだと誤嚥しにくいかというと、自分のことを考えてみて下さい。水などを飲み、むせるときは、どういう時が多いかと考えると、頭の中が食物や水分についていけないときです。ようするに、食物がもう少しゆっくり喉へ入ってくると頭で想定しているのに、思ったより早く喉に入ってくることや、量が多く入ってくるとむせることになります。このとき、ペースト状のものだと、予想よりゆっくり入ってきます。水と思っているより、少し時間に余裕があるので、時間の後ろ倒しの修正は可能となり、むせずに済みます。時間は、前に修正できないので、誤嚥しないで済みます。ですから、ペースト状は比較的誤嚥しにくいともいえます。

 子どもの食べる機能は進歩していかなくてはいけません。ペースト状のものを重い子どもたちにも同じように食べさせていくと、これに対して慣れてしまいます。慣れるから上手になるかというと、ペースト状のものは上手になるかもしれません。しかしながら、ペースト状以外のものは、下手になる可能性があります。もしくは、ペースト状以外のものとなると、新しいものが入ってくることになるので、感触が不快に感じられるかもしれません。反対に一定のものばかりに慣れると、そこからなかなか広がりません。それは、年齢が高くなればなるほど、長期的に継続されていので、そのような傾向が強くなります。少ない物しか食べない場合は、そこから徐々に広げていくことが必要です。どのように広げられるかというと、チャレンジしていくことの楽しさを感じてもらうことです。これも楽しさのひとつです。例えば固形物だったら、「これはちょっと変わっていて、おもしろいぞ」とか、「今日はペースト状のものを選ぼうかな」とか、「今日はこっちを選ぼうかな」などと考えると楽しくなります。我々でもそうです。毎日同じものを食べていれば、いくら好きなものでも、飽きて嫌になります。そういう部分も、人は持っています。チャレンジする部分と、新しいものを警戒する部分の両方を持っているので、このチャレンジしていく部分もうまく生かしていくことです。

 自分で手を出して食べようとするというチャレンジは、自分で食べるということにつながるので、手で食べられるものを用意しておく必要があります。先にも述べましたが、今の離乳食の本を見ると、離乳食初期となると「〇〇をすりつぶしたもの」等全部おなじような形態が載っています。この時期はペースト状の形態のものが、代表的です。その後「ペースト状のものから、刻んだもの等へということも、その時期の代表的なものであることは間違いありません。

しかしながら、このような物を並べるだけでは、不十分です。他にも同時にいくつかのものがあって、それを子どもが選択することが大切です。親も今日は何を食べたいかなとか、どこに手を出したいかなどと、子どもとコミュニケーションを取りながら考えます。極端にいえば、大きすぎるものを口に入れて、飲みこめないから吐き出すことも、大切な経験になります。もちろん意識して頻回に吐かせるということではありません。それが非常に嫌な経験となってしまいます。危険なものを感じるという意味で、たまには仕方ないと、このようなことを考えるということです。様々な食物形態を危険のない範囲で経験させていくということです。

 

 摂食嚥下障害があると、食べるための道具の話で、スプーンはこのように使いましょうという指導もよくあると思います。それは何のための指導かというと、食べさせてもらうための指導です。大人にとっては食べさせるための指導になります。例えば、スプーンのボールの部分はあまり深くないものの方がよいとか、あまり大きくないものがいいとか、それはその通りです。これは食べさせてあげるときに便利なもの道具です。スプーンを使って自分で食べるのは、もっと先の話です。年齢的には、だいぶ先の話になります。ですから、食べ始めの時期は、スプーンを積極的に勧めずに、ともかく手づかみで食べられるようになり、その先にスプーンがあります。

 

 もう一つ実際的なことでとしては、摂食嚥下障害があるときになかなか食べる量が増えないことがあります。摂食嚥下障害があるときに、楽しく食べる事は大切です。そのような時に、例えば、200グラムを1回の食事の量として必要量にした場合に、十分食べられないため経管栄養をしている状態だとします。そして30グラム程度を口から食べられるとします。このような場合、何が目標になるかというと、少しでも多く食べる事が目標になります。例えば、100グラム食べられれば、必要の半分の量になるので経管栄養カテーテルが抜けるかもしれないということで、少しでも多く食べる事が目標になります。しかしながら、頑張ってもなかなか先に進めなません。なぜならば、お母さんはここで100グラムを食べさせるために一生懸命頑張ります。頑張ると、最初の数口は子どもが楽しく食べても、途中から苦痛になってきてしまいます。そして最後は子どもが嫌がったけれど、なんとか70グラムまで食べられましたとなります。今日はもっと頑張って100グラムまで食べられましたとなります。でも子どもが、食事の後半にいやいや食べていたら、この先がないと考えます。それは食事が楽しくなかったことで終わるからです。これを30グラムだったら苦痛なく楽しく食べられれば、それで今日は終了かなと考えて、そこでやめてあげることです。そうすると、食事が楽しいので、その次のときにもうちょっと食べたいかなと子どもたちは進んでいくわけです。

