山と渓谷社刊 分県登山ガイド

「岩手県の山」完登のご報告

2021年10月28日 山口 一史

秋冷の候 皆様にはご健勝のこととお喜び申し上げます。

さて私 1019日南本内岳(1486)の登頂(1)を以って、山と渓谷社(略称ヤマケイ)の発行する分県登山ガイド「岩手県の山」(20103月刊初版) 60項目64山の完登を果たしましたのでここにご報告いたします。

(1)南本内岳には昨秋北側の西和賀町から登るべく入山したが林道崩壊で通行止め。一つだけ残るのは何とも悔しいと、今秋南側の焼石岳を越え、濃霧と強風を突いて北へ縦走しやっと山頂に立ち目標を達成した。

私の登山目標の一つにヤマケイの分県登山ガイド「〇〇県の山」の完登があります。今までに宮城、福島、茨城、栃木、東京、新潟、長野、山梨、静岡、愛知、岐阜の11都県の完登を果たしました。

岩手県の山にはこのガイドブックに紹介された山を含め全部で93山登りましたが、それでも47都道府県中第二位の面積を持つ岩手県には私の登頂山数カウント対象の山が779山ありますから、ほんの12%登ったにすぎません。

今回はその中で奥羽山脈の北部八幡平から秋田駒ケ岳までの連結縦走記録を報告しましょう。

1.第一回 八幡平~岩手山:1990年8月11日~15日;47歳

第一日(8/11) 上野=盛岡=八幡平―陵雲荘(泊)⇔茶臼岳

上野発6時の新幹線はお盆の帰省客と重なりかなり混雑していた。盛岡からバスで八幡平に向かう。

八幡平温泉郷を過ぎてバスが山道に入ると、途中に、昭和47年まで操業し、最盛時2万人もが働いていたという硫黄採掘の松尾鉱山跡を通る。鉱山施設跡らしきものは見当たらぬが、鉄筋コンクリート4階建ての廃墟と化したアパート群が6~7棟丘の上に並んでいるのが唯一往時をしのばせる。

茶臼口を過ぎるころから左手、北ノ叉谷は一面オオシラビソの鬱蒼とした樹海となり、その中に夜沼や熊沼が青く静かに水を湛えている。ここには月ノ輪熊が600頭も生息しているとバスガイドは言ったが、600頭はちょっとオーバーなのでは。

八幡平のバス停は1540mで山頂直下にある。緩い傾斜の観光客用に作られた石畳道を15分も歩くと三角点の山頂。展望用櫓が作られているが、今日はガスで何も見えない。今夜の宿は八幡沼の傍に建つ無人小屋陵雲荘と決め、荷物をデポして、茶臼山まで往復散歩に出かける。途中湿原を何か所か通ったが、ガスでほんの道の両側しか見えないのが残念だ。薄紫のタチギボウシ、竜胆など何種類もの花が霧に濡れ、風に揺れている。茶臼山の山頂もガスで展望無し。晴れていれば裏岩手の連山を一望することができるのだろうが、今日は霧と風のみ。

第二日(8/12) 陵雲荘⇔蒸ノ湯口⇔後生掛温泉⇔焼山

八幡平から一旦後生掛温泉まで下り、泥火山、大湯沼、紺屋地獄、オナメモトメ等の名所を見学したのち、焼山まで往復して八幡平に戻る。(焼山は秋田県の山ゆえ、記録は省略)

肌寒い冷気の中を歩き始める。遠望すると鳥海山、秋田駒、岩手山とその左肩に早池峰、焼山の向こうには形の整った森吉山など東北の名山が名指しできる。

秋田県側に派生した、丸いピークで眺望の素晴らしい畚岳には4~5分の上り下り。

畚岳を過ぎるとだだっ広いオオシラビソの林の中を黙々と歩くのみ。諸桧岳の山頂などは標識がなければどこが山頂か分からない、ピークというより高原である。嶮岨森は東西の山腹が急傾斜を成し、ナイフエッジ状の山だが、東側眼下の濃緑のオオシラビソの林の中に深い黒緑の水を湛えた大きな沼が印象的であった。

