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イントロダクション

 ここでは構造構成主義を体系化した背景や動機,構造構成主義の概要についてお話したいと思います(文中にある‘章’は『構造構成主義とは何か』の章に対応します)。なお,構造構成主義の真骨頂は,その徹底された原理性にあるため,この概要説明ではその理路をお伝えすることはできないことを,お断りしておきたいと思います。したがって,あくまでも,この概説は構造構成主義を理解する「きっかけ」として受け取っていただき,思想的系譜や各概念の詳細は,『構造構成主義とは何か』を参照,吟味していただければ幸いです

1.人間科学の失敗?

科学というのは,「分析」が基本ですから,必然的にそれを扱う領域も細分化,専門分化いくことになります。そうして本来,人間が幸福になるための科学だったものが,科学のための科学になってしまい,その結果,「公害」や「原爆」,「医療問題」等々に代表されるように,人間を不幸にすることにもなったわけです。言い換えれば,「人間のための」という科学が全体として目指すべき大事なことが見失われてしまったのです。

  そうした問題意識から,人間科学を立ち上げた人たちは,細分化されたそれぞれの領域を集めれば,人間の全体的理解にいたるのではないか,人間科学になるのではないかと夢を描いていったようです。言い換えれば,細分化という科学の限界をふまえて,いろんな領域の研究者を集めれば,人間という全体を見失わずに新しい学問が出来るんじゃないか,そうことを考えたわけです。

  ぼくは,これは「志」としてはすばらしいと思います。

  その結果どうなったのかといえば,総合学問としての人間科学を実現するために,いろいろな学問領域を集めていたのに,結局は分裂してしまったわけです。つまり,まず素朴に試みたわけですが,うまくいかなかったのです。

  もっとも,敢えて細分化するのも一つの人間科学のあり方だと思うのですが,やはり当初の志に戻るという方向性もあってよいと思います。少なくとも,その志は従来の細分化する科学の反省から生まれてきたわけですから,それ自体は妥当なものだったと思うのです。

2.複合領域の人間科学にかけられた信念対立という「呪」

  先に,いろんな領域を集めただけでは,どうやらうまくいかないと述べました。ぼくは,人間科学の多様な学問が集まっている組織的な特徴を「学問のるつぼ」といっていますが,それでは,人間科学を標榜する組織で,どういうことが起きるのか単純化した形でみてみましょう。

  たとえば,基礎と臨床でいうと,基礎研究者は臨床家に「いい加減な研究するな」といってみたり,逆に臨床実践者は「そんな研究一体なんの役に立つんだ」とやりかえしたりといった対立はよくみられます。

  生物学者と社会学者の間では,生物学者は社会学者に「もっと客観的にやらなければ研究とはいえない」と批判したりするわけです。逆に社会学者は「理論的吟味をしないでそんな要素還元ばかりしていても何もわからない」と反論したりします。

 また,方法論的な対立もあります。例えば,数量的な研究者は「質的アプローチとか曖昧なことを言ってないで,数量化して統計学的検定を用いるべきだ」といってみたりします。それに対して質的研究者は「そんなのは数値還元主義であり,人間味が感じられない」とかやりかえしたりします。

  あるいは認識論的な対決というのもあります。「実存は外部にあるのだから,そこに隠れている法則を明らかにするべきだ」と客観主義者,素朴実在論者が主張するのに対して,極端な社会構築主義者は「現実は社会的に構築されているんだから,確かな法則など何もない」と言い張ったりするわけです。

  これは現場と実験室といったフィールドの対立としてもみられます。いわゆる現場を研究のフィールドにする人は「実験なんて日常生活からかけ離れていてグロテスクだ」と批判し,実験室をフィールドにする人は「実験で確かめもしないのでは,科学とはいえないだろう」というわけです。

  なお,この背景には,科学論の帰納主義と反証主義どちらを信じているかという問題があります。帰納主義は,虚心にありのままの現象をみて事実を積み上げていくことによって科学は成立すると考えるわけです。他方,反証主義は,帰納ではある命題が普遍的であるかどうかを確かめることができないとして,科学は反証可能性がなければならないとしたわけです。

 このように「科学とは何か」といった大前提から異なるまま,人間科学の旗の下に集っているわけですから,半ば必然的に信念対立に陥り,「あいつらは話にならないから住み分けをしておこう」と相互不干渉図式に至るわけです。

  なぜ相互不干渉図式に陥るかというと「人間科学をやろう」といって集まって,建設的な議論をしようとしても,的はずれな批判の応酬になり,お互いの良さを認めることができないため,まともなやりとりにはならないからなのです。ぼくはこうした現象を人間科学の「呪」と呼んでいます。

  それでは,何が必要だったのでしょうか?

