2009.10登明通信

平和と愛のマンガ
『焼けたロザリオ』 
 
●ニンゲンの本性を見つめよう
 今年(2009年)の9月に、聖母の騎士社から珍しく1冊のマンガの本『焼けたロザリオ』が出版された。
 これは東京のマンガ作家の塩浦信太郎さんが、私を主人公にして、原爆と、平和と、聖コルベの愛を描いた、大人も親しめる作品となっている。
 20年ほど前、1986年頃だった。厚い表紙に、ザラ紙のマンガ本で、最初のページは、カラーの体裁で、『ロザリオの祈り②』が出た。一般向けに好評だったが、その後、出版社の名前がなくなり、絶版となっていた。
 今年(2009年)5月、ふと、私はこのマンガ本を更めて手にして、なぜか非常に心引かれるものがあった。マンガの絵自体が今の時代の線のタッチと異なり、何となく昔なつかしいレトロな感じがする。私の家もこの絵の通りだったし、長崎市本河内のルルドも出てくる。ゼノ修道士や、神学校校舎、父親の故郷である黒崎教会の絵もある。黒崎から便乗したポンポン船は全く絵の形をしていた。
 特に原爆の部分は40ページにもわたって、事細かに、細部が描かれている。アウシュビッツでのコルベ神父の有名な身代わりの場面もある。
 これらのマンガ絵のページをめくるとき、「捨て難い」と率直に思った。
 来年(2010年)は、被爆65周年を迎える。この本を一部手直しして発行できないか。その思いが、ふつふつと湧いてきた。
 マンガを描いた塩浦信太郎さんとは、取材以来、疎遠になっていたが、彼からは毎年、年賀状が届いていた。早速、電話をかけてみると、即、電話がつながる。お互いに心が通じ合い、塩浦さんは積極的に動いてくれた。版権の問題も片づき、出版は聖母の騎士社で発行する見通しになった。
 6月下旬、塩浦さんが長崎へ来られた。空港に出迎えたとき、一瞬にして彼はわかった。忘れていなかった。
 7月中に最後の部分を追加し、コルベ神父の身代わりの場面をカラー・ページに描き変えて、瞬く間に版下は完成した。7月の終わりに、再度、塩浦信太郎さんが長崎へ来られる。最後のツメの打ち合わせは、4度目に入院した私の病室だった。がんの痛みを抱えた私は、この本が一刻も早く出版されるよう望んだ。
 本の題名は『焼けたロザリオ』に決まる。何を意味するのか。昭和という時代に、日本国民が受けた最大の苦しみは原爆だった。原爆の地、浦上はカトリックの聖地と呼ばれた。巨大な天主堂は崩壊し、多くの信徒が死傷し、多くのロザリオは燃え尽きた。
 しかし、いかに苦難が襲いかかろうとも、真理への憧れと、生きる力と希望は失わない。本当の平和は何処から来るのか。このマンガ本の主題は、原爆は終わりではなかった。原爆の後にも、大量殺戮の強制収容所があり、コルベ神父の身代わりの愛がある。愛まで届かなければ、人類に救いはない。マンガに登場する人物のセリフに、一縷の願いが込められている。
 「戦争は、人間が敵という存在を作り出した瞬間から始まる。もし、あなたが相手を兄弟として受け入れるなら、そこに思いやりの心の芽が開くでしょう。愛の存在するところに、敵はいないのです」。マンガの副題には『原爆を生き抜いた少年の数奇な運命と新たな心の世界』とある。
 8月には印刷が始まった。9月に発売となる。こんなに早く事が運んだのも、理由がある。それは本の最後のページを開けばわかるだろう。
 
