2000山登頂のご報告
平成20年元旦 山口 一史
明けましておめでとうございます
今年もあなたとあなたのご家族にとって良い年でありますように
さて 私は昨年9月末、日本国内2000山の登頂を達成致しました。
ここにご報告いたしますとともに今日までのご支援とご協力に心より感謝申し上げます。
15歳の高校入学と同時に山岳部に入り山登りを始め、大学時代、サラリーマン時代、定年後とペースに大小はありますが、中断することなく継続して、昨年はちょうど50周年の節目の年でもありました。
自分の登頂山数を初めて意識したのは、昭和52年ごろ朝日新聞で今西錦司氏が千山に登ったという記事を眼にした時でした。それからは「山靴の音」と表題を付した登山台帳を整備し、いろいろな目標を立ててこつこつと登り続けました。しかしエベレスト登頂とか、8000m峰何座登頂とか、ヨーロッパアルプス○○北壁冬季初登攀といった所謂登山家と称するに足る輝かしい記録があるわけではありません。ただ50年間黙々と山に登っていたら2000山になったというだけの話です。その中で1993年4月千山登頂を果たし、1994年日本百名山を全登、2006年甲州百山、昨年信州百名山と群馬百名山を完了しました。(詳細は別紙参照ください)
これら多くの山に登れた要因を振り返って見ますと
最大の要因は「九州で学生時代までを過ごし、就職して最初の24年間は関西の工場勤務、平成元年に東京の本社に転勤させられその後関東暮らし」と生活拠点が大きく移動した事にあると思います。その意味で今となっては東京本社に転勤を命じた、時の上司に感謝せざるを得ません。
その他・関東での住居を、関東平野のど真ん中、放射状交通の要衝埼玉県大宮近辺に意図して定めた事
・車内で宿泊可能なフラットフロアーパネルで車高の高い四駆のRV車を購入したこと
・殆ど全ての山行はスケジュールと行動の自由が担保される単独行であった事
・ (小さな声で)関西、関東時代とも職務柄北は北海道から南は九州まで出張が多かったこと
・ (これも小さな声で)仕事の性格上、また理解ある上司と有能な部下に恵まれ有給休暇が取り易かったこと
などがあげられます。おっと最も大事なことを忘れるところでした。
・山行への理解と協力を惜しまなかった奥の存在(感謝!!) も大きな要因です。
そんな山行を続ける中で、「山のたより」と銘打って綴り続けた、誰も読まないであろう駄文は大学ノート20冊になりました。
私が登頂カウント対象としている標高300m以上の山は日本全国に約14000山あります。その全てに現在のペースで登ろうとすると185歳までかかる勘定になります。これを最終目標とするかどうかは思案中ですが、当面は定年退職時に設定した①日本国内3000山、②海外30山、③90歳で富士山頂の3つの目標に向かい、日課のトレーニング継続を力として前傾姿勢で邁進しようと思っています。
「そこに山があるから登るんだ」とぶっきら棒に答えたのはエベレスト初登頂を目指しその露と消えたマロリーの名言ですが、私は「山に抱かれる」というのがこのごろの心情です。林床の可憐な花に喜び、山の匂いを胸に満たし、原始自然の嵐気に全身全霊を包まれ無我の境地に心を漂わせるには、同行人と対峙する時間と空間がもったいなく思えます。単独行こそが真の山人のありようではないのかと。
山に憧れ 山に入り
言葉少なに ただ歩む (一人の山より) 以上