  ここが大事なところです。現状の批判だけなら誰にでもできるので。ぼくは人間科学が結果として総合へといたる「方法」が必要だと考えています。諸科学を集めたときに,それらの間でコラボレーションが起こるためには「特殊な媒介」がなければならないと考えたわけです。

  化学反応も,いろいろな物質を集めただけでは起きなくて,熱だったり,他の触媒となる物質だったり,そういう媒介があってはじめて起きると思うのです。もしそういう触媒となるものを開発して,投入できれば,諸学問が喧嘩別れに終始するのではなく,そこから新しい人間科学ができるのではないかと考えたわけです。

3.人間科学のメタ理論に求められる条件

  ここで求められる「触媒」とは,「学問のるつぼ」といった形式的な特徴を,異領域がコラボレートする機能的な特長へ変えることのできるものですね。その触媒,つまり,メタ理論が備えるべき条件を挙げますと,第一に,研究者間の「信念対立を解消するための思考法」が挙げられます。これを実現する方法概念が,「判断中止」「現象学的還元」「関心相関性」といった概念装置となります(2章〜4章)。

  第二に「人間科学全領域に妥当する科学性」があげられます。先にみたように「何が科学か」という根底がズレていると無用な対立図式が生まれます。したがって,まずは従来の科学論をメタ化(相対化)する必要があります。そのための概念装置が,「記号論的還元」「科学論的還元」ということになります(5章)。

 しかし,相対化するだけでは不十分です。したがって,人間科学の全領域の人々が納得了解するような科学の定義が求められます。そして,これが池田清彦氏が提唱した「構造主義科学論」ということになります(6章)。

  第三に「方法論的・認識論的な多元主義」が挙げられます。これは人間科学が包摂する多様な領域が採用している様々な方法を駆使するために必要となります(8章)。

  第四に,特定な領域やテーマに限定されるのではなくて,あらゆる領域に転用(継承)できる「汎用性」が求められます。つまり,そのメタ理論(原理)が実際に知の生産性の向上に繋げられるかどうかが問われます(11章)

  おおまかにいって以上の4つの条件を全て備えていれば,人間科学のメタ理論として理想だと考えました。

4.構造構成主義の全体像

  しかし,これまでこれらの条件を満たすメタ理論はありませんでした。それなら創るしかないということで,自分で体系化することにしたわけです。それが構造構成主義ということになります(図1)。ちなみに構造構成主義は,主たる人を挙げれば,デカルト,ニーチェ,フッサール,ソシュール,ロムバッハ,池田清彦,竹田青嗣,養老孟司といった先人の思想のエッセンスを継承しながら,体系化しました。

  構造構成主義は,『哲学的構造構成』と『科学的構造構成』という二つの営為領域からなります。簡単にいえば,前者の哲学的構造構成は,信念対立を解消するための営為領域です(図1左側)。また,後者の科学的構造構成は,科学的な知を生産する営為領域になります(図1右側;8章)。この二つの営為領域が連動している点が,他の理論と比較して際だった特徴となっています。

 科学的構造構成だけでは,異領域間の信念対立や相互不干渉に陥り,人間科学の「学問のるつぼ」としての特徴を活かしたコラボレーションを実践することはできません。他方,哲学的構造構成だけでは,現象を構造化することができず,人間科学の科学的営みを基礎づけることができません。人間科学が,人間を対象とした人間による科学である以上,この二つの構造構成の一方だけでは人間科学の原理として不十分なのです。

  従来,ともすると哲学と科学は相反する営みとしてとらえられ,お互いが自らの絶対的正当性を主張し,信念対立に陥ることも少なくありませんでした。したがって,構造構成主義では,そのような信念対立に陥らず,哲学と科学を効果的に融合するために,科学的営みに直結する哲学的原理の構築を目指したわけです。そしてその架け橋となるのが,関心相関性という中核原理(4章)や,構造存在論(7章),そして構造主義科学論(6章)なのです。

  ここで改めて科学と哲学の相補完的関係を,明治維新時の,長州と薩摩のアナロジーで説明してみたいと思います。双方とも軍隊を組織し,武器生産を重ねて,戦力を増強しました。科学者は通常「生み出すこと」に従事しており,科学的営為は,ちょうどこの武器の生産に該当しているといえます。

  しかしながら一方で,長州と薩摩は双方とも偏狭な視野に囚われ,信念対立に陥り,戦争し,消耗し続けていました。いくら武器を生産しても,お互いに足を引っ張りあっていては,日本の国力は全体として充実することなく,いずれ外国に侵略されてしまいます。そこで坂本龍馬は,言葉を尽くし,より高い志を説くことで双方を和解させたわけですが,哲学的営為は,ちょうどこの龍馬の仕事に該当するといえると思います。この文脈において,哲学とは,難問(信念対立)による停滞や消耗を言葉を尽くして解きほぐす営みということになります。

  ともすると「異質性」は「対立性」と捉えられがちですが,それらは本来全く別の次元のことだと思われます。逆にお互いに異質であることを認め合い,それらの長所を組み合わせることで,その「異質性」を「建設性」へと昇華していくこともできるからです。

  構造構成主義は,哲学と科学とい

う2つの営為領域を,相補完的に,連動させることにより,「哲学的構造構成」によって異領域間の信念対立を解消し,「科学的構造構成」により科学的生産力を上昇させることが可能な理路を備えています。これにより,人間科学の発展条件を満たす条件を備えたわけです(図2)。

 なお,構造構成主義と他の思潮との異同については,詳しくは9章の「他の思潮との差異化——構造主義,社会的構築主義,客観主義,そして構成主義」に書いてありますので,参照してください。

5.構造構成主義的な態度とは?

