History


HOME      English     BACK


多賀谷伊徳 年譜

1918(大正7)

41日 響灘に注ぐ遠賀川河口の福岡県、芦屋町に生まれる。

 

1930年 

福岡県立東筑中学校(現東筑高校)入学。

前田寛治の友人である叔父の影響もあり、独学にて油彩画を始める。

 

1936年 

グループ展の第1回新九州美術協会展(八幡市・丸九百貨店)に油彩画を出品。

同郷の画家高瀬素を知り親交を結ぶ。

 

1937年 

2回新九州美術協会展(八幡市・丸九百貨店)に油彩画を出品。

 

1938

3月、第2回主線美術展(3/193/28東京府美術館)に「海」油彩画が初入選。

同郷の寺田政明を頼り上京,豊島区池袋西口の長崎、要町一帯のアトリエ村

通称「池袋モンパルナス」に集う靉光、麻生三郎、糸園和三郎、井上長三郎、

古沢岩美、松本竣介等を知り、瀧口修造をはじめ、福沢一郎、阿部展也(芳文)

斉藤義重、杉全直等、超現実派グループの画家達の知遇を受ける。

9月、創刊された「九州文学」の同人となり、超現実派風の詩を発表する。

 

1939

3月、第9回独立美術展(3/103/30東京府美術館)に「氣穴持つ生物」

(1938年油彩 焼失)が入選。

5月、寺田政明・多賀谷伊徳二人展(565/8八幡市・丸九百貨店)を開催。

5月、福沢一郎等が創立した美術文化協会に参加(創立会員41名の中に入らず)。

9月、福岡県三井郡にあった大刀洗飛行隊に航空気象兵として現役入隊、東京

立川基地との間を行き来する。

 

1940

4月、第1回美術文化展(4/114/19東京府美術館に「飛翔する前」「朱い實の

ある木」を出品。

この頃,台湾屏東の部隊に配属、兵舎内で地図作成のため石版画の技術を習得

  

1941

4月、第2回美術文化展(4/275/6東京府美術館に「珊瑚礁」をより出品。

同時出品した「朱い實」は発表禁止となる。

5月、張文環が創刊した「臺湾文学」の創刊号に詩を発表し、扉絵カットを描く。

9月、台中市の航空隊に配属。

臺陽展に「岩に咲く花」を出品。

 

1942

5月、第3回美術文化展(5/276/4東京府美術館)に「蒼生」を戦地より出品。

台湾からフィリピン、タイ、マライ、ビルマに転戦。

 

1943

5月、第4回美術文化展(5/276/6 東京府美術館)に「原野」「入海」を戦地より出品。

暮、インパールにて徐隊、帰還。

佐賀県有田市に戦友を訪ね,岩徳窯にて始めて磁器の絵付を行う。

 

1944

4月、第5回美術文化展(4/275/10東京都美術館)に「アラカンヘ」「佛門

(森の廃小乗寺)」を出品,「佛門(森の廃小桑寺)」で美術文化賞受賞。

 

1945

上京。寺田政明宅に寄寓し、二人して瓦礫と化した東京で壁新聞を制作。

再度召集を受け、戦地に向かう直前に終戦。

 

1946

5月、第6回美術文化展(5/165/31東京都美術館)に「波」「関門海峡」を出品。

美術文化協会会員となる。

9月、大分県中津市にて、疎開中の糸園和三郎、多賀谷伊徳、中條顯、山本新蔵、

寺田政明等5人の画家による「中津の五人美術展」(9/2910/1中津市商工会議所)

を開催,多賀谷は「黄昏の海」「かぼちゃの花」他を出品。

蔵實展(銀座・金子画廊)に「波」を出品。

 

1947

5月、第7回美術文化展(5/276/7東京都美術館)に「阿蘇」「樹間」「海辺」出品。

7月、八幡市にて,7回美術文化展の一部を展観(7/277/30八幡市役所会議室)

