立花幹彦のWebページ 2019

 

 

 2012年から昨年までの7年間、私が道新スタッフブログに投稿した43本の記事を、ブログ管理者の了解を得て再編集し、この個人のWebページに移設しました。  

 

 私は現在「どうしん電子版」の編集・配信業務に携わっています。仕事柄、少しは文章を書けるようになりたいと思い、道新スタッフブログに投稿を始めました。あらためて読み返すと恥ずかしいくらい、つたない文章ではありますが、今まで数名からメールでご感想をいただき、それを励みに投稿を続けてきました。いちばん反響があったのは「三陸復興国立公園めぐる旅⑤」で訪れた、岩手県・大船渡のプレハブ横丁。やはりグルメは関心がありますね。あとは「 いまだ現役!41年前の電卓」です。この電卓は47年経過した現在も正常動作します。  

 

 新しい時代を迎え、また違った形で情報発信をしていければと思っています。ありがとうございました。

(2019年5月 たちばな・みきひこ)
 

 
     <  目 次  >

     18.10.29  北大金葉祭2018
     18.08.26  5年ぶりの三陸鉄道
     18.07.28  道新花火大会2018
     18.06.04  時計台休館に寄せて
     18.05.02  80回目の献血
     18.02.01  私に寄り添うスーパームーン
     18.01.09  ばあちゃんからの手紙
 
     17.10.31  北大金葉祭2017
     17.07.31  道新花火大会2017
     17.05.27  父の形見のカメラ
     17.05.04  春の羊蹄山に「再会」
 
     16.11.01  北大金葉祭2016
     16.01.03  オホーツクの初日の出
 
     15.10.26  北大金葉祭2015
     15.07.20  静かなドリームビーチ
     15.04.29  父の形見・42年前のカメラ
     15.03.23  「マイ雪形」 探しに出かけよう
     15.02.18  ガラケーを使い続ける理由
     15.01.08  「昭和90年」ひつじ年、万歳
 
     14.12.21  高倉健さんのラジオの声に
     14.11.20  献血続けて70回、苦い経験も
     14.11.02  北大金葉祭2014
     14.10.08  赤い皆既月食/青いLED
     14.08.27  献血69回、私は典型的なB型人
     14.07.28  大通から望む道新花火大会
 
     13.05.27  三陸復興国立公園めぐる旅①
     13.06.03  三陸復興国立公園めぐる旅②
     13.06.10  三陸復興国立公園めぐる旅③
     13.06.17  三陸復興国立公園めぐる旅④
     13.06.24  三陸復興国立公園めぐる旅⑤
     13.06.30  三陸復興国立公園めぐる旅⑥
     13.07.07  三陸復興国立公園めぐる旅(最終回)
     13.09.30  「あまちゃん」ありがとう
 
     13.07.29  道新花火大会2013
     13.03.11  アナウンサー仲間が「しのぶ会」
     13.01.28  デーブマンをしのぶ
     13.01.15  山崎直子さんに元気をもらう
     13.01.04  父なる斜里岳、母なる海別岳
 
     12.12.03  いまだ現役!41年前の電卓
     12.09.13  聴いてみよう!蓄音機の魅力
     12.07.30  道新花火大会2012
     12.02.16  柄前(つかまえ)師って?
     12.01.02  20年物・ビンテージPC
 

 

ご感想など、お気軽に
mtatibana@yahoo.co.jp
まで、メールをお寄せください

 

 

 

 


今年は幻想のカラーライトアップ 北大金葉祭2018

2018年10月29日  

 10月27日、28日に開催された北大の金葉祭(こんようさい)に、今年も行ってきました。北大の学生有志が主催するイベントで今回が7回目。今年は車両の交通規制が拡大され、夜間もイチョウ並木通りは「歩行者天国」となり、ライトアップをゆっくり見物できました。新たな試みとして「フルカラーライトアップ」も実施されました。外国人観光客もたくさん訪れ、今や一大イベントに育ってきました。  

▼金葉祭開催の1週間ほど前の10月22日、北大イチョウ並木を撮影しました。柔らかな日差しが、アスファルトに長い影を描いています。晩秋の、ほんの数日間だけの穏やかな小春日和に、イチョウ並木がその美しい姿を披露してくれます。私が最も好きな光景のひとつです。  

181030-01a.jpg  

▼さらに3日後の10月25日に撮影した一枚。いい光を捉えることができました。3日前よりも、少し黄色く色づいていることがわかります。イチョウの緑と黄色が絶妙で、私のお気に入りの一枚です。  

181030-02.jpg  

181030-10.jpg  

▼金葉祭初日の10月27日、札幌市は大雨による集中豪雨で一部地域に「避難準備」が出されました。金葉祭実行委のFaceBookには「現在豪雨のため屋台運営、実験工作、ステージの運営を中止しております」との記載が・・・。午後からは雨も上がり日も差してきたので、夜勤の前に金葉祭を見物しました。路面には大雨を物語るように大きな水たまりができています。  

181030-03.jpg  

▼金葉祭の会場に北海道テレビ放送(HTB)の人気キャラクターOnちゃん登場。家族連れに囲まれています。そういえば、Onちゃんの着ぐるみの色もイチョウみたいですね。  

181030-04.jpg  

▼今年の目玉イベントの「フルカラーライトアップ」。LEDのカラー投光器を使いイチョウを色とりどりに「着色」しています。来場者は、さかんに写真撮影していました。きっとインスタ映えするのでしょう。このフルカラーライトアップは18時30分と19時30分の2回、それぞれ15分間行われました。  

181030-05.jpg  

▼この写真は失敗作です(笑い)。シャッターが閉じる寸前、手ぶれで光の軌跡が写りこんでしまいました。でも結果として夜空に光線を放っているような、いい感じの写真になっています。こういうトラブルも写真撮影の面白いところ。思いがけない偶然の出会いのようですね。  

181030-06a.jpg  

 

181030-11.jpg  

▼フルカラーもいいけど、やっぱり通常のライトアップが落ち着きますね。「ホコ天」になったことで、昨年までのような学生さんの交通整理の必要もなく、遅くまで大勢の見物客でにぎわっていました。皆さんイチョウ並木を心ゆくまで満喫していました。  

181030-07a.jpg  

 この5年間、北大金葉祭を訪れ、このブログにアップしてきました。イチョウの美しさは変わりませんが、この学生主催のイベントは年々進化しています。来年のさらなるパワーアップを期待しています。毎年このイベントですてきな時間を過ごすことができ、私は若い学生諸君から活力を分けてもらっています。本当にありがとうございます。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


5年ぶり 三陸鉄道に乗って極楽浄土へ向かう旅

2018年08月26日  

 少し遅い夏休みをいただいたので、リュックひとつで岩手県に一人旅をしました。目的地は、かねてもう一度行きたいと思っていた岩手県宮古市の浄土ヶ浜海岸。  

 5年前、7泊8日で岩手県のルーツの土地を巡る旅をしましたが、今回もフェリー・鉄道・バスだけを使う、ぶらり一人旅。地図をみるとわかりますが、フェリーを使うルートは札幌から宮古へ南下する最短の経路です。  

180826-01a.jpg  

▼8月22日苫小牧21:15発のフェリーに乗船。翌日午前5時ごろ八戸港に入港しました。フェリーのデッキから美しい朝焼けを撮影することができました。  

180826-02a.jpg  

▼JR本八戸駅5:43発の久慈行の列車に乗車。午前8時ごろ久慈駅に到着しました。ここから三陸鉄道北リアス線に乗り換えです。三陸鉄道の赤と青にペイントされた列車を見た瞬間、感激して胸が一杯になり、不覚にも涙が出そうになりました。  

180826-03.jpg  

▼5年前に放送されたNHK朝ドラ「あまちゃん」のパネル。ドラマのなかで使われた「あまちゃんのテーマ曲」「潮騒のメモリー」などの楽曲を、mp3プレーヤーに入れてくればよかったと、ちょっと後悔しました(笑い)。  

180826-04.jpg  

▼「かいけつゾロリ大冒険号」。久慈駅のホームには、こんなラッピング列車も。見ているだけでワクワクしてきますね。  

180826-05.jpg  

▼北リアス線に乗って三陸海岸を南下。三陸鉄道の車両は窓を開けることができるので、こんな写真も撮影できます(子供は、まねしないでね)。  

180826-06a.jpg  

▼途中の景勝地では、運転手が列車を止めて撮影時間を取ってくれます。三陸海岸らしい、いい景色。  

180826-07a.jpg  

▼三陸復興道路の工事のための大きな橋台を建設しています。津波の被害にあった地域は本格的な復興に向け造成工事がなされているのがわかります。  

180826-08.jpg  

▼10時前に宮古駅に到着。5年前の北リアス線に乗車の時は、震災の影響で不通区間があり、途中でバスを乗り継ぎましたが、今回は全線開通していて快適な列車の旅でした。  

180826-09.jpg  

▼バスに乗って目的地の浄土ヶ浜に到着。暑い日だったので海水浴を楽しむ人もいました。こんなに暑くていい天気なら、水着を持ってくればよかったと、ちょっと後悔しました(笑い)。  

180826-10.jpg  

▼南国のような、きれいな海岸。海水も透明なエメラルド色です。紫外線対策なのでしょうか、子供なのに長袖で帽子をかぶっての水遊び。北海道の雪遊びみたいですね。でも無邪気で楽しそう。  

180826-11.jpg  

▼レストハウスから望む浄土ヶ浜海岸。まるで、壁一面に描かれた美しい絵画のようです。平日の午前中だったので観光客はほとんどいませんでした。  

180826-12a.jpg  

▼海鮮丼とビールを注文しテラスでいただきました。地元の新鮮な海の幸を堪能し、昼間からうまいビールを飲んで絶景を楽しむ・・・。こんな至福の時は、人生の中で、そうはないでしょう。極楽、極楽。  

180826-13a.jpg  

▼予定では宮古に一泊し、翌朝に宮蘭フェリーで室蘭に向かう計画でしたが、台風の影響で宮古発のフェリーが欠航(泣く)。急きょ三陸鉄道を北上し苫小牧からフェリーで帰札することにしました。帰りの三陸鉄道の車窓から、生まれて初めて2重の虹を見ることができました。「ダブルレインボー」と呼ばれる珍しい現象で、幸運の前兆とのことです。そうだとしたら本当にラッキー(笑い)。  

180826-14a.jpg  

 帰りの列車でのこと。本八戸駅で下車しなければならないところを、居眠りして乗り過ごし、次の無人駅の長苗代駅から引き返すことになりました。その列車の若い車掌は、列車の出発時刻が過ぎているにもかかわらず、私に折り返し列車の時刻を親切丁寧に説明してくれました。こういう優しくて頼もしい若者に出会うと、日本の未来はまだまだ捨てたものじゃない、と思ってしまいます。  

 翌日の午前中、台風が来る前の札幌に無事に帰還しました。駆け足の旅となりましたが、私はたいへん満足しています。帰宅すると妻は私に「ただ行って帰ってきただけじゃない。飛行機ならもっとゆっくりできたのに」と、つれない言葉。こういうフェリーと列車の一人旅の良さを、妻は理解してくれそうにありませんね・・・。  

 学生時代を含めて、岩手県の浄土ヶ浜訪問は今回が3回目。懲りずに、また行ってきます。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


夜空に輝く真珠とハート 2018道新花火大会

2018年07月28日  

 暑い日が続いています。「2018道新・UHB花火大会」が7月27日夜、豊平川河川敷で開かれました。仕事がオフだったので、昨年に続き河川敷まで足を運び、打ち上げ場所の間近で花火を撮影できました。  

 この10年近く、花火の撮影でもカメラは使いやすい安価なコンパクトデジカメ(Canon PowerShot)を愛用していますが、三脚は今も「SLICK Master Black」という、本格的な機材を使っています。20年以上前に購入したもので重量が3kg以上もあり、花火会場に持ち運ぶのに苦労するのですが、花火撮影に、この三脚が欠かせません。私にとって「花火は三脚で写す」といっても過言ではないのです。  

 晴天で微風。今年は10年に1度あるかないかという最高の条件でした。抜けるような空のためか「昨年よりも澄んだ花火の音」が、豊平川河川敷に響き渡りました。  

 

▼花火大会の開始直後。つぼみから花が咲き始めるよう。空の色とマッチしています。線香花火のような質素でちょっと控えめな感じが、とてもいい。  

180727-1.jpg  

▼花火の閃光(せんこう)が、細切れになっていて、まるで真珠のネックレス。

180727-2.jpg

 

▼今度はハートの形。会場の大勢のカップルに届いたことでしょう。

180727-3.jpg

 

※花火大会に係わった多くのみなさま、今年も素晴らしい「夏の夜空の大輪」を鑑賞できました。本当にありがとうございます。


(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


頼もしい用心棒「ぬりかべ」登場!?
 ~ 時計台休館に寄せて ~

2018年06月04日

 札幌市のシンボル、時計台が改修工事のため6月1日から10月末まで休館となります。休館になる前日の5月31日、道新の屋上から時計台を撮影しました。

 背後にそびえ立つ「さっぽろ創世スクエア」の高層ビルは、ほぼ建設を終え今秋のグランドオープンを控えています。世間では時計台の「がっかり度」がさらに増す?という心配もあるようですが、私はこの高層ビルを見るたび、漫画ゲゲゲの鬼太郎に登場する「妖怪ぬりかべ」を連想します。壁を使って敵の攻撃から味方を守る心優しい「妖怪ぬりかべ」。頼もしい用心棒の誕生を、時計台は心強く思っていることでしょう。

180531-1.jpg

 道東の網走生まれの私が初めて時計台を見たのは中学校の修学旅行。時計台は見学コースにはなく、走行中のバスの車窓から見ただけでした。バスガイドさんから「右手に時計台が見えますよ」と説明があり「こんな市街地の真ん中にあるんだ。思ったより小さいんだ」というのが当時の私の感想です。ほんの数秒間の出来事でしたが、その光景は今でもよく覚えています。

180531-2.jpg

 中学校の修学旅行から10年後、時計台の向かいにあるこの道新に入社し、以後この場所で働いていくことになるとは当時は想像する余地もありません。社会人になってから毎日のように見続けてきた時計台は、地方出身の私にとって、月並みな言葉ではありますが「都会の中の一服の清涼剤」となってくれました。

 道庁赤れんがのような威厳もなく、テレビ塔のような存在感もなく、ビルに囲まれこぢんまりとした時計台の、素朴なたたずまいが今も好きですね。6月中旬から足場を組み建物全体が覆われます。見えなくなって、あらためてその存在を実感することでしょう。秋になったら、きれいにドレスアップしたその姿を、私たちに披露してください。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


赤いトマトジュースが全身に染み渡る -80回目の献血-

2018年05月02日

 先日80回目の献血をしました。平成元年から献血を始めて今年でちょうど30年目。この10年間は、きっちり1年に3回、400mlの血を抜いています。400mlといえばビールの350ml缶と500ml缶の中間くらい。ちょっと多いような気もするけど献血後に(ビールじゃなくて)じゅうぶんな水分を補給すると、減った血液量は短期間で回復するそうです(ただし血液成分の回復には数週間かかります)。人間のカラダって本当によくできているものですね。


 私の最初の献血は、平成元年の2月。今も当時の献血手帳を保管しています。「昭和」という印字部分を手で消して「平成」のスタンプを押しています。時代を感じますね。30年を経て献血手帳は電子化されてカードになりましたが、表紙のデザインは今も変わっていません。


