源流・天武暁無闘流

■流派の沿革
佐々木武久最高師範、抜刀術の指導

 相生道の源流は、越中・宇奈月の地で佐々木一族に、一領一党を守護する手段として三百数十年前から伝承されてきた総合武術です。

近世初期にはよくあることですが、もともと佐々木家では、この武術に名前を付けてはおらず、時代が下ると「暁流」「無斗流」などいくつかの名を称するようになりました。「天武暁無闘流」という流派名は、それらの異名をすべて含む名称として、近年に付けられたものです。ですから、戦前に九代目が京都などへ出て他流と交流していた時期は、また別の名前を用いていたようです。
ぶんぶんばり術
 そして十代目・佐々木武久師範は、関東で道場を開いた折には「天武無闘流柔術会」の看板を掲げています。
 そのため本稿でも、「無斗流」などの異称を意図的に混用しています。

なお一般に、『斗』は『闘』の略字として用いられますが、「無斗流」は「無闘流」の略記ではなく、他の用法です。

■流祖の開眼から総合武術へ

源流の居添抜刀術
無斗流では、開祖を江戸初期の武芸者・佐々木家束柾奈を流祖としています。しかし流祖ひとりが膨大な技を創案したのではなく、剣術を学んだ流祖の「五箇条の兵法の極意」を核として、何世代もかけて棒術や抜刀術、小具足術や早縄術、連鎖三角棒術などの教伝を増やし、次第に総合武術となったと伝えられています。やがて平和な平和な江戸中期にあって、「素手で、しかも相手を傷つけずに制する」という柔術の思想と技法が尊ばれて流派の表芸となり、宗家が主に修める技となっていきました。

 ほとんどの流派がそうであるように、「宗家」という呼称は近代に入って使用され始めます。特に無闘流は「一族皆で稽古する武術」だったため、近代に入って、流派に重要な貢献をした人物を宗家として数える独特な方式を取っているので、四百年近い歴史のなかで十名のみとなっています。

■天武無闘流の武器術

手裏剣術 同流には主要なものだけでも二十五種類、細かいものを加えると数十種類の秘術が伝承されてきました。しかし近現代における伝承者の減少、そして十代目宗家・佐々木武久最高師範の急逝によって、残念ながらかなりの部分が喪われてしまいました。
 しかし現在でも、宗家の印璽を継いだ日本相生道協会や、愛知で営まれている天武無闘流柔術会によって、剣術や棒術、ぶんぶんばり術などの特に重要な武器術の、形の一部が伝承されています。

 本章の冒頭で述べたとおり、元来同流は流派名を名乗っていませんでしたが、いっぽう個々の武器術には「飛龍剣術」や「居添抜刀術」といった固有名が与えられています。
 以下に、かつて無斗流に伝承されてきた武器術、および無手の技の一部を挙げます。源流の鎖鎌術
 (正式名称とは限りません)

  • 拍打術
  • 体挫術
  • 剣術
  • 抜刀術
  • 居合術
  • 連鎖三角棒術/ぶんぶんばり術
  • 棒術源流のぶんぶんばり術
  • 半棒術
  • 寄り棒術
  • 鎖鎌術
  • 銑鋧術(手裏剣術)
  • 護身術
  • 無刀捕り
  • 十手術
  • 小具足術
  • 鉄扇術
  • 佐々木武久最高師範の手裏剣含み術
  • 礫術
  • 早縄術
  • 夜行術

 八雲会ではこれらのうち、体挫術(体坐術)や剣術、抜刀術、棒術、半棒術、鎖鎌術、ぶんぶんばり術などを、上級者に指導しています。
Comments