英国 3つの最高峰 ハイキング紀行

ウエールズ最高峰:スノードン(1085)

イングランド最高峰:スコーフェル・パイク(978)

英国・スコットランド最高峰:ベン・ネヴィス(1344)

2019年5月17日(金)~27日(月) 山口 一史

今年の登山計画では海外は中米最高峰グアテマラのタフムルコ(4220m)に行く予定であった。しかしメンバーが集まらず、ツアーは不催行に。やむなく老後の楽しみにと作成しておいた海外低山リストからイギリスの山を選んで出発した。

1.ウエールズ最高峰 スノードン ハイキング(518)

カーナフォン(8:00)(8:15)スランベリス山麓駅(9:00)(9:55)スノードン山頂駅ースノードン山頂(10:20)(13:50)山麓駅(14:00)(14:55)ボドナンドガーデン(16:30)(17:00)アンクルシー島(17:15)(17:30)カーナフォン

ツアー一行は12名(男4人、女8(内夫婦1))夫婦1組を除き全員が一人づつ福島県から山口県までの都県を代表する集合体となっている。メンバーにいわゆる山屋はいないようだ。

8時バスでスノードン登山鉄道山麓駅スランベリス(Llanbris)(標高約120m)へ向かう。スノードン登山鉄道は1896年開業した英国唯一のアプト式(2歯車式)登山電車でスノードン山頂までの7マイルを約1時間かけてゆっくりと上っていく。蒸気機関車とディーゼル車の2種類があるが、いずれも客車は1両のみ、機関車が下から客車を押し上げながら走る。

山麓駅付近にはブルーベルの青紫の花が群落をなしていた。出発してすぐに森林限界を越えると山肌一面に井草に似て石灰岩質を好むというリード(Reed)の枯れた茶色と新芽の緑の混ざった草原となる。この辺りはリードの谷と呼ばれているそうだ。その広い緩やかな谷のあちこちに羊の親子が草を食んでいる。鉄道のことをまだよく知らないのか子羊が線路の中に座り込み、警笛を鳴らしてもなかなか退かず列車が止まりそうになったこともあった。そのリードも標高をあげるに従い少なくなり、ただ草芝と岩だけの斜面となる。谷向こうの西側の山の斜面を見ると明らかなカール地形が確認できる。標高1000mにも満たない地点でカールを見るのは高緯度地方である故であろう。標高700mを越えたころからガスの中となった。視界10~20m。山頂直下が登山鉄道の終点。5分も登れば石を積みコンクリで固めた山頂標識のある山頂に立つことができる。今日は土曜日、山頂での記念撮影は順番待ちだ。(写真は絵葉書で当日はガスの中)

スノードンはウエールズの最高峰で標高1085m、登山路は7コースあるとか、現地ガイドのエレンさんが「ウエールズには標高3000フィート以上の山(英国ではこれをMunroという)15山もある、イングランドには3つしかない」と自慢げに話していたが、その口調はイングランドに対するウエールズ人の対抗心らしい。ウエールズでは市街にはUKの旗は見られずウエールズの旗が多く翻っていた。

ガスの山頂に30分ほど留まったあと、登山鉄道と並行し、途中2回これをクロスする登山道をゆっくりと下って初日の足慣らしは完了。

下山後、ある富豪が世界中から花や樹木を集めて作ったというボドナンド(Bodnant)ガーデンを散策した後、ホテルに戻る前にメナイ(Menai)海峡を渡ってアンクルシー(Anglesey)島に入り、世界一長い地名(58文字)としてギネスにも認定された街を訪ねる。

上段:ウエールズ語

下段:英語

2.ハワース 嵐が丘(519日)

カーナフォン(7:50)(11:00)ハワース{ブロンテ博物館見学}(13:40){ヒースの丘ハイキング}(15:30)(17:30)ウォーターヘッド

今は博物館となっている「嵐が丘」の作者エミリーブロンテの家やその父が牧師を務めていた教会のあるハワース(Haworth)に立ち寄りブロンテ博物館を見学した。その後ハワース・ヒースの丘を2時間弱ゆっくりとハイキングする。

「「嵐が丘(ワザリングハイツ)」というのがヒースクリフ氏の屋敷の名前である。「ワザリング」というのはこの地方独特の形容詞で、嵐の時にやしきのあたりに吹きつける風の激しさを表している。確かにあの丘の上なら、澄んだ空気がたえず吹きわたっているに違いない。屋敷の隅の数本の樅の木が、丈を充分伸ばしきれず、ひどく傾いているのを見れば、吹きすさぶ北風の威力がわかる。並んだ茨も太陽の恵みを求めてすべて同じ方向に枝をひょろひょろと差し伸べているのだ」(河島弘美訳 岩波文庫)