▼30年前の献血手帳(平成元年2月)

180502-01.jpg

▼現在の献血カード(平成30年4月)

180502-02.jpg


 5年前まで大通献血ルームは地下街のオーロラタウンにあり、献血後には無料のトマトジュースを飲んで自由に食べられるチョコレートをつまんでいました。不思議なもので、これだけで体調が回復するような気分になれるのです。大げさかもしれませんが、赤いトマトジュースが全身の五臓六腑(ろっぷ)に染み渡り、チョコレートの糖分が脳細胞を巡るような感覚です。

 大通西4ビル11階にある現在の献血ルームは、各種機器が完備されて申し分ないのですがトマトジュースとチョコレートがなくなったことが、ちょっと残念です。いつも献血のあとには近くのコンビニでこの二つを買っています。まぁ言ってみれば、おまじないのようなものですが、私にとって実は一番重要なアイテムなのです。

 30年間の献血のなかで、新しくできたものもあります。そのひとつが「献血の同意説明書」です。「献血に伴う副作用について」「個人情報の取り扱いについて」などが記載され、内容を了承した上で受け付けをする手順となりました。時代の流れですね。

 「同意説明書」には「採血した血液は、医療現場だけでなく研究目的に使用することがある」という趣旨の説明が書かれています。さらに「研究の内容によっては遺伝子を解析することがある」との記載もあります。ちょっと引いてしまいそうな内容ですが、私はそういうことも含めて自分の血液が世の中の役に立てばいいと思っています。もちろん「人助けはしたいけど、研究には使用しないでほしい」という人の意志も尊重され、同意を撤回することも可能です。


大通西4ビル11階の献血ルームから望む大通公園(平成30年4月30日撮影)

180502-03.jpg


 若い頃、雑談の中で「立花さんは、どうしてそんなに献血するんですか?」と質問され、「僕は血の気が多いから、少し血を抜いたほうがいいんだよ」と冗談を言っていましたが、今なら「50歳を過ぎたおじさんになっても継続できる、数少ないボランティアだから」と答えるでしょう。

 平成という新しい時代が幕を開けた頃に始めた献血ですが、平成が終わりに近づく今も続けているとは思いませんでした。今51歳を過ぎておおむね健康でいられるのは年に3回の献血によるところが大きいのかもしれません。この先の90回・100回という回数は目標にせず「無理はしない。でも、できることはする。」というスタンスで向き合っていこうと思います。

 昨今、特に若い人たちの「献血離れ」が深刻です。僕たちおじさん世代もがんばるから、若い人たちも献血に興味を持ってほしいと思います。長い目でみれば、きっといいことがありますよ。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


赤い皆既月食のち、私に寄り添うスーパームーン

2018年02月01日

 1月31日は、3年ぶりの皆既月食でした。この日はスーパームーン(地球に接近するため普段より大きく見える月)であり、さらに1月に2回目となる満月(ブルームーン)でもありました。この三つの天体現象が重なるのは、実に35年ぶり。

 当日、私はどうしん電子版にニュースを配信する夜勤デスクとして夕方から仕事をしていました。事前の天気予報などから、月食観察は難しいと思っていたのですが、幸運なことに、この「世紀の天体ショー」を自分の目で見ることができました。

▼完全に皆既月食となった22時ごろ、休憩時間に会社の屋上に行き「35年ぶりの天体ショー」を、コンパクトカメラで撮影しました。

180131-2209-IMG_2609.jpg

▼月をズームアップ。実は3年ほど前の2014年10月の皆既月食のときも、同じように会社の屋上で月を撮影し、このブログにアップしました。やはり赤い月でした。

180131-2211-IMG_2614.jpg

  明け方仕事が終わり、帰宅するタクシーの後部座席から見上げる月は、見事な「スーパームーン」に変身していました。 子供の頃、おやじが運転する車の助手席から月を見上げ、「お父さん、どうして月は、車を追いかけるように、ぴったりついてくるの?」と質問したことを思い出します。タクシーと同じスピードで私に寄り添うスーパームーンを見ていると、不思議と気持ちがリラックスします。おやじに質問した時の、あの月も、きっとスーパームーンだったのでしょう。

▼厳しく冷え込んだ明け方に自宅に到着。澄んだ西の空には、美しく輝くスーパームーンが私を出迎えてくれました。

180201-0521-IMG_2633.jpg

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


ばあちゃんからの手紙 ~孫から101歳の祖母への返信~

2018年01月09日

 昨年末、網走の101歳の祖母が天寿を全うしました。小さい頃からかわいがってくれた最愛のばあちゃんです。

 私は地元の高校を卒業後、札幌に進学しましたが、その後、就職や結婚などの人生の節目に、祖母は私に手紙を送ってくれました。仕事がつらかったとき、祖母からの手紙を読み返し何度元気づけられたことかわかりません。

 通夜に向かう高速バスの中でその手紙を読み返し、亡き祖母を思い出していました。告別式では親類から弔辞を読んでほしいと頼まれ、何も準備をしていなかったので、祭壇で手紙の文面を読み上げ、「ばあちゃん、たくさんの手紙、ありがとうございました」と感謝の気持ちを述べて故人を送り出しました。

 結局、私は祖母に一度も返事を書かずじまいでしたが、この弔辞が最初で最後の「ばあちゃんからの手紙の返信」となったのです。(←返信を出さなかったことを、50歳の今になって後悔しています)

 1916年(大正5年)生まれの祖母は、20代を日中戦争と太平洋戦争の戦禍の中で過ごし、29歳で終戦を迎えました。兄弟を戦死で失い、戦後の混乱期を苦労して生き抜き、8人の子供を育て上げました。

 私が子供の頃、祖母は「戦争ほどいやなものはない。幹彦が大人になってからも、ずっと戦争がない平和な世の中であってほしい」と話していたのを、今でもはっきり覚えています。私は小学校卒業の寄せ書きの「好きなもの、嫌いなもの」というコーナーに「嫌いなものは戦争」と書いたのですが、これは祖母の影響であることは疑いようがありません。(←こんなことを書く小学生はいませんよね)

 1991年、私が道新に就職する少し前に中東で湾岸戦争が勃発しました。その時の手紙には、社会人になる孫への励ましとともに「いやな戦争は、早く終わってほしいと思っています」とつづられていました。

 祖母たちの世代の多大な苦労や犠牲があり、その大きな反省を踏まえて、われわれは平和で豊かな生活を享受しています。昨今の北朝鮮ミサイルの脅威、争乱が絶えない世界の国々、命を粗末にする若者など、こんな今の世の中を祖母が見たら、いったいどう思うでしょうか・・・。

180109.jpg

 祖母が私に送った最後の手紙は、2004年5月のこどもの日。祖母は88歳でした。「もう文字もだんだん書けなくなってきました」と前置きしながらも、ひ孫の成長を願う言葉がしっかりとつづられていました。

 「私は小学校しか出られなかったけど、女学校に進んで、もっと勉強をしたかったなぁ」「年をとったらゆっくりして、若い頃に読めなかった本をたくさん読みたかったのに、目が悪くなってしまって残念だよ」と生前よく嘆いていましたが、孫の私からみると、生涯にわたり働き者で勉強家で、おしゃれなばあちゃんでしたよ。手紙は大切な思い出としてこれからも読み返し、ばあちゃんの苦労と愛情を、私は生涯忘れることはないでしょう。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


イチョウのハート すてきなライトアップ 北大金葉祭2017

2017年10月31日

 10月28日、29日に開催された「金葉祭」の見物に、今年も行きました。北大の学生有志が主催するイベントで今回が6回目。ここ数年は道新紙面や「どうしん電子版」にも掲載され、認知度が高まっているようです。

▼金葉祭が開かれる3日前の10月25日に北大構内を散策しました。この数日前に衆院選があり、当日徹夜で開票速報をしましたが、そんな疲れをリセットしてくれるような素晴らしい小春日和。金葉祭の開催を伝える看板がうまく景色にマッチしています。

171031-01.jpg

▼平日のため人通りも少なく、イチョウを満喫できました。昨今はSNSの「インスタグラム」という写真投稿サイトが人気で、投稿する写真は正方形が基本です。この写真は「インスタ映え」を意識した正方形の構図。まだ投稿したことはありませんが、「インスタ投稿」がどんなものなのか、試してみようと思います。

171031-02.jpg

▼並木通りの「道路のオレンジライン」も、イチョウ色に溶け込んでいるようです。

171031-03.jpg

▼農学部前の通称「農学部ローン」。クラーク像がある「中央ローン」ほどメジャーではありませんが、北大らしさが変わらず残る場所です。緑の芝部には紅葉の枯れ葉が敷き詰められています。中央左側の人物は紅葉をスケッチしている老紳士。きっと落ち着いてデッサンできるこの場所が、お気に入りなのでしょう。

171031-05.jpg

171031-ichou.png

▼金葉祭1日目の10月28日(土曜日)。イチョウ並木全体が黄色く色づき、落ち葉が北13条通りを覆っています。忙しく走る実行委員の学生さん。しゃんとした後ろ姿から若さや活気が伝わってきます。えんじ色のパーカーも良くお似合い。金葉祭のマークはきっと北海道大学のシンボルマークの学章デザインを意識したものなのでしょう。ペン先をイチョウの絵柄に置き換えた、しゃれがきいた、とても良いデザインです。

171031-06.jpg

▼金葉祭2日目、10月29日(日曜日)のライトアップ。誰が描いたのか「イチョウのハートマーク」がすてきです。たくさんのカップルがこの場所で記念撮影して、いい思い出ができたことでしょう。

171031-07.jpg

171031-ichou.png

 この4年ほど金葉祭を毎年見物し、このブログに掲載してきました。今年は例年にも増し外国人を含めた観光客が大勢来ていました。岩手県からツアーで訪れたという観光ガイドさんに話を聞くと、今は北大のポプラ並木よりもイチョウ並木のほうが人気があるとのことです。

 私が思う金葉祭の魅力とは、観光客が増えても営利を目的にすることなく、学生主体で地道に運営を継承していることです。出店で振る舞う豚汁やジャガバターに値札はなく、代わりに「美しいイチョウの鑑賞代」を募金箱に寄付します。

 今年は台風22号の影響で事前の天気予報は雨でしたが、台風の進路が少しそれたため、すてきなイチョウ鑑賞ができました。この原稿を書いている翌10月30日は、外は冷たい暴風雨。ラッキーでした。私にとって金葉祭はすっかりこの季節の風物詩となっています。これからも、ずっとそうであることを願っています。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


5秒間の光の軌跡に賭ける 2017道新花火大会

2017年07月31日

 弊社など主催の「2017道新・UHB花火大会」が7月28日夜、豊平川河川敷で開かれました。昨年は「大雨の影響で豊平川の水位が上昇し、観客に危険が生じる恐れがある」ということで、延期になりました。

 今年は午前中に雨が降っていたものの、夕方には上がり無事開催できました。仕事がオフだったため、4年ぶりに河川敷まで足を運び、打ち上げ場所の間近で撮影することができました。

 この数年間、デジタルカメラによる花火撮影を続けています。試行錯誤の末、花火撮影はシャッター解放時間を5秒間に設定するのがベストだ、という結論になりました。シャッターボタンを押した直後の、5秒間の花火の軌跡を記録するわけですが、もちろん事前に予測できるわけではなく、くじ引きのような「当たりはずれ」の世界です。今回は合計132枚撮影し、うまく撮影できた5枚を下記にご紹介します。成功率は3%程度。それでも思いがけないスナップが撮れるものです。

▼19時45分ごろ、花火大会の開始数分後のショット。まだ周囲に明るさが残っています。

170728-1946-IMG_1087.jpg

▼20時10分ごろ、花火大会の開始数分後のショット。まるで黄金の麦の穂のようです。今回の一番のお気に入り。

170728-2009-IMG_1141.jpg

▼20時15分ごろ、紫の閃光(せんこう)が美しい。周囲の暗さが花火を引き立てています。

170728-2013-IMG_1147.jpg

▼20時20分ごろ、上の青い光がハート形になっているのが、わかるでしょうか。

170728-2020-IMG_1169.jpg

▼20時28分ごろ、花火大会フィナーレの美しい大輪を捉えました。きれいな虹色の光が印象的です。

170728-2028-IMG_1188.jpg

 打ち上げの音や振動、風の感触や会場の雰囲気など、臨場感まで伝えられないのが残念です。年齢を重ねるたび、花火の魅力とは「引き際の潔さ」や「散り際の美学」のようなものではないのかと、漠然と考えています。人間の本能や感情に直に訴えるものがあるのでしょう。だからこそ、これだけの人が集まるのだと思います。そんな花火の魅力を「5秒間のスナップ」に凝縮して残していきたいと思います。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


父の形見のカメラ 春の羊蹄山に連れ出し

2017年05月27日

 5月3日、羊蹄山に写真を撮りに出かけたことを、前回のこのブログに書きました。また行きたいと思い、今度は父の形見のキャノンEFで羊蹄山を撮影しようと思い立ちました。

 父の形見は、今でもカメラとしては機能しますが、さすがに44年が経過し、レンズの絞り羽根が動かなくなったりと、ガタが出てきているので、今回はフィルム装填(そうてん)はしないことにしました。フィルム撮影はできずとも、最高の被写体の前に連れ出し、自慢の機械式シャッターを切ってあげるだけで、おやじの形見は喜んでくれることでしょう。


▼5月20日、キャノンEFを連れ出し、前回のブログの場所に行きカメラを構えました。前回の撮影から約2週間、手前の牧場はすっかり新緑に覆われ、羊蹄山の雪渓も小さくなっています。

170527_01.jpg


▼ファインダーで羊蹄山にピントを合わせます。レンズのフォーカスリングをゆっくり回転させていくと、「スプリット」という中心の円に、雪渓の細部がくっきりと像を結んでいきます。この手動のピント合わせこそが、今のカメラでは決して味わうことができないレトロな感覚です。同時にファインダーの隅々まで目を凝らし、フレーミング(構図)を決めていきます。右の目盛りの露出計で明るさが測定でき、下側がシャッター速度表示です。44年前の当時のカメラとしては最先端の機能。昔のカメラファンには、たまらなく懐かしいことでしょう。

170527_02.jpg

▼フィルムを通していないので、フィルムカバーを開けてシャッターを解放にして、レンズが結ぶ羊蹄山を直接見ることができます。

170527_03.jpg


▼原理的には「人間の目の水晶体と網膜」と同じで、上下左右が逆像でフィルムに感光されます。上下に2本ずつ平行に「フィルムが走る銀のレール」も確認できます。

170527_04.jpg

 ◆


▼帰り道、私が今愛用しているコンパクトデジカメ(キャノン PowerShot SX130)で、羊蹄山のスナップを撮影しました。今回の撮影で、一番のお気に入りです。程よい残雪で少しモヤがかかった羊蹄山。手前の古い小屋の存在や、その間の畑や木々も含め、写真全体に人間味や土着感が出ていて、春の雰囲気を醸し出しています。

170527_05.jpg


▲若い頃は、フィルムが高価でもったいなく、こういうスナップ的な写真は決して撮影しませんでした。デジタル時代になり自由度が増え、写真の好みは昔とずいぶん変わってきました。今度この写真を大きくプリントして、自宅のリビングの「24年前の羊蹄山」の隣に飾っておこうと思います。こうして並べると、やっぱり羊蹄山の雄姿は変わっていませんね。▼

