楊式太極拳とは

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楊式太極拳は、太極拳の名人である、楊露禅によって創始されました。楊露禅は、貧しい家に生まれたが、幼少より武術を好み、始めは少林拳系の武術を学びました。楊露禅が、太極拳に出会ったのは、広府鎮で陳家溝の一族で、自身も太極拳を習得していた。陳徳瑚が営む薬店に、住み込みで働いた時です。陳徳瑚の武術の実力を知った楊露禅は、この武術を習いたく思い、陳徳瑚の紹介で陳長興の元へ修行に出かけます。楊露禅は、陳長興の元へ奉公人として入り、最初は、技を教えてもらえませんでした。しかし、後に、楊露禅の才能を見抜いた陳長興は、彼を弟子にとりました。



現在、日本で、太極拳として親しまれている24式太極拳は、楊式太極拳をベースにし、健康体操として1956年に中国政府によって普及用に制定された套路で、「化太极拳(簡化太極拳)」と呼ばれています。楊露禅には、武術家としての、多くのエピソードが、今も残っています。例えば、楊露禅は、ツバメを手で捕らえ、掌を微妙に上下させるだけで、ツバメは足に力が入らず、どうしても飛び立つことができませんでした。楊露禅の手が、野生動物をも凌駕する精妙な動きをしたという事を示すエピソードとして有名です。また、楊式太極拳は、ゆっくりとした動作が特徴的ですが、楊露禅の動きは非常に素早いもので、「発勁は矢の如し」という言葉が伝えられています。




その後、正式に陳長興から陳式太極拳を学び、3回にわたり、のべ18年修業しました。楊露禅は、40歳を過ぎた後、故郷の広府鎮に戻りました。その時、武禹襄などに大架式(老架108式)を指導しました。また、子供の楊班侯、楊健侯らが、武禹襄が経営する学校に通い、勉学に励むかたわら、彼らも太極拳の練習をしていたようです。また、後に、警察官をしていた武禹襄の兄である武汝清に推薦され、北京に移り住み、王族らを指導しました。楊露禅は、指導した王族や貴族ら用に動きを改良し、また長袖・辮髪という当時の格好でも動きやすいように、改めました。動きが、ゆっくりと大きく、柔剛あわせもつこれらの改良型は、太極小架子と呼ばれ、子供や孫の楊澄甫らが改良を重ねました。現在の楊式太極拳の雛形でもあります。これにより、初心者でも比較的簡単に学ぶことができるようになり、現在の太極拳の発展の手助けとなったと言えます。楊露禅が、北京で太極拳を教えていたころ、多くの武術家が、楊露禅に挑戦しましたが、誰一人として勝つ事ができなかったので、「楊無敵」と言われるようになりました。楊露禅の死後、二人の息子やその孫の3代にわたり、改良を重ね、現在の楊式太極拳が完成したと言えると思います。
この楊露禅には、多くの弟子がいましたが、その一人に、宋唯一がいます。また、彼の弟子が、張驤伍将軍です。張驤伍将軍は中央国術館の副館長でもありました。また、彼は、八極拳の名人の李書文からも、八極拳を学んでいました。張驤伍将軍が、宋唯一から学んだ太極拳は、前述のように、楊露禅が、王族や貴族ら用に動きを改良した太極拳のようです。しかし、実際的には、何度かの改変があったようです。宋唯一が伝えた太極拳は、改変初期の、まだ古伝の動作が、多く残っているものだと言われています。この、宋唯一から、張驤伍将軍に受け継がれた太極拳を当会では練習しています。この太極拳の技術については、大架式から形成されたのか、あるいは小架式から形成されたのかは、よく解っていません。そのため。老架、老傳と呼ばれています。また、動作や理論面に関しても、一般的に練習されているものとは異なっている部分があります。これは、比較的、動作が低架であり、呼吸に多くの注意事項があることです。また、運気にも、多くの細密な要求があります。また、当会では、前述の楊式太極拳の創始者である、楊露禅から、宋唯一に伝わり、張驤伍へと受け継がれたものをベースとしています。それだけではなく、鄭子太極拳や陳式太極拳(老架式、新架式、忽雷架式)の練習法も取り入れています。