これは学生時代に読んだ「嵐が丘」の第一章の一節である。今日の最大の関心事はこのように描写され、荒涼とした景色の印象だけが記憶に残っているその景色とはどのようなものかということであった。結果、想像に違い荒涼とした景色は感じられなかった。樹木の殆どないなだらかに波打つ丘は牧草の緑の草原を成し、教科書で習った「囲みこみ運動」の言葉そのままに、長い石積みの柵でいくつにも区切られている。その中に春に生まれたばかりの子羊を連れた羊たちが散らばって草を食んでいる。丘陵の稜線部に近くなると茶褐色のヒースの群落があちこちにあり、その間には岩の露出帯もあるようだが荒々しい岩稜地帯というのではない。草原の中腹や稜線部には石造りのハウスがぽつんぽつん。その中の一つが主人公ヒースクリフ氏の家に模されたのだろうなと想像しながら歩いた。ガイドの話によれば8月になるとヒースの群落は青紫の花をつけ、丘全体を青く染めるそうだ。ただ冬の1か月間は強い西風と吹雪が続くそうでブロンテはこの丘陵の目にする景観よりも冬の厳しい気象を荒涼と表現したかったのか、はたまた主題の悪魔性を際立たせるために荒涼の風景を誇張したのか、そんなことをいろいろ想いながらゆったりと波打つヒースの丘を飽かず眺めていた。

3.イングランド最高峰 スコーフェル・パイク登頂(520日)

アンブルサイド(8:00)(8:55)シースウェイト(9:15)(13:40)スコーフェル・パイク(14:00)(17:40)シースウエイト(17:50)(18:40)アンブルサイド

今日の予定スコーフェル・パイク(Scafell Pike)は標高1000mに満たない山である。それなのに予定時間は往復8時間、これはかかりすぎだ、もっと短時間で往復できるはずだと登る前は考えていたがこれは甘かった。

湖水地方に10個以上もある氷河切削でできた湖群の中で最大のウインダミア(Windermere)(注:mereはバイキングの言葉で湖の意)湖の北端にある町アンブルサイト(Ambleside)の南はずれにあるウォーターヘッド(Waterhead)のホテルを8時出発。現地ガイドはニック(Nick)とジル(Jill)2名、二人合わせて肉汁だと冗談を言うほど日本語の達者なジルが観光ガイドも兼ねている。アンブルサイトの町から車は北に走る。車窓に見える羊は生まれたときは真っ黒で成長するに従い灰色になるHerdwickというこの地方特有の種だそうですべて食用だとか。車は工業都市マンチェスターに水を供給する人工湖サールミア湖を左に見て走り、最近まで鉛筆の芯になる黒鉛を採掘していたというケズウィック(Keswick)の街を通る。この街には鉛筆博物館があるそうだ。ケズウィックから今度はダーウェント(Darwant)湖の東側を通って南下し、北の登山口シースウェイト(Seathwaite)で車を捨てる。

この登山口で標高125mだから山頂までの比高は850m程度で、普通なら2時間で登れる高さだ。しかしグレン谷を遡行する道は緩傾斜でダラダラと上っていく。両側の山腹に樹木は全くなく岩と芝草の薄緑と茶色の混じったはげ山。歩き出して15分ほどでストックリーブリッジ(Stockley Bridge)という小さなアーチ型の石橋で谷を左岸に渡る。よく見るとこの石橋のアーチ部の楔石は人口的切り石ではなく自然石だ。3時間ほど登ってやっと乗越のエスコース(Eskhause)に達する。ここで南方の視界が開けるが、やはりすべて岩と草芝のはげ山だ。しかしまだ山頂は見えない。コルから尾根に沿ってだらだら30分ほど岩場を登っていくとゴーロ帯を過ぎたところでやっと正面に山頂を見ることができた。少し下ったコルで風を避け、小休止と行動食。さらにゴーロ帯を抜けるとがラ場を50mほど急降下し、窓のようなブロードクラッグコルを越え、更に岩のガラ場を100mほど登り返してやっとスコーフェル・パイクの山頂に立つことができた。ここまでの岩稜歩きはまるで北アの唐松五竜間を縦走しているような感じで、とても1000m以下の山の光景とは思えない。所要時間4時間40分。

山頂全体がガラ場だが、最高地点には直径56m、高さ2mほどの円筒状の石段が組まれていた。360度の展望だが時々ガスが上ってきて完璧な景色は望めない。ただ西南方にわずかにアイリッシュ海を望むことができ、又どちらを向いても下方にどこかの湖を眺めることができる。記念撮影などして、下りは往路を取らずスタイヘッド池のあるルートで下り、ストックリーブリッジで往路に合流して登山口に戻った。中には足を引きずっている者もおり、皆相当疲れているようだ。(Except me)