170527_06.jpg

 今回2度にわたり羊蹄山に出向き、このブログを書きながら、わかったことがあります。それは「昔も今も変わらず、自分は写真が好き」という単純な事実です。好きなことを続けられるのは、それだけで、じゅうぶん幸せなんだと、この年齢になってやっと気付きました。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


春の羊蹄山 24年前の雄姿に「再会」 グーグルマップ頼りに

2017年05月04日

 20代の頃、私は写真撮影が好きで、特に小樽から羊蹄山周辺は、よく撮影に出かけていました。

 当時はデジタルカメラはなく、フィルム一眼レフでの撮影でした。ネガフィルムでの撮影が一般的でしたが、プロのカメラマンや商業写真家はリバーサルフィルム(ポジフィルム、スライドフィルムともいいます)を使う人が多かったので、フィルム代が高価でしたが、私もリバーサルフィルムで撮影していました。

▼お気に入りの写真は大きく引き伸ばして額に入れ、今でも自宅に飾っています。1993年の5月に撮影した羊蹄山のこの写真は、最も気に入っている一枚です。

170504-07.jpg

 数年前から「この写真は、羊蹄山周辺の、どのあたりで撮影したのだったかな?もう一度5月の残雪の頃、こんな羊蹄山を撮影してみたいな」と思うようになりました。撮影当時は、若気の至りで「いい写真を撮りたい」という思いばかりが先行して撮影場所の記録はなく、今では記憶にも残っていません。

 少し話がそれますが、先日、映画「LION/ライオン ~25年目のただいま~」を劇場で鑑賞しました。インドの貧困地域に生まれ、兄と仕事を探しに行く途中、5歳で迷子になりオーストラリアの裕福な家庭で養子として育った青年が、幼い頃の記憶を頼りに「Google Earth(グーグル・アース)」で自分がかつて住んでいたインドの家を25年ぶりに見つけ出すという、実話をベースにしたヒューマンストーリーです。

 この映画にヒントを得て、昔の羊蹄山の写真の、尾根や谷の位置、ふもとの町の場所などをもとに、グーグルマップで、当時のおおよその撮影場所がわかるかもしれないなと思い、航空写真に切り替えたり、拡大・縮小・ストリートビューなどを駆使して、撮影当時の記憶も頼りに、「この場所で撮影したのかもしれないな」という牧場エリアを特定できました。

▲グーグルの規定により、一般のブログに「グーグルマップ」を掲載する場合、上記のような「真上」からの表示のみ掲載が可能です。左上の「拡大地図を表示」をクリックし、その後、「ctrl」キーを押しながら、マウスの左ボタンを押してマウスを移動させると、3Dの立体表示が可能です。羊蹄山を地上から見た景色がわかるので、この表示モードで、当時の撮影場所を探しました。余談ですが、この3Dモードでグーグルマップを閲覧すると、世界中を航空機で瞬時に旅をしている気分になり、これだけでもじゅうぶん楽しめます。

 GWの後半、快晴に恵まれた昨日5月3日、スマホ片手に「その場所」に出かけてみました。

▼下の場所が、当時撮影したであろう牧場の全景です。この場所から見る羊蹄山は、残雪の白い輝きまでも含めて当時と変わらぬ雄姿でした。しかしながら、この牧場は2010年に宮崎県で発生した家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)流行などの影響もあり、一般人の立ち入りはできなくなっていました。おそらく24年前は立ち入ることが許可されていて、私はこの牧場のどこかの樹をアクセントにして、あの羊蹄山の写真を撮影したんだろうと思います。

170504-03.jpg


▼24年前の羊蹄山の写真と、今回の写真を拡大して比較すると、山の稜線(りょうせん)や残雪の分布などから、ほぼ同じ位置からの撮影であることが確認できます(上は24年前、下が今回の写真)。

170504-08.jpg

 24年が経過し、カメラはすっかりデジタルにとってかわり、人も、町も、私自身も、何もかもが変わっていくなかで、羊蹄山は変わることなく、その雄姿を私に見せてくれました。

 24年前の写真は、色補正やトリミング直しができない高価なスライドフィルムだったからこそ、集中して気合を入れ「真剣勝負」で撮影できた一枚であり、もしも当時デジタルカメラで撮影していたら、あの写真は撮れなかったと思います。24年を経て、あらためて「アナログ」の価値を再発見しています。とは言え、グーグルマップという「デジタル・ツール」がなければ、またこの風景に再会することもできなかったことでしょう。

 自然の偉大さ・時代の流れを実感しながら、「(若いころから)ずいぶん遠くに来てしまったな~」と、春の羊蹄山に話しかけている自分がいました。

文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


いちょうが一番よろこぶ日 北大金葉祭2016

2016年11月01日

 今年で5回目となる北大金葉祭(こんようさい)が10月29日、30日に開催されました。今年は、イチョウがちょうどいい見頃の金葉祭となりました。

 

▼開催に先立ち、4日前の10月25日(火曜日)早朝に、北大イチョウ並木を散策しました。イチョウ並木は、北大の北13条門からメインストリートに通じる道路の両側に並んでいます。上の写真は、その道路の中間地点から北13条門を捉えた一枚。秋のやわらかな光が透過する、見事なイチョウのトンネルです。

 

▼こちらは中間地点からメインストリート側の景色です。朝の日差しに照らされる、真っ赤な紅葉が印象的です。

 

▼29日(土曜日)の金葉祭1日目。今年はポスターの言葉どおり、イチョウ並木が一番の見ごろとなりました。

 

▼当日は少し肌寒い気温のため、金葉祭の本部テントには、あたたかい豚汁などを求める人の列ができていました。

 

 

▼本部テントでは、実行委員の学生さんが熱心にカボチャをくり抜き、ハロウィーンのキャンドルライトを作成しています。今年から、えんじ色の「金葉祭 実行委員」ロゴマークのおそろいのパーカー姿。かっこいい。

 

▼手作りキャンドルは、夜の本部テントの、おしゃれな盛り上げ役となりました。

 

 

▼午後6時30分、実行委員の学生らのカウントダウンで、イチョウ並木が一斉にライトアップ。見物客から歓声がわき上がりました。

 

▼私のような写真愛好家たちは、いいスナップを撮ろうと、道路に出てライトアップを撮影するのですが、一般車両が通るたび、実行委員の学生は「車が通ります」と、丁寧に交通整理をしてくれます。本当に頭が下がる思いです。大学も協力し、ほんの1時間でもいいので、車両の出入りゲートを北大正門側に移し、イチョウ通りを完全に歩行者天国にしてくれれば、ありがたいと思うのですが…。

 

▼まるで12月の大通り公園を想像させる美しさ。ホワイトイルミネーションの人工物とは異なり、こちらは、自然が奏でる芸術作品です。

 

 今年はポスターのキャッチフレーズどおりの「いちょうがいちばん、きれいな日」となりました。5回目となり、イチョウの見頃の予測も的確になってきたのでしょう。北大イチョウ並木の歴史を知りたくネット検索すると、複数のサイトに下記の記述が見つかります。

  「かつてこの北13条通りは、大正11年頃に植えられたサクラとカエデの並木であったが、病害などで枯死したり伐採され、昭和20年頃には姿を消した。今のイチョウは、昭和14年頃に植栽されたもので、当時は、サクラとカエデと小さなイチョウが混在した並木であった。サクラやカエデが姿を消したあとは、北大の発展に合わせるようにイチョウの並木も成長し、並木を形成した。夏は緑のトンネルを作り、秋は黄金色のトンネルに姿を変え、訪れる市民の目を楽しませている。」

 そうであれば、北大イチョウ並木は今年で77歳の「喜寿」を迎えることになります。金葉祭が始まってからこの5年間、自分の孫ほどの世代の学生に慕われ、大切にされ、北大のイチョウ並木は、この上なく喜んでいるに違いありません。

 こんなすてきなイベントを実行してくれる学生のみなさんに、私はイチョウ並木に代わって、このブログの見出し「いちょうが一番よろこぶ日」の言葉を、敬意を込めて贈りたいと思います。来年以降も楽しみにしています。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


オホーツクの初日の出 流氷館から望む

2016年01月03日

160103-00b.jpg 本年もよろしくお願いいたします。

 3年ぶりに故郷の網走で正月を過ごしました。おかげさまで天候にも恵まれました。

 網走市では昨年8月に「オホーツク流氷館」を全面建て替えしました(=写真右=)。昨年暮れには入場者が10万人に達し、網走の新たな観光スポットとなっています。 「流氷館」のホームページはこちらです。

 流氷館には、オホーツク海や知床連山を一望できる無料の展望台が設置されています。大みそかと元日に、この展望台から美しい風景を撮影することができました。

▼オホーツクブルーの空と海。左の知床連山、中央の海別(うなべつ)岳、右の斜里岳も、くっきり撮影することができました。「これぞオホーツク」といえる絶景です。写真からも澄み切った空気感が伝わってくることでしょう。

160103-01.jpg


▼斜里岳方面にズーム。斜里町へ続くなだらかなオホーツクの海岸線や、近隣の小清水町、さらに斜里岳のふもとの清里町までの「斜網平野」が一望できます。私が最も好きな景色のひとつです。

160103-02.jpg


▼夕方に場所を変え、市内の向陽ケ丘の高台から網走港付近を撮影しました。海岸には静かに波が打ち寄せ、暖かい夕日が年の瀬の街を優しく照らしています。

160103-03.jpg


▼こちらは網走中心部。街全体が雄大な斜里岳に包み込まれているようです。中心街をはさみ向こう側の高台(台町)の様子もよくわかります。右上に小さく写る建物は、私が3年間通った学びやです。

160103-04.jpg


▼元日の早朝、オホーツク流氷館に初日の出を観に出かけました。斜里岳は雲に隠れていましたが、東の空に昇る荘厳な朝日を拝むことができました。オホーツクの大地に黄金の光を降り注ぐ幻想的な光景です。太陽の形が「左右に翼を広げている鳥」あるいは「右側がくちばしの、飛び立つ白鳥」に見えませんか?羽ばたく2016年を象徴しているようですね。

160103-05.jpg

本年も皆さまにとって、よい1年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


北大金葉祭ライトアップ 雨のイチョウ並木もまた美し

2015年10月26日  

 今年も北大イチョウ並木が、金色に美しく染まる季節がやってきました。24日には、今年で4回目となるライトアップイベント「金葉祭」が開催され、仕事の帰りに立ち寄ってみました。  

▼10月22日の昼ごろ撮影したスナップ。小春日和の抜けるような青空のもと、イチョウ並木の鑑賞には絶好のコンディションとなりました。まだ緑が残る手前側の木々、そして奥に行くにしたがって黄色から赤に染まっていくグラデーション模様が美しい。道路のアスファルトに映る並木の影も含めて、まるで芸術作品を見ているようです。  

151026-01.jpg  

▼薬学部のそばの木々は、葉が赤く色づいています。橙(だいだい)色、朱色、紅色、深紅(しんく)・・・ さまざまな葉の色が、柔らかな秋の日差しの透過で美しく発色しています。  

151026-02.jpg  

▼今年の金葉祭は10月24日、25日の2日間。イチョウ並木の見ごろに合わせ、昨年よりも少し早い10月下旬の開催となりました。「いちょうがいちばん、きれいな日。」手作り感があり、いいポスターです。ポスターのイチョウの絵は、まるで実物のよう。背景の木々の葉が透けているのかと錯覚するほど上手に描かれています。  

151026-03.jpg  

▼24日の夜、仕事帰りに金葉祭ライトアップイベントを見学しました。あいにくの雨模様ですが、アスファルトに反射するライトのおかげで、イチョウの輝きは昨年よりも美しく感じました。  

151026-04.jpg  

▼雨のなか、来場者が安全に鑑賞できるよう、誘導ライトで交通整理をする実行委員の学生さん。終始よく通る声で毅然(きぜん)と的確に、そして誠実に対応する姿がとても頼もしい。北大の精神が、今の学生にもしっかりと受け継がれていることを垣間見た思いです。  

151026-07.jpg  

 4回目の金葉祭、たいへんお疲れさまでした。実行委員のみなさまによる飲食の振る舞いに、心も体も温かくなりました。ありがとうございます。  

 25日は札幌で初雪が観測されるほどの寒さと強風のなかでの開催でしたが、苦労して実施したイベントこそ、生涯を通じた友と出会う機会になり、「あのときは、寒くて強風の中の金葉祭だったね」と、ずっと忘れることのない大切な思い出になるものです。来年の開催も、楽しみにしています。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


海の日なのに 静かなドリームビーチ

2015年07月20日

 きょう7月20日は海の日。絶好の海水浴日和にもかかわらず、残念ながら、今年は小樽ドリームビーチに海水浴場が開設されません。

 私はドリームビーチへ自転車で15分程で行ける場所に住んでいます。例年この時期は、海水浴客でごった返すドリームビーチですが、今年はまったく様子が異なります。

▼昨年7月、海水浴帰りの女性4人が飲酒ひき逃げ事故の被害に遭い、3人が死亡し1人が重傷を負った現場。現在は歩道が整備され、多くの花が手向けられています。
150720-01.JPG


▼駐車場の入り口は閉鎖され、広大な駐車スペースは、がらんとしています。
150720-02.JPG


▼ビーチには、砂浜で日光浴を楽しむひとが数名。遠くにはプレジャーボートを満喫する若者の姿が見えます。いつもなら夏の定番「チューブ」の曲などが、スピーカーからガンガン流れていますが今年は静かです。今日は波も穏やか。浜風に乗って潮騒の音が心地よく響いています。
150720-03.JPG


▼浜辺を清掃するボランティアの姿も。暑いのに、みなさまお疲れさまです。
150720-04.JPG

150720-05.JPG


▼数日前にドリームビーチで撮影した一枚。ここは夕日撮影の穴場です。写真上部の中央の雲が「空飛ぶ恐竜」に見えませんか?海水浴場が設置されないのは残念ですが、写真撮影するには、ゆっくり、じっくりと浜辺を散策できます。
150720-06.JPG


※今年のドリームビーチは遊泳禁止です。くれぐれも遊泳することのないよう、お願いいたします。来年は安全で活気にあふれるビーチが復活することを、待ち望んでいます。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


父の形見・42年前のカメラで網走を写す

2015年04月29日

 昨年4月に実父が他界し、形見としてカメラを譲り受けました(=下の写真中央=)。「キヤノンEF」という1973年発売の高性能一眼レフ。画期的なAE(自動露出機能)を搭載した、当時の最先端機種です。

 まだ正常に動作します。レンズは50mmF1.4と28mmF2.8の単焦点2本。父が大事に使い、晩年は大切にケースに保存していたので、中古市場でもこれだけ状態のいいものは少ないと思います。今見ても美しくてかっこいい!!

