◇ 新社会契約説とは

新社会契約説または道徳的社会主義とは

―「イデオロギーの復権」による交換的正義分配的正義の統一のために―
主任研究員 大江 矩夫

◇ グローバル資本主義における閉塞状況を打開し、持続的生存と格差縮小を実現して共存共栄と互恵互助にもとづく万民幸福社会を築くために、民主主義をさらに深化させ社会的合意による新しい社会契約を結ぶ政治的経済的方策を提案します。

① イデオロギーの根幹となる言葉は、どうして行動の動因となるのですか。
② 人間は、どのようにイデオロギーの影響を受けてきましたか。
③ イデオロギー(観念・知識・価値観・慣習)の形態は、歴史的にどのような役割を果たしてきましたか。
④ 市場メカニズムにおける商品売買の原則は何でしょうか。
⑤ 経済活動における交換的正義と公正の原理は何でしょうか(道徳と規制)。

⑥ 政治と経済における分配的正義の原理は何でしょうか(法と道徳)。
⑦ 交換的正義と分配的正義の統一とは何でしょうか(見えざる手はない)。
⑧ 民主社会における市場と政府の契約の違いは何でしょうか。
「成長の限界」における市場と政府の役割をどのように考えるべきでしょうか。
⑩ 私有財産や所得の多寡・格差は、何によって決まるのですか。

⑪ 市場の秩序や公正さを保つ政府の政策は、どこまで変革が可能でしょうか。
⑫ 市場万能主義が民主主義を歪めて衆愚政治に陥らせる要因は何でしょうか。
⑬ 民主主義を衆愚政治に陥らせない方策は何でしょうか(1)
⑭ 民主主義を衆愚政治に陥らせない方策は何でしょうか(2)
⑮ 民主主義を衆愚政治に陥らせない方策は何でしょうか(3)
⑯ 具体的にどのような取組が必要でしょうか。
所得格差の是正には、どのような社会契約が経済合理的でしょうか。

【道徳的社会主義の7原則】

【ISO26000社会的責任を果たすための7つの原則】
【「分配・流通」概念の限界(混乱)と交換(商業)による利益追求】
●ダニエル・ベル 『イデオロギーの終焉』
●カール・ポラニー『大転換 : 市場社会の形成と崩壊』
●スティグリッツ 『人間が幸福になる経済とは』
●ガルブレイス『悪意なき欺瞞』
●F・エンゲルスの商業批判
●自由交換のデマゴギー (西部邁)
●マルクス経済学における「剰余価値説」の誤り

旧社会契約と新社会契約

人間と社会 Q&A2

 
①イデオロギーの根幹となる言葉は、どうして行動の動因となるのですか。
人間の本質である言語は、欲求と感情を制御する刺激として行動(反応) の動因となります。
 
イデオロギーとは、社会的立場を意味づける観念・思想である。思想は言葉で構成されており、行動を支配する。
人間の言葉の示す意味は主観的なものであり、客観的真実を表現しているとは限りません。言葉のもつ情報と意味が、人間の「欲求と感情」を捉えるとき、人の行動が促されます。欲求や感情は、視覚や聴覚の刺激・情報によって行動の動因となります。言葉(理性の根源)はその刺激や・情報に意味づけや合理化をして行動を方向付けます。「より快適な生活がしたい」ならば「その商品を市場に求めよ」という言葉で行動するのです。べつに「自分で作ろう」とか「我慢をしよう」でも、言葉が行動をコントロールします。
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②人間は、どのようにイデオロギーの影響を受けてきましたか。
人間は、イデオロギーによって、自己をコントロールしながら活動を行います。
人間の社会的(政治・経済的)活動は、諸個人の生得的反応様式(欲求と感情様式)と社会制度・文化の行動様式を選択的に獲得(学習)し、また強制的に教育された価値観や判断基準(イデオロギー)によって意味づけ、正当化され、期待され、方向付けられます。個人の社会的地位や財産(欲望)で規制される経済的利害関係は、そのような社会的観念(イデオロギー)や国家の法的制度によって相互(社会的)に秩序づけられ正当化されて、行動が強化されています。
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③イデオロギー(観念・知識・価値観・慣習)の形態は、歴史的にどのような役割を果たしてきましたか。
イデオロギーは、呪術や宗教、文化や慣習・法、そしてメディアによって人間の行 動 や社会の利害関係を規制してきました。
人間は、特定の歴史と社会において、特定の知識や利害にもとづいて作られたイデオロギーによって、自らの存在や立場を意味づけ強化してきました。自己の存在や社会の在り方を、伝統的な神話、宗教、哲学、学問、芸術、慣習、法等で強化することは、支配的権力や集団による一方的な情報伝達・強制を伴いました。現代の情報伝達の多くは、国家機関やメディアを支配・掌握することによって、大衆の欲望と心理を巧妙に操作・支配することによって行われています。