空襲により死去した故高瀬素の遺作を併陳する。

8月、新九州美術協会・新九州新聞社主催の第1回新九州美術展(8/18/10

小倉市・到津遊圃)に出品。

9月、美術文化協会秋季小品展(銀座・三越)に「火山にて(阿蘇)」を出品。

9月、各美術団体所属の前衛作家が集まり,日本アヴァンギャルド美術家クラブを

結成、会員となる。

この年より3年間、日本アヴァンギャルド美術家クラブの一員として東京・有楽町

のアニー・パイル劇場内図書館の常設展に油彩画を20点ほど出品。

米国コレクターの人気を呼ぶ。

 

1948

2月、読売新聞社主催の第1回モダンアートクラブ展(2/253/15束京都美術館)

に「団欒(平原にて)」「午睡(森にて)」を出品。

5月、美術文化協会としては初参加の毎日新聞社主催第2回美術団体連合展

(5/256/16東京都美術館)に「果球」を出品。

6月、第8回美術文化展(6/197/5東京都美術館)に「新樹季」「樹」「創覇」出品。

11月、第2回新九州美術展(11/511/7小倉市・井筒屋,かねやす)に出品。

多賀谷伊徳絵画作品展(11/2211/25小倉市・井筒屋)に油彩画23,水墨画23

46点を出品。

この年より,横山白虹主宰の俳句誌「自鳴鐘」(復刊第3号より)の表紙絵を担当。

 

1949

八幡製鉄親和会,日炭高松炭鉱等で美術講演会および座談会を行い,絵画同好会

の結成、指導にあたる。

2月、読売新聞社主催の第1回日本アンデパンダン展(2/13/3東京都美術館)

に「開花」を出品,アトリエ賞候補となる。

3月、第9回美術文化展(3/53/17東京都美術館)に「悲喜の時」「或る日の集

り」を出品。

410日、多賀谷や寺田政明の尽力により福沢一郎は福岡県八女郡に住む

坂本繁二郎を訪れ、現代美術や西洋と東洋の美術などについての対談を行う。

5月、第3回美術団体連合展(5/146/5東京都美術館)に「雅歌」を出品。

7月、古沢岩美が美術雑誌「アトリエ」(7月号)で多賀谷伊徳を新人として紹介。

9月、第2回モダンアートクラブ展(9/239/29銀座・三越)に出品。

11月、第3回新九州美術展(11/111/6小倉市・井筒屋,かねやす)に出品。

 

1950

2月、第2回日本アンデパンダン展(2/183/8東京都美術館)に「風景」出品。

3月、第10回美術文化展(3/113/21東京都美術館)に「炎」「純梓窯占」「花園女」

「月景」出品。

朝日新聞社主催の第1回選抜秀作美術展(3/153/31)日本橋・三越に

「或る日の集り」を出品。

5月、第4回美術団体連合展(5/146/7東京都美術館に「性格は二つに」出品。

この年より九州巡回展(福岡市・岩田屋)が開かれる。

9月、美術文化協会秋季小品展(9/19/7銀座・三越)に「脱皮」を出品。

11月、個展(11/911/12若松市・丸柏百貨店)に油彩画,水墨画など50点を出品。

日本アヴァンギャルド美術家クラブを解消し,岡本太郎を代表とする国際アート

クラブの結成に参加。

 

1951

2月、第3回日本アンデパンダン展(2/273/18東京都美術館)に「郷愁女神」

「静物」を出品。

3月、第11回美術文化協会展(3/203/29東京都美術館)に「日は落ちて」「禱夜」

「動物」「歩人」「魚」「芽葉」「白明夜」出品。同出品目録の表紙絵を描く。

5月、第5回美術団体連合展(5/226/13東京都美術館)に「かりそめ」出品。

9月、東京での第1回個展(9/19/15神田・タケミヤ画廊)に油彩画等約25点出品。

会場のタケミヤ画廊はこの年より新鋭作家シリーズ展を始める。

113日、西日本新聞社主催第18回西日本スケッチ北九州大会の審査を行う。

美術文化協会秋季小品展(日本橋・三越に「玉(動物)」出品。

 

