池田清彦氏

 私が『構造主義科学論の冒険』(毎日新聞社)を上梓してから十五年の歳月が流れた。この本はその二年前の一九九八年に出版した『構造主義生物学とは何か』(海鳴社)で展開した考えを科学論に応用したもので,いわば構造主義生物学から導かれた系(コロラリー)のひとつである。

 このなかで私は,帰納主義,反証主義,規約主義等々を包摂し,止揚した新しい科学論を構築し得たと秘かに自負した。二,三の好意的な書評が出たとはいえ,しかし,日本の主流の科学論・科学哲学界は私の本を完璧に無視した。『構造主義生物学とは何か』の出版で,傍流の学者が一般向けに書いた本は,内容のいかんを問わず,いずれにせよ学界からは無視されることを学んでいた私は,落胆もしなければ,腹も立たず,自分の理論の優位性を疑うこともなかった。

 私は理論の完成度に自信を持っていたので(という意味は,メタ理論としてはこれ以上考える余地がなくなったので),構造主義科学論に関係する本を,その後もいくつか出版しはしたが(『科学はどこまでいくのか』筑摩書房,一九九五年,『科学とオカルト』PHP新書,一九九九),もはや,理論をより洗練させようとの意図を持たなくなっていた。私の関心は,ネオダーウィニズム批判とそれに代わるべきオールタナティブ理論の構築,新しい分類理論の提唱,リバータリアニズムの理論的基礎づけ,生命の形式の探求等々に移っていった。

 その間に毎日新聞社の『構造主義科学論の冒険』は版を重ね,一九九八年に出版した講談社学術文庫版も順調に版を重ねて,一定の読者数を獲得したように思われたが,相変わらず,職業的学者が書く科学論や科学哲学の本や論文に,私の構造主義科学論が引用されることはなかったように思う。しかし,こういった学界とは無縁な人の中には,私の科学論を面白がってくれる人もチラホラ現われて,そういったものを目にするたびに,私はちょっと誇らしいような嬉しいような気分になった。

 そんな時に出現したのが本書である。送られてきた草稿を読んで,私は不思議な気分になった。メンデルが一八六五年に発表した遺伝の理論は長らく無視され,一九〇〇年になって再発見されるのだが,メンデルは一八八四年にすでに亡くなっていて,自分の理論の再発見を知ることはなかった。もし,メンデルが生きながらえて,自分の理論の再発見を報されたらどんな気分になっただろうか。そう西條剛央さんの書いた本書を読んで,私は不遜にも,生きながらえて自分の理論の再発見の報を聞いているメンデルもかくありなん,という気分になったのである。

 私は本書を読みながら,十五年前に『構造主義科学論の冒険』を書いていた時の心躍りを想い出し,きっと西條さんも本書を書きながら,新しい理論を自ら構築する者だけが味わえる昂揚感を味わったに違いないと思い,なつかしいような,ちょっとうらやましいような気持ちになった。

 構造主義科学論を,帰納主義,反証主義,規約主義を止揚したメタ理論として構想した私は,この理論が具体的な研究プログラムとして役立つかもしれない,なんて考えたことはなかった。本書を読んで,なるほど,構造主義科学論の基本的スタンスは,諸学を束ねる結束点としての人間科学にこそ相応しいのかもしれないと思い,西條さんの慧眼に舌を巻いている次第である。

 私は『構造主義科学論の冒険』に先立つ『構造主義生物学とは何か』のあとがきに次のように書いた。

 「あれもよし,これもよしといった形での現状追認のニヒリズムに陥 らずに,しかも一元主義と同型的な論理構成になら  ずに,多元主義を擁護するためのメタレベルの思想を構築することは,大げさに言えば,現代思想が直面している最大の課題であると私には思われた。本書は第一義的には,構造主義生物学の方法論的な基礎を述べたものであるが,同時にこの課題を解決しようとする試みでもある。」

 これを書いた時点では,このマニフェストは単なる大言壮語に過ぎなかったが,本書を読むと,人間科学という具体的なディシプリンの中でひょっとすると実現可能かもしれないという曙光が見えてきたような気がする。

 私が構造主義科学論の構想を発表して以来,西條さんが現われるまで,誰も私の理論を具体的な道具として使おうという人は現れなかったし,私自身もどう使っていいかわからなかった。作った本人は玉だと強がってみても,誰にも顧みられずに打ち捨てられたままであれば,科学論の歴史の片隅にころがっているただの石ころに過ぎない。

 西條さんはこの石ころを磨いて玉にして,さらにそれを加工して,「構造構成主義」という商品にしようとしているのだと思う。願わくば,沢山の人がこの商品の価値を認めて,使い勝手のいい道具として愛用してくれますように。

二〇〇四年師走 池田清彦


竹田青嗣氏

 構造構成主義の構想,十分理解できました。これは決して思いつきでできることではなく,現象学や池田生物学がほんとうに深く理解された上で,はじめて構想された科学基礎論だということが,私にはよく分かります。非常に原理的なものだと思います。

 また、現象学の根本的発想や,池田清彦氏の原理論が,それなりの普遍性を含んでいる限り、この構造構成主義の構想は、必ず徐々に、優秀な若い世代に理解されていくに違いないものと思いました。 しかも西條君自身がまだ若いので、前途が大きく広がっている気がします。