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IT翻訳入門04:トライアル必勝法

発表機会:『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版)2000年02月号掲載(雑誌記事)

1999年から一年あまり『通訳翻訳ジャーナル』(イカロス出版)という業界誌に「IT翻訳入門」というタイトルで連載記事を書かせていただく機会がありました。現在同誌は年四回発行ですが当時は月刊誌でした。このホームページの内容は、雑誌向けの原稿に加筆修正し、連載と並行して当時のホームページに公開したものです。『通訳・翻訳ジャーナル』の概要は下記のリンクから参照できます。


利用上の注意:このホームページは執筆当時(1999-2000年)の状況について述べており、すでにかなりの記述が「時代遅れ」となっていますが、原則として当時のままの内容を修正せずに公開しています。ご注意ください。

プロ翻訳者への二本道

翻訳者には、人生のある時期に翻訳者となることを目指して目標を実現した人と、ひょんなことから偶然翻訳者になった人の二種類があります。ここでは前者を「初志貫徹型」、後者を「偶然の出会い型」と呼びます。「初志貫徹型」のキャリアパスは次のようなものです。

  1. 翻訳学校にかよったり通信教育を受ける
  2. 雑誌などで翻訳者募集情報を探す
  3. 翻訳会社に履歴書を送付する
  4. トライアルに落ちたり無視されたり
  5. ついにトライアルに合格する
  6. でも仕事が来なかったりする
  7. それでもなんとか仕事を受注してデビュー

一方、「偶然の出会い型」翻訳者に身の上話を聞いてみると次のようなものです。

  1. 就職(アルバイト)した会社でたまたま仕事が翻訳だった
  2. そこで翻訳会社と知り合いになった
  3. 退職を機にフリーの翻訳者として登録
  4. なしくずし的に仕事デビュー
  5. 繰り返し仕事を頼まれていつの間にか足抜けできなくなる

「初志貫徹型」のキャリアパスにあるように、翻訳者になる方法としてまず思い浮かぶのは「トライアル」への応募です。しかし、私が個人的に経験した範囲内では、トライアル受験は実務翻訳者としてデビューするのに成功率が一番高い方法ではありません。成功率が一番高いのは「偶然の出会い型」にあるように翻訳会社に就職することです。

なぜ翻訳会社での勤務経験が翻訳者として働くのにプラスになるかというと、チェック、QA、DTP などの翻訳会社での仕事を通じて産業翻訳者に求められる役割がよく理解できるようになるからです。翻訳会社というブラックボックスの中身が透けて見えるようになると言い換えてもいいでしょう。ブラックボックスの中身が分かっていると、翻訳会社から受ける作業指示に込められた意図をより深く理解できるようになります。

このような理由により、翻訳者になろうとする人はトライアルを受けるよりもできれば翻訳会社や翻訳関係の派遣先で少なくとも3ヶ月程度アルバイトする機会を探すことをお勧めします。このような学習経験は、いわば「皮膚を通 した学習経験」です。ネットワークの進歩によって今後多くの仕事が在宅勤務可能になっていくでしょうが、皮膚を通 した学習を可能にするようなグループウェアは当面は登場しそうにないので、翻訳会社への勤務経験が役立つ時代はしばらく続くでしょう。

ここで、IT 翻訳業に役立つキャリア、役立たないキャリアを独断で列挙してみます。まず、翻訳会社などで翻訳者として働いた経験、SEやシステム管理者などのIT専門職の経験、これはとてもプラスになります。また、大学や専門学校で理科系の学科を修めることも少しはプラスになるでしょう。一方、理科系以外の学科への留学経験は特に役立ちません。TOEIC、TOEFL、英検の成績も、IT 翻訳ができるかどうかの判定にはほとんど参考にならないので役立たないと言っていいでしょう。


出題する側の事情

トライアル合格までの流れを追うと、次のようになります。

  1. 翻訳者募集の求人情報を調べる
  2. 応募する
  3. トライアルに回答する
  4. 翻訳会社における審査
  5. 合格または不合格
  6. 合格の場合は契約に進む