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④市場メカニズムにおける商品売買の原則は何でしょうか。
市場は、商品交換を通じて相互に利益を得る(交換的正義、win win関係)ことを前提として成立します。しかし、抑制のない競争に伴う本質的欠陥をも っています。
市場は、余剰生産物をもつ供給者の「より高く売る」動因と、欲望対象(稀少物)を求める需要者の「良い品をより安く買う」動因との合意(契約)で成立します。売買当事者が相互に合意すれば一応交換的正義(win win関係・相互利益)が成立します。しかし複数の需給者の存在は、商品(価値物)を「より高く売り、より安く買う」競争を引き起こします。競争に勝つには、一つには、良い商品を少ない費用で生産供給し、二つには、売買取引における商品等の情報(費用、品質、利益期待等)の非対称性を活用します。自由な競争市場は人間活動を活発にしますが、抑制を失うと格差と不正(詐欺・モラルハザード)の温床になります。

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⑤経済活動における交換的正義と公正の原理は何でしょうか(道徳と規制)。
私的利益を目的とする経済活動は、競争を通じて公益よりも不正と格差を生じる温床となります。これを防止するには、交換において公益(社会的責任)自体を目的に加えることが必要となります。
商品交換社会(市場)では、交換が自由意志でおこなわれても、当事者間の情報の非対称性や交換条件・立場の強弱が存在し、「等価交換」や「交換的正義」が実現しているとは限りません。競争的交換・取引には、必然的に不正や欺瞞が生じ、また弱い立場の労働者は低賃金・失業を強いられることが起こります。交換の透明性と公正性が不十分な場合、交換的正義の有無が問われます。競争的交換における低賃金、失業、独占、詐欺等の不正義は、法(労働法、独禁法等)と道徳によって規制されるのです。多くの犠牲を生じながらしか、放任的資本主義は発展することができないのです。

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⑥政治と経済における分配的正義の原理は何でしょうか(法と道徳)。
富の分配は、「見えざる手」によって行われるのではなく、国家・政府による利害の調整または公正と正義の実現のために行われます。
分配的正義は、古典経済学では労働生産物が、労働者や資本家・地主に分配される自然的規則として理論化されました。しかし、分配的正義は、市場競争等がもたらす格差等の市場の失敗・欠陥を是正する場合に、国家の財政政策(課税と分配)による所得「再分配」として、道徳的・調整的に使用するのがふさわしいのです。福祉的財政政策は、市民革命とその後の民主主義の進展の成果であり、修正資本主義として定着しています。だから国民経済の分配的正義は、国家の財政政策を通じて「再分配」の形で実現され、また民主政治においては透明性と公正と熟議を前提とする必要があるのです。経済活動は、人間が主体的に行っていることを自覚する必要があるのです。

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⑦交換的正義と分配的正義の統一とは何でしょうか(見えざる手はない)。
■合意による交換は、等価や正義とは限らず、格差や不公正、景気変動・倒産・失業等の社会問題を引き起こします。これを民主国家による社会・経済政策によって調整するのが分配的正義です。
⇒交換的正義とは、本来自由平等な個人間に生じる格差や不公正を矯正するものでした(矯正的正義)。しかし、合意にもとづく交換結果を「等価交換」であると考える新旧古典経済学に対して、われわれは交換当事者の立場や情報の非対称性による「等価の欺瞞性」を問題にします。つまり、価値(労働力・財・サービス・金)の交換における交換比率(価格)の公正性を問うのです。分配的正義は、⑥のとおり市場における交換的正義が自己規制的であるのに対して、市場の利害を法的財政的に規制する政治的過程です。両者の統一は、市民の社会的道徳的自覚と市民間の新しい契約(生涯所得の在り方と格差・能力差の限度についての合意)によって可能となります。
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⑧民主社会における市場と政府の契約の違いは何でしょうか。
市民社会(市場)は、民法・商法的契約によって利害を調整します。民主的政府は、行政法・刑法・社会法等を通じて国家的政策を執行し、社会福祉秩序を維持します。
■古い社会契約説は、政府の専制を制限し、個人の人権を守る憲法体制をめざしました。しかし新社会契約では、市民社会の交換契約の正義と公正を(社会的責任)追求します。
⇒個人主義にもとづく市民社会の契約は民法的契約であり、その民法的秩序によって個人と社会の利害を国家的に保全または調整するのが、政府との契約です。市民社会の個別的利害は、憲法(基本法)によって成立した政府組織(国家)が、国民から信託された議会の決定と監視によって調整します。つまり、個人と社会の権利は、市場の契約(民法・商法等)と、政府との契約(独禁法・社会法等)によって保証されているのです。しかし、市場の本質的な欠陥である等価交換の欺瞞性は、市民的道徳によって規制される必要があります。