150429-001.jpg

 私は写真撮影を趣味にしていますが、その原点は父のキヤノンEFにあります。中学の頃は、当時の最高位カメラ「キヤノンF-1」が欲しくてたまりませんでしたが、手が届くはずもなく、カタログを見るだけの憧れの的でした。この頃には「スーパーカー」のブームもありました。

 20数年前、社会人になってやっと手に入れたのが「キヤノンEOS630」という、オートフォーカス一眼レフカメラ(=上の写真右=)。状態のいい中古品を手に入れ、少しずつレンズをそろえていき、10年間以上、メイン機として使い続けました。使いやすく本当にいいカメラです。

▼先日、実家の網走で父の一周忌の法要を行い、その機会に形見のキヤノンEFにフィルムを通してみました。私自身、この10年近くデジタルカメラを使用しているので、フィルムを通すだけで緊張します。

150429-004.jpg


▼金属製でズシリと重いボディー。三脚を使用して撮影しました。42年前のものとは思えない精悍(せいかん)な顔つきです。

150429-002.jpg

▼シャッターやフィルム巻き上げ部分は機械式のため、今も正常動作します。ただレンズ内の「絞り羽根」という、光の量を調節する部品が動かないので、絞り開放(羽根が完全に開いた状態)のみの撮影です。電池を入れていないため内臓の露出計(光の量を計るセンサー)は機能せず、私の一眼レフカメラを露出計代わりに使い、カメラ本体のシャッタースピードをセットしました。おやじと私の一眼レフによる、二人三脚ならぬ「二台三脚」による撮影です。

▼キヤノンEFで、まだ湖面に氷が残っている春先の網走湖を撮影した一枚です。ピントが甘くプリントの仕上がりもイマイチですが、不思議と全体がレトロな雰囲気になっていて、なんとも言えない味わいがあります。

150429-003.jpg

 最近では新聞紙面に「iPhone6で撮影」のタイトルの見開き全面広告を見かけます。デジタルカメラを通り越し、写真はスマートフォンで撮影する時代になったことを象徴しているようです。いずれメガネや腕時計にカメラが組み込まれ、自分が見ているもの全てを記録すること(=ライフログ)が簡単にできる時代が到来するのでしょう。そういう時代だからこそ、おやじのカメラが余計にいとおしく、魅力があるものに感じてなりません。


 毎年、父の命日の季節に、形見のカメラで春の景色を撮影しようと思います。おやじがファインダーで見ていた風景を、私の心のフィルムに写し込むために。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


「マイ雪形」 探しに出かけよう

2015年03月23日

 今年の札幌市内は、例年より雪解けが早く、日々春の到来を実感しています。特に今冬は大雪に見舞われた地域が多く、なおさらに春が待ち遠しい人が多いことと思います。
 「どうしんウェブ」は、春の衣替えに合わせ、先週から全面リニューアルしました。引き続き、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

 さて、先週3月20日の北海道新聞夕刊紙面には、雪形(ゆきがた)の特集記事が掲載されました。「雪形」とは、雪解け時期の残雪模様を動物などに見立てたもの。北海道の春の風物詩といえます。
 記事中にも記載されていますが、シーニックフォト倶楽部(シーニックバイウェイ支援センター内)では、毎年「雪形フォトコンテスト」を実施していて、下記のホームページから過去の入賞作品が閲覧できます。コンテストの写真を見ているだけで、楽しい気分になります。
http://photoclub.scenicbyway.jp/snow/

 ニセコや大雪山系ではスケールの大きい雪形が鑑賞できますが、遠くの山々まで行かなくても、この季節は近所を散策してみると、自分だけの「マイ雪形」が見つけられるものです。
 私はJR星置駅の近くに住んでいますが、星置緑地からJRの線路をはさんだ斜面には、ちょうど今の時期、いろんな「動物さん」が隠れています。先日撮影した写真を紹介します。

▼シロクマさんが大きな口をあけて、獲物に飛びついています。
150323-01.jpg

▼▼▼拡大写真▼▼▼

150323-02.jpg


▼こちらは鳥の親子。親鳥が口伝いに、小鳥に餌を与えています。
150323-03.jpg

▼▼▼拡大写真▼▼▼

150323-05.jpg

 特に小さなお子さんをお持ちの親御さんは、子供を連れて「マイ雪形」を探しに出かけてみてはどうでしょう。想像力豊かな子供たちは、大人が思いもしない発見をしてくれます。きっと親子の会話も弾むことでしょう。

 何げない日常の景色の中にこそ、注意深く観察すると、いろんな発見があるものです。すてきな「マイ雪形」を見つけて、身近な春を再発見してみませんか。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


私がガラケーを使い続ける本当の理由

2015年02月18日

 ここだけの話、私は「電子メディア局」所属にもかかわらず、スマホやタブレットを買ったことがなく、従来型の携帯電話(いわゆるガラケー)しか持っていません。「2台持ち」の経験もありません。

 この2、3年くらい、会う人から「立花さんはどうしてスマホ持たないんですか?」「立花さんなら、スマホ買ったら絶対に夢中になりますよ!」などと言われ続けています。そういう質問には「僕は友達いないから、LINEとかFacebookやっても、つながる相手がいないんだよね」とか「自分もおじさんになって指先が乾燥してきたので、スマホのタッチパネル入力がスマートにできないんだよ」などと冗談交じりに答えています。

 先日の新聞には「ガラケー出荷台数、7年ぶりに前年を上回る」との記事が掲載されました。私を含めガラケー使用者の多くは「当然だよな」と思ったことでしょう。最近は「ガラケー回帰」や「従来型携帯の復権」の特集記事を多く見かけますが、この流れに拍車をかけたのが2013年に放送されたドラマ「半沢直樹」ではないかと思っています。40%を超える最高視聴率を記録し「倍返し」が流行語にもなった超人気ドラマ。主人公がさっそうとガラケーで会話するシーンはインパクト満点で「ガラケー=旧式電話機」というイメージを一掃したのでしょう。

          ◆

150218.jpg 私の愛機は「京セラ・K006」。通話とメールに加えて「有料携帯サイト 道新&道スポ+」の閲覧に使用してまる4年になります写真左=画面はハメコミ合成ではありません)。タフで故障もなく電池が長持ち。ボタンが押しやすく防水機能もあり、大きさと重さがちょうどいい。外はハードコート仕様で傷がつきにくく、ヒンジ(ちょうつがい)のガタつきやボタンのへたりも全く無し。月額料金はスマホよりずっと安い。

 少し褒めすぎかもしれませんが、ベースの基本性能がしっかり安定し、細部まで良く作り込まれています。「ガラパゴスの進化の頂点」と言っても過言ではありません。かつて電子機器分野で世界を席巻した日本メーカーの、持てる技術の粋を集めた「ひとつの完成形」。バッテリーパックは昨年新品交換したばかりで、まだまだ第一線で活躍できます。とても手放す気にはなりません。

          ◆

 ガラケーに満足している私ですが、決してスマホを毛嫌いしているわけではありません。特にGPSを使った地図表示アプリは大きな魅力。昨年の春ごろ、ガラケーをスマホに変えようか本気で検討した時期がありました。「iPhone」のガイド本まで購入し、会社の帰りに毎日のようにJR札幌駅近くの家電量販店でデモ機を操作してみたのですが、タッチパネル入力だけは、どうしてもうまく操作できませんでした。優しい女性店員さんは「すぐに慣れますよ」と言うのですが、足しげく通って操作しても上達できませんでした。

 ある日、別の店員に「スマホ用のタッチペンはありますか?」と訪ね、「お使いのスマホの機種は何ですか?」と聞かれたので「持っていません」と答えたら「スマホ持ってないんですか?!」と驚かれました。車を持ってないのにワイパーだけ購入しようとするような、不思議なひとだと思われたのかもしれませんね(笑い)。また別の日には、音声入力って精度高いのかな?と思い、デモ機に自分の住所の「星置」を入力しようと、「ほしおき」と発声しましたが何度やっても「お仕置き」と入力されてしまいます。なんだかスマホにバカにされているような気になり、ひとりで苦笑していました。トホホ…。

          ◆

 こんな訳で、私がガラケーを使い続ける本当の理由は、スマホのタッチパネルがさっぱり操作できないことなんです(←これも、ここだけの話にしてください)。電車の中で中高生が超高速で「フリック入力」するのを見ると「神技」に思えてなりません。

 私のようなスマホ落ちこぼれ人間は、もう少しガラケーを使い続けるしかないのかと思っていたら、もうすぐauから「 ガラホガラケー + スマ 」なる、入力キー付きのスマートフォンが発売になるとのことで、そちらに期待しています。ドコモも同じような「折りたたみ式のテンキー付きアンドロイドOS端末」を計画しているようです。よかった!

          ◆

 ガラケーをご使用のみなさま、ガラケーはまだまだ進化し続けます。道新電子メディア局では、ガラケーをご利用のみなさまにも、スマホと同内容のニュース配信サービス「道新&道スポ+」をご提供しています。私もたいへん重宝しています。

 ガラケー片手に「半沢直樹スタイル」で、さっそうと道内外の最新ニュースや地域の話題・スポーツの試合速報をチェックしようではありませんか。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


「昭和90年」ひつじ年、万歳

2015年01月08日

 2015年が始動し1週間が過ぎました。私は今年48歳になる年男です。昭和42年生まれなので、今年は昭和で数えると90年。「昭和90年代の幕開け」ということになります。

         ◆

 さて、未(ひつじ)年は、なぜ「羊」ではなく「未」の漢字を使うのでしょう。フリー百科事典・ウィキペディア「十二支」には、こんな解説があります。

元々十二支は順序を表す記号であって動物とは本来は関係なく、後から割り振られたものという立場からはこの動物を十二生肖と呼ぶ。が、日本では十二支という言葉自体で十二の動物を指すことが多い。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢の王充「論衡」)や、バビロニア天文学の十二宮が後から伝播してきて十二支と結びついたという説がある。

 もともと「未」は、1から12を順に並べた8番目を表す記号のことであり、そこに動物のひつじ「羊」を割り当てたのですね。4回目の年男になって、初めて知りました。

         ◆

 いっぽう、先日1月5日の日本経済新聞1面コラム「春秋」の記事を引用すると、「美。善。義。前向きの価値観をあらわす漢字には、羊の字を含んでいるものが、いくつかある。」

 このほかにもポジティブな意味を持つ「翔、躾(しつけ)、羡、達」も、漢字の中に「羊さん」が隠れています。「幸」の字も「羊」に似ています。そう言われると、お金を表す記号「¥」も「羊」の字形に近いと思えてきます。「羊年」万歳ですね。

150107.jpg

 「羊」を含む山といえば「羊蹄山」。上の写真は1993年5月に撮影した一枚です。(もちろん、デジタルカメラではなく、アナログフィルム)

 山麓の雪はすっかり解け、4合目以上は残雪の反射で白く輝き、青い空と美しいコントラストを成しています。流れるひとつかみの雲が山頂にかかるまで、ひたすら待ち続けて撮影しました。

 「羊年」の今年、もう一度会いに行きたい風景です。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


高倉健さんのラジオの声に心動かされ

2014年12月21日

 俳優・高倉健さん逝去の報道から1カ月となります。

         ◆

 12月8日の夜、高倉健さんの追悼特別ラジオ番組「オールナイトニッポンGOLDスペシャル 高倉健 旅の途中で」が放送されました。私はこの放送を録音し、愛用のウォークマンに転送して毎日の通勤途中に聞き入っています。1996年から2000年までの5年間、ニッポン放送で年に一度放送していたラジオ番組「高倉健 旅の途中で」を特別編集し再放送したもので、高倉さんが、人生や人との出会いについての思いなど、自らの声で赤裸々に語っています。

 91年に高倉さんがエッセー集「あなたに褒められたくて」を出版し、その内容に感動したニッポン放送のプロデューサーが高倉さんに出演依頼し、5年後に本人が出演許可してくれました。そのきっかけは、道内ロケで知り合った十勝管内・上士幌町の少女から届いた1本のカセットテープ。高倉さんの誕生日に、その「犬っころのような」キラキラした目をした少女から、「おじちゃん、お誕生日、おめでとう」とお祝いの声と歌を録音したカセットテープが届き、それを聴いて心を動かされ、「人間っていいな、生きてるって悪くないな、という思いをたくさんの人に感じてもらいたい」と、ラジオ出演を決めたそうです。


        ◆

 1996年の1回目の放送は、女優・薬師丸ひろ子さんとの対談。高倉さんと薬師丸さんの上質で優しく、お互いを思いやり、少し照れている雰囲気が楽しい会話からよく伝わってきます。聴いていて、こちらも思わず笑みがこぼれます。

 映画「野生の証明」では、役を離れても、薬師丸さんを自分の娘だと錯覚することがしょっちゅうで、「人生は8割以上が錯覚で成り立っているんだよ。あのひとは自分のことが好きだったんじゃないかなあ、と錯覚しているほうが、人は幸せになれるんだ。だから生きていけるんだよ」と語っています。なるほど。私もこのラジオ番組を聴いていると、高倉さんと薬師丸さんと私の3人でテーブルを囲んでいるように錯覚します。錯覚することは幸せを感じることなんですね。

 高倉さんのようなかたでも、気力が落ち、仕事に逃げ腰になることが何度もあったそうです。そうなった時にいつも読んで自分に気合を入れてきた文章を朗読してくれました。高倉さんの写真集「独白」に掲載されている作家の丸山健二さんが書かれた「それが高倉健という男ではないのか」という文章。

 去る12月14日の衆院選挙で、私は会社に泊まり込み選挙速報の仕事をしましたが、出勤する直前、この朗読を聴き直し、気合を入れて臨みました。背筋がしゃんとするというか、気持ちが真っすぐになるというのか、余計な雑念を払いのけてくれるお守りのような文章です。


        ◆

 高倉さんが少女のカセットテープの声に感動したように、私もAMラジオの高倉さんの声に心を動かされています。私は「人に何かを伝えること」を生業にしていますが、その本質とは何かという、大切なことを教えられた思いでいます。

141221.jpg

 上の写真は1995年1月8日に撮影した夕刻の小樽の風景。20年前にフィルムカメラで撮った一枚です。自分で気に入って大きく引き伸ばして額に入れ、今も自宅のリビングに飾っています。ラベンダーにも似た雪の色と、街灯の幻想的な青緑色がたまらなく好き。デジタルカメラでは出せないアナログフィルムならではの美しい発色です。心に感動を与えるものは、ずっと色あせることはありません。

 高倉健さんも、旅の途中で、同じ風景を見ていたのかもしれません。そう錯覚しています。

 ご冥福をお祈りいたします。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


献血続けて70回、酒場で気絶した苦い経験も

2014年11月20日

 少し前の記事になりますが、10月24日の北海道新聞夕刊の「はいはい道新」コーナーに、献血200回を達成した主婦の記事が掲載されていました。「定期的な献血は健康チェックになり、命の大切さを自覚するひとときでもあります」とすてきなコメントも付いています。

 私も定期的に献血していますが、先日70回達成で表彰対象となり記念品(グラス)をいただきました。ありがたいことです。

 400cc献血を年3回していますが、昔の献血カード(=写真下=)を見ると、平成7年まで400ccは2回分カウントされていました。それを考慮すると実際に献血ルームに足を運んだ「実回数」は今回でちょうど60回目。このペースでいけば、還暦の頃に実回数100回目が達成できます。献血可能な69歳まで、「生涯50リットル献血」を目指そうと思います。

141120-002.jpg


                    ◆

 献血には苦い思い出も。7年前の夏の暑い日、夕方に400cc献血をして、その夜に冷房の効いたスナックで酒を飲んでいました。当時は夜勤があるシフト勤務で慢性的な寝不足。たばこも吸っていました。
 寝不足 ⇒ 暑い日 ⇒ 血を400cc抜く ⇒ 冷房 ⇒ 酒 ⇒ たばこ 
と、悪い条件が重なり、私はスナックのカウンターに座ったまま貧血状態で数秒間意識を失ってしまいました(⇒どうしようもないバカですね)。店のママさんは、すぐに救急車を呼んでくれましたが、幸い病院に運ばれることなく店で安静し回復できました。タバコはその日を境にきっぱり止めましたが、献血は今日までずっと続けています。

 400cc献血は体に相当の負担をかけるので、くれぐれも献血の前後は無理をしないことが大切です。座ったまま意識を失ったのは、後にも先にも、このときだけです。ママさんには今でも頭が上がりません。

                   ◆

 ビッグデータ解析が容易になった昨今、自分の献血した血液がどのような医療機関や研究機関で活用されているのか、知りたいものです。可能な範囲で情報公開するしくみがあれば、さらに献血者が増えるのではないでしょうか。若い世代の献血者が減っていると言われますが、データを根拠に「自分の血液が、こんなに世の中に役立っているんだ」という実感を持つことができれば、献血者が増え社会貢献の意識が高まると思います。

▼大通献血ルームは、大通公園が眼下に広がる絶好のロケーション。これからの季節、夕方にカップルで大通のホワイトイルミネーションを眺めながら献血するというのも、いいかもしれません。ひょっとしたら赤い絆で結ばれるかも?