1952

2月、第12回美術文化展(2/162/26東京都美術館)に「踊(倭人)」「西風(倭人)」出品。

美術文化協会を退会する。この年には阿部展也、神谷信子、斉藤義重等絵画部12,

写真部16名全員,書道部73名全員が退会。

5月、第2回個展(5/215/31神田・タケミヤ画廊)に油彩画等約25点を出品。

6月、ローケツ染めの浴衣を制作。

横浜市旭ガラス鶴見工場でペア・アートグラスの作画に成功。

このペア・アートグラスとは二枚の特殊ガラスの間に,ベンゾール溶液で溶

いた染料をもって絵を描いたポリビニールブチラールを挾み180℃位の高温

で密着させて仕上げる一種の絵ガラスで、当時高価なステブドグラスの代用と

して室内装飾に用いられた。

104日、第19回西日本スケッチ北九州大会の審査を行う。

 

 1953

2月、第5回日本アンデパンダン展(2/42/20東京都美術館)に「人」出品。

5月、毎日新聞社主催の第2回日本国際美術展(5/206/8東京都美術館)

「炭鑛(地下建造)」「炭鑛(人工島) 」を出品。

6月、糸園和三郎・多賀谷伊徳・中條顯三人展16/106/14佐世保市親和銀行別館)

に具象の油彩画9点を出品。

725日、東中野モナミにおいて国際アートクラブ日本本部(代表:岡本太郎、

幹事:小松義雄、村井正誠、恩地孝四郎、末松正樹、滝口修造、植村鷹干')

の発会式が行われ,同クラブ会員となる。

9月、末松正街、土屋幸夫、多賀谷伊徳の3人による新型象3人展9/2~9/6

銀座・松屋)に油彩画、ペア・アートグラス、染物,家具、オブジェ、陶器等出品、

引き続き大阪(産経会館)でも展観。

12月、東京国立近代美術館主催の抽象と幻想展(12/11/20東京国立近代美術館)

に「人物」招待出品。

 

1954

5月、毎日新聞社主催の第1回現代美術展(5/19~6/5東京都美術館)に「生きている」出品。

末松正樹と共に初の渡欧、国際美術会議、ユネスコ美術会議等に参加。

7月、パリGalerie de la Gentilhommiéreにて第1回個展、油彩画約30点出品。

9回サロン・デ・レアリテ・ヌーヴェル展7/88/8Musée des Beaux

Arts de la Ville de Parisに「生きている(Etre debout)」を招待出品、

エルバン、ザッキン、マネシエ、ピニヨン、フリード・レンダー、ポリヤコフ、

ジヤコメッテイー、ザォ・ウー・キー、スターリー、マルタン、マチュウ、カ

ルズー、タジリ等を知り,日本人では,浜口陽三,菅井汲,田渕安一、建畠覚造,

今井俊満等に会う。

1955

4月、第3回個展、銀座・松屋渡欧作品を出品

朝日新聞社主催の日・米抽象美術展(4/296/12東京国立近代美術館)に「作品」

「たそがれ」出品。

5月、第3回日本国際美術展(5/206/5東京都美術館)に「集」出品。

7,10回サロン・デ・レアリテ・ヌーヴエル展(7/98/7 Musée des Beaux-Arts de la Ville de Paris)に「立人」を招待出品。

10回アートクラブ会員展/7/117/16銀座・サトウ画廊)に出品。

岡本太郎の招きで二科会に入会,会員となる。

9月、第40回二科展(9/19/19東京都美術館)に「濁」「人」「集(お能より)」を出品。

木版画第1(6点他1)を刊行。

 

1956

1月、第7回選抜秀作美術展(1/101/22日本橋・三越)に「人」(油彩)を出晶。

3月、ラングーンで戦死した友人の遺族に,戦地でのスケッチに詩,短歌,

句などを添えた画帖「出戦余事」を贈る。

3月、沼田浩・多賀谷伊徳二人展(3/203/26銀座・サトウ画廊)に油彩画等10点出品。

4月、第17回アートクラブ会員展(4/34/9銀座・なびす画廊)に出品。

5月、第2回現代に日本美術展15/226/8東京都美術館)に「三点鐘」出品。

7月、サトウ画廊の9人展(7/117/17銀座・サトウ画廊)3点出品。

9月、第41回二科展(9/19/19東京都美術館)に「底突き」「相聞」出品。

4回個展(9/49/10銀座・なびす画廊) 25点を出品。

11月、朝日新聞社主催の世界・今日の美術展(11/1311/25日本橋・高島屋)