大深岳の山頂も広い高原の一角。この辺は笹、這松、ナナカマド、オオシラビソ等いろいろな樹木が混在している。大深岳で昼食後、散歩気分で源太ヶ岳まで往復する。

大深岳から200mほど急降下し、登り返せば小畚山。ここから三ツ石山までは快適な雲表の散歩道、前方の草原にずっと道が見えている。三ツ石山は草原上の山頂に、数は定かでないが岩場が何か所か盛り上がっている。縦走路中どこからでも岩手山は左手に大きく高く聳えている。よく見ると最高峰を頭にして、両腕で火口を囲むように外輪の山々が連なっているのがよくわかる。明日は岩手山だ。今晩は三ツ石山荘泊。午後になってもガスが掛からず、実によく晴れた暑い一日だった。

第四日(8/14) 三ツ石山荘―大松倉山―犬倉山―姥倉山―黒倉山―不動平―岩手山―八合目小屋(泊)

薄曇、道の両側の朝露も少ない。天気は下り坂らしい。

三ツ石山荘から姥倉山まではオオシラビソや背の高い笹林の中の緩い上り下り。奥羽山脈ではオオシラビソはここまでで、この南の秋田駒にはなく、ここより以南では蔵王にあるだけだそうだ。

姥倉山は縦走路から離れ、5分ほど西へ歩いた目立たぬピーク、松川温泉への下り道になっている。

赤茶けたザラ場の黒倉山を下ると切り通し、ここで鬼ヶ城尾根コースとお花畑コースを分ける。外輪山沿いの道が岩場伝いの鬼ヶ城尾根である。南側眼下の緑の斜面はそのまま小岩井農場の方へ流れ、麓の農場も手に取るようによく見えている。2000m近い標高だとはちょっと信じがたいほどだ。2000mの標高からこれだけ三方に平地の景観を俯瞰できるのは岩手山ぐらいではないだろうか。吹き上げてくる涼しい風を肌に受け、重く感じだしたザックを一歩一歩担ぎ上げる。不動平から丸いザラ場の斜面を登り返すと岩手山最高峰。岩手山山頂火口もまた内部に妙高岳を盛り上げる複式火山となっていた。火口の周りをゆっくりと一周した。山頂からは北に遠く八甲田山のピーク群、八幡平からの緩やかな、のびやかな尾根筋、複雑にピークの重なる秋田駒、そして豊満な乳首を想わす乳頭山等々が眺められた。

今夜の泊りは八合目小屋。1000円取られたが、きれいな小屋で、夜半の吹き降りの激しさを思い返せば、小屋泊りが正解だった。今回はテントも担いでいたが一回も使用することはなかった。

第五日(8/15) 八合目小屋―馬返し=盛岡=大宮

(省略)

2.第二回 秋田駒ケ岳~烏帽子岳(乳頭山) 1991112日~3日:49

第一日(11/2)大宮=盛岡=田沢湖=田沢湖スキー場―男岳―秋田駒ケ岳(女目岳)-駒ケ岳避難小屋

昨夏、八幡平から岩手山へ縦走した時、南方に、なだらかな起伏の上に乳首のようなかわいいトンガリをちょこんと乗せた乳頭山(烏帽子岳)を発見した。そして波打つ尾根は秋田駒まで連なっている。

そんな秋田駒を11月最初の連休に狙った。天気も良いようだ。盛岡駅から田沢湖行きバスに乗る。国見温泉から登る予定だったが、国見温泉入り口バス停から温泉まで8㎞あり、更に山道3時間では晩秋の陽は落ちてしまう。計画変更して田沢湖側から登ることにした。ところが8合目まで入るはずのバスは10月末まででもう運休中。仕方なく田沢湖スキー場の南側の尾根を登ることにした。

尾根は最初唐松林、そして低い灌木帯から熊笹帯となり、最後は高山植物帯へと変化していく。もちろん今高山植物は何も咲いていない。尾根に出ると風が冷たく、手が凍えてくる。秋の陽に温められた岩の温もりにあっと驚く。