141120-003.jpg

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


輝く北大イチョウ並木、金葉祭で元気をもらう

2014年11月02日

 私はJR通勤をしていますが、この時期の天気のいい日は、いつもより1時間早い電車に乗ります。理由は早朝の北大イチョウ並木を撮影するため。11月1日と2日には、今年で3回目になるライトアップイベント「金葉祭」が開催されました。


▼10月24日の出勤前に撮影したスナップ。イチョウ並木の葉には、まだ青さが残っています。奥のメインストリートでは紅葉が赤く色付き、全体として、まるで絵画のような構図。札幌に住んで30年になりますが、この時期の北大イチョウ並木が、札幌で最も好きな光景です。

141102-01.jpg


▼上の写真より約1週間後の10月30日、出勤前の午前8時40頃撮影しました。イチョウの葉が深い金色に色付き、NHK連続ドラマ「マッサン」テーマソングの背景の、麦の色を連想します。空の青さもよく映えています。この朝の空気感がたまらなく好きです。

141102-02.jpg


▼撮影を終え会社に向かう途中にクラーク像を撮影。朝の光と秋の青空をうまくフレームに収めることができました。クラーク先生の前に立つと、18歳で田舎から札幌に出てきた時のことを昨日のように思い出します。自分もあと数年で先生の年齢を越えてしまうけど、先生が教えてくれた「フロンティア・スピリット」の精神は、ずっと持ち続けていたいと思うのです。

141102-03.jpg


▼11月1日の夜のライトアップを見に行きました。2012年から実施されているイベントで今年で3回目。「金葉祭(こんようさい)」という学生主体の催しで、出店も立ち並び、夜桜ならぬ「夜イチョウ」見物で盛り上がっていました。

141102-04.jpg

▼学生へのカンパ代わりにと思い「金葉祭のポスターがほしいのだけど、売ってくれますか?」と聞くと、実行委員と思われる学生は、見ず知らずの私に「売り物ではないのですが、よかったらどうぞ」と言って、ポスターを気前よく差し出してくれました。すてきな時間とポスターまでいただき、本当にありがとうございます。「北大元気プロジェクト」の名前のとおり、私はみなさんに元気をもらうことができました。来年も楽しみにしています。

141102-06.jpg

※銀杏(いちょう)並木の金葉祭。格調高く、しゃれていて、いいネーミングです。今の学生たちはセンスがいい。土日だけじゃなく、「金葉」だから金曜の夜から実施したらどうでしょう?私のような会社勤めの人たちが、仕事帰りに多数立ち寄ってくれると思います。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


赤い皆既月食/青いLED 秋夜の共演

2014年10月08日

 仕事を終え、社屋ビルの屋上から、愛用のコンパクトデジカメで皆既月食を撮影しました。午後7時20分から約1時間、雲も風もない絶好の天体ショーとなりました。手前の札幌テレビ塔は、前日ノーベル賞の受賞対象となった青色LEDライトが、美しい輝きを放っています。

 それにしても「皆既月食」という言葉には、何か謎めいた怪しさを感じます。月食の「食」は、本来「蝕」(むしばむ)の字だったそうです。褐色に蝕まれていく月を見た古代人にとって、不吉な「怪奇月蝕」だったに違いありません。

▼21世紀を照らすLEDと「怪奇月蝕」の共演。美しい瞬間です。
(午後7時21分、Canon PowerShot SX130 IS、露出時間=5秒)

141008-1921.jpg



▼小型三脚を使い、コンパクトデジカメの内臓ズームだけで撮影。この写真を見ると、昔のアニメ「宇宙戦艦ヤマト」を思い出します。最終回で沖田艦長が「地球か。何もかも皆懐かしい…」と言い残し、汚染された地球に帰還するシーン。私と同じ40代後半の世代には、皆懐かしいことでしょう。(午後8時21分、露出時間=2.5秒)

141008-2021.jpg

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


献血69回、私は典型的なB型人

2014年08月27日

 もう20年以上、毎年3回欠かさずに400cc献血をしています。先日で69回目になりました。

 今年中には70回、10年後には100回の大台に到達できそうです。ちなみに献血の年間の上限値は1200cc、年齢上限は69歳です。1回400ccとして累計27リットル、体重の半分近くも血を抜いたことになります。

140827.jpg

 私はB型人。8月22日の北海道新聞夕刊1面に「血液型と性格」という記事が掲載されていました。血液型と性格は無関係だという内容ですが、私も会社ではB型と思われていないようで「立花さんはきちょうめんなA型に見えますよ」と言われます。でも結婚以来、妻には「あなたって典型的なB型よね」と言われ続けています。いつも頭に「典型的な」を付けて…。

 私の経験では、血液型と「表面上の性格」は無関係だと思うのですが、「根っこの性格」、つまり生涯変えられない根底部分の気性は、多少なりとも血液型に関係があると考えています。「マイペース」「気ままな自由人」…などなど、妻は私を変人扱いしますが、当の本人は全く気にしていません。理由は単純。私本人が自分のことを「典型的なB型人」だと信じて疑わないからです。  

 昨年、大通の献血ルームが地下街オーロラタウンから大通西4ビルの11階に移転したのをご存じでしょうか?大通公園の中心部が一望できる札幌の超一等地。問診票は完全電子化され、献血者の本人確認は「指の静脈認証」による各種最新設備が整っています。

 献血は尊い人命を救うことができる最も身近なボランティア。自分の健康管理にもなる優れたシステムです。みなさんも、無理のない範囲で定期的に献血することをお勧めします。

(↑世の中のB型のみなさん、気を悪くしたらごめんなさい)

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


大通から望む道新花火大会2014

2014年07月28日

 本ブログへの投稿は、およそ1年ぶりになります。今年も弊社主催の花火大会を見ました。ただし豊平川の河川敷ではなく、大通のビルの屋上から。


▼当日は朝から好天に恵まれ、絶好の花火日和かと思いきや、午後から微小粒子状物質(PM2.5)の影響で大気がかすんでしまうという、あいにくの空模様となりました。それでも予定通り午後7時45分から、ススキノ方面の夜空には、少し小ぶりの「華麗な花」が咲きました。人ごみや混雑がないため、都心から見る花火も意外といいものです。向かいのビルで夜遅くまで働いているみなさんも、花火を観て息抜きしてみては…。

140728-01.jpg


▼カメラのズームを使い、寄せて撮影してみます。花火の音は聞こえるのですが、進行の音声までは聞こえてこないので、ビルの屋上からススキノの夜空を終始じっと眺めていました。PM2.5の影響がなければ最高のコンディションだったのに、ちょっと残念。

140728-04.jpg


▼メルキュールホテル札幌の「MERCURE HOTEL」のピンクのネオンと花火の色が、見事にマッチしています。全体でおしゃれでモダンな芸術作品のよう。夜のススキノの観覧車を連想しますね。

140728-05.jpg

来年は澄み切った夜空のもとで、道新花火大会を満喫したいものです。

(使用カメラ:Canon PowerShot SX130 IS、シャッタースピード優先、露出時間=5秒)

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


三陸復興国立公園めぐる旅① -序章-

2013年05月27日

 東北復興の再生シンボルとして5月24日、「三陸復興国立公園」が誕生しました。青森県の種差(たねさし)海岸階上岳県立公園と、岩手・宮城両県の陸中海岸国立公園を統合し、新たな国立公園として環境省が指定しました。 国立公園の名称として地名以外の言葉(=復興)が入るのは初めてとのことです。

        ◆      

 手がけていたプロジェクトが一区切りしたこともあり、5月中旬、まとまった休暇をいただき、岩手県を中心に、三陸復興国立公園の各地をめぐり、東日本大震災の被災地を歩いてみました。

 岩手県は私のルーツの地でもあります。私の「ひいじいさん」にあたる先祖が昭和の初期、旧大迫町(現花巻市)から北海道に移住してきました。学生の頃、岩手県に住む遠い本家を訪ね、ひとり旅をしたのですが、今回も(可能な限り)その時と同じルート、同じ交通手段でめぐりました。

 この年齢になって「放浪ひとり旅」を容認してくれる家族には本当に感謝しています。20年前には見えなかったもの、感じられなかったものが多く得られた有意義な旅でした。

        ◆

 荷物はリュックひとつだけ。苫小牧からフェリーで八戸に上陸し、ローカル線と路線バスを乗り継いで三陸海岸を南下。「久慈市→宮古市→大槌町→釜石市→大船渡市→陸前高田市→気仙沼市」の各地を訪ねてきました。(下図)

130527-sanriku.jpg

 特に震災で大きな被害を受けた大槌町と陸前高田市については、被災した現場を実際に歩き、自分の目で現状を見てきました。 三陸の美しい海岸は以前の景色に戻りましたが、被災地の生活の復興は、これからが正念場です。

        ◆

今後、このブログ上で数回にわたり、写真を交え、旅の様子を紹介します。

<次回以降の内容>

●2回目 じぇじぇ、9時に久慈駅到着!
●3回目 宮古市・浄土ヶ浜でウミネコ観察
●4回目 大槌町、被災地の現場を歩く
●5回目 まるで貸し切り、南リアス線の新型車両
●6回目 被災地ルポ、陸前高田・奇跡の一本松
●7回目(最終回)ルーツの地・岩手県のみなさんに感謝

(つづく)


 

 

 

 


三陸復興国立公園めぐる旅②
 じぇじぇ、9時に久慈駅到着!

2013年06月03日

 NHKドラマ「あまちゃん」にはまっています。今回はドラマにも登場する三陸鉄道北リアス線の乗車を中心とした旅路を紹介します。

      ◆

▼学生以来20年ぶりにフェリーに乗船し、本州に渡りました。昔は貧乏だったので2等室(要するに、ザコ寝の大部屋)で旅をしましたが、今回は一つグレードを上げて2等寝台を取りました。窓のない寝るだけの狭い個室ですが、私にはじゅうぶんぜいたく。宿泊費込みと思えば安いもの。往復乗船券ならもっと割引されますが、今回は「放浪ひとり旅」ゆえに、帰りの切符は買わずに旅に出ました。

130602-Sanriku_01.jpg

▼翌早朝、八戸フェリーターミナルに到着し、JR八戸線に乗車して、まず最初の目的地の久慈駅に到着。今どきの小学生も言わないダジャレですが、本当に9時に久慈駅に到着したんです。この駅はNHK「あまちゃん」のなかでは、架空の「北三陸市の北三陸駅」という設定になっています。「あまちゃん効果」で観光客が多いのかと思いきや、GW後の平日ということもあり、駅は閑散としていました。

130602-Sanriku_02.jpg

▼いよいよ三陸鉄道北リアス線に乗車。途中、田野畑から小本間は震災の影響で不通になっているため、まず、久慈から田野畑までの乗車です。乗車料金は960円。

130602-Sanriku_03.jpg

▼NHK「あまちゃん」オープニングに登場する、白をベースに赤と青のラインの列車。ドラマの影響で、このデザインは一躍全国に知れ渡ることになりました。ワンマン列車です。

130602-Sanriku_04.jpg

▼三陸鉄道の魅力は、なんと言っても美しい三陸海岸が車窓から眺められること。「あまちゃん人気」で海側の窓側席に座れないのでは?と心配していましたが拍子抜け。観光客の姿はなく、乗客は地元の数人だけです。

130602-Sanriku_05.jpg

▼おかげで車窓から、美しい三陸海岸の景色を堪能できました。途中、撮影スポットの海岸線では、列車を数分間停止し、写真撮影の時間を取ってくれます。都会の通勤列車では考えられないサービスです。

130602-Sanriku_06.jpg


▼列車の旅の楽しみのひとつは、昼間から自由にお酒が飲めること。誰にもとがめられることはありません。ビール片手に何も考えず、ボーッと美しい車窓の風景を眺めるローカル線の旅は、この上ない至福のひととき。のんびり気持ち良くなって、うとうと居眠りでもすれば、旅の疲れも取れてしまうというものです。

130602-Sanriku_07.jpg


▼田野畑駅に到着。駅舎は「カンパネルラ田野畑」という複合施設になってます。おしゃれな外観で、食堂・売店や、震災の写真展示コーナーもありました。先週の「あまちゃん」では、お座敷列車の折り返し駅として、この駅舎が放映されていました。主人公アキが初恋の先輩とお別れする、切ない舞台でもありました。入り口の左右には「あまちゃん」PRのポスターが貼ってあります。先週の放送後は、観光客が増えたことでしょう。

130602-Sanriku_08.jpg

▼田野畑から小本までは代替バスに乗車し、そこから北リアス線の終着駅・宮古まで、ふたたび三陸鉄道に乗車しました。

130602-Sanriku_09.jpg

130602-Sanriku_10.jpg

▼車内のトイレは故障中らしく、張り紙が貼ってあります。別に「すみません」と謝らなくてもいいと思いますが、いかにも地方ローカル線らしい掲示です。

130602-Sanriku_11.jpg

 「すみません、トイレ我慢できません」と運転士に言ったら、「私はワンマン列車の(独断者の)ワンマン運転士。終点まで我慢して!」と、怒られたりして…。

(つづく)


 

 

 

 


三陸復興国立公園めぐる旅③
 宮古市・浄土ヶ浜でウミネコ観察

2013年06月10日

 「住めば都、旅は宮古」と言うかどうかは分かりませんが、今回は宮古市の浄土ヶ浜海岸訪問を中心にお話しします。


 人にはそれぞれ、生涯忘れられない風景があると思います。私は20年前に訪れた、この浄土ヶ浜海岸の景色です。当時カメラは持ってなく、そのときの写真は1枚もありません。若い頃は、見聞した事をずっと忘れずに記憶できるだろうという、全く根拠のない自信があって、写真を記録するだけのツアーというものを軽蔑していたところがありました。

 20年が経過し自分も若くはなくなり、自信があったはずの記憶力も衰え、「もう一度、浄土ヶ浜海岸を訪れたい」と、いつの日からか思うようになりました。景色を見るだけでなく、浜風の匂いや波の音を含めて「もう一度再会したい」という思いです。未曽有の震災を乗り越えた分、なおさらに。


▼三陸鉄道北リアス線の終着駅・宮古に到着し、そこからバスで浄土ヶ浜海岸に向かいました。バスを降りて歩いていくと浄土ヶ浜海岸が見えてきます。

130610-01-joudo.jpg


▼白い砂浜が見えてきました。「浄土ヶ浜」の名前の由来は、いまから300年以上も昔、この地を訪れた僧侶が美しい景色に魅了され「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われています。

130610-02-joudo.jpg


▼20年ぶりに目的地に到着。懐かしさが込み上げてきます。ウミネコもポーズをとってお出迎え。看板には「陸中海岸国立公園」と書かれていますが、「三陸復興国立公園」に変更されるのでしょうか。

