日本国内3500山登頂報告
2022年6月20日 山口 一史
深緑の候 皆様にはご健勝にてお過ごしのこととお喜び申し上げます。
さて 私6月15日新潟県長岡市の鋸山(765m)登頂を以って日本国内3500山登頂を達成致しました。
ここに謹んでご報告申しあげます。
15歳の高校入学と同時に山岳部に入部して登山を始め、会社勤めの傍らこつこつと山に通い、51歳の時には1000山登頂を達成しました。
そして60歳での定年退職時に①日本国内3000山登頂、②海外30山登頂、③90歳富士山登頂の三つの大きな目標を設定しました。
①の目標は2016年に、②の目標は2015年に達成しましたので、2016年に日本国内3500山登頂、海外50山登頂(内、富士山より高い山30山登頂)という第二次目標を設定しました。
今回、その①日本国内3500山登頂を達成したという次第です。
国内3500山登頂という大きな目標を達成するためにはただ漫然と山に登っていても困難です。
そこでその時々に小さな個別目標を設定し、この個別目標の達成を積み重ねつつ大きな目標達成に近づいていくことが必要です。
私はその時々の個別目標として下記のような目標を設定しました。
1.全国単位の目標:日本百名山~三百名山、47都道府県最高峰等々
2.道州単位の目標:北海道百名山、東北百名山、関東百名山等々
3.都道府県単位の目標:①県単位全山、
②県単位百(名)山、
③山と渓谷社発行 分県登山ガイド「○○県の山」
3500山登頂までの各種個別目標の達成状況は下表のとおりです。
私は現在関東のど真ん中埼玉県に住んでいます。登山活動も自然関東とその周辺が中心とはなりますが、年に1~2回は北海道や中国四国にも足を延ばし、全国の山に登るよう心掛けてきました。その結果都道府県別の登頂山数および登頂山数率は下図のとおりとなりました。
個別目標とその達成状況
以下にその時々に設定した個別目標とその達成状況等を簡単にまとめてみました。
1.全国単位
①日本百名山、日本二百名山、日本三百名山
深田久弥著「日本百名山」を端緒に百名山ブームが始まり、各県毎の百名山設定や定年退職後の百名山登山等が活発に行われるようになりました。私は特に日本百名山~日本三百名山だけを目標にして登山するということはありませんでしたが、目標の一つとしては意識しながら登っていました。
そして2011年(69歳)に完登しました。
一般に日本三百名山は一つの例外(荒沢岳(1969m))を除いて百名山、二百名山を包含するといわれていますが、各百名山リストの標高を基準に厳密に調べてみると全部で310山あります。例えば丹沢山と称されるのは、百名山では蛭ヶ岳(1673m)を、二百名山では丹沢山(1567m)を、三百名山では塔ヶ岳(1491m)を指している、というような例があるからです。
②47都道府県最高峰
47都道府県最高峰は県境の山が4山(日光白根山(2578m)、富士山(3776m)、奥穂高岳(3190m)、恐羅漢山(1346m))あるので全部で43山になります。三百名山同様私は特にこれだけを目標に登山するということはありませんでしたが、最後の二つ、沖縄の於茂登岳(526m)と福岡の御前岳(1209m)だけはその登頂を目的にして出発しました。なお長崎県の現在の最高峰は平成新山で、登山禁止になっています。2015年11月強硬登山を試みたもののやはり危険で登れませんでしたので、隣の普賢岳登頂を以って良しとしました。また富士山は山頂付近を通る静岡、山梨県境が未確定なので厳密な意味ではどの県の最高峰なのか?
