エチオピア最高峰 ラスダシャン(4533m)登頂記

2016年3月6日(日)~20日(日) 山口 一史

ラスダシャン (4533m)

イメットゴゴ (3926m)

僕がエチオピアという国を知ったのはいつごろだろうか、1960年ローマ五輪の裸足のアベベ・ビキラでは確実に認識しただろうが、もっとそれ以前だったか? 海外の山に登るようになってここに大地溝帯があることを知り、是非ともこの目で見てみたいと思うようになった。

エチオピアは歴史の古い国であり、旧約聖書のソロモン王とシバの女王の子孫であると多くの民衆は信じ、ユダヤの慣習がエチオピア正教会を中心に守られているとか。またアフリカで唯一西欧列強の植民地にされず独立を守り通してきた誇り高き国でもある。その最高峰ラスダシャン登頂ツアーに参加の機会を得た。

エチオピアに入国するには黄熱病の予防接種を受けねばならない。17年前キリマンジャロに登るとき受けた接種証明書(イエローカード)はすでに10年の有効期限が切れている。再度東京医大で医者に「黄熱病で死んだ日本人は野口英世以外一人もいないけどな」などと言われながら接種を受けた。

38日(火)アディスアベバ(7:35)(8:40)ゴンダール=(12:40)デバルク=(15:50)サンカバル

 ツアーメンバーは5人、男2人、女3人皆海外登山経験豊富なベテランぞろいである。ツアーリーダーは伊藤。勇太郎さん、2007年韓国ハルラ山登山でお世話になった。また現地ツアーガイドとしてメラク(MELAK)(32)がアディスアベバから加わった。更にシミエン国立公園入口のデバルクから漆黒痩身の山岳ガイド、ハーブティ(HABTIE)(28)とカラシニコフ銃を肩から下げたスカウト(SCOUTS)(レンジャー)のタベールが加わった。タベールは我々一向の護衛と監視を登山の全行程専任で受け持つのだそうだ。銃は下げていても服装は粗末な私服に足はサンダル履きである。これで山頂まで登るつもりだろうか。そのほかに我々5人のパーティのためにミュール(馬とロバの一代交配種)22頭、馬方12人、コック2名、アシスタントコック2名が専属でついている。山のツアー料金が高いはずだ。

39() サンカバル(8:20)(10:30)ジンバル峠―(15:45)ギッチョキャンプ場

 キャンプ地のサンカバルは平坦な台地の上にあるが、その周辺は高度差優に1000mはある絶壁が太古浸食によって作られた深い谷を成している。緑は少ない。樹木は昔オーストラリアから移植して増えたというユーカリが多く、中に針葉樹のジャイアントヒースが混じっている。乾燥地帯なので緑は白っぽく日本のような瑞々しさが無い。それでも道の周辺をよく見ると黄色の3~4センチの実をつけたトマトの種類のポイズン、天然ドライフラワーで直径2センチの白い菊花がびっしりと咲くエバーラスティン、臭いの強い赤紫のエチオピアンローズ、直径8~10センチの白い一重の芙蓉のような花をつけるアビシニアンローズなどを見つけることができる。

サンカバルを出発。登山路は絶壁のヘリを縫うようにつけられている。サンカバルまで多かったユーカリは無くなり、樹木はほとんどサルオガセを沢山ぶら下げたジャイアントヒースとなる。また今は乾季なので枯れた感じの花が多いがサンカバル周辺で見られた花に加え、葉が赤いアロエや、薊のような葉の上にギガンジュウムのような直径1015㎝のボールのような花をつけた花(名称不明)など多くの植物を見つけることができた。ルートは対岸にジンバル滝(高さ500)の見えるところで一旦鞍部に下って登り返し車道に合流する。しばらくダートな車道を歩き、また左に分岐し、トラバース気味に緩く下ってジンバル谷を横切り、ギッチェ村を通ってキャンプ場に至る。ジンバル谷へ下っているとき道の両側に念願のゲラダヒヒの一群を見た。ゲラダヒヒはこの国の固有種である。事前に写真で見て想像していたよりは小さく、日本猿と同じくらいの大きさ、同じような色であった。

