熊も転げりゃ、人も転がる

―北海道百名山 第一次完登報告―

令和2年(2020年) 7月 7日 山口 一史

深緑の候 皆様にはご健勝のこととお喜び申し上げます。

 さて私 今年 630 雄鉾岳(999)の登頂を以って、北海道百名山 全100(山と渓谷社刊、初版;1993年刊)を完登しましたので ここに第一次としてご報告いたします。

(第一次とした理由:山と渓谷社が発行した「北海道百名山」は初版1993年刊と新版2003年刊の2種類がある。各々100山が紹介されているが、両版を重ね合わせると全部で108山となる。それらすべての完登を目標としていたが、現時点で新版の2山が別紙「北海道百名山登頂実績」表中に記した理由で未登である。しかし初版の100山は完登したのでここに第一次として報告する。)

羆に遭遇すること1回、スリップして顔面13針縫合1回、マダニに食い込まれ切開手術2回と小さなトラブルもありました。しかしそれにも増して、シャープな刃物の刃渡りのような稜線が延々とうねり、深く長い谷をいくつも抱え込んだ濃緑の日高山脈、火山あり、湿原あり、広いお花畑ありと雄大な高原が波打つ大雪十勝連峰、地下足袋で流れの中をジャブジャブ遡行しなければならぬ山が百名山中4山等、北の大地の魅力は私をとらえて離しませんでした。空から舞い降りること6回、フェリーで上陸すること13回、関西から東京に転勤した後頻繁に北海道に通い、ついに北海道百名山を完登したという次第です。

北海道の山には忘れられない思い出を残した山がたくさんありました。いくつかご紹介しましょう。

1. 初めての北海道そして最後の大縦走:大雪山~富良野岳(199189日~16日);48

東京に引っ越して3年目、ついに北海道の大地に降り立った。そしてこのテントを担いでの単独一週間の縦走は僕にとって最後の大縦走でもあった。

第一日(89)旭川空港=旭川=層雲峡=黒岳七合目―黒岳―桂月岳―黒岳石室テント場()

 長い直線道路、垣がなく煙突のある家々、十線十一線などのバス停名等珍しい景色を堪能しつつ層雲峡へ、黒岳への道すがらエゾシマリスがチョロチョロ、黒岳テント場まではお花畑の中。

第二日(8/10) 黒岳石室テント場―北鎮岳―比布岳―北鎮岳―間宮岳―旭岳―旭岳テント場()

 見込みに白い砂地と亜硫酸孔の黄岩を配し、這松と残雪で縁取りした浅い盛鉢の縁をたどるように北鎮岳、間宮岳、旭岳と歩を進める。北鎮岳からは大雪連山から十勝岳までのすべてのピークが見渡せた。

第三日(8/11) 旭岳テント場―北海岳―白雲岳―赤岳―忠別岳―忠別小屋()

 白雲岳までも、赤岳までもまた白雲岳小屋周辺もお花畑である。本州の花に比し青紫が濃い。白雲岳小屋から忠別小屋までの高根ヶ原は岩原、お花畑、這松のウエーブ、忠別沼と広い広い平らな尾根が歩けど続く。        緑濃き 広き平らき大雪を空まで歩け 我を忘れて

第四日(8/12) 忠別小屋―五色岳―化雲岳―トムラウシ山―三川(さんせん)(だい)カール下テント場()

 南側は広い平らな高原をなし、北側は忠別川に切れ込む五色岳、化雲岳の稜線を通って溶岩台地のトムラウシへ。山頂で本降りの雨となる。羆がいるとの忠告を耳に、雨を突いて三川台テント場まで。

羆に会う話を小屋で聞きてより 行く手の黒きまずそれに見ゆ

第五日(8/13) 三川台テント場―コスマヌプリーオプタテシケ山―ベベツ岳―美瑛富士小屋()

 夜、雨激しくテントをたたく、朝は晴れ。双子池からオプタテシケ山への急登600m

コースタイム13時間、実績9時間半。ボロボロの美瑛富士小屋。トイレもない。

第六日(8/14) 美瑛富士小屋―美瑛富士―美瑛岳―十勝岳―上ホロ小屋()

 高山植物を踏まぬよう、赤い砂礫のところを選んで整ったコニーデ型の美瑛富士に登頂。美瑛岳は南側ポンピ沢側に大きく赤くガレ落ちた爆裂火口淵の最高点。十勝岳の上りは砂走りのような深い砂礫帯。

