松戸の大祭り

<松戸の大祭り>

江戸時代、松戸宿の祭礼行事は近郷では「松戸の大まつり」と呼ばれ、四里四方の人々を集めるほど盛大だったと伝えられています。いずれの宿屋も満員の大賑わいで、もちろん、もとより世話好きの松戸宿の人々が近郷近在からの客人を手厚くもてなしたのは言うまでもないそうです。

 この大祭りのハイライトは何といっても神幸祭の大行列でした。
「大榊」「四神」「獅子屋台」「大御輿」を中心に数々
の幟旗や威儀物を連ね、後方には氏子八か町から繰り出した山車や町内神輿を従えたさまは実に壮大で、近郷の客人を驚かせるには十分であったと伝えられています。
                                 





<四神の伝承>

 松戸宿は江戸時代には「天領」でした。城下町のように大名や武家による直接
統治を受けることが無く、水戸街道や江戸川水運など交通の要衝としての繁栄を背景とした町民の力が非常に強い宿場町でした。
昭和初期の神幸祭行列
 松戸宿の鎮守も当時は「御嶽大権現」と称された郷社でしたが祭礼行事だけは水運を通じて極めて交流が深かった江戸日本橋から盛大な様式がまさに「直伝」として伝承されたものと考えられます。
(東京日本橋小舟町の八雲神社でも現存する四神剣が大祭のつど飾られています。)

 ところが、戦時に至る昭和初期の大祭を最後に松戸神社の祭礼に大御輿と四神像が登場する事は世相とともに途絶えてしまいました。その後、松戸の町は幸運にも戦火を免れ、かつての大御輿も昭和50年代に再興を遂げましたが、町の人々の伝説となっていた四神像は行方が知れないままになっていました。


 
<平成の復活>

 奇しくも平成最初の年、御輿庫から古びた四神が発見されのは全く偶然のことでした。

氏子各町会の尽力により、平成2年10月の例大祭にあたり総勢600名の大行列として「松戸の大まつり」が再現されることとなりました。以後、平成7年、平 成10年の大祭の折に神幸祭として大行
列が氏子各町会を巡行しました。

 かくして、四神のおかげで50年ぶりに再び近郷近在の
人々の目を楽しませるお祭りが復興したのでした。

各地の神幸祭行列に連なる威儀物で、剣を伴って「四神剣」とする場合でも、現存する事例では四神像は前もって経由地の「御旅所」に飾られたり、四神を刺繍した錦旗を用いたりする例がほとんどです。

 各地の神社が保有する四神像は江戸後期から明治時代の作品が多く、松戸の四神も同年代と思われますが、いずれも使う機会を長らく逸したまま保管され近年に文化財となったり、祭礼の規模が縮小したために巡行に加わらず陳列されるだけのものが多く見受けられます。松戸神社の神幸祭では四神像そのものが威儀物の一つとして
祭礼行列に繰り出す全国的にも希少な例となりました。