秋田駒ケ岳とは、最高峰女目岳(1637)、男岳、女岳、横岳、小岳からなる火山群の総称で、横岳は県境の山だが、他は全て秋田県の山である。女岳山頂では平らな地面全体に噴煙が這って流れるという面白い光景を見た。女岳の小さな火口跡から吐き出された黒い溶岩は途中で止まってそのまま固まっている。まだかなり新しいようだ。男岳山頂からは、丸い田沢湖が夕陽に鈍く光り、岩手山も左端にピークを寄せて遠く眺められる。阿弥陀池の傍を通り池畔に建つ避難小屋に投宿。最高峰女目岳に登ってみると、田沢湖の真向こうに夕陽がオレンジ色に沈んでいった。

第二日(11/3) 避難小屋―横岳―湯森山―笊森山―乳頭山―大釜温泉―田沢湖駅=盛岡=大宮

夜、11時ごろ窓を開けると深いガスが掛かり、風も小屋にヒューヒューと吹き付けている。少し遅めに起きて6時出発、まず横岳に登り縦走にかかる。横岳あたりはちょうど外輪山のような地形になっている。横岳からの下りはだんだん尾根が広くなり背丈より低い笹に一面覆われている。晴れていればさぞ快適な散歩道であろう。湯森山、笊森山とも同じような緩やかな広い尾根上の盛り上がりである。縦走路の所々に湿原やお花畑が今は枯れて雪を待つばかりに茶褐色に広がっている。

最後のピーク乳頭山(烏帽子岳)は全体がなだらかな丸い盛り上がりの上に乳首に擬した大きな岩があるのかと思っていたらさにあらず、南側は急峻に切れ落ちた岩尾根であった。ここにきてやっとガスが晴れ秋田駒までがきれいに見通せるようになった。しかしここから秋田駒の眺めより秋田駒から乳頭山の眺めの方が素晴らしいと思う。

下山後、乳頭温泉七湯の一つ大釜温泉に10分ほど浸かってバスに飛び乗る。黒湯、孫六、大釜の各湯はいずれも木造板壁の鄙びた宿であった。

3.第三回 三ツ石山~大白森~乳頭山 201482日~84日;71

第一日(8/2) 白岡=(東北道)盛岡IC=滝ノ山温泉P-三ツ石山荘()

滝ノ上温泉郷の駐車場に車を止め、三ツ石山荘への道を登り始める。ほとんど樹林の中の道だが、真夏の真っ昼間ゆえ汗が噴き出す。コースタイムを45分縮め、2時間5分で三ツ石山荘に到着。

小屋の手前2~3分の所にある水場の水の冷たくておいしかったこと。三ツ石湿原の中に建つ山荘からは東に大松倉山、西に三ツ石山のいずれも丸い緩やかな山頂稜線が眺められた。

第二日(8/3) 三ツ石山荘―三ツ石山―小畚山―大深岳―関東森―八瀬森山荘―八瀬森―曲崎山―大沢森―大白森山荘()

三ツ石山は山頂部が岩塊になっているので展望が良い。逆光の岩手山はこちら(西側)から見ると三角形に尖った急峻な山に見える。三ツ石山から小畚山までの間は展望の良い緩やかな広い高原状の稜線、ハイキング気分で歩けるのだが、道の両側を覆う草露に下半身がぐっしょり濡れるのがいただけない。

小畚山からジグザグの急坂を150mくらい下り、また同じだけ登り返す。コースタイムの半分ほどで登り返したは良かったが、勢い余って八瀬森への分岐標識を見過ごし、気が付いたら大深山山頂まで行き過ぎてしまった。分岐まで引き返す。