そして、トライアルに関して知っておくとよいことは次の 3 点です。

1. 合格率は低いので不合格でも落ち込まない。

2. 合格してもすぐに仕事がくるとは限らない。

3. 翻訳者に対する評価は翻訳会社によって異なる。

なぜそうなるのか、ここではトライアルを審査する翻訳会社側の内部事情に着目して解説します。

翻訳会社で用意するトライアルの課題1種類に対して、一般的には 100 通前後の応募があります。これらの回答をすべて細かく審査する時間的余裕は翻訳会社側の審査担当者にはありません。このため、普通 は課題の中に仕掛けてある採点ポイントを数ヶ所だけチェックすると、翻訳力に欠けた回答をはねることができるように工夫しています。半数以上の回答がこの最初の関門で不合格になります。言い換えれば回答の半数以上は 30 秒以内の審査で不採用と判定され、後は二度と読まれることがないと言っていいでしょう。ケアレスミスの多発、誤字脱字、訳抜け、初歩的な誤訳など、ちょっと読んだだけですぐに判明する致命的な問題点がある回答は、ここで不合格になります。

30 秒の審査で不合格にならなかった回答については、5 分程度の時間をかけてより詳細に採点し、最初の 10%程度にまで絞り込みます。この段階まで残った回答については採点者側もかなりじっくりと評価することになり、はじめて各応募者の履歴書(レジュメ)を照合して応募者の総合的な評価を試みることになります。

最後の 10 % に残る応募者というのは、ある程度トレーニングを受ければ、プロとして仕事ができる可能性が高い「プロ翻訳者予備軍」と言ってさしつかえないと思います。しかし、西武ライオンズの松坂大輔投手のように即戦力として活躍できる新人翻訳者の比率はさらにずっと少なくて、どの翻訳会社でも1~2%しかないと考えているようです。このため、即戦力である 1~2%の応募者にしか合格判定を出さない翻訳会社の場合、応募者のほとんどは不合格ということになります。そういう翻訳会社のトライアルに不合格になったとしても、もしかしたらあなたの回答は、トップの 10%には入っていて、多少のトレーニングでプロとしてデビューできる力がある水準なのかもしれません。ですから、トライアルで不合格になっても必ずしも落ち込む必要はないわけです。落ち込んでいるヒマがあったら、別 の翻訳会社のトライアルに挑戦してみましょう。

翻訳会社によっては、「当落線上」にある 10%の応募者全員をいったん合格扱いとして名簿に登録する会社もあります。この場合は、合格通 知を出した全員に仕事をお願いするというよりはとにかく土俵にあげるというスタンスになりますから、合格通 知が来ても実際の仕事の依頼がなかなか来ないということになります。

合格通知を少な目に出すにせよ多めに出すにせよ、どちらの翻訳会社も不合格者に対していちいち不合格通 知を出すことはあまりありません。30秒で不合格と判定した応募者に対して翻訳会社側からは何のフォローもないのが普通 です。これは応募者からみると「なしのつぶて」状態で不親切なこと極まりないわけですが、電話やメールで採否状況を問い合わせれば回答が得られる会社も多いので、気になる方は自分から翻訳会社に働きかけることをお勧めします。


合格即仕事開始ではない

トライアルに合格しても仕事が来ないのが普通です。これは、翻訳会社側の事情が原因です。翻訳会社が新人翻訳者を起用する場面 というのは、現在登録している翻訳者だけではこなせない分量の仕事を受注したか、または受注しようとしている場合です。いざ受注してから翻訳者を捜すのでは間に合わないので、あらかじめ翻訳者の採用は行っておくことになります。あてにしていた大仕事が流れることもありますし、新人には荷が重い仕事が続く場合もありますから、採用直後にタイミングよく新人翻訳者を力試しできる仕事がくる方が珍しいと考えて、たとえトライアルの合格通 知をもらっても、初仕事まで 1~3 ヶ月は待たされるのが普通と割り切るしかないでしょう。

