タフムルコ 登頂記

2020年2月5日~13日 山 口 一 史

中米最高峰・グアテマラ最高峰

タフムルコ(4220m)

グアテマラ 第3位

アカテナンゴ(3976m)

タフムルコに登りたいと思い出したのはもう4~5年前だったろう。しかし海外登山としてはマイナーな山らしくツアーの企画が途切れたり、人が集まらなかったりでなかなか実現しなかった。

この山を意識するまではグアテマラという国名は知っていても、その正確な位置は知らなかった。また過去3回南米の山に登ったが、それまで中南米の歴史について勉強もしていなかった。これではいかんと「ラテンアメリカ 500年」(岩波現代文庫)を一読したら、その中でグアテマラでは近代、大虐殺があったことを知り、更に「グアテマラ 虐殺の記憶」(岩波書店)を読んだ。

その虐殺は、国家の側がゲリラ駆逐を名目として36年間(1960~96)に及ぶ長い紛争の中で20万人を超える死者、行方不明者を出し、その大半が先住民族マヤの人々であった、というものである。

この本を読み進むとき、その虐殺のあまりの凄惨さ、あまりの悍ましさに、時々ページを閉じて深呼吸をしてからでなければ読み進められないほどであった。そして読了後、この虐殺によって心に深い傷を負った人々の国に登山者(所詮観光客)として訪問するのが許されるのだろうかとしばし自問した。

その悲惨な歴史を肝に銘じたうえで心して訪問しようと意を決した次第である。

アカテナンゴ登山

第一日(27()) アンティグア(7:45)(8:50)ソレダッド(9:20)(11:05)入山チェックポイント―(15:20)メセタキャンプ

1543年から、1773年のアグア山大噴火と地震による壊滅までの230年間グアテマラの第三番目の首都であり、現在は世界遺産となっているアンティグアの街をバスで出発し、アカテナンゴ火山の登山口ソレダッドに向かう。今は乾季、車窓からはいたるところにブーゲンビリアの赤紫の花や薄紫のジャカランタの花を見ることができる。ジャカランタは花が終わる5月ごろ花柄を摘み取って煎じて赤ちゃんに飲ませるとゲンノショウコと同様な効果があるそうだ。

ソレダッドは急傾斜でピラミダルな形のアカテナンゴ火山の付け根にある集落である。ここで我々一行のサポート部隊と合流する。日本からのツアーメンバーはリーダー一人(上山(うえやま)仁(ひと)美()(W48))、メンバーは男女同数で計12人、スタッフは現地ガイド3人、馬5匹、馬方5人、炊事係2人、それにポリスマン2人という大所帯である。ポリスマンは治安の悪いグアテマラ故我々の警備をするのではない。アカテナンゴ火山の南に位置するフエゴ火山の噴火予知と非常時に一行を守る任務を課せられた専門家(観光警察)である。グアテマラの人口約1700万人の民族構成は22の言語を持つマヤ45%、スペイン系とのMIX50%、白人支配層4%だそうだが、3人のガイドの内、ツアー全体のガイド マックス(34歳)はMIX、他2人はマヤ人で登山ガイドのカルロス(47歳)はマヤの中で最大のキチェ族、サブガイドのビクトルは地元ソレダッドの人である。

アカテナンゴとはアカは“竹”、テナンゴは“場所”の意で“竹の生えている場所”という意味だそうだ。なるほど登山道の樹林帯に入るあたりには株立ちの竹林が見られるがそう多くはない。ソレダッドの標高は約2400m、キャンプ地のメセタは約3600m、比高1200mの登りだが標高が高いので高度順応しながら登らなければならない。ポレポレと行軍開始。登り始めて1時間半ほど、標高2700mくらいまでは両側が焼き畑のトウモロコシ畑である。(マヤの伝説では人間は4種の色のトウモロコシから創られたとのこと) 今は収穫が終わり、枯れた幹が立っているだけ、所々に煙が立っているのは次作付けのための準備であろう。この最初の上りは急坂で足元は富士の須走のように砂でズルズル、埃がすごい。

トウモロコシ畑が終わり、樹林帯に入ると少し傾斜が緩くなるが足元の砂埃は続く。亜熱帯雨林のような樹林帯を抜けると松の疎林の中のトラバース道にかかる。アカテナンゴ東側の山腹を緩傾斜でトラバースする道の両側にはアンチチョークのような巨大な薊の種類、ユリオプスデージーに似た強い黄色の5弁の花、女郎花に似た黄色い花、現地ではアファグ(AJUGA)と呼ばれるルピナスの仲間等々関心を持って見れば花々も楽しめ、つい隊列を離れてカメラを向ける。

このトラバース道では東側には常にきれいなコニーデ型のアグア山を眺めることができた。松は大王松のように葉が長く、房のように丸く垂れさがっている。松の疎林にはサルオガセが繁殖したせいか太い枯れ木も目立つ。

メセタキャンプは急斜面に作られた雛壇上のテント場、正面南側にはフエゴ火山を眺められる。フエゴ火山は一年中噴火を続けている山で2018年には大噴火を起こし、麓の集落で25人が亡くなったとか。三角形に尖った山頂近くにはいくつもの火口があり、一時間に10回以上大小の噴火を起こしている。大きい時にはドカンとダイナマイト発破のように地を震わし、中ほどの時にはドーンバリバリと雷のように空気を振動させ、噴煙とともに噴石を吹き上げている。夜見ると赤黒く吹き上げられた噴石は両側の山腹に降り注ぎ斜面に赤い流れを作る。まるで仕掛け花火を見ているようだ。カメラを構えて動画を撮ろうとしたがなかなかうまく取れなかった。