  次に構造構成主義という考え方が,どのような態度を導き出すことになるか説明したいと思います(10章)。従来の枠組みの多くは,客観的な真実を追究しようとしますから,そうすると先ほども述べたように信念対立が起きたりします。また,「真実」を前提とすると,それと比較していかなる研究も「不完全」なものになるので,「創る」ことよりも「批判すること」が力を持ってしまいかねないわけです。もちろんときには批判しなければならないときもありますが,創る人より批判する人が優位に立ってしまうようなコミュニティでは学知は発展しにくいと思います。

  それに対して,構造構成主義は,建設性を重んじるため,否定は必要最低限に留め,協力体制を築くことに力点を置きます。また,「ベスト」を志向せず,「ベター」を実践することになります。構造構成主義をメタ理論にすることで,たとえば,新しい研究法を提起する際には,今までの研究法を全否定するのではなくて,それらが「やろうとしていること」を,それ以上に実現できるようサポーティヴな役割を果たすことを目指します。

6.構造構成主義の汎用性

  なお,構造構成主義は人間科学という総合領域を対象として体系化されたメタ理論ですが,それは各人の関心に応じて,様々な領域に援用することが可能です。実際に,図3や図4にあるように多くの領域で継承実践され,新たな領域(研究法)が切り開かれています(11章)。心理統計学から質的研究法,発達研究法,知覚研究法,人間科学的医学,QOL評価法,理学療法,EBM,政治学,歴史学など,

様々な領域やテーマで継承されつつあります。また甲野善紀という古武家が編み出している身体技法を哲学的,認識論的に基礎付けることにより,構造構成的身体技法ということも提唱しています。継承発展については,このHPの「構造構成主義の継承発展」において京極真氏が論じてくださっていますので,是非一読していただければと思います。

  このように構造構成主義は,認識論レベルで信念対立を解消する原理性を有しているのですが,それと同時に科学性や新たな方法論を備えているゆえに,科学的な知の生産性を高める機能もあり,多くの領域に継承発展させる実質的な有効性ももっています。

7.構造構成主義のテーマ曲と根本モチーフ

 ちなみに,ぼくは構造構成主義を理論化している過程で,Mr.Childrenの『掌』という曲を聴いて,すごい衝撃を受けて,そしてそれが理論の方向性の決定的な転換点となりました。そのため,『構造構成主義とは何か』では,『掌』を構造構成主義のテーマ曲に位置付けています(日本音楽著作権協会の許諾済み)。

 ぼくは心理学を専門領域としているのですが,人間科学と心理学はいろんな研究領域(テーマ)の人々が集まっている点で構造的に同じなので,最初は,「心理学の統一理論」として,構造構成主義を体系化しようとしていました。しかし,『掌』を聞いて,自分がしたかったことは統一とかそんなちっぽけなことじゃないなと思ったのです。認め合うための原理というか,そういうものが必要なんじゃないか,それが人間科学にとっても大事なんじゃないか,そんな風に思いました。これって本当に当たり前のことなんですけど,ぼくも含めて学者は専門的になればなるほど,その当たり前のことを見失ってしまいがちだと思います。

  そうした中で,構造構成主義は,当たり前のことを再認識し,人間科学の建設的コラボレーションを可能にする考え方の理路と方法を提供するものとなります。詳しくは『構造構成主義とは何か』のあとがきにも書きましたが,『掌』を聞くと構造構成主義の根本モチーフを理解できますし,逆にいえば,この曲には構造構成主義のエッセンスが詰まっているといえますので,関心のある方は是非聞いてみていただければと思います。

  今後,多くの方々に,様々なご意見を頂くことにより,構造構成主義をより精緻化,発展させていきたいと考えております。また,多くの人に継承発展していただくことにより,人間科学における各領域の「次世代」を切り開いていってもらえたら望外の喜びです。構造構成主義を継承発展させたという方や,それを中心とした論考を書かれた方などがおりましたら,以下に是非ご一報下さい(saijotakeo@gmail.com)。

  (なお,『構造構成主義とは何か』の「はじめに」や「あとがき」,その他の構造構成主義関連著作情報は,本サイトの関連書籍のご案内,もしくはリンクを辿っていただければ参照することが出来ます。また,私の個人サイトも開設運営しておりますので,そこにも関連情報があります)