  
●田川も小崎も同一人物です
 物語は、田川幸一少年(ここで私の本名が出てくるわけです)が、両親の出稼ぎによって遠い北朝鮮で生まれて父親と、まだ見ぬ「ニッポンへ一緒に行きたいな」と約束を交わす。ところが父親は現地で病気で亡くなった。一人っ子の私は母親と、母の古里、長崎市・浦上に帰ってくる。この辺の、マンガの絵が、昭和初期の雰囲気が出ていて、何とも言えないんです。
 やがて時代は戦争に突入し、私は兵器工場で働くようになる。
 17歳。原爆の朝の出来事は、未だに忘れない。母と一緒に、その朝、食事を取って、「では、行ってくるね」と、手を振って別れた。それが母を見た最後の姿になろうとは! たまんないよ。こんな悲しみは。家は爆心地から500メートルの近距離だった。夕方、家に帰って見ると、家は燃え尽き、母は吹き飛ばされて行方不明となる。愛する母親の遺体も拾っていない。
 「戦争は、憎い。原爆は、イヤだ」。その時、私、田川少年は天を仰いで嘆き、廃墟の瓦礫にポタッポタッと涙をこぼしたよ。「カアーチャン」。呼んでも母は返ってこない。(この辺の、絵の表現に涙をそそる)
 雨の降る日だった。傘も持たず、ずぶ濡れの少年は、かつて母からよく連れられて行った聖母の騎士へ、トボトボと向かっていた。ゼノ修道士から食を与えられ、着替えさせられて、「そのまま中へ入っちゃった!」
 やがて田川少年は、修道士となり、『小崎登明』と名乗るわけです。人生って、不思議やなァ、思います。
 なぜ、小崎か、って? 修道士の道に入ったとき、『トーマス小崎』(日本26聖人の中の15歳の聖人)の名前をいただいた。昔のキリシタン武士たちは、『トーマス』の霊名を受けると、『登明』と漢字に変えて使っていた。私もそれに倣って名乗っている。
 長崎で平和といえば原爆だが、被爆を語る場合、ただ単に被害や破壊力など、物理的な状況だけ視点を当てていいのだろうか、と常々思う。実体験の中で生きたニンゲンは、どのような心情だったのか。精神面から人間の本性に迫りたい、が私の見方である。
 こんなに沢山、人間が死んでいいのか、キズついていいのか。私はトンネル工場に居たおかげで全く無傷だった。多くの死傷者の間を歩いたとき、(なぜ、自分が生きているのか、本当に不思議に思った。と同時に何やら誇りさえ感じた)のを覚えている。
 「人間の弱さ、もろさ。困難が来れば逃げる。助けを求める手を振り払った悲しみ、仇なる敵は許せない。これがニンゲンの本性だ。今も、それが心のキズとなって、残る。それらの心が失せなければ、平和は来ない!」
 原爆だけで、マンガの物語は終わらない。やがて、アウシュビッツ強制収容所の、コルベ神父の身代わりの愛と「いのち」の大切さ、平和への行動につながっていく。愛まで届かなければ、人間に救いはない。
 「ここで、コルベ神父の、すばらしい身代わりの愛に出会うわけです。ポーランドへ行て、命を助けられた老人に出会ったことは、先月号に書きました。それが、マンガの本に、カラー刷りで出ているわけです」
 私は命を助けられた老人から、コルベ神父の愛を教えられ、「私にも愛をください」と固い握手をした。
 いのちと愛のパワーを受けた私は、原爆や聖コルベの愛の語りべとなり活躍していたのだが……「その結末は、本の最後のページにあります」
 
  
 
 
 
 
 

写真●マンガ「焼けたロザリオ」抜粋 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真●背景はコルベ神父、手に持っているのは「焼けたロザリオ」
撮影=石田謙二
 
●生きる意味に悩む日々もあった
 77歳の喜寿までは、元気を与えられていた。ところが、78歳になって、突然、腎臓結核の再発といわれ、保健所に通告され、強烈なクスリを飲まされた。そのため副作用で、不眠、高血圧、無気力に悩まされる。
 どん底の気分を味わい、落ち込んだとき、自分の人生を振り返った。
 「自分に生きる意味はあったのか」。泥沼に、はまった感じの毎日がつづく。今までは、「これも、やったぞ」「あれも、おこなったぞ」と、自慢タラタラで、拍手喝采を求め、誉められる声を望んでは、満足していた。
 だが、それらの痕跡は何だったのか。
侘しさと、空しさだけが、胸一杯に広がった。「ニンゲンなんて、結局は、何も、していない」
 この落ち込んだ気持ちを支えたのは「主よ、あなたの、働きです」の一言だった。私は何もしなかった。「主よ、あなたの御業を手伝った、だけです」。
私は慰められて、生き返った。もう過去は振り向くまい。
 今年、81歳の夏を迎えた。今、私自身が、このマンガ本『焼けたロザリオ』に出会って、「ああ、ここに、私の、かけがえのない人生があるではないか。主の恵みがあるではないか」と、胸は喜びにふるえている。
 ぜひ、多くの大人や子どもに、この平和と愛のマンガ本『焼けたロザリオ』を読んでいただきたい、そのように心から願っている。
 


原爆を生き抜いた少年の数奇な運命と新たな心の世界。コンベンツアル聖フランシスコ修道会修道士、
小崎登明(本名:田川幸一)の半生を描く。
定価1260円(本体価格1200円+税) A5判/128頁
ISBN978-4-88216-305-3 C0079
聖母の騎士社
FAX(095)823-5340
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