130610-03-joudo.jpg


▼レストハウスから海岸全景を撮影しました。観光客はほとんどいません。学生を卒業し社会人になってからは、風景撮影を趣味のひとつにしましたが、この浄土ヶ浜だけは、私が今まで撮影してきた写真のなかに、似ている景色はひとつもありません。「さながら極楽浄土のごとし」という気持ちが理解できます。

130610-04-joudo.jpg


▼海岸から少し離れた小高い場所に、記念碑が建てられています。「1960年5月24日チリ地震津波/地震がなくとも潮汐(ちょうせき)が異常に退いたら津波が来るから早く高い所に避難せよ」と書かれています。半世紀を経て、記念碑の言葉の重みをかみしめる思いです。プレートに映り込んでいるのは浄土ヶ浜海岸です。

130610-05-joudo.jpg


▼観光遊覧船に乗船しました。乗客が投げるパンを目当てに、ウミネコが船と同じスピードでぴったりついてきます。

130610-06-joudo.jpg


▼ウミネコの目線をキャッチ。エサをくれないから怒っているのかな?怖い目つきです。

130610-07-joudo.jpg


▼お昼ごろのレストハウス前では、ウミネコたちが整列しています。この時間になったら観光客がエサの「かっぱえびせん」をくれることを学習しているのでしょう。

130610-08-joudo.jpg

▼私が前に回りこんでも、微動だにしません。ちょっと怖いです。AKB48のように「センター」決まっているのかな?(決まっているわけないか)でも人間よりも厳しい上下関係がありそう。20羽くらいだから「UMNK20」(ウミネコ20の略)と命名しておきましょう(笑)。

130610-09-joudo.jpg


▼宮古での宿泊は、駅近くの山田屋別館という旅館です。素泊まり4500円。浄土ヶ浜海岸には天気のいい日に訪れたいと思っていたので、天候しだいでは、数日間の滞在も考えていました。(写真の窓に映り込んでいるのは筆者です)

130610-10-joudo.jpg

 宿のおかみさんは親切なかたで、私のわがままな要求にも「宿泊予定を変更しても構いませんよ」と快く応じてくれました。居心地がよく部屋は質素な畳敷きです。
 このあと三陸復興国立公園をさらに南下し、内陸の花巻市を訪ねた後、旅の帰路にもこの宿で一泊しました。数年後にまた泊まりに来ます。そのときもよろしくお願いします。

(つづく)


 

 

 

 


三陸復興国立公園めぐる旅④
 大槌町、被災地の現場を歩く

2013年06月17日


▼旅も後半に入ります。今回は宮古から釜石までの旅路を紹介します。

130617-01-map3.jpg


▼宮古-釜石間のJR山田線は今も不通です。そのため国道45号線をバスで南下しました。宮古は始発だったこともあり、一番前の席に乗車できました。向かって左側が海なので、三陸鉄道同様に「特等席」で海岸の景色を眺めていきました。

130617-02-bus.jpg


▼本来なら、海岸沿いの住宅や街並みを眺めていけるのでしょうが、バスの車窓から見えるものは、被災した住宅跡の基礎コンクリ部分がむき出しになった、灰色の単調な風景です。。

130617-03-bus.jpg


▼大槌町でバスを途中下車しました。ここは、震災の被害が特に大きかった地域。基礎だけが残された住宅跡地から、黄色い花を付けた雑草が茂っています。風呂場の浴槽は、そのままの状態です。以前は普通の暮らしがあったことを物語っています。中央遠方の建物は、大槌町の旧役場庁舎です。

130617-07-otsuchi.jpg


▼大槌町の旧役場庁舎の全景です。被災したままの状態になっています。当時の町長が、この庁舎の前で災害対策会議の最中に津波に流され、後日遺体で発見されるという、たいへん痛ましい事態にみまわれました。この旧庁舎は、震災を後世に伝えていくための「震災遺構」として一部が保存されることになりました。

130617-05-otsuchi.jpg


▼役場庁舎から少し離れた歩道に、青いペイントスプレーで書かれた文字があります。「どこにいだの(どこにいるの) みんなまってるよ!」行方不明の家族が自宅に戻ってきた時のためのメッセージです。添えられている花と水は、家族の手で今も頻繁に取り換えられているのでしょう。

130617-06-otsuchi.jpg


▼被災地を見守る位置に、東日本大震災一周忌の供養塔が立てられています。黙とうさせていただきました。

130617-08-otsuchi.jpg


▼小高い丘から、大槌町の被災地全景を撮影しました。左上の建物が、旧役場庁舎です。

130617-04-otsuchi.jpg


▼昼すぎに釜石に到着しました。釜石港を見下ろす避難場所から撮影しました。この地域も津波で大きな被害をもたらしましたが、今は、がれきはほとんど除去されています。

130617-09-kamaishi.jpg


▼三陸鉄道釜石駅に到着しました。現在、この駅から列車の発着はなく、駅舎は震災後2年近く閉鎖していましたが、今はジオラマ展示スペースやカフェとして活用されています。そういえばNHK「あまちゃん」にも、ジオラマとカフェが登場します。この駅にヒントを得たのかな?

130617-10-kamaishi.jpg


▼ジオラマの全景です。細部までよくできています。右下の「運転台」で、ミニチュア列車の発車・停車が自由に行えます。

130617-11-kamaishi.jpg


▼ジオラマの拡大写真です。「あまちゃん」でもおなじみの三陸鉄道の赤と青の列車が停車しています。ホームに立つ人がリアル!

130617-12-kamaishi.jpg

 来年の春には、釜石発の列車の運行再開が予定されています。次回の訪問時には、ジオラマではなく実物の列車に乗車できることでしょう。楽しみにしています。

(つづく)


 

 

 

 


三陸復興国立公園めぐる旅⑤
 まるで貸し切り、南リアス線の新型車両

2013年06月24日

▼今回は三陸鉄道南リアス線の乗車を中心にお話しします。南リアス線は今年の4月に、吉浜-盛間が復旧したばかりです。

130624-sanriku-001.jpg

▼釜石からバスに乗車し吉浜駅に到着しました。おしゃれな外観の駅舎です。デザインは女優の川上麻衣子さんが担当したそうです。二つの窓が「目」、その間に「鼻と口」が描かれていて笑顔のよう。南リアス線は現在、吉浜-盛間を1日7往復しています。

130624-sanriku-02.jpg


▼吉浜17:09発の盛行き列車がホームに入線しました。真新しい新型列車が夕日にまぶしく映えます。発車前、若い運転士さんのタバコの一服も、何だかさまになっています。

130624-sanriku-03.jpg


▼車両下側には「新潟トランシス2013」のプレート。新潟トランシスはローカル線のディーゼル車両を製造する国内トップメーカー。今年製造された新車であることの証明です。車両はクウェート国の支援を受けて購入したそうです。

130624-sanriku-04.jpg


▼車内は新車の匂いがします。こんなピカピカの新型車両なのに、乗客は私ひとり。まるで私のための専用列車のよう。先週のNHK「あまちゃん」では、アキが臨時の貸し切り列車で東京に向かいましたが同じシチュエーションです。新車の列車にひとりで乗車できるなんて、一生に一度あるかないかの機会です。

130624-sanriku-05.jpg


▼運転台にはカラーモニターが装備されています。新しすぎて、まるで最新のゲーム機のよう。

130624-sanriku-06.jpg


▼車窓から吉浜の海岸を撮影しました。この地域は、100年以上昔の明治三陸大津波の際、大きな被害を受けた教訓から、ほとんどの住民が高台に住んでいたため、2年前の津波被害は少なかったとのこと。線路もかなり山側に敷かれています。

130624-sanriku-07.jpg


▼途中の恋し浜駅。淡いブルーのロマンチックな看板が目を引きます。以前の駅名「小石浜」の表記を、数年前に「恋し浜」に変更したそうです。若いカップルのデートスポットになりそうですね。現地に足を運べない人のために、切符はネット通販もしているそうです。結婚式の引き出物に購入するカップルもいるとのこと。ちなみに、名前に「恋」の付く駅は全国に四つあり、あとの三つは、母恋駅(JR北海道=室蘭市)、恋ケ窪駅(西武鉄道=東京都国分寺市)、恋山形駅(智頭急行=鳥取県智頭町)。

130624-sanriku-16.jpg


▼盛駅に到着。イケメン駅員がお出迎え。といっても看板に描かれた等身大のイラストです。名前は「恋し浜レン」。三陸鉄道の社員キャラクター「鉄道ダンシ」のひとりです。イメージアップにかける三陸鉄道の意気込みが伝わってきます。でも、茶髪(赤毛?)の恋し浜レンが実在の駅員だったら、ちょっと引くかも!?

130624-sanriku-10.jpg


▼盛から先はバスの旅となりますが路線バスではなく、BRT(バス・ラピッド・トランジット=バス高速輸送システム)と呼ばれています。以前の鉄道軌道を撤去し、舗装した専用道路をバスが運行するシステム。写真中央に写る高架通路は、かつての鉄道駅の名残です。

130624-sanriku-11.jpg


▼BRTに乗車し、夕方この日の宿泊地の大船渡に到着しました。食事をしようと思い散策すると「復興大船渡プレハブ横丁」の看板を発見。仮設のプレハブに飲食店が18店ほど軒を連ねていました。

130624-sanriku-12.jpg


▼さっそく一軒の居酒屋に入り、「さんま船上丸干し」「つぶバター醤油(しょうゆ)焼き」「えび塩焼」、それにビールを注文。地元の海の幸を堪能できました。

130624-sanriku-13.jpg


▼「さんま船上丸干し」は5本で350円。安くてうまい!つぶバターとビールも絶妙の組み合わせ!みなさんもぜひご賞味を。

130624-sanriku-15.jpg

 この日、大船渡の隣町の下船渡(しもふなと)の民宿に宿泊しました。下船渡は津波の被害が比較的少ない地域でした。翌日はいよいよ陸前高田に向けて出発。三陸復興国立公園の南端、気仙沼を目指します。

(つづく)


 

 

 

 


三陸復興国立公園めぐる旅⑥
 被災地ルポ、陸前高田・奇跡の一本松

2013年06月30日

▼宿泊した下船渡の民宿の窓から大船渡港を撮影しました。おだやかな天気です。早朝BRT(バス高速輸送システム)に乗り込み、陸前高田を目指し民宿を後にしました。

130701-sanriku-02.jpg


▼途中の海岸には、松林が自生しています。北海道ではほとんど見られない最も三陸らしい風景です。

130701-sanriku-03.jpg


▼BRTに乗車すること1時間、陸前高田市役所前に到着。小高い山の峠のような場所です。ここで下車しました。

130701-sanriku-04.jpg


▼陸前高田市の仮庁舎の全景です。先日のニュースで、将来の新庁舎は安全な高台地域に再建する方針になったと報じられました。旧市街地を10メートル程度かさ上げし、もとの地域に新庁舎を建設する案も検討されましたが、住民や市職員の希望が優先されました。

130701-sanriku-05.jpg


▼その旧市街地に向かいます。路線バスは停車しないため、3km程の道のりを歩いていきました。津波で崩壊した建物の解体には国の復興計画に沿って補助金が支給されますが、その期限が今年3月までということで、私が訪ねた5月には、ほとんどの建物は撤去されていました。

130701-sanriku-06.jpg


▼がれきは数カ所に分けて集積しています。今も撤去作業が続いています。重機とダンプカーの作業音が響き渡ります。

130701-sanriku-07.jpg


▼すっかり更地と化した旧市街地において、一棟の民間ビルが解体されずに残っています。4年26日のNHKスペシャルでは、ビル所有者のインタビューが放送されました。「このビルを壊せば、町の記憶を思い出す手がかりが無くなってしまう。忘れないためにビルを残したい」と語っていました。

130701-sanriku-08.jpg


▼「忘れないよ、みんなと暮らしたこの町」。ビルの屋上には所有者の思いを記した看板が掲げられています。津波到達水位の記録と共に。

130701-sanriku-09.jpg


▼ビルを目印に旧市街地を歩いてみました。菜の花でしょうか?住宅の玄関タイルと思われる場所の鮮やかな黄色い花が目を引きます。普段の生活では、何も意識しない花ですが、どんな環境にも適応するその生命力と同時に、人間の無力さを感じてしまいます。

130701-sanriku-10.jpg


▼以前のJR陸前高田駅の跡。線路は完全に撤去され乗降ホームだけがそのまま残っています。左の丘の手前に見える建物が前述の民間ビルです。

130701-sanriku-11.jpg


▼駅前ロータリーの場所に残る鉄柱の台です。駅と駅前通り商店街を結ぶ、かつての最も中心地です。震災前は、「歓迎・高田松原」の看板が設置され、観光客の目印となっていました。

130701-sanriku-12.jpg


▼旧市街地から海側を望みました。一面が更地です。人々の暮らしがあった場所だとは、とても思えません。左上に小さく見える建物が国道45号沿いの「道の駅」。奇跡の一本松も同じ方角にあるのですが、この場所からは遠くて見えません。

130701-sanriku-13.jpg


▼「道の駅」を目印に、海に向かって歩いていきました。国道45号沿いには、ボランティアの人たちが植えたカラフルで鮮やかなチューリップが見ごろを迎えていました。美しい花々は、私を含め多くの人々の心を潤してくれます。ボランティアのみなさんには頭が下がります。

130701-sanriku-14.jpg


▼やっと奇跡の一本松が見えてきました。札幌を出発して、フェリー・鉄道・バスを乗り継ぐこと十数回、この場所にたどり着くまでに、まる3昼夜かかりました。同時に私の生涯で最も充実した3日間でもありました。

130701-sanriku-15.jpg


▼奇跡の一本松の全景です。今は取り除かれましたが、訪れた時は復元作業の足場のほかにワイヤでも固定されていました。かなりの自重なのでしょう。

130701-sanriku-16.jpg


▼一本松の左側は、かつて7万本の松が群生していた場所です。震災により1本だけが残ったことについて、5月29日付の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載されました。奇跡の一本松をテーマにした「希望の木」を刊行し、「千の風になって」の作曲者でもある新井満(あらい・まん)氏のインタビュー記事です。この中で新井さんは「一本松がどうして助かったのかと自分なりに考えた結果、7万本の松は一つの家族で、一致団結して守ったので一本松が助かった、という内容の散文詩が頭に浮かびました」と語っています。この風景を目の当たりにすると、新井さんの言葉に納得する思いです。「7万本が守ってくれた奇跡の一本松」は、次はわれわれ人間の手で守っていき、どういう形であっても、ずっと残っていってほしいと思います。

130701-sanriku-17.jpg


▼陸前高田を出発しバスで気仙沼に向かいました。途中、国道44号の右側に巨大な漁船を発見!バスの窓から撮影しました。津波で打ち上げられた漁船が、2年間解体されずに住宅地に鎮座しています。この漁船は、室蘭市のNPO法人が解体作業にあたることになりました。

130701-sanriku-18.jpg


▼気仙沼へ向かうバスの車窓の風景。以前の町並みはなく、住宅の基礎部分だけが残されています。がれきは撤去されても、この土地に未曽有の震災があったことを、私たちに静かに訴えかけているようです。

130701-sanriku-19.jpg


▼三陸復興国立公園南端のJR気仙沼駅に到着しました。気が付けば、ここはもう宮城県。

130701-sanriku-20.jpg

 三陸復興国立公園の旅は、ここで一区切りになります。このあとJRで岩手県の内陸に入り、私の先祖の地、花巻市に向かいました。今も花巻市に残る遠い本家の家を訪ね、親睦を深めてきました。