分岐からの道は刈り払いがしてないのでルートはわかるが、草や笹が生い茂っている。たまらず雨具のズボンをはいた時にはすでにズボンはぐしょぐしょであった。このルートは湿原が多い。というより広い尾根全体が湿原でその中に樹林があるといったほうが正確だ。湿原の夏の花はすでに終わり、今は薄紫のギボウシとササユリが咲いている程度である。樹林の中の道も泥濘が多く、登山路の真ん中に沢山生えた水芭蕉の、花の時期とは違ってきれいとは言えない、否醜いとさえ言える大きな葉を踏みつけて歩かねばならない。

八瀬森山荘で昼食していたら、今朝大白森山荘から来たといういわき市の登山者が一人入ってきた。ルート情報を交換する。彼は今夜大深山荘に泊り、明日八幡平へ縦走するそうだ。

曲崎山はこの辺では標高が高く、南側から見ると横長の兜型だが、東側から見るときれいな円錐形をしているので山頂の展望を期待していたが、シラビソの樹林帯で展望ゼロであった。関東森と同様、大沢森もルート上の一点に過ぎず、ピークではない。山名標識がなければ通過してしまうところであった。

 玉川ダムへ下る大沢分岐を過ぎるとさすがに疲れてきた。一歩一歩歩を進め、やっと大白森山荘にたどり着く。コースタイムでは三ツ石山荘から大白森山荘までは10時間以上かかるので、計画では余裕を見て今夜は八瀬森山荘泊にしていた。しかし内心はいけそうなら大白森山荘まで飛ばそうと思っていた。コースタイムが甘いことが今日の前半でわかったので、昼食後躊躇なく大白森山荘まで足を延ばしたのである。しかし疲れた。

第三日(8/4) 大白森山荘―大白森―小白森山―乳頭山―滝ノ上温泉P

昨夜、一人で占有した大白森山荘から、樹林の中を笹露に濡れながら登っていくと、広い広い大白森山頂の大湿原の端に着く。ここから道は木道となり上りは緩やかとなる。山頂平全体が薄緑色の高層湿原で、所々に池塘も見られるが、花はほとんど咲いていない。その湿原を平らな前景として八幡平、岩手山、秋田駒などが眺められる。今日は高曇。カンカン照り付ける陽射しが少ない分縦走には好都合だ。秋田駒には時々雲が巻き、又離れる。秋田駒から乳頭山に縦走したのはいつのことだっけ。

大白森から30分で小白森山、この山頂も平らで山頂平は小さな湿原となっている。まさに大白森、小白森である。

この小白森山からの下りで失敗した。広めの登山道を道なりにポカポカ下っていたら左折する乳頭山方面分岐の小さな標識を見過ごし、鶴ノ湯への道をどんどん下っていた。だいぶ下って秋田駒がいつまでも正面に見えるのでどうもおかしいと気付き、引き返し、分岐点(蟹場分岐)から乳頭山への狭い登山道に入りなおす。約40分のロスタイム。

乳頭山への道は広い尾根というより高原といったほうが良いような樹林の中の登山道をひたすら歩く。途中一か所急坂があり丸太の階段が続く。もう作ってからだいぶ経っているようなその階段の急坂を登りきると広い田代平の木道道となる。蟹場分岐から田代平山荘まで2時間とあったが、1時間で登り切った。ガイドマップのコースタイムはコースタイムでは歩けない区間があるかと思えば、その半分で歩ける区間もあり、かなりラフなようである。

乳頭山の山頂には先客3人の中高年組がいた。後から2パーティ3人が登ってきた。いずれも乳頭温泉郷から登ってきた人たちのようだ。山頂は360度の展望、北方に遠く森吉山や焼山も見える。この二日間で歩いた稜線を目でたどるが、全体に緩やかな高原状の地形なのでルートを正確に同定するのは困難であった。

乳頭山頂から滝ノ上温泉目掛けて下降開始。途中の白沼で一服。ここはモリアオガエルの生息地だそうだ。下山後玄武温泉で一風呂浴びてやっとさっぱりした。結局計画より一日短縮して縦走できた。しかし2日目は9時間15分、3日目は8時間10分のアルバイト、相当疲れたと告白せざるを得ない。しかしこのアルバイトで裏岩手連峰は八幡平から秋田駒まで完全につながった。        ()