翻訳会社側の翻訳者登用には「Aクラス優先」という原理があることを知っておくと何かと役立ちます。すなわち、景気変動や営業状況によって、翻訳会社の受注する翻訳業務の量 にはどうしても山と谷ができます。これは大きな会社でも同じです。谷のときには登録翻訳者のうち 10 名にしか仕事をまわせないが、山のときには 30 名に仕事を発注する、というような状況は日常的に発生します。そして、谷のときにも仕事を発注する 10 名の翻訳者が、その翻訳会社にとってのAクラス翻訳者なのです。

これはなぜかというと、優秀な翻訳者は常に人手不足であり、翻訳会社間で人材の獲得競争があるためです。Aクラスの力量 を持つ優秀な翻訳者への仕事供給をいったんストップすると、ブランクの期間中にその人を他の翻訳会社に奪われてしまう危険が生じます。かといって、受注した業務もないのに無理に仕事を作るわけにもいかないので、翻訳会社側としては、他社に奪われたくない翻訳者(すなわちその翻訳会社にとっての優秀な翻訳者)から優先して仕事を埋めていくことになります。そして、その優先序列の中で、新人翻訳者という存在は普通 は一番最後のほうに位置しているのです。ですから、仕事量が山を迎えたときに、新人翻訳者に初めて電話やメールが行く、という状況になるわけです。翻訳会社側は、そういう機会をとらえて新人翻訳者を力試しします。

「力試し」と書きましたが、翻訳会社側も新人翻訳者を初めて実務に投入する場合はそれなりのリスクを覚悟していますし、トライアルの延長という認識があります。これは、一度や二度のトライアルでは翻訳者の力を見極めることが難しいためでもあり、実務の流れのなかでうまく仕事できるかどうか評価するには、実際に実務に参加してもらうのが一番いいトライアルになるためでもあります。翻訳者から見れば、初仕事はトライアルの延長(実技試験)という心がまえで参加し、同じ得意先から2回目の仕事をもらったとき(リピート オーダー)とにこそ、はじめて本当にトライアルに合格したんだ、とお祝いするのがいいでしょう。リピート オーダーこそ、実務翻訳者の合格通知なのです。


捨てる翻訳会社あれば拾う翻訳会社あり

翻訳者の評価は翻訳会社(の担当者)ごとに多少異なります。ですから、ある翻訳会社のトライアルで不合格でも、別 の会社では合格するケースがよくあります。また、トライアルの成績だけでなく、実務で窓口となるコーディネーターと翻訳者の間にも相性があり、最初から自分と相性のあうコーディネーターにめぐり会う幸運な翻訳者もいれば、そうでない翻訳者もいます。

翻訳者募集中の翻訳会社は日本国内だけでも多分200社くらいあります。自分を低く評価する翻訳会社や相性が合わない担当者と出会ったら、最初からあきらめて無理してつきあってストレスを溜め込むよりも、自分を高く評価してくれる翻訳会社や相性が合うコーディネーターと出会うまで何社かの得意先にチャレンジしてみるのが得策でしょう。もっとも、どの翻訳会社でも不合格なら、それは相性以前に翻訳の実力不足ですから、翻訳を勉強して出直しましょう。

新人翻訳者の成長を翻訳会社側からみると、前述したように、採用直後から高品質の翻訳を納品できる 1~2 %の即戦力翻訳者と、勉強開始から数年の時間を経ても品質がなかなか向上しない多くの翻訳者に分かれます。両者の間に位 置するのが、学習開始から 1~3 年の期間に力を付けて翻訳品質が向上してくる当落線上の翻訳者で、このカテゴリに分類される人は、よい指導者に恵まれると短期間に見違えるように翻訳力が向上することもあるようです。翻訳会社としても、この当落線上の新人さんたちをスキルアップして翻訳戦力として活用できるととても助かりますし、翻訳者側もスキルアップが仕事に結びつくので学習のやりがいがあります。


トライアルの基本

実際にトライアルの課題を翻訳するにあたって注意する項目をまとめてみました。

基本1:ウェブでその製品について調べる

トライアルの課題文にある情報をヒントにそのソフトウェア製品と開発元のウェブサイトを探し出し、そこで得た情報を背景知識として理解しておくことが大切です。トライアルでは製品の説明を翻訳会社が行うことはありませんし、法務に堅い翻訳会社の場合にはトライアル課題文中の製品名や会社名を偽名に置換している場合もありますが、多くの場合は課題文の中にヒントが含まれているものです。