③その他、新・日本百名山、花の百名山、一等三角点百名山にも完登しました。三都府県境の山(31山)、三国境の山(52山)についてはリストを作り意識していますが、完登を目標にはしていません。
現在全国単位で他に目標としている物はありません。
2.道州単位
道州単位の百名山とは山と渓谷社が1990年頃から順次出版した「北海道百名山」「東北百名山」等に基づくものです。ところが北陸三県および東海四県に関しては「東海・北陸百名山」として1999年秋以降刊行予定でしたが、90年代末の出版不況の煽りを受け、ついに刊行されることはありませんでした。
そこで私は北陸三県に関しては、朝日新聞社が昭和62年5月出版した「北陸の百山」を登山目標として利用しました。ただしその内容は全国的に有名な山から都市近郊の標高100m台の丘まで選定され、山渓の本とは少し趣が異なります。
私の登頂実績は右図に示す通り、「北陸の百山」を除き、北海道から関西までは完登しました。四国百名山は来年中には完登予定です。中国、九州は完登目標にはしません。九州は私の出身地ではありますが、「九州に行きたしと思えども、九州はあまりに遠し」です。
3.都道府県単位
3.1 県単位全山登頂
県単位全山登頂というのは容易ではありません。危険な山、アプローチが遠すぎる山、藪が激しく登れない山等が沢山あるからです。
私が完登したのは千葉、愛知、茨城、神奈川、埼玉の5県のみです。東京都も本州地区は完登していますが、島嶼部にも多くの山があり、遠くは硫黄島まで行かねばなりませんので完登目標にはしていません。今のところ他に完登目標にしている県もありません。
3.2 ○○県百(名)山
県単位の百名山は多くの県で設定されていますが、私が完登目標にしているのは当該県の何らかの準公的団体(山岳会、地方新聞社、地方放送局等)が監修、関与して設定した百名山が基本です。その達成状況は右図の通りです。
このうち岐阜百山は猛烈な藪山が多いこと、徳山ダムの湛水によりアプローチできぬ山があること等によりもはや完登不可能でしょう。
3.3 ヤマケイ分県登山ガイド「○○県の山」
沖縄を除く46都道府県について「○○県の山」は一冊ずつ発行されていますが、版が重ねられ、そのたびに紹介される山も少しずつ変化しています。
私は少しずつ購入して登っていますので、版がまちまちですが、現在の登頂状況は下図の通りです。
なおこの本では一つの山が複数項目(複数ルート)で紹介されている場合、一つの項目で複数の山が紹介されている場合あるいは山(ピーク)がない単なるハイキングルートが紹介されている場合等がありますので、下図の「山数」とは正確には「項目数」を表します。
4 総登頂山数について
3500山という山数は
① 山名が日本山名総覧に記載されていること
② 標高が300m以上であること
の二つの条件を満足する山だけをカウントしています。
それ以外の山にも登っていますので、その総登頂山数は上表のとおり3930山となりました。
私の登山スタイル
さて山登りのスタイルは十人十色です。
岩壁登攀、渓谷遡行、藪漕ぎ、トレッキング、雪山縦走、あるいはヒマラヤこそ本当の山だという者。どれが正しく、どれが間違っているかではない。どれが良くてどれが悪いかでもない。長い間、たくさんの山を登っているうちに人それぞれ自分なりの登山スタイルが決まってくるものです。
傘寿目前の今、終活の一環として現在までの私の登山スタイルを纏めておくのも無駄ではありますまい。
1.単独行・・嵐気・・山に抱かれる
私の山行は99%単独行です。
山には色があります。例えば秋紅葉の美しい山はまた新緑も美しい。山の斜面全体に、黄緑あり、濃緑あり、黒緑あり、茶緑ありと木一本一本ごとに異なる色合いの緑が、大地からもくもくと湧き上がるごとき様を見るとき力強い生命の息吹を感じます。
山には音があります。例えば平地では聞けない種の小鳥の囀り、晩春森林全体から湧き出すような春蝉の鳴き声、晩秋雨に濡れバサリと落ちる朴の葉の音。
山には香りがあります。例えば早春の新芽の青臭い香り、冬、がさがさと靴で押し分け歩く厚く積もった落葉のちょっと焦げ臭い匂い。
このような総体としての山の雰囲気(嵐気)を全身全霊で受け止め、感じ、我が身に吸収するためには一人でなければなりません。これを私は“山に抱かれる”と称しています。