第二日(28()) メセタキャンプ(4:30)(6:15)アカテナンゴ山頂―(7:15)メセタキャンプ(8:45)(11:25)ソレダッド(11:50)(17:10)ケツァルテナンゴ

早暁4時半ヘッドランプをつけて山頂へ向け出発。登山路は富士の須走のように細かい砂利が厚く堆積しているので登りにくい。ただライトに浮かぶ前の人の足跡を踏んで登るだけ。

山頂は大きな火口跡であった。浅い鍋底状の火口跡を囲む周遊ルート上に3つのピークがある。日の出少し前に山頂に着いた。気温5℃だが風が強いので寒い。  日の出の瞬間驚いた。太陽はアグア山のJUST山頂から出ているではないか。ダイアモンド富士ならぬダイアモンドアグアであった。予期せぬラッキーな瞬間。思い思いに記念撮影などして下山、テント撤収して3時間で登山口まで下る。

ダイアモンド アグア

後方はフエゴ火山

タフムルコ登山

第一日(29()) ケツァルテナンゴ(8:00)(11:10)登山口(11:25)(14:15)林道終点―(16:25)キャンプサイト

1524年スペイン人 ペルドデ・アルバラードがグアテマラを征服しようとしたとき、敵であったキチェ族の勇将テクンウマンの姿から名付けられたケツァルテナンゴの街はグアテマラ第二の都市である。(ケツァルは冠をかぶったような形の緑色の鳥の名、テナンゴは“場所”の意で、勇将テクンウマンの兜がケツァルを象った物だった)

8時、そのケツァルテナンゴをバスで出発。隣県サンマルコスの標高3071mの登山口に着く。登山サブガイドだけ交替して34歳独身のビリー、彼は大学で日本語を勉強、登山が趣味でグアテマラの山には全部登ったという。19歳の時来日して富士山と立山にも登ったそうだ。スペイン系だそうだが背が低く、顔が丸いところは日本人に似ていると思う。

登山路は最初車も走れる緩傾斜の未舗装道路、ポコポコと足元から土煙をあげながら、3~4回ショートカットもしてゆっくりと登っていく。車道の終点から明日登頂予定のタフムルコ山頂が、頭頂部のへこんだ兜のような形で眺められた。車道の終点からコヨーテの谷と呼ばれる浅い谷状になった松の疎林帯に入る。ガイドのカルロスが以前コヨーテに出会った時の写真をスマホで見せてくれた。松の樹林帯を登り切り、尾根を30分も登れば、標高約4000mの平らな松林の中にあるキャンプサイトに到着する。何の施設もない。トイレは天然である。

第二日(210()) キャンプサイト(4:30)(5:55)タフムルコ山頂(6:40)(7:30)キャンプサイト(8:40)(10:50)登山口(11:05)=パナハチェル

午前430分ヘッドライトの明かりを頼りに、キリストの最後の2週間にちなんで登山路の立てられた、14のレリーフと白い十字架に導かれて岩場道を登る。岩場は難しいものではない。1時間25分で西側に深い火口を持つ4220mの山頂に立つ。強い風の寒さに耐えながら日の出を待つ。地上に顔を出した太陽の茜色の空の中に三角形の山が沢山きれいに並んでいる。アニージョ・デ・フエゴ(火のリング)と呼ばれるグアテマラの火山群だ。左からアグア山、アカテナンゴ、フエゴ火山、アティトラン、スニル、サントトマス、そして右端がケツァルテナンゴの街の北側にピラミッド型にそびえるサンタマリア火山。グアテマラの主要火山がすべて眺められる感動の時、タフムルコ山頂に立ったものだけに与えられた特権だ。山頂の十字架を前景にしてカメラを向けたがうまく撮れたかどうか。西側に太平洋が見えるはずだがこれは靄っていて見れなかった。

グアテマラ国旗を広げて集合写真を撮り、下山にかかった時前方に又素晴らしい展望が開けた。中米第二位、標高4093mのタカナ山にタフムルコの影即ち影タフムルコが半分重なっているのだ。またカメラを出しシャッターを切る。タカナ山の南側麓にはメキシコの街、チアバスの光が見えている。

なおタフムルコとはマム族の言葉で“偉大なおじいさん”、タカナは“おばあちゃん”の意味だそうだ。

これでツアーメンバー12人全員がアカテナンゴとタフムルコの両山に登頂できた。ツアーリーダーの話では7年前にこの企画を始めて以来、初めての記録だとか。メンバーを見ると女性は全員経験豊かな山女のようだが、男性の中には「お前は本当に山屋か?」と思いたくなるような人もいたのだが。

他人のことはさておき僕自身は今回は体力的に楽勝であった。

左からマックス、?、ビリー、カルロス

実質6日間の慌ただしい登山旅行では負の歴史ジェノサイトの心理面に触れることも、物理的痕跡を見ることもなかったが、いまだに郵便制度さえない貧しい国である。グアテマラは。

その貧しさ故に麻薬の栽培取引という闇社会と、これと癒着した表社会という国家の構造問題が解決するのは望めるのだろうか?

ただ一つ自然的にはグアテマラが火山の国であることは十分に実感できた。(完)