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近未来の翻訳対象と翻訳業界

発表機会:2003年8月2日 サングローバル2003年イベント(研究発表)

株式会社サングローバルコミュニケーションズ(代表取締役櫻井恵美子氏)が主催するイベントで行った発表の概要です。イベントの概要は下記のリンクから参照できます。

近未来の翻訳対象と翻訳業界

翻訳への需要は今後高まる

経営学者のドラッカーはずいぶん前から「知識社会」の到来を予言していたが、自分の心情を内観してみると確かに「モノ」のありがたみは昔よりずいぶん低下し、相対的に「時間を節約してくれる知識」や「自分を元気にしてくれる情報」のありがたみが増している。さらに目を外に向けて社会と経済の動向を検討してみると、このような情報や知識がより重視される社会への移行は今後ますます進むように思われる。

ここで「情報(知識)」が実際にはどういう形態で保存されたり流通したりしているかを考えてみると多くの場合それは書き言葉(文字)という実装形態をとっていることは明らかである。書き言葉(言語)は歴史的経緯により多数(言語学者の一説によると現状で約6000語程度)存在する。それぞれにローカルな言語で記述された知識や情報を言語の壁を越えて流通させる手段が翻訳であるが、知識が今後ますます重視される一方で人間はそう簡単に他言語を習得できないという現実をあわせて考えると、今後ますます知識や情報を言語の壁を越えて流通させる需要(=翻訳の需要)は増えると考えるのが妥当だろう。

ただしその需要増は今ある翻訳会社の儲け増につながらない

翻訳の需要が増加することは、現在日本国内だけで千社もあるという翻訳会社から構成される<翻訳業界>の隆盛を意味しない。現在われわれが目にする(あるいは働いている、あるいは仕事を発注したりもらったりしている)翻訳会社というのは、一昔前の翻訳需要を満たすために計画され、設計され、実装された組織である。私の場合はたまたま15年ほど前にソフトウェアローカリゼーションの勃興期にいあわせて以来、ソフトウェアローカリゼーション翻訳の仕事に従事してきたが、翻訳業界の中でこの分野を担う翻訳会社はどこもソフトウェアのローカリゼーションに適した形で分業体制を構築し、人を割り当て、営業をしていた。

そういう形態の業者がいますぐ消えてなくなる訳ではないが、ウェブの台頭に伴うソフトウェアの供給形態の変化を見ていると、ローカリゼーション翻訳の仕事のやり方というのは90年代という限定された時代におけるソフトウェアのあり方に最適化して構築された下請け業界であり、すでに現状でなかば時代遅れになりつつあり、20年後にはおそらく現在とはまるで異なる仕事の進め方が主流になっているだろう。正確に言うと現在のような仕事のしかたが消滅するのではないが、それはほとんど利益のでない停滞分野になっているのではないか。

この程度の変化は、ローカリゼーション以外の翻訳に従事してきた先人や知人に聞いた限りでも当たり前のことらしい。すなわち「翻訳」といういとなみが変わっていないだけで、翻訳の分野、翻訳対象文書のフォーマット、翻訳を発注する顧客、翻訳者の報酬などは10年程度のスパンでどんどん変化していくものと考えたほうがよさそうだ。冒頭に述べたように翻訳の需要はなくならない(むしろ増加する)にもかかわらず直前に述べたようにその需要の受け皿が今目の前にある翻訳会社でないとすれば、いったいどういう新業態の翻訳業者がその需要を満たすのか?それを考えるのは翻訳を稼業とする者にとって大事なテーマのはずだが、その大事なテーマを考える前に今後の翻訳需要の変化の本質を検討するのがよかろう。

技術革新がもたらすコミュニケーションの変化

異言語間コミュニケーションとしての翻訳需要の増加が知識社会の進行の反映であるとすれば、翻訳需要の変化傾向を読むには知識社会の進化傾向を読めばよいことになる。この点で示唆を与えてくれるのはいわゆるITだろう。90年代後半までにパソコンとインターネットが出揃ったことにより、それ以前と比べて個人の情報生活は大きく変化した。たとえば今では何か調べモノをするときにインターネットがない頃それをどうやって調べていたのかを思い出せないくらいだと誰か書いていたがまったくそのとおりだ。

ITを軸にコミュニケーションを考える場合、私が使っているモデルは「発信者>発信>検索>翻訳>受信者」というシンプルなものであるが、このシンプルなモデルがなかなか多くのことを教えてくれる。まず「発信」であるがこれはホームページを考えればよい。個人が世界に対して情報を即座に公開(publish)できる手段(メディア)などウェブ以前に想像できただろうか。うれしいことにわれわれはそれをすでに入手している。つまり、近年のITの進歩により情報の「発信性」の敷居はとても低くなった。

次の「検索」であるがこれは検索エンジンを考えればよい。私はたぶんGoogleを使わない日はないくらいこの検索エンジンに依存しているが、検索エンジンはいわばウェブの「索引」なのであって、公開さえされていれば世界のどこにあってもその情報を見つけ出すことは現在の技術水準でかなり実現できている。つまり「検索性」の敷居もすでに低くなっている。

これらと比べると「翻訳」の敷居は相変わらず高い。アミカイやトラドスが多少の進歩をもたらしてくれたとしても、「発信性」を小学三年生、「検索性」を小学五年生としたときに「翻訳性」は小学一年生程度の学力だというのが私の印象である。Yahoo!にせよGoogleにせよ、現状では多言語展開が単なる複数言語へのローカリゼーションになっていてマルチ言語の串刺し検索になっていない。もちろんYahoo!やGoogleの技術者はそんなことなど先刻承知だろう。彼らが採用できる水準に達した翻訳技術がまだ登場していないということなのだと思う。(筆者注:この講演当時はまだ Google の翻訳サービスが提供されていなかった) 

だが、過去からの進歩の軌跡を考えるとこの課題の解決はたぶん時間の問題だろう。テクスト単位の機械翻訳はとうぶん絶望的に無理だとしても、多言語辞書のサーバー側への実装などは近い将来に実現すると考えるのが多分妥当だろう。

近未来の翻訳

そのようにITの革新が浸透していった後の社会で、翻訳者はいったい何を翻訳しているかというと、私の理解ではこれまでよりもずっとパーソナルな情報に重心が移っていると思う。最近個人が日記をウェブでつけるサイト(ブログblogging)が流行っているが、ブログの台頭は今後のコミュニケーションの多元分散を予告しているように私には思われる。そこにホンネの知識や情報が含まれていて、それは異なる言語を使う人にとっても知りたい知識や情報になる。そういうパーソナルな知識や情報はこれまで発信も検索もできなかったが現在では発信も検索もできる。できないのは翻訳なのだ。この部分はまったく未開拓の市場であり、規模から言っても未開拓であることから言っても、今後の翻訳需要の変化の中心となることは間違いないと思う。

翻訳する対象がパーソナルなテクストに変化したとき、その翻訳を提供する最適形態が今と同じということはありえない。おそらく今よりもずっと多様性を許容できて即応性を実現できる供給形態でなければ需要を満たせない。ウェブを見渡せばそういう、より多様でより即応が可能な供給形態はまさにウェブ自体を使ってあちこちの分野ですでに実現されていることが一目瞭然である。ということは、翻訳の分野でそういう新しい供給形態が今後台頭してくると予想するのは自然だろう。言い換えればそのとき、従来の翻訳会社モデルは妥当性を失う。