そしてもう一つ、他に煩わされず、己の自由に山行を計画し、実行し、また変更できるので、SPEEDY、EFFICIENT そしてNONーSTRESS です。
2.ピークハント&縦走(点から線へ)
山に登る以上山頂に立ちたいとまず思います。そして連続する山脈の山頂を個々に極めているうちにその尾根のピークをこの足で全部繋ぎたいと思い出します。それが縦走です。若い時は体力もあったのでテント食料を担いで一週間ぐらいの単独行縦走は楽にやれましたが、齢80に近いこの歳になるとなかなか難しく、二泊三日程度のテント行がせいぜいです。最後は地図の赤線を眺め、線と線の間が途切れているところを繋ぐべくそのためだけに入山します。
(添付資料:主要山脈完全縦走・計画と実績 参照)
3.一山一回
世の中には一つの山に何百回、何千回と登ってその記録を競う人たちがいます。例えば箱根の金時山山頂の休憩所には千回、二千回等登頂回数ランク毎に氏名札が掲げられています。
また奥多摩の御岳山山頂には「登山三十三度」とか「登山五十二度」等と刻した石碑が立っています。
私は一山一回が原則です。その理由は、
・初めての山に登るときに味わう緊張感と新鮮さ、その心地よさを大事にしたいこと。
・他に登りたい山、登らねばならぬ山が沢山あること
しかし縦走や他人を案内したりして同じ山に2回、3回と登る場合もあります。その時はなるべく前回とは異なるルートで登るように心がけています。
4.道があろうとなかろうと、藪漕ぎ厭わず。そして残雪時期
ガイドブックやガイドマップに紹介されている山にはふつう登山道があります。
しかしそれらの山を登り尽くし、特定地域のローラー作戦(例:○○県全山登頂、5万分図図幅「○○」の全山登頂等)を展開して、一般的登山の対象とはなっていないマイナーな山に登ろうとする場合、登山道のあるなしすら分かりません。5万分図に破線があってもあてにはできません。
里に近い山の麓には必ずと言っていいほど神社やお寺があります。それらの山に登るときまず地図上で神社やお寺のマークを探します。その境内の裏から登山道がついている場合が多く、中腹や頂上には奥の院があります。
それが叶わぬ場合には5万分図で地形を読み、登れそうな尾根(たまに谷筋)を探して取り付きます。道があろうとなかろうと、藪があれば藪を漕ぎ、岩があれば岩を攀じ、山頂目掛けて直登します。帰路の標(シルベ)の赤布と補助ロープは常時必携です。
しかしそれでも藪がひどく登れぬ場合もあります。その時は残雪時期を狙います。3月末から5月初旬の残雪が締まる時期は、道など関係なくアイゼンを効かせて快適な登降が楽しめます。
過去このようにして多くの山に登ってきましたが、岐阜県の、特に奥美濃の山には苦労しました。藪山が多く、積雪量が少なく、しかも残雪時期が短い。岐阜百山(全124山)完登を目標にしてはいますが、未だ達成できていません。多分達成不可能でしょう。
5.車で移動、車中泊、晴登雨読
特に会社定年後はマイカーで車中泊を重ねながら山に行くことが多くなりました。高速道路の3割引を活用するため、土曜日出発翌々週の日曜日帰宅の9日間が1山行の基本パターンです。9日間も山に入れば何日かは雨が降ります。そこでいつも車に数冊の本を積みこんでいき、晴登雨読 と洒落ています。
車は当然4WD、高車底、フラットベッド、ハッチバック等の山岳走行仕様のRV車。
林道の両側に覆いかぶさるように茂る草や笹、車底をたたく倒木や落枝、そして落石、そんなバリアーを物ともせず、エィヤ-と強引に荒れた林道に突っ込み、走りまくるRV車は凸凹、掠り傷だらけ。そのRV車にいつも乗せられる妻君は「私こんな臭いボロっちい車嫌やわ、きれいなセダンに乗りたいな」と時々呟いています。
車中泊には一つだけ難点があります。しばしばお巡りさんのお世話になることです。里近くで夜中車中泊していると親切な里人の110番で出動したお巡りさんが、夜中私を叩き起こし、不審車(者)として一通り尋問をします。過去18年間だけでもその回数10回。2005年12月日光市大沢で小一女児誘拐殺人事件が発生した直後日光の山中で車中泊していたら、ザックの中まで細かく調べられ、挙句調書まで取られてしまいました。不審者どころか容疑者扱いです。(完)