 この登山を終えて気づいたことがある。山系全体にはいくつものピークがあり、その全てがはげ山でトレイルは縦横に走っている。また平日にも拘わらず登山者も多い。しかし山中にはルート標識が全くない。正確なルートを知っているか、読図とコンパス使用の力がなければガスにまかれたらアウトだ。このことをガイドのジルに訊ねると「イギリスの山はほとんどどこにもルート標識はない。イギリス人は自然はあくまでも自然であるべきだ」と考えているのだとか。日本だったら私製標識が3つも4つもぶら下がっているところだろうが。

4.スコットランド最高峰・英国最高峰 ベン・ネヴィス 登頂(523)

フォートウイリアム(7:30)(7:40)登山口(7:50)(10:40)ジグザグルート開始点ー(12:10)頂上稜線ー(13:00)ベン・ネヴィス山頂(13:15)(15:05)ジグザグルート終了点ー(17:20)登山口(17:45)(17:55)フォートウイリアム

宿泊地フォートウイリアム(Fort William)は西側のアイリッシュ海がフィヨルドのように深く陸地に入り込んだリンネ(Linnhe)湾の最奥部にある。そこから車で10分、ネヴィス(Nevis)川沿いに遡り、標高30mの登山口アシュティ(Achintee)から羊の柵を押し開けて歩き始める。

今日の標高差は1314m一日の登高としては結構な距離だ。今日のガイドはリチャード(Richard Davison)とスティーブ(Steve Mackenzie)の禿頭2名である。ツアーメンバー12名中4名は体調不良とかで最初から不参加。

行く手のネヴィス谷を眺めると中腹から上は完全に雨雲に覆われ展望は望むべくもない。スコットランドの中でも特にこの地方は多雨地帯で年間4000ミリは降るというから最初から雨覚悟で登ろう。最初の4㎞、標高約700mまではネヴィス谷の東側に位置するメルアンティ(Meall an Suidhe)(708m)の山腹をトラバースするように緩傾斜で登っていく。道もよく整備され大きめの石が自然な階段状に敷き詰められた石畳の箇所も多い。登山道の両側は羊が唯一食べないという蕨(Bracken)が鎌でザクザクと刈り取れるほど沢山密生している。

メルアンティ山とベン・ネヴィス山の間の鞍部には小さなメルアンティ湖があり、ここで登山道は大きく右折する。しかしもうガスの中となり湖は全く見えない。ただ歩を進めるのみ。標高約700mの所からベン・ネヴィス山西側山腹の大ガレ地帯となり、登山道はこのガレ地帯を8回ジグザグに曲がって登っていく。今日は平日だが登山者も多く、我々パーティはどんどん追い抜かれていった。ジグザグルートの8回目のコーナーを過ぎるとガレ場の頂上台地となる。しかしその台地は南側と北側が岩壁となって切れ落ちており、ガスの中では全く見えないのでトレイルをはずさぬよう高さ2mほどのケルンを頼りに慎重に歩く。途中2か所の雪渓があった。ガイドの話では一週間前まで頂上台地は一面の雪だったというからこの一週間で急速に溶けたのだろう。ジグザグコース最後の8回目のコーナーから緩傾斜の頂上台地を歩くこと1時間でベン・ネヴィス山頂に着いた。気温4度。霧雨、ガス深し。山頂には今は廃墟となった石造りの小屋(ガイドはホテルといっていたが)跡とスコーフェル・パイクと同様石を積み上げて作った円筒状の山頂標識がある。ガスの中で記念撮影。メガネは写すほうも写されるほうもワイパーがないので曇ったまま、うまく写っているかどうか。

帰路は往路を忠実に戻る。

それにしても往復8時間以上もかかる日本人の我々パーティの足の遅いこと、現地イギリスの人たちは4~5時間で往復している。僕自身の通常ペースでもそんなものだろう。登山途中でのパーティメンバーの諸々の行動や登山装備を後ろから眺めていて、山の経験度や入れ込み方が全くバラバラの素人同然の寄せ集めパーティではこんなものだろうかと思ってしまう。ピークハンターを自認するピュアーな山屋の僕としては甚だ不満だが、これも海外とは言え、低山ツアーの宿命と諦めざるを得ないのか。

さて過去この種のレポートの表題は「〇〇山登頂記」としていたが、今回レポートの表題をあえて「ハイキング紀行」として書き出した。今回旅行の計画書を事前に読んだ我が家の奥が「まるでハイキング旅行ね」といったこともあるが、僕自身海外とはいえ1000m前後の山に2~3個登るのに「登頂記」とは甚だおこがましいと考えたからであった。しかし今は「登頂記」でもよかったかなと思っている。登山鉄道で山頂直下まで上り、下山路だけを歩いたスノードンは別として、北ア並みの険しいガラ場の連続するスコーフェル・パイク、一日の標高差1300m、雨中の登降、残雪も踏んだベン・ネヴィス、いずれもハイキング程度の軽い気持ちでは登れない山だったからである。(完)