(つづく)


 

 

 

 


三陸復興国立公園めぐる旅(最終回)
 ルーツの地・岩手県のみなさんに感謝

2013年07月07日

 連載もいよいよ最終回。私のルーツの地である岩手県・花巻市への訪問と旅の帰路を紹介し、締めくくりとします(下の略地図参照)

 子供の頃、祖母は戦時中の苦労話に交え「うちの先祖は、開拓時代に岩手県から網走に入植してきたんだよ」と、よく話をしてくれました。私はオホーツク管内の網走市出身ですが、「ひいじいさん」にあたる立花万蔵が昭和の初期に、大迫(おおはさま)町から北海道に移住してきました(注:大迫町は2006年、花巻市と合併しました)。はるか昔に網走の地に渡ってきた先祖の苦労を思い、今も花巻市に残る遠い本家の家を訪ねました。

130708-Sanriku-00.jpg


▼三陸復興国立公園の南端・気仙沼から、JR大船渡線で一ノ関に向かい、そこから東北本線に乗り換え、花巻より少し北にある石鳥谷(いしどりや)に向かいました。東北本線は東北地方の大動脈。当然、電化された複線です。ローカル線ばかり乗っていたこともあり、車窓の景色も新鮮です。

130708-Sanriku-01.jpg


▼石鳥谷から大迫まで、バスに揺られ国道396号「遠野街道」を南下しました。沿道には遅咲きの桜が咲いています。

130708-Sanriku-03.jpg


▼大迫の本家に到着しました。学生以来20年ぶりの訪問です。ご主人の歓迎を受けた後、地元の図書館から取り寄せてくれたという、岩手県の家系の記録を見せていただきました。それによると確かに「北海道に転籍し…」の記述があります。記録書には「転籍の由緒は不詳」と書かれています。今となっては理由を知るすべもありませんが、北海道の東の地・網走への移住は、人生を賭けた一世一代の大勝負だったことは想像に難くありません。タイムマシンがあれば万蔵じいさんにインタビューしてみたいものです。ご先祖さまが網走に渡って来なかったら、自分もこの世に生を受けなかったと思うと、なおさら理由が知りたいものです。(でも、もしタイムマシンでインタビューしたら、「大した理由なんてねぇベ。おら、なんどなく行ぎだくなっただけさぁ~」とか言われたりして…)

130708-Sanriku-04.jpg


▼今回の旅の目的は二つ。「三陸海岸をめぐること」と「ルーツの地、花巻市を訪ねること」。両方の目的を達成し、これから札幌に向けた帰路となります。帰りは盛岡経由か、また三陸海岸をまわるか、前日まで悩みました(ぜいたくな悩みですが、これが自由なひとり旅の魅力なのです)。天気予報を参考にし、三陸地方は晴れの予想のため、また三陸海岸まわりで帰ることにしました。途中、遠野駅の直前で列車の最後尾から撮影したスナップです。なつかしいふるさとの風景です。

130708-Sanriku-05.jpg


▼釜石から、再び三陸復興国立公園を北上しました。宮古からは三陸鉄道北リアス線に乗車。ヘッドマーク(車両先頭の丸いプレート)には、「がんばろう三陸、杉良太郎」の文字。杉良太郎さんは復興支援活動により、ヘッドマークのオーナーのひとりとなっています。

130708-Sanriku-07.jpg


▼帰路の途中、田野畑村にある断崖絶壁の景勝地「北山崎海岸」に立ち寄りました。予報どおりの快晴。抜けるような青空と三陸海岸の深みのあるブルーが調和し、まるで絵画のような美しさ。会心の一枚が撮影できました。白波がもう少しあればパーフェクトだったかな?ずっとずっと見ていたい風景です。

130708-Sanriku-13.jpg


▼ずっと見ていたい風景の後は「キットずっと号」に乗車。「KitKat」がスポンサーのおしゃれな列車です。5月の桜の季節にはぴったりのデザインです。NHK「あまちゃん」の舞台の久慈に向かいました。

130708-Sanriku-09.jpg


▼久慈からJR八戸線に乗り換え、日が沈むころに本八戸に到着しました。車窓から八戸海岸の夕日を撮影できました。

130708-Sanriku-11.jpg

 八戸からは夜行フェリーで苫小牧に向かいました。帰りは2等客室(ザコ寝)。「札幌に無事に帰れそうだ」という安堵(あんど)感と「また日常の現実に戻るのか」という、ちょっと寂しい気持ちで、他の旅行客と共に大部屋で横になりました。心地よい疲労感のためか、よく眠れました。翌5月18日、やっと桜が開花した札幌に帰還し、8日間にわたる旅の幕を閉じました。

(おしまい)


■旅を終えて(編集後記)

 いい時代になったとつくづく思います。(読まれているかは別として)こんな旅の日記を、瞬時に世界中に発信できる時代になりました。フィルムや現像代を気にせず好きなだけシャッターを切り、写真や映像を自由に記録できる時代になりました。でも、それ以上に「先が見えない不安な時代になった」という思いが年々強くなっていきます。未曽有の震災に見舞われ、「未来のエネルギー」だったはずの原発が停止し、電気が足りない時代が到来するとは誰が予想できたでしょうか。旅から戻って「旅の日記」を書いていられる、こんなささやかな幸せを、これからも大切にしたいと思います。

 旅行期間は、寒くもなく暑くもなく天候に恵まれました。これだけでもじゅうぶんラッキーというものです。宿泊はフェリー2泊、宮古2泊、下船渡2泊、石鳥谷1泊の計7泊。安い旅館や民宿を利用しましたが、どこの宿も居心地がよく、親切に対応してくれました。鉄道とバスは、自分でも数えきれない回数を乗り継ぎました。

 鉄道が不通の区間は路線バスを利用しました。バスは地域住民に最も根付いた交通手段です。ほとんどの路線バスには「県立病院」や「総合病院」の停留所があり、お年寄りが通院するための貴重な足となっています。お年寄りが料金の支払いに手間取っていても、バスの運転手は優しく親身に対応し、時間をロスしても怒る乗客など誰もいません。東日本大震災では物資配給にも、じっと順番待ちをして暴動や略奪は皆無であったことを世界中が称賛しましたが、その原点を垣間見た気がしました。過疎化や高齢化が進み、みなが助け合い、支え合っていかないとやっていけないという意識が強いのでしょう。

 子供たちはというと、見ず知らずの私に対して、笑顔で「こんにちは」と日常的に声をかけてくれます。まるで登山者が交差する時のあいさつのようです。こちらも笑顔で「こんにちは」と返事をしない訳にはいきません。この「声かけ」は、実は防犯対策の一環という話を聞きましたが、そうであっても悪い気はしないもの。われわれ大人を上機嫌にさせてくれます。

 岩手県は私のルーツの地。旅をしながら、岩手県を含む東北地方は、いずれこの国が直面するであろう少子高齢化社会の模範となる地域だと感じました。気さくで実直。そんな岩手県民のDNAを引き継いでいることを、生涯私は誇りに思います。復興はこれからが正念場となるでしょうが、今後も影ながら支援していきます。旅行の折に、あたたかく対応していただいたみなさまには、あらためて感謝いたします。ありがとうございました。

(立花幹彦)


 

 

 

 


「あまちゃん」ありがとう

2013年09月30日

「あまちゃん」とうとう終わってしまいました。

 大友良英さんの音楽に引き込まれて、出演者に悪役が出てこなくて、見ると元気が出て、随所で笑わせてくれて、でもちょっとだけ切なくて、こういう展開ありかと「じぇじぇじぇ」と驚かされて、80年代アイドル懐かしくて、そして優しい気持ちになれて…毎日楽しく視聴させてもらいました。

 脚本を担当した宮藤官九郎さんは、続編の期待が高まるなか、あるインタビューで 「役者もスタッフも全員そろわないと続編はできない。現実的に難しい」と語っています。 残念ですが私も納得。アキちゃんやユイちゃん、夏ばっぱ、春子さん、鈴鹿ひろ美さんなどのメインキャストだけでは成立しないドラマなんですね。何度見ても飽きないので、また初回から見直してみます。

        ◆

 今年の5月、岩手県を中心に三陸復興国立公園をめぐる一人旅をして、東日本大震災の被災地を自分の足で歩いてきました。 ドラマに登場する「北三陸鉄道」の列車を見るたび、旅の道中を懐かしく思い出していました。 つたない文章ですが、旅の様子をこのブログに連載しています。

 ブログの内容について、みなさまからメールなどで丁寧なご感想をお寄せいただきました。この場を借りて、あらためてお礼申し上げます。

 「あまちゃん」に感謝し、旅で撮影した車窓の写真を掲載いたします。 実際の「三陸鉄道北リアス線」は、来年春に全線が開通する予定です。 その頃、また旅に出たいと思います。


▼2013年5月17日、三陸鉄道北リアス線・久慈-田野畑間で先頭車両から撮影

130930.jpg

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


風立ちぬ 夜空になびく 光の余韻(2013道新花火大会)

2013年07月29日

 今年も豊平川花火大会に行ってきました。 雨の予報のため当日の実施が危ぶまれましたが、無事に開催できました。 少し風がありましたが風上の席を確保し、風になびく花火の風情をいい感じに撮影できました。

         ◆

 前日、映画「風立ちぬ」を鑑賞しました。 零戦設計者・堀越二郎氏の半生をテーマにした宮崎駿監督の5年ぶりの新作です。 「美しい飛行機を作りたい」と、夢に向かって精いっぱい生きる男の栄光と挫折、そして切ない恋愛を描いたヒューマン・ストーリー。映画の終盤は不覚にも涙が止まりませんでした。花火の光の余韻とともに、この映画の余韻は、しばらく私の心に残っていそうです…。

         ◆

▼花火大会の序盤、まだ空の青さが残っています。適度な風のおかげで煙は奥に掃けてくれ、空と花火を引き立てる脇役になってくれました。空の深いブルーと花火の繊細なラベンダー色が調和した、私のお気に入りの一枚です。

130729-004.jpg


▼近年は、スマートフォン普及のため、客席の携帯機器の画面の光が気になります。避けて撮影するのに苦労します。これも時代の流れなのでしょう。数年後には、ビルや電灯の光のように、自然な風景になってしまうのでしょうか。

130729-005.jpg


▼中盤に撮影した一枚。繊細な光の残像が、すすきの穂のように風になびいています。白い光と黒い闇のコントラストが映え、幻想的な「光の余韻」を表現できました。

130729-006.jpg

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


デーブマンの思い出尽きぬ
 ~ アナウンサー仲間が「しのぶ会」 ~

2013年03月11日

 1月に亡くなった高田文之さん(デーブマンさん)をしのぶ会が、3月8日(金)、西区の飲食店で開かれました。高田さんがいつも座っていた席には、上機嫌にカラオケを歌う在りし日の写真が飾られ、故人の思い出を語り合いました。

staff_130311_01.jpg

 この日は、工藤じゅんきさん、長谷川宏和さんなど、高田さんと同時期に活躍されたアナウンサーのみなさんが一堂に集いました。さすが人望が厚いミスター・デーブマン。どの放送局の特番でも実現しそうにない豪華な顔ぶれです。

staff_130311_02.jpg

 宴が盛り上がると、アナウンサーをはじめ出席者のみなさんが、自慢ののどを披露してくれました。声を仕事にしているだけあって歌もプロ級。きっと天国の高田さんにも歌声が届いたことでしょう。

staff_130311_03.jpg

 私は今でも休日に、お気に入りのラジオ番組を聴いています。もう20年間欠かさずに。休日出勤して職場に誰もいないときは、ラジオを聴きながら仕事をしています。気分が乗って仕事が進むんですね、これが…。

 「スマホだ、SNSだ、4Kテレビだ」というこのご時世、従来のラジオ放送をずっと聴いている人は、きっと少数派なのでしょう。でも、そんなラジオの魅力を私に教えてくれたのは、まぎれもなく「ベストテンほっかいどう」の名DJ、ミスター・デーブマン、あなたです。

 少年時代の記憶とともに、ラジカセから流れてくるあなたの声は、35年たった今でも明瞭に覚えています。「ラジオの神様」がいるとしたら、こんなラジオ好きの私を、デーブマンに引き合わせてくれたのかもしれません。ご縁に恵まれたことを、心から感謝いたします。

 高田文之さんが亡くなって四十九日になろうとしていたこの日、仲間たちによる「しのぶ会」は、故人には一番の供養になったことでしょう。あらためて、心よりご冥福をお祈りいたします。そして、ありがとうございました。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


「デーブマン」こと高田文之さんをしのぶ

2013年01月28日

 高田文之さんの訃報が、1月25日北海道新聞朝刊の社会面に掲載されました。享年66歳。HBCラジオの「ミスター・デーブマン」と言ったほうが、ピンとくると思います。
 近年は、表舞台から退いていましたが、私は最近まで、行きつけの飲食店で、何度かお話をする機会を持ちました。

          ◆

 初めてお会いしたのは3年ほど前。お互い一人客どうし、カウンターに並び、お酒を酌み交わしました。「中学生の頃、ラジオのベストテンほっかいどうを毎日聞いていましたよ。」「30年後、そのデーブマンさんと隣で一緒にお酒が飲めるとは、夢にも思いませんでした。本当に感激です。」そんな会話に始まり、ラジオの魅力や、時事問題、日本の行く末についてまで、二人でいろんな話をしました。

 そこには、かつての恰幅(かっぷく)のいい「デーブマン」の面影はなく、スリムな体形になっていましたが、優しいまなざしと、なめらかな語り口は、昔と変わりませんでした。時には、われわれマスコミに対する辛口批評も展開されましたが、それは、われわれ後輩に対しての期待の裏返しととらえ、彼の話に耳を傾けました。

 最後にお会いしたのは昨年11月。10月末に亡くなった作家の藤本義一さんについての思い出話や著書について、じっくり語り合うことができました。

          ◆

 時を越え、世代を越えて、高田文之さんと本音でお話しできた時間を、私は生涯忘れることはないでしょう。人生の先輩として、未熟者の私を、もっともっと叱咤(しった)激励してほしかったです。


ありがとう、ミスター・デーブマン。
あなたは、私の永遠のヒーローです。
どうぞ、安らかにお休みください。

(立花幹彦)


 

 

 

 


宇宙飛行士・山崎直子さんに元気をもらう

2013年01月15日

 子供に交じって、1月13日に青少年科学館で行われた「宇宙飛行士・山崎直子さん講演会」に参加しました。当日の様子は、1月14日北海道新聞朝刊の第3社会面と札幌圏の地方版に掲載されています。詳細は、そちらの記事をご覧ください。

          ◆

 山崎さんは、いうまでもなく優秀な技術者。でもそんな雰囲気はなく、気さくで容姿端麗、おちついた語り口です。「優しいがんばり屋の人気女性教師」そんな印象を持ちました。これも、あこがれの宇宙飛行士の素質のひとつなのでしょう。会場の子供たちは、みんな彼女のファンになったことと思います。もちろん私も。

staff_130115.jpg


 講演会のタイトルは「 ~ 宇宙・人・夢をつなぐ ~」。あえて「人」という言葉を入れたのは、宇宙飛行士という職業は、極めて「人間くさい」仕事だということを強調したいためとのこと。

