Round and Round

Installation View :国際交流基金ニューデリー

Installation View : アートセンターSSVAD シャンティニケタン/インド

Round and Round

Video Installation 2011, Movie 10'10, Paper Object

始まりにある円

Round and Round

シャンティニケタンにはホームセンターもハンズもない。小さな個人商店が目抜き通りの両側にずらりと並ぶだけ。一軒一軒かなり細かに分類されている。こっちはネジや蝶番専門、こっちは金網やステンレスシート専門、こっちは金属パイプ専門などなど。どこに何があるかは、歩いて聞いて探すしかない。加えてそれぞれ休みが違うし、よそ者からしたら、複雑なシステムになっているので、めあてのものを手に入れられた時は、ゲームを攻略したような達成感さえある。

たとえ街中であっても多くの機械は手動式である。足踏みミシンに、手で回してサトウキビをつぶしてジュースにする機械。木材を切るにも、ステンレスシートを切るにも、道具はのこぎりやペンチといった、プリミティブな道具が一般的である。こちらを何フィートちょうだい、というと、店先でギコギコ、ジャキジャキと切断をしてくれる。鶏肉屋さんのケージには鶏がたくさん入っており、お肉ください、というとその場で解体がはじまる。

これが村の中ともなれば、水をくむのにも、ポンプを何度も押して容器に水を満たすので、飲み水に、調理用に、食器洗い物にと、一日に何度も家と公共井戸を往復する女たちは忙しそうである。

何事も始まりの位置が、ほんとうの始まりに近い。そして、その分たくさんの行程、たくさんの動作、そして、たくさんの時間がかかる。

生まれてからずっと、毎日自然に行ってきたであろう、その数々の動作は、ひとつひとつ簡潔で手際よい。リズミカルな動作が、闇に、朝日に、動物たちの鳴き声に混じり合う。いまここでしか鳴らない音楽と、ここだけで上演する舞台装置と、パフォーマーがつくる世界みたいだと思う。そういう場所に立つ時、世界の複雑で有機的な関係を肌で感じる。

蝋燭やランプ、月明かりに照らされながら調理をする、鴨をさばく、内蔵を池で洗う。太陽光の中で飛沫をあげながら沐浴をし、小麦粉を練り、足踏み機で脱穀をする。ほとんどのものを自分たちの手で作り出す村人たちの暮らしの中には、有機的な丸みを帯びた道具がよく出てくる。丸い壷に自家製酒をつぐ、頭にのせて、ものを運ぶ。たくさんの動作を私はビデオカメラで追った。

蛍光灯の光に映し出された画用紙が震える、針金が飛び跳ね、銀紙が舞う。ファンに吹き飛ばされるビニール袋、ずり落ちる文房具、キラキラと光を乱反射するラッピングペーパー。インドでも日本でも大してかわらない素材は、たどたどしく、村の風景を再現しようとする。

映像の中で、全く違う物質や風景が、くり抜かれたスクリーンを通して融合や変形を繰り返す。インドの日々を解体し、日食と月食のように重なりあったり、ずれたりしながら、そのリズムと関係はぐるぐると続いていく。

8 Japanese Contemporary Artists -Mutual Sympathy in the Orient- カタログより