ギッチェ村は初めて見るエチオピアの山村風景である。遠目に見るとまるで日本の弥生式住居群を彷彿とさせる。すべての住居は円形で基礎は石積みだがカヤで円形に葺かれた屋根が基礎も深く覆っている。それら円形の家が斜面に30戸もあったろうか。牧畜を生業にしているようで一帯では少年も混じってヤギを追う群をいくつも見かけた。今日は火曜日、少年は学校に行っていないのだろう。

3月10日(木) ギッチェ(8:20)-(11:20)イメットゴゴ山頂(12:20)―(13:50)ギッチェ

 朝テントから出て驚いた。我々パーティのテント群のど真ん中にブルーシートをひっかぶってスカウトのタベールが地べたに寝ているではないか、あたりを見回すと何人ものスカウトがそれぞれのパーティのテントのそばでブルーシートに包まって転がっている。これが彼らの流儀なのだろう。

今日は高度順応のためイメットゴゴというピークまでキャンプ地から往復する。イメットゴゴというのは山というより浸食されて垂直の断崖をなしている隆起した台地の端点である。したがってキャンプ地からイメットゴゴまではなだらかな緩やかな傾斜のルートが続く。緩傾斜面一面をFISTUKAという枯葉色の草が芝のように覆っており、その中に点々とジャイアントロベリアが立っている。ケニア山に登るときたくさん見かけたアフリカ東部の高山帯の草である。樹ではない。イメットゴゴのピークは断崖絶壁の上に張り出した岩峰だが近くから見るとヒヒの横顔のようにも見えた。帰路は山腹トラバースの道ではなく、断崖沿いの広い平らな尾根道を歩いたが日射が強く、熱中症のような症状となり、テントに戻ってから2時間爆睡してしまった。帰路の途中、2つのゲラダヒヒのグループを見つけた。ガイドの説明では1つはボスを中心とするファミリーグループ、他の一つはあぶれ雄だけのグループだそうだ。見ていると時々ちょっかいを出した雄がボスに撃退されているようだった。

311() ギッチェ(7:50)(12:20)INATYE(4070)(15:20)チェンネック

 今日のルートはイメットゴゴからアビット山へ続く断崖絶壁のへりを縫いながら歩くルートである。ギッチェのキャンプ地を出発してしばらく昨日のイメットゴゴを目指すルートを歩き、途中から右に分岐する。現地ガイドの後ろについて歩いているだけだからどこが分岐点かも正確にはわからなかった。分岐点と思しきあたりで突然ガイドが「ジャッカル!!」と叫んだ。子供連れの3匹のオオカミが草原を横切っていく。遠いので写真は撮れなかったが、世界中で600匹しかいないというエチオピアンフォックス(実際はオオカミ)に出会えたのは幸いだった。

 ジンバル谷の源頭部で谷を渡り、登り返しにかかる。下方はジャイアントヒースの森、上方はFISTUKAの草原である。今日は昨日と異なり、雲の多い空だったので熱中症の心配はない、快適に登り、4070mのINATYEの岩峰に立つ。ここで昼食。あとはチェンネックのキャンプ地を目指して下るだけ、これが結構な急坂であった。チェンネックへ下る途中ゲラダヒヒの集団にまた出くわした。ボスは胸に赤いハートマークをつけている。

頭の白いカラス(LAVER)

312日(土)チェンネック(7:45)(10:20)ブアヒット峠(10:40)(13:50)チロレバ村(14:35)(15:40) メシェハ川(16:15)(17:25)アンビコキャンプ地