基本2:訳語は業界常識に準拠する

訳語についてはその製品の分野 (データベース、言語製品、オフィス製品、ネットワーク製品など) の定訳に従います。定訳が分からない場合は、ウェブや参考書で調べる努力が必要でしょう。たとえば Windows 上で動作するアプリケーションの場合は、Windows や Internet Explorer の訳語と整合性を保つよう留意したりします。

基本3:訳文のスタイルは業界常識に準拠する

ソフトウェア マニュアルにありがちな言い回し (ソフトウェアが無生物主語となっている文は訳文では主語を省いた受動態に訳す、操作主体としての You は原則として訳出しない、など) については、身近にあるソフトウェア マニュアルをいくつか読んでタッチをつかみ、自分が訳す訳文のスタイルの参考にするとよいでしょう。マニュアルの文体 (スタイル) については、この連載記事でも後日あらためて紹介する予定です。

基本4:訳文内で表記や訳語を統一する

これは他分野のトライアルでも言えますが、表記上の約束事 (スタイルガイド) が指定されていない場合は自主的にルールを決めてそれに準拠することが大事です。スタイルガイドについてはこのサイトにもサンプル(エクストランス・スタイルガイド)を掲載していますので、必要に応じて参照してください。たとえば訳文の前半では「インタフェース」と訳したのに後半では「インターフェイス」と訳出している、というように同じ英文に対する訳語が統一できていないと採点者の心証が悪いので注意しましょう。


準備するもの/しないもの

トライアルに先だって、翻訳希望者は何を準備すべきでしょうか?まず思いつくのは辞書や参考書をそろえるということですが、現実には IT 翻訳と限定しても対象分野がひろすぎて、どんなトライアル課題にも対応できる1冊の辞書や参考書などもちろん存在しません。なかには翻訳者になりたいからという理由でトライアルを受ける前からたくさんの辞書を購入する方もいますが、自己満足以上の成果 は得にくいと思います。結局、辞書や参考書は、課題なり仕事なりが実際に来て、フォーカスが十分しぼれた後ではじめて入手するのが時間とお金を無駄 にしないやり方といえるでしょう。

では、パソコンはどうでしょう?IT 翻訳者の場合、パソコンははずせない装備です。しかし、これも翻訳の仕事を始めようと思い立った日に最新型を購入しても、実際に仕事を開始できるのは半年先だったり1年先だったりするかもしれず、そのころにはたぶん、同じ値段で性能が 1.5 倍のマシンか、あるいは同じ性能で値段が 40%オフのマシンを入手できるでしょう。そう考えると、とりあえず旧型でいいから手元に動くマシンがある人は、IT 翻訳を始める時点ではまだ新しいマシンに買い換える必要はないでしょう。

最近は TRADOS という翻訳支援ツールの使用を要求される仕事もしばしばあります。このツールは Pentium Ⅲ 450MHz 程度の CPU のマシンでないと快適には作業できませんから、もしも繰り返し TRADOS の仕事を受注することが確実なら、非力なマシンしかない人はマシンの買い換えを検討するのがいいでしょう。しかし、TRADOS を使う前から高速なマシンだけ準備しても上に述べた理由により無駄が多いので、やはりここでも「本当に必要になるまで買わない」というのが正しい準備だと思います。

なお、インターネットに接続できてメールが送受信できるアドレスを持っていることは、今日の IT 翻訳者としては絶対にはずせない条件ですので、 まだプロバイダと契約していない人はトライアル受験前に申し込みを完了し、アドレスを取得しておいてください。

その他、実際に仕事を始めるとファックスが必要になることもときどきあるので、まだ自宅にファックス (付きの電話機) が無い方には購入をお勧めします。こちらは値段がそれほど急には下がらないので、いつ購入してもいいでしょう。

(1999年12月2日執筆)

利用上の注意:このホームページは執筆当時(1999-2000年)の状況について述べており、すでにかなりの記述が「時代遅れ」となっていますが、原則として当時のままの内容を修正せずに公開しています。ご注意ください。