 訓練中、最もつらかったことは、宇宙飛行士の資格を得てから、2003年のコロンビア号の空中分解事故が発生し、ゴールが見えない状態での訓練が続いたこと。そんな彼女を支えたのは、アメリカの神学者の言葉「ニーバーの祈り」の一節だったそうです。

「ニーバーの祈り」
   神よ 変えることのできるものについて、
   それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
   変えることのできないものについては、
   それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
   そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
   識別する知恵を与えたまえ。
  (ウィキペディアより引用)


 先が見えない今の日本において、「ニーバーの祈り」は、私たち日本人が学ぶべき、思慮深い言葉です。私自身も、今後の人生の指針にしていきたいと感じました。

          ◆

 「二児の子育てをしながらも、前向きに11年間という長期に渡り、ずっと宇宙飛行士への夢を持ち続けられたのはどうしてですか?」という会場からの質問には、「結局は、子供の頃から宇宙が好きという、単純な理由なんですね」と回答してくれました。なるほど納得。

          ◆

 子供の頃は「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などの宇宙アニメが大好きだったとのこと。私も大好きなアニメです。同世代の親近感を覚えますね。夢見る頃を過ぎた私のようなオジさん世代にも、勇気と元気をもらえた講演会でした。ありがとうございます。今後のさらなるご活躍を期待しています。


※ポスターと、当日配布のパンフレットは、同館の許可を得て、本ブログに掲載しました。

(立花幹彦)


 

 

 

 


「 父なる斜里岳、母なる海別岳 」
 ~ 元旦の故郷・網走にて ~

2013年01月04日

この上ない穏やかな年末年始でした。

 すこぶる快晴の元旦網走。斜里岳(しゃりだけ=1,547メートル)と海別岳(うなべつだけ=1,419メートル)は、その美しい姿を余すところなく披露してくれました。

 斜里岳には、雄々しく力強い男らしさ(=父親像)、海別岳には、優しく穏やかな女らしさ(=母親像)を感じます。物心ついた頃から変わらぬ姿で、何も語ることなく私を迎えてくれる風景。そんな遠くの山々を見ていると、不思議と気持ちが安らいで「生まれ故郷の網走に帰ってきたんだ」という思いが込み上げてきます。ふるさとを離れてもう27年。見慣れたはずのこの風景に回帰するとは、何とも皮肉なものですが、これが人生の必然の流れなのかもしれません。

 それでは元旦の網走市内各地から撮影した、斜里岳と海別岳をご覧ください。


▼ 鱒浦漁港から

 オホーツクブルーの空の下、鱒浦(ますうら)漁港から、知床の山並みを望むことができました。海別岳(=写真左=)よりも、斜里岳(=写真右=)が少しだけ背が高いところや、寄り添っているわけでもなく、遠慮がちで微妙な距離感が、まるで人間のカップルのようです。

staff_130101_01.jpg
 



▼ 白鳥公園から望む初日の出

 元旦の午前7時すぎに、濤沸(とうふつ)湖の白鳥公園から撮影しました。斜里岳の稜線(りょうせん)のシルエットが、うっすらと浮かび上がります(=写真下=)

staff_130101_02.jpg



▼ 知床峠に続く海岸道路から

 国道244号線(通称、斜里国道)の、鱒浦(ますうら)から藻琴(もこと)へ向かう海岸道路から、斜里岳をズームレンズで撮影しました(=写真=)。道路上部には「知床峠・冬期通行止め」の表示看板。夏期、この道は知床峠まで続きます。今回の撮影で、私のお気に入りの1枚です。

staff_130101_03.jpg



▼ 藻琴の市街地から

 藻琴の市街地を通過し、北浜(きたはま)へ向かう途中で撮影しました。海別岳が迫ってくるようです(=写真下=)。JR北浜駅は、海に最も近い駅として観光スポットになっています。

staff_130101_04.jpg



▼ 中園「感動の径」にて

 中園(なかぞの)は、網走の内陸側に位置する丘陵地帯。ここにある感動の径(かんどうのみち)は、斜里岳を望む隠れた観光道路です。網走で私が最も好きな場所のひとつです(=写真下=)

staff_130101_05.jpg



▼ マジックアワー直前の斜里岳

 数年前の佐藤浩市さん主演の映画で「マジックアワー」という言葉は、すっかり有名になりました。ネット検索すると「日没後の太陽は沈み切っていながら、まだ辺りが残光に照らされているほんのわずかな、しかし最も美しい時間帯を指す写真・映画用語(ウィキペディア・フリー百科事典より)」となっています。私が最も好きな時間帯は「マジックアワーのちょい手前、夕日の暖かい色の光に照らされる時間帯」。この瞬間の斜里岳をカメラに収めました(=写真下=)

staff_130101_06.jpg


          ◆

 上記の全写真は、愛機のコンパクトデジタルカメラ(Canon PowerShot SX130 IS)、自動露出モードで撮影しました。上記の全スポットは、車で30分程度で巡ることができます。ぜひ四季折々の風景をご覧になってください。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


いまだ現役!41年前のシャープ製電卓

2012年12月03日

 電卓が一般家庭に普及するきっかけとなった「カシオミニ」が発売されて、今年で40年。「答えイッパツ♪ カシオミニ♪ 」のCMフレーズは、私と同じ40代半ば以上なら、ほとんどの人の耳に残っているはずです。

 私はカシオミニよりも、さらに昔の電卓を所有しています。父から譲り受けた41年前のシャープ製電卓で、今でも普通に使えます。1971年11月に発売されたもので、製品名は「電子ソロバン KC-80A」。シャープのOEM(=相手先ブランド製造)で、販売元は事務用品を扱うコクヨです。当時の値段で 36,900円。

▼最近の写真だということを証明するため、iPhone5の画面に、私が書いた道新スタッフブログの画面を表示して隣に置きました。電卓の表示部分はグリーンに発光する電子管で、数字のデザインは独特の曲線基調です。何だか今の電卓よりも温かみと優しさが感じられます。

121203-pic01.jpg


▼内部を見てみましょう。この頃の電子機器は「ゆったり配線」なので、ネジを外してケースを開ければ、基盤を簡単に見ることができます。

121203-pic02.jpg


▼基盤には製造年月日がプリントされています。昭和46年(=1971年)10月22日の製造です。今年で製造後41年。前年の1970年はアポロ13号が「奇跡の生還」をした年。映画の「アポロ13」でも、操縦席のコンピューターの計器表示は、この電卓のような電子管を多用していました。

121203-pic03.jpg


▼基盤上のLSIチップはシャープ製で、型番はNRD2256。ネットで調べたところ表示の電子管を制御するLSIチップです。当時の電子機器は、キーボード入力・演算・表示用などの専用LSIで構成されていました。電卓はこの後「ディスプレーの液晶化」「太陽電池の搭載」と、まさに現在シャープが得意とする技術革新を続けていくことになります。今は苦境に立たされていますが、シャープには日本のエレクトロニクス産業を支えてきた、百年企業の意地と底力を見せてほしいと思います。

121203-pic04.jpg


          ◆

 自営業だった父は、ソロバンは得意ではなかったようで、帳簿の計算を速く正確に行いたいために、大枚はたいて、この「電子ソロバン」を購入したのでしょう。保育所通いの幼い私は、夜な夜な父がこの電卓で帳簿計算をしていた光景を、今でも鮮明に覚えています。

 いまだにキーも表示管も壊れず、現役で動作するということは、父がこの電卓を大切に使っていたという証拠であり、シャープ製品の信頼性の高さを裏付けるものです。

 41年間お疲れさまでした。次は「製造50年、現役電卓」を目指して、昔の父の記憶とともに、このシャープ製電卓を大切に保管していきます。

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


聴いてみよう! 蓄音機の魅力

2012年09月13日

 少し前の記事になりますが、8月30日付の北海道新聞・朝刊コラム「朝の食卓」に、私の友人・館沢桂一さんのエッセー「蓄音機」が掲載されました。


 彼が実際に修理を施し、生き返った蓄音機の映像がユーチューブにあります。
http://www.youtube.com/watch?v=JHS5Bd-JBh8&feature=plcp

(ご本人がアップした動画です。本人の了解を得てリンク掲載しています)

120913.jpg


 彼の蓄音機は、過去と現代をつなぐ「タイムマシン」。電気を一切使用することなく、優雅に回転する姿は、精密で美しい「芸術品」であります。

          ◆

 彼が所有する蓄音機を聴かせてもらいました。思い出すのは、子供の頃「小学3年生」などの学年誌のふろくの、ソノシート(フィルムのようなペラペラな薄いレコード)と紙工作のプレーヤー。あれは、原理的に蓄音機そのものでした。厚紙なので、少し遊ぶと壊れてしまうのですが、それでも「本当に音がでる!」と、わくわくした感動を今でもよく覚えています。蓄音機の音色には、そんな遠い少年時代の記憶を呼び戻す、不思議な郷愁があります。

          ◆

 先人が考案した優れた蓄音機は、彼の手により、百年単位で生き続けていくことでしょう。それに比べ、近年の電子メディアとIT機器は、なんと短命なことか。残念でなりません。
 「長く後世に残る仕事を手がけたい」。人は年齢を重ねると、本能的にそう考えるようになるのでしょうか。

(立花幹彦)



 

 

 

 


夜空に咲いた光のアート ~2012道新花火大会を撮る~

2012年07月30日

 今年も豊平川花火大会に行ってきました。7月27日、晴天に恵まれ絶好の「花火日和」となり、まずまずの写真が撮影できました。

 使用カメラは「Canon PowerShot SX130 IS」。意外に思われるかもしれませんが、ここ数年は、(少しだけ高機能の)コンパクトデジカメを愛用しています。このカメラは、丈夫で基本性能がしっかりしているため、今の私の主力機です。若い頃は一眼レフを駆使し、重い三脚と交換レンズを抱えて撮影していましたが、そういう必要もなくなり、私のようなアマチュア写真愛好家には、本当にいい時代になりました。

 「花火」という言葉どおり、花火大会には「花」があります。年を重ねていくたび、なんともいえない風情を感じます。それでは豊平川河川敷から撮影した「かれんな花々」をご鑑賞ください。

▼第1部 グランドショー「創作スターマイン」から
(菊かマーガレットの花でしょうか。お見事!)
120727-1948-IMG_01.jpg

▼第2部 ダイナミックショー
(スターマイン=速射連発花火=を中心に撮影)
120727-2009-IMG_02.jpg

120727-2017-IMG_03.jpg

120727-2020-IMG_04.jpg

120727-2021-IMG_05.jpg

120727-2026-IMG_06.jpg

120727-2028-IMG_07.jpg

▼第3部 グランドフィナーレ
(豊平川方向からの「ワイドスターマイン」。幻想的で、オーロラのようにも見えます)
120727-2041-IMG_08.jpg

(文と写真・立花幹彦)


 

 

 

 


柄前(つかまえ)師ってどんな職業?

2012年02月16日

 道新朝刊の第2社会面コラム「朝の食卓」は、主に一般人が交代で執筆を担当します。2月14日は、札幌在住の柄前(つかまえ)師・館沢桂一(たてさわ・けいいち)さんの寄稿文でした。 館沢さんは私の友人で、私が彼を「朝の食卓」に推薦しました。今年の1月から2年間の予定で、1カ月半に1回程度、寄稿していただきます。

 ここで、柄前師という一般にはなじみのない職業について、簡単に説明します。柄前師とは、日本刀などの柄(握る部分)を制作する職人で、柄巻(つかまき)師とも呼ばれます。

 館沢さんは道内でただ1人の柄前師。日本の伝統工芸の未来を担う職人です。

120216-tatesawa.jpg

 1月5日の初回掲載「今日に挑む」、2月14日掲載「幸せ探し」。両回とも彼の人生観や、実直な人柄がにじみ出ている上質な文章です。 次回は3月下旬ごろ紙面掲載されることでしょう。

     ◆

 館沢さん。あなたと酌み交わす酒は、いつも私を上機嫌にさせてくれます。次回も、心にしみるエッセーを期待しています。

※写真はご本人から提供していただき、このブログ掲載を快く了解してくださいました。

(立花幹彦)


 

 

 

 


「20年物・ビンテージPC」で最新ブログを書く

2012年01月02日

 本年もよろしくお願いします。年初にあたり、故郷の網走で昨日撮影した、初日の出の写真を掲載します。荘厳な瞬間を、今年は特別な思いで迎えました。

120102-01.jpg

 斜里岳の美しいシルエットを引き立たせるように、稜線(りょうせん)から上る希望の光。両親も、故郷の町並みも、そして私自身も変わっていくなかで、遠い昔から変わることのない輝きを放つ、私の「心の原風景」であります。

          ◆

 私は「IBM-5535-M19」という、年代物のパソコンを持っています。いまでも正常動作します。1992年ごろに職場で購入し、耐用年数が過ぎて廃棄扱いになったものを譲り受け、自宅で主にワープロ機として使い続けました。当時は「ノートPC」ではなく、「ひざの上」という意味の「ラップトップPC」と呼ばれていました。

 2001年にウィンドウズPCを購入するまでは、私の右腕として活躍してくれました。その後、時代に取り残されていき、近年は電源も投入しなくなりましたが、テキストデータなら今でも最新ウィンドウズ機とデータ交換できます。

 今回、この「20年物・ビンテージPC」を使って、ブログ原稿の一部を実際に書いてみました。執筆完了後、フロッピードライブ経由でウィンドウズPCに原稿を取り込み、このブログに無事アップできました。

120102-02.jpg
【写真説明】 IBM-5535-M19全景。いまでも通用する端正なスタイル

120102-03.jpg
【写真説明】 IBM-5535のロゴ。IBMはすでにPC製造から撤退している

          ◆

 「あぁ、カラーじゃねえ。マウスもねぇ。インターネットやメールねぇ。ハードディスクは30M。メモリたったの2Mだけ…」昔ヒットした歌謡曲のフレーズのようです。「結局ビンテージPCって、何ができるの?」と言われれば、いまの時代には何の役にも立ちません。しいて言えば、ワープロや表計算ソフトが動きます。さらに私の世代には懐かしいBASIC(ベーシック)というプログラミング言語が動きます。

 BASIC言語が完全動作するマシンという意味では、かなりの希少価値があります。趣味というよりも「絶滅危惧種を守っているボランティア」に近い活動ですね。

 自動車なら、たとえば30年前に購入した愛車を大切に乗り続けるというスタイルが、ひとつの文化として確立されています。しかしながらIT機器はそうはいきません。発展産業から成熟産業に移行しつつあるこの分野についても、「長く大切に使い続ける」というスタイルを確立できないものでしょうか。

 昨今は、中古PCや再生PCの市場も盛況ですが、1台のパソコンの組み立てや再生にも、石油資源や電力を消費するでしょうから、長く使い続けることで、資源節約や節電の効果が期待できます。高齢者にとっても、なじみのある機器は使いやすいことでしょう。

120102-04.jpg
【写真説明】 執筆中の画面。当時としては優れた「かな漢字変換」を実装している

          ◆

 私の「ビンテージPC」は、いつ故障してもおかしくない状態です。中古市場を探しても、部品調達は難しいことでしょう。このブログ執筆が最後の仕事になるかもしれません。

 それでも、同世代のほとんどのマシンは「2000年問題」をクリアできずに姿を消していったでしょうから、2012年まで現役でいられたことは奇跡に近いことです。動作不能になった後は「アンティークPC」として保管し続けます。他人には「ガラクタ機械」と思われても、私には愛着のあるマシンですから。

(文と写真・立花幹彦)