第七日(8/15) 上ホロ小屋―上ホロカメットク山―富良野岳―十勝温  泉=上富良野(旅館泊)

 夕方のように薄暗くなる深いガスの中を一抹の不安を抱き出発、いつの間にやら三峰山を通過した。しかし富良野岳山頂でガスは晴れ、高山植物は今や盛りと紅や白や黄や紫が入り乱れて艶を競っている。山頂で風景浴と高山植物を満喫。

霧深き大雪十勝を歩きたり はやも気になる石狩の尾根

第八日(8/16) 上富良野=旭川=旭川空港=羽田空港

2.熊も転げりゃ、人も転がる:カムイエクウチカウシ山(1979m)(199482日~4日);51

“どうしてこんなに肩が凝るんだろう、今まで肩こりなんか経験したことないのに・・・”        しばらくして気が付いた。“そうか昨夜の高速道路片目運転のせいか” 

ここは東京丸の内、電機ビル9階、商事ビルを背にして座る僕を部下どもはちらりチラリとみては“山口がまた何か仕出かしおった”と笑っているようだ。僕の額には大きな絆創膏が2か所。顛末はこうだ。

 日高山脈の第二峰カムイエクウチカウシ山に登るべく、札内川の流れの中をじゃぶじゃぶと1時間45分遡行して登山口八ノ沢出合にテントを張った。しかし翌日台風通過、一日沈殿。その翌日稜線に巻く雨雲に不安を感じつつも八ノ沢の登りにかかる。いくつもの滝を巻き広い八ノ沢カールに入るとそこはお花畑、羆がその根を大好物だというハクサンボウフウの白い地味な花やキンレイカが多い。カール壁の急斜面を登り切って尾根に出ると風が強く小雨と一緒にたたきつけてくる。痩せ尾根を30分で一等三角点の山頂。深いガスのため何も見えない。

(右写真注:カムイエクウチカウシ山頂の三角点名は札内岳である)

その帰路アクシデントは起きた。三股を過ぎて大きな丸い岩のゴロゴロした河原を下っているとき、突然足を滑らせ、頭を前の岩にぐわっとぶつけた。(もっと正確に言えば滑った瞬間は覚えていない、いきなり岩に頭をぶつけたという感じだった。落ちたのは背丈ほどの高さ)同時に目の前に真っ赤なものがどんどん流れ谷川を赤く染めた。手を額に当てると手は血まみれ。“しまった、頭を割ったか、これで終わりか”正直そう思った。

しかしそう思ったということは頭はやられていないのではと思い直し、タオルを出して右目の上あたりを強く縛った。そうだ!眼鏡、メガネ、慌てて水の底を探す。何回か潜ってそこを浚うと見つかった。 しかしフレームが壊れ右目のレンズはどうしても見つからない。あきらめてド近眼の裸眼で危険な岩場を下ること1時間半、やっとテント場に戻り昼食して気を落ち着かす。

 さてどうしよう。考えても仕方ない。とにかく医者に行かねば。林道ゲートまで戻り車を動かす。裸眼では運転できない。片目レンズ片目裸眼でも運転できない。右目を紙でふさぎ左片目レンズで帯広まで走り、外科を見つけて駆け込んだ。眉の中10針、頬骨上3針の縫合であった。翌日さらに帯広から苫小牧まで走り、フェリーに乗船。大洗から夜の常磐道を120キロ、浦和までやっと帰宅した。そしてひどい肩こりというわけである。そういえばカムイエクウチカウシとはアイヌ語で“熊が崖から踏み外すところ”という意味だそうだ。二本足の人間が転げ落ちるのも宣なる哉。

.籤運に強くなければ登れぬ山:崕(キリギシ)山(1066m)(2015年6月17日~18日);72歳

 崕は崖と同義で「石の危き貌」と辞書にある。この山は非常に特異な山容を持つ石灰岩の山である。太古海面下でできた石灰岩層がプレートの移動で押し上げられ、しかも垂直に90度立ち上がった後表面が浸食され、現在では山の稜線上に幅100m、長さ2キロにわたって恐竜ステゴサウルスの背中の骨板のように岩が並んでいる。石灰岩地特有の高山植物は360種、キリギシソウなどの固有種もありその保護のため入山禁止。山の取付き点の16㎞手前の林道入口は頑丈なゲートで物理的にも封鎖されている。