「亜朱」を出品。

木版画第2(8点他1)を刊行。

 

1957

5月、第4回日本国際美術展(5/236/15東京都美術館)に「隔壁の声曲」出品。

9月、第42回二科展(9/19/19東京都美術館)に「化石の歌」を出品。

10月、第5回個展(10/7-10/12銀座・トキワ画廊)に油彩画等25点を出品。

 

1958

4月、二科会春季展(4/114/16池袋・西武)に「作品」を出品。

5月、第3回現代日本美術展(5/156/2東京都美術館)に「男と女と子と」出品。

9月、第43回二科展(9/3010/5東京都美術館)に「褐色の中に」出品。

6回個展(9/3010/5日本橋・白木屋)27点出品。

有田市岩尾対山窯にて1メートル平方の磁器壁画の制作に成功。喫茶店ガトウ不二

(小倉市)のために磁器壁画「午後の女達」(2m×6m有田・岩尾対山窯),

喫茶店田園(戸畑市)のために磁器壁画「四人の女達」(1.5m×3m)を制作。

 

1959

5月、第5回日本国際美術展(5/96/2東京都美術館)に「蝕日」(油彩)を出品。

また同屡公募にも「作品D(油彩)が入選。

9月、第7回個展(9/79/12金艘・中央画廊)に油彩画25点を出品。

個展(9/199/27八幡市美術工芸館)に油彩画等を出品。

44回二科展(9/19/20東京都美術館)に「耐」「釈」「羅」を出品。

10月、朝日新聞社主催の第1回西部秀作展(10/111/1八幡市美術工芸館)に「椒」

「癪」(共に油彩,7回個展出品)を出品。

10月、個展(10/2210/30若松市・ドガ)に油彩画等約30点を出品。

 

1960

2月、第2回渡欧。

3月、コンパレゾン展(3/124/3Musee d'Art Moderne de la Ville de Paris)

二科会の作家59名が出品(サロン・ド・コンパレゾンとの交換展)多賀谷は

「古城の庭」(Jardin du vieux temple)」を出品。

5月、第4回現代日本美術展(5/105/29東京都美術館)に「作品」を出品。

7月、第2回パリ個展(7/1~7/16 Galerie Simone Heller)に油彩画を出品。

フリード・レンダーの工房にて銅版画を制作。

 

1961

2月、オランダ,ベルギー,ドイツ、スペイン,イタリア及びギリシャ,エジプト

古代遺跡を訪れ帰国。この年より、タガヤ美術館建設の準備に入る。また、

九州と東京各1回の割合で個展を開催する。

6月、第8回個展(6/236/28銀座・松屋)に滞欧作の油彩画26点を出品。

8月、岡本太郎等と共に二科会を退会。

11月、個展(11/611/12八幡市美術工芸館)に抽象作品40点、具象作品30点出品。

 

1962

3月、本年第1回アートクラブ展「日本のヴァイタリテイ」(3/274/1新宿・第一画廊)

17点を出品。

5月、第5回現代日本美術展(5/95/30東京都美術館)に「作品D」出品。

9月、個展(9/19/16小倉・丼筒屋)に花と風景を主とした作品を出品。

12月、第9回個展(12/212/8銀座・夢土画廊)15点出品。

 

1963

2月、アートクラブ2月展(2/263/3新宿・第一画廊)に出品。

6月、個展(6/297/10北九州市立八幡美術館)196162年の作品50点を出品。

9月、第10回個展(9/99/15銀座・夢土画廊)に油彩画,磁器板等20点を出品。

現代芸術研究所主催の第1回芸術プリントデザイン展(銀座・松屋)に出品。

  

1964

5月、第2回芸術プリントデザイン展(5/105/14 銀座・松屋)に出品。

9月、第11回個展(9/49/9日本橋・白木屋)40点出品。

10月、個展(10/610/15北九州市立八幡美術館)に60点を出品。

この年より4年間、江川和彦と共に崩壊しつつある九州の装飾古城の実態調査を行う。

 

1965

10月、個展(10/110/10 北九州市立八幡美術館)

アートクラブ主催の'65-日本・今日の美術展(10/23~11/11 銀座・村松画廊)出品。

12回個展(銀座・松屋)