今日のコースはチェンネックのキャンプ地から600m登ってブアヒット峠へ、峠からメシェハ川まで1400m下り、更に300m登り返してアンビコキャンプ地へというトレッキングルートとしては厳しいルートである。ブアヒット峠は4200mほどだが、その右手のブアヒット山は4430mでエチオピア第2位の高嶺である。ガイドにブアヒット山に登りたいと言ったらオプションで峠からでも往復4時間はかかるとのことあきらめざるを得なかった。

メシェハ川の上流400mのところ(標高3200)にチロレバ村という大きな村があった。ここは自動車道路が通っているせいか、民家は弥生式円屋根ではなく、木造土壁トタン葺きの家々が道の両側に並んでいる。木造土壁といってもユーカリの細い材木を縦に並べ、その隙間に日本の荒壁のように土を塗りたくったもので日本の感覚でいうと粗末な小屋レベルである。集落の下の方にはノルウエーの援助で立てられたというきれいな学校の建物が並んでいた。モノトーンの人家群の中でカラフルな学校の建物は良く目立つ。

3月13日(日) アンビコ(3:05)-デジェン峠―(9:40)ラスダシャン山頂(10:05)-(11:10)デジェン峠―(14:55)アンビコ

午前3時ヘッドライトの明かりだけを頼りにガイドの後について登行開始、アンビコ村から広い林道のような道がデジェン峠までくねくねと続いているが、登山路はその道をショートカットしてぐんぐん登って行く。出発して3時間目、成田からの機内でひいた風邪が完治せず、身体がだるい、歩くペースが落ち始めた。ここでバテてしまったらパーティに迷惑がかかるからと自己弁護しつつ馬上の人となった。ミュールはこんなこともあろうかと一人分余計に準備されていたのである。今日山頂を目指したのは4人。男性のKさんは初日からの高山病の症状が改善せず、昨日下山し、ゴンダールのホテルで我々を待つことになった。また常に歩行速度の遅い女性2人はアンビコキャンプからミュールに乗るようリーダーに命令されていた。(本人たちはぶつぶつ言っていたが)。くねくねと続く林道はデジュン峠で南方へ緩く下っていく。我々はミュールに乗ったまま北へ旋回してラスダシャンの屏風のような岩壁の真下に至る。岩壁は馬は登れない。下馬し30分ほどの軽い岩登りをしてラスダシャン頂上に立つ。山頂には一辺50㎝ほどのコンクリート角柱があり、頂面に「RASDEJEN 4543m」と刻されている(標高は手元の地図より10m高いが)。ガイドたちと登頂祝福のハイタッチやエチオピアンハグを繰り返し記念撮影などして快晴の山頂を楽しんだ。山頂からは360度の展望、といっても南から北へ3000~4000mと緩くせりあがってきたうすいカーキ色の高原が延々と広がっているだけである。高原の北端が断崖となって切れ落ち、大地溝帯となるその断崖のへりの連続が一つ一つの山なのだろうが地図を見ても名前は無い。広すぎてそんな小さなことはどうでもよいということだろう。ラスダシャンも形状的には山というよりそのような高原の切れ落ちるへりの一つと行った方が正確かもしれない。最後の岩登りのところでメンバーの女性の一人が岩のギャップが越せず、登頂をあきらめたので山頂に立ったのは結局3人となった。しかし完全に自分の足で最後まで登り切ったのは女性のYさんだけで僕は途中馬を使った不完全登頂者である。

 驚いた事がある。山頂に麓の若い青少年が何人もいてコーラやペプシ等を並べて売っているのである。山頂には小屋は無い。客がいるとみれば麓の集落から毎日標高差1400mを往復して4500mの山頂まで売りに来るようだ。すごい生命力だ。

エチオピアでは多くの希少動物に会えたが、長い角を持つ岩壁の鹿ワリアーアイベックスに会うことができなかったのは残念であった。

またエチオピアは原始生活と近代文明がないまぜになったカオスの世界であるとの印象を受けた。(完)