目標を100グラムというところに設定すると、30グラムでは3分の1にも満ちません。これではお母さんは駄目だと思うのが当然で、何とか50グラムを食べさせたくなります。最初のうちは少し楽しく食べていても、最後は苦痛になります。それでもなんとか食べさせる、最後の一口を食べるまでと毎日食事を与えていると、最後には「もうこの次は食べたくない」という印象が子どもたちに残ることになります。

 こういうのは、勉強も同じことです。子どもに文字を教えるときなどは、よくフラッシュカードを使って遊びながら教えます。この時の教え方のコツの1つは、子どもが飽きる前にやめるということです。子どもが飽きてきたらやめるのではなくて、飽きる前にやめる。これはいろんなものの教え方の1つのコツです。普通は親としては、一生懸命頑張ってそろそろ飽きてきたからやめましょうということが多いです。もう少し上手な教え方というのは、そうではなくて、もっとやりたがっているときに止めることです。次にまたやりたいなということにつなげることです。ゲームも簡単に全部最後までできると、満足してしまうより、できそうでできないのが、止められないことにつながります。今のゲームはもっとうまくできていますから、微妙に満足できないようにできていて、わくわくする部分と満足する部分などが織り込まれて、子どもたちがなかなかやめられないことだと思います。ゲーム以外でも、連続ドラマで次に続いているドラマだと、次も見なくてはと義務的に見たりします。ただ、一回一回が完結するものでは、今日は他のことがあるから見るのをやめようか、ということにもなるわけです。

このようなことを考えると、「次につながる期待」ということが大切であるということがわかると思います。30グラムを次につながる30グラムとして、無理せずにやめておく、ということが必要になります。これでは経管栄養が外せる量までいかない、と思うかもしれませんが、こうしていくと、食事の楽しさを感じて意欲が出てきます。意欲が出てきたら、今度は空腹になると、その意欲・食欲が出てきます。そうやって楽しめることができるようになったら、本格的に注入量を減らすことを考えればいいと思います。栄養を減らすと、あーお腹が減ったなと本人が感じるということです。実際には、無理すると体調を崩すことがあるから、よく主治医などと相談しながらやっていくということが必要ですが、なかなか主治医が、このような考え方をしてくれないこともあります。

 

 もうひとつ、よく勧めているのは、ストローです。実際には「マグマグ」を勧めます。ストローで上手に飲めるというのは、およそ一歳半くらいですが、そういう時期を目指して勧めています。

 なぜストローがいいのか、特にストローの中でも「マグマグ」がいいかというと、一つは持ちやすい形です。これは自分で飲めるということにつながります。摂食嚥下障害の子どもには大変難しいです。普通の持ち手がついているコップでも、障害者用のコップでも、子どもがこれをコントロールしてこぼさずに飲むのはすごく大変です。だからやはりこれも飲ませてあげる道具です。しかしながら、そのコップで人から飲ませてもらうのは、我々も経験的にわかりますが、大変難しいことです。大人でも呼吸を合わせなければ、すごく難しいことは、やってみればすぐにわかります。だから、自分で飲める可能性のある子が目指していくのは、マグマグのようなものを早い時期から持たせていくのが大切になります。

細かいことでは、マグマグをさかさまにすると飲めないとかもちろんありますが、それでもなにがいいのかというと、投げ出されてもあまりこぼれないということです。投げ出されても、こぼれる量はわずかです。普通のコップを投げ出されたら、周囲はぐちゃぐちゃになりますから、いつも介助の手を緩めることができません。それに比べてマグマグならば、まわりが安心感を持てます。先ほど述べたペースト状のものも、投げ出されると大変です。でも、赤ちゃんせんべいなら、投げ出されてもそれほど部屋のダメージは少ないという安心があり、子どもに任せておけることになります。それが自主性、自分で食べるということにつながります。楽しく食べると同時に、自分で食べるということを引き出すことが大事なことですから。

 我々でも、人から食べさせてもらうほうが、自分で食べ物を口に運ぶよりおいしいと感じる人は、例外だと思います。自分のペースで、自分で食べるのが、圧倒的に美味しいと思います。自分で食べることは、自分のペースで食べられるということにつながります。

また食べているときに上唇を触られたりしたら嫌ですよね。食事介助のようなことも、なかには必要な場合もありますが、唇の介助は、重症児でなければほとんど場合において不要です。自分食べる事は難しく、介助してペースト状のものを食べるような重症の子どもたちを見る場合には、唇や顎の介助が必要な場合もあります。

 

 そのようなことから、摂食嚥下障害において、重症児とわけて、軽い子どもたちへの対応は、考えないといけないと思います。そして知的障害の子どもたちも同じようなことが言えます。もっと気持ちの問題を重視していく、食べたいという意欲、自分で食べるという意欲を生かした対応ということになり、そうしないと、うまくいきません。

 乳幼児の摂食障害について、全体をざっと話しましたが、時間になりましたので、私の話はここまでにします。



※本文の無断転載・転用を禁止いたします。