 

1966

7月、第3回渡欧。

9月、第3回パリ個展(9/2310/10Gakrie Simone Heller)

アメリカ、ニューヨークで片江政俊、古川吉重、オチ・オサム、桜井孝身等九州出身

の作家に会う。メキシコ、ユカタン半島を回り帰国、そのまま眼底出血治療のため

九州厚生年金病院に入院、失明は逃れたが視力に重大な障害を負う。

 1967

5月、個展(5/205/31戸畑・、北九州画廊に滞欧デッサン約30点を出品。

11月、個展(11/1411/22北九州市立八幡美術館)に油彩画50,陶器等を出品。

12月、個展(12/212/8福岡市・ウドー画廊)

小倉南区にある労働福祉事業団九州リハビリテーション大学の教授となり、

リハビリテーションに美術教育を取り入れたカリキュラムを作成。

 

1968

3月、第13回個展(3/43/16銀座・日本画廊)15点出品。

4月、個展(4/94/14大分市・トキハデ'パート)に滞欧作品約40点を出品。

テレビ西日本制作のフィルムドキュメント「舟と太陽-九州の装飾古墳-

の制作指導を行う。

石版画第1集フランス編(8)、第2集イタリア編(8)、第3集アテネ編

(8)を刊行。

 

1969

39日、九州人文化の会等主催の第8回文化講演会(小倉・井筒屋)で「九州装飾古墳

に付いて」と題し講演する。

4月、個展(4/195/7小倉・ルイ画廊)に油彩小品,石版画等20点を出品。

7月、北九州市教育委員会主催の初の回顧展,多賀谷伊徳・田淵安…展(7127/27

北九州市立八幡美術館)に油彩画(1932年~68)30余点,石版画数点を出品。

石版画第4集 花の画集(8)を刊行。

 

1970

4回渡欧。

5月、第4回パリ個展(5/86/3 Galerie Simone Heller)に油彩画等26点を出品。

ベルギー,エトルスクなどを訪問。

石版画第5集イタリアの旅(10)を刊行。

1971

4月、第14回個展(4/124/24日本橋・日本画廊)

68日、翌年完成予定の北九州市庁舎を飾る磁器壁画の制作を行い、装飾古墳の

モチーフを組み合わせた下絵(油彩)を完成、公開する。

九州工業大学同窓会明専会館(戸畑区一枝)2階ホールに磁器壁画「青海波」

3m×3.5mを制作。

石版画第61970年の夏のパリ編(6)を刊行。

京都・西川織物にて初のタピストリー「船と太陽」(1.5m×2m)を制作。

 

1972

410,北九州市庁舎が落成し,1階市民ホールの壁を飾る磁器壁画「船と馬と太陽」

(3.27m×10.6m 50㎝平方の磁器板147枚使用)が公開される。

北九州新市庁舎壁画完成記念個展(4/114/16 北九州市立八幡美術館)にて

壁画制作のための素描、磁器の試し焼、習作の油彩、石版画等の下絵を出品。

 

12月 タガヤ美術館の建設に着工する。

 

1973

5回渡欧。ウィーンとイタリアを訪問、古代モザイク等を視察して帰国。

石版画第7集 欧州の旅小品集A(10)を刊行。

 

1974

22日、「タガヤ美術館」(総面積600㎡ 3階建)が開館。

自作ならびに欧州の銅版画等を常設する。

4月、芦屋町新庁舎のロビーに磁器レリーフ壁画「海日輪と岡の春」(4.1m×

10.5m)を制作、完成。

15回個展(4/224/27日本橋・日本画廊)

8月、第1回タガヤ美術館特別展(8/58/15)に自作の新作油彩画、石版画、

磁器板壁画等を展示。

11月、出雲産の砂鉄を使用して芦屋窯の復元に成功、タガヤ美術館にて初公開。

梅光文様筒釜4点で、鋳造は刀根武。

石版画第8集 欧州の旅小品集B(8)、第9集 花の小品集(8)

10(8)を刊行。

 

1975

6月、第6回渡欧。南フランスを中心に,イタリア,スイスを訪れる。

11月、第2回タガヤ美術館特別展(11/1011/24)