しかし毎年6月に行われる芦別市の崕山自然保護協議会主催、自然保護モニター登山会(1回25人*3回)に応募し、抽選に当たれば登山できる。僕は初めての応募で運よく(倍率4倍)当選し、この山に登ることができた。しかしただでは登れない。①参加費7000円の支払い、②事前レポートの提出(課題1;モニター登山会参加理由、課題2;自然保護と入山制限についての意見)、③登山前日の自然保護に関する2時間の事前研修会出席の3つをすべてクリアーして初めてガイド管理下での団体登山に参加できる。

 登山そのものは技術的にも体力的にも何の問題もない、登山道がないのでシュロ縄を巻いた長靴を履き豊富な高山植物を愛でながら沢筋をぐちゅぐちゅ登るだけである。腹を思い切り膨らませた赤紫のホテイアツモリソウは沢山見ることができたが、固有種のキリギシソウにはついにお目にかからなかった。

4. 日高山脈最奥、最難関の山:一八三九(いっぱちさんきゅう)(ほう)1842m)(2016716日~18日);73

日高山脈の主稜線から西に派生したこの鋭鋒を初めて見たのはペテガリ岳に登ったときであった。手元の5万分図が古く、山名が載っていない。帰宅後百名山の一つ一八三九峰であることを知った。

それ以来、登る機会をうかがっていたが、登山口の札内川沿いの林道の橋が雪崩で破損し、通行止めが続いていた。今年やっと解除されたので善は急げとばかり出発した。

一八三九とは変な名である。これは標高をそのまま山名にしたもの。あまりに山奥でアイヌの人たちもその存在を知らなかったのだろう。しかしこの標高は古い測量値で現在のそれとは異なっている。一度付けた名は変更できんということだろう。北海道にはこれ以外にも標高をそのまま山名にした山がいくつかある。

第一日(7/16) 札内ヒュッテパーキングー(コイカクシュサツナイ川)-上二股夏尾根取付点―

(夏尾根)―コイカクシュサツナイ岳―ヤオロマップ岳(山頂でテント泊)

札内ダムの途中、札内ヒュッテのパーキングに車を置き、地下足袋で出発。支流のコイカクシュサツナイ川に入る。淵を巻くこと34回、流木の狼藉を乗越え、流れを何回も横切り夏尾根の取付き点まで遡行すること2時間、そこで登山靴に履き替えた。夏尾根は標高差1000mの急峻な登りだが、道は明瞭。主稜線に出て10分ほど南行すればコイカクシュサツナイ岳山頂、しかしガスが巻き展望はほとんどない。

ここからヤオロマップ岳までの稜線は一旦150mほど下り250m登り返すルートだが、這松帯を両手、両足でかき分け進まなければならないので時間がかかるし草臥れる。時々立ち止まっては呼吸を整え、また歩くの繰り返しで、やっとヤオロマップ岳の山頂に着いたときにはヘトヘトに疲れていた。山頂でテントを張る。

第二日(7/17) ヤオロマップ岳― 一八三九峰―ヤオロマップ岳―コイカクシュサツナイ岳―上二股(テント泊)

 幸いなことに昨日のガスは晴れ、一八三九峰はもちろん緑濃く幾重にも重なる日高の山々が360度見渡せる。谷間には雲海が垂れ込めているが、空は天気の不安定さを示しているので好天は長続きしないだろう。急ぐべし。急峻に尖ってそびえる一八三九峰への登山路は登山路がわかるというだけで登山路は無いと言った方が正確だ。岩、ブッシュ、這松を乗り越え、くぐり、這い上がり、押し開き、枝渡りとあらゆる動作を駆使してただ前に進むのみ。早朝の元気な時だから精力的にぐんぐん前へ進めたが、これが4~5時間も縦走した後だったらとても歩けなかったろうと思う。最後に急登して山頂に立つ。「一八三九峰1842m」という標識が面白い。記念撮影だけして早々に山頂を後にする。ヤオロマップ岳まで戻り、テントを撤収、さらにコイカクシュサツナイ岳まで戻り、急尾根の1000mの下降、くたびれてヘトヘト。足がもつれ何回も滑ったり、転んだり、そしてストックを折り、帽子を谷間に吹き飛ばしてしまった。おまけについに雨が来た。2時間で上二股まで下ったものの11時間のアルバイトで完全にへばってしまい、もう歩けない。今日中に札内ヒュッテまで戻る予定はあきらめて上二股でテントを張り、雨で川が増水しないことを祈りつつ横になる。

第三日(7/18) 上二股―(コイカクシュサツナイ川)-札内ヒュッテパーキング

 一晩中降り続いた雨に川の増水が心配だったが、幸いに一昨日とほとんど同じ水量だった。早く下ろう。上りは2時間で上二股まで遡行してきたのに、下りは2時間半もかかってしまった。やはり疲れがたまっていたのだろう。札内ヒュッテパーキングにつき、やっと虎口から脱出できたというのが正直な感想である。濡れた衣服を着換える時に驚いた。両脚の脛が紫色に腫れ上がっている。這松の枝を足で押し分けて歩いた激闘の勲章である。こんな経験は初めてだ。

ガイドブックではこの山は2泊3日で紹介されている。一応食料は3日分持参したが内心は1泊2日で歩いてやろうと頑張った。しかし2日目のコースタイム(正味)11時間は僕の今の体力では無理だったようだ。しかしこの難関の山に登頂できたことで北海道百名山完登の目処が立った。               

5.雷電山の邂逅:雷電山(1212m)(2016721日);73

 外国人も多く訪れることで有名なスキー場ニセコの西に、東西に伸びるニセコ連峰があり、雷電山はその西端に位置する。

 登山口は日本海側の海岸からダートな林道を上った一軒家の朝日温泉である。温泉には2~3人人影があるがどうも改装工事中で営業はしていないようだ。それにしてもこれで客が来るのかと思うほどのぼろ屋である。

 いつものように5時出発。刈り払いがしてないので露対策に雨具のズボンをつける。雷電峠までは樹林の中の比較的きれいな道で傾斜もそうきつくはない。尾根に乗ると天狗岩と標識のある露岩があり、北方の展望が開ける。露でズボンを濡らしながら尾根を登ると中山の標識のところが一つのピークで、そこから少し下って水平な尾根をしばらく進み、本格的上りにかかる。所々ロープもある。1154mのピークを前雷電だとばかり思い込んで登っていたのでちょっとがっかりしたが、気を取り直して雷電山まで進む。1154mのピークから雷電山まではまるで広い高原のように背の高い笹原と這松が広がっているので雷電山のピークは一等三角点のあるところが本当の最高点かどうか疑わしい。またそれゆえ展望も四周の笹に遮られよくはない。目国内岳の岩積みのピークが見える程度だ。帰路は往路を戻るだけ。

―奇遇―

下山後車内で昼食をとっていると朝日温泉の人から「内湯があるから汗を流していきませんか」と声を掛けられた。ありがたくお言葉に甘えることにし、料金を尋ねると「いらない」という。改装工事中だから無料なのだろうと勝手に決め込んで薄い硫黄泉の湯に一週間ぶりにゆったりとつかり、汗と垢を流す。湯から上り宿の玄関に出たら2人の男性が並んでいる。

その一人を見て驚いた。「一宮さん、一宮さんではありませんか、私 山口です」、先方も「どうも見たことのある人だとずっと思っていました」と。現役時代、彼は北海道支社の情報物流の責任者で、本社の僕の対面を務めてくれた人、そして支社の山岳部長で僕を幌尻岳に案内してくれた人でもある。もう一人は幌尻岳にご一緒した畠山さんであった。かすかに記憶に残っている。

「えっどうしてこんなところに・・・・」「まあまあちょっと部屋に入って一杯飲みながら・・・・」僕はノンアルコールビールを注文し、事の次第を聞いた。奇遇だなあ、奇遇だなあと言いながら。

 何年か前の大雨で朝日温泉は土石流に埋まり、廃業することになった。それを一宮さんと畠山さんが温泉の権利共々買い取って自分たちで建物補修をして別荘代わりに使っているのだそうだ。月2回ほど通ってまだ補修中であるとのこと、土石流の泥を掻きだすだけで2年もかかったとか、道理で内部の工事が素人っぽいなと感じたはずだ。この広い北海道の、しかも人跡稀な山中で、実に20年ぶりの再会を果たそうとは。これを奇遇と言わずなんというべきか。僕が入浴の誘いに乗らずさっさと車で帰っていたらこんな邂逅は起こらなかったのである。                                    

                                               (完)