11月、第1AJAC展(11/111/20東京都美術館)に「作品A」「作品B」出品。

芦屋保育園(芦屋町)に磁器レリーフ壁画「岡の団欒」(2.5m×3.5m)

思井幼稚園(小倉南区思井)に同じく「思井の里」(3.5m×5m)を制作、完成。

 

1976

次男哉明を伴い第7回渡欧。スペイン,イタリアを訪問、欧州陶器を視察。

9月、九州在住の抽象作家グループによる多元的抽象展(9/2810/3福岡県文化会館)

に油彩画4点を出品。

2AJAC(東京都美術館)に「白い太陽A」「白い太陽B」を出品。

12月、第16回個展(12/612/18東京銀座・絵画館)

 

1977

4月、自選画集「多賀谷伊徳作品集」出版。

5月、作品集出版記念個展(5/165/22福岡市・東亜画廊)

タガヤ美術館3周年記念展(5/286/12)

6月、瀬木慎一の企画した現代美術のパイオニア展(6/76/19東京セントラル美

術館)に「飛翔する前」(第1回美術文化展出品)を出品。本展は43人の物故作家、

65人の現存作家、計108人の作品により日本の前衛絵画の流れをたどったもの。

10月、第17回個展(10/3111/12東京銀座・絵画館)

3AJAC(東京都美術館)に「太陽の桿A」「太陽の桿B」を出品。

自宅近くに築窯、旧地名に因み「姫窯」と命名。

アートクラブ解散する。

 

1978

4月、第18回個展(4/44/18東京銀座・ギャラリ一トーシン)

6月、多賀谷伊徳・末松正樹・加賀見政之小品展(6/I97/1ギャラリートーシン)

8回渡欧。

10月、第19回個展(10/2310/28ギャラリートシン)人間太陽シリーズの

素描40点を出品。

4AJAC(東京郁美術館)に出品。

翌年開館する福岡市美術館の開館記念「アジア美術展」のために組織きれたア

ジア美術委員会の常任委員を委嘱される。

京都・川島織物でタピストリー「太陽花讃歌」(2m×3m)を制作。

石版画第11集 太陽シリーズ(6)を刊行。

 

1979

3月、タガヤ美術館開館5周年記念展(3/23/11)

4月、第20回個展(4/24/14銀座・ギャラリートーシン)に油彩画、石版画等25

を出品。

8月、第21回個展(8/309/8銀座・ギャラリートーシン)に素描40点出品。

芦屋中央幼稚園(芦屋閏丁)に磁器レリーフ壁画「海幸の人」(3m×5m)を制作、完成。

 

1980

9回渡欧

 

1981

福岡市美術館で個展、西日本文化大賞受賞

 

1982

10回渡欧、水巻町庁舎に磁器壁画を納める。

 

1983

中国敦煌スケッチ旅行、多賀谷美術館にて80人展開催。

多賀谷伊徳油絵展(9/814日本橋・日本画廊、9/1530ギンザ美術クラブ)

 

1984

11回渡欧、大阪にて個展、40cm大皿制作

 

1985

12回渡欧、北九州市若松区民ホール緞帳制作(8m×16m

多賀谷伊徳新作個展(10/1610/31新宿スペース・イシイ)

 

1986

ビルマ戦鎮魂の作品展(11/411/5新宿スペース・イシイ)

 

1987

北九州市で個展。

13回渡欧、スウェーデン・クリッパン市近郊ユンビヘイドにて大個展

 

1988

スウェーデンから帰国後、ヘルニアの手術中に心筋梗塞を併発し長期療養に

入るが、病床からスウェーデンの雪解けの印象を描いた油彩画500号等を制作、

それらを含む200点の大個展を北九州市立美術館にて開催。

 

1990

福岡県直方市ホールに200号の油彩画を納める。

 

1991

コペンハーゲン個展(12/291/31 Scandinavian Contemporary Art Gallery

 

1994

古野耕作、長男、次男の作品展に出品(1/181/23北九州・戸畑中央公民館)

 

1995424

424日午前1055分、脳血栓のため北九州市八幡区西の萩原中央病院で

院長及び家族に看取られながら永眠。

享年77歳。

Tagaya Museum TOP     English     BACK