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⑨「成長の限界」における市場と政府の役割をどのように考えるべきでしょうか。
■市場には本質的欠陥がありますが、経済成長がその欠陥を補正ないし隠蔽してきました。しかし、民主主義の進展と地球環境の限界が明白となり、十分な成長が望めない中で、市場と政府における社会的責任と公正・正義が強く求められるようになってきました。
⇒20世紀までの国際・国民経済は、経済成長を前提とした市場(価格)メカニズムが、交換関係の不正・格差・対立を調整または隠蔽してきました。不況・恐慌・内乱・戦争等の悲劇的場合でも、市場メカニズムによる自動調整や国家による社会主義的福祉政策で問題解決を図ろうとしてきました。
 しかし、世界的な資源エネルギーの限界、地球温暖化等の環境問題への対応を前提とする現代・未来社会では、従来の市場任せの政府では限界があります。市民社会のあらゆる場面で、民主主義と連帯の道徳・思想を教育・学習し合うことが必要な時代に来ています。  
 政府の社会・財政政策は、市場の交換的正義を実現させるように制度的に保証しなければなりません。すなわち「市場の失敗」は失敗ではなく、本質的欠陥(不完全性)現象とみなして、「見えざる手」に任せるのではなく、交換的正義が実現される積極的な制度にする必要があります。

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⑩私有財産や所得の多寡や格差は、何によって決まるのですか。
■今日では、個人の知的肉体的能力の格差は小さくても、財産相続と投資の仕方(教育、起業、投機等)や労働力の利用によって、所得の格差が生じてきます。
⇒生産力と交換関係が発達した現代資本主義社会では、商品交換による不断の欲望刺激と利益・所得の集中そして貨幣の投資によって、個人は合法的に小集団で生産した以上の所得を得ることができます。かつては、武力による支配(経済外的強制)が行われましたが、今日では自由な交換と企業経営、すなわち金銭的な投資と資源・労働力の管理によって所得の多寡が左右されます。所得と生活物資獲得の基本は「土地」と「労働力」であり、それらすべてが商品化する社会では、「貨幣」の所有が生活(欲望充足)の前提となります。貨幣は、商品の生産的労働と交換差益、利潤・利子および相続によって獲得され、その獲得能力によって多寡が決定します。

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⑪市場の秩序や公正さを保つ政府の政策は、どこまで変革が可能でしょうか。
■市場の欠陥は、政府の法的規制で調整するよりも、商道徳(イデオロギー)で自主規制する方が自由が保障されます。そのためには、倫理・道徳性にもとづく人間性の変革が必要となります。
⇒自由市場の売買契約の原則は民法で規制し、商法はその細部を規定する。市場競争を阻害する独占や不正取引は、独占禁止法等で規制し、労働者の賃金は労働基準法等で保護し、失業は保険で救済される。企業、家計の所得格差は、税制によって調整される。
 しかし、民主政治のもとでは、法は利害関係者の力関係が反映され、競争の勝者である大企業がメディアと市場を掌握して、公正さをそこなう情報操作をする場合が多い。すなわち、市場は、均衡価格と需給者の利己心によって経済合理的に調整されるという自由放任の幻想は、克服される必要があります。
 そこで、政府の規制を最小限にしながら、市場競争のもたらす不正と欺瞞を抑制するには、民主主義のための人間の自己変革(倫理・道徳性にもとづく人間性の変革)が必要になるのです。

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⑫市場原理主義が民主主義を歪めて衆愚政治に陥らせる要因は何でしょうか。
利己的利潤追求の資本主義は、互助や平等という人間的価値が、成長を阻害する弱者の思想であるとして排除しようとします。衆愚政治は、持続的な幸福を見失わせ、拝金主義を競わせることによってもたらされます。
⇒近代人権思想(自由・平等)の利己的個人主義的限界が、自由主義市場を標榜する資本主義経済に見られます。それは市場が、利己的利益を自由に追求しながら、「効率と便益」が担保されているので、ある程度の欺瞞や格差は必要悪という「神話・幻想」が影響しています。その結果、自由の利己的側面と自己責任が強調され、互助や平等の人間的価値(道徳)が弱者の思想と軽蔑されます。
 しかし、利己的競争が必然的に生じさせる不公正と享楽主義、情報の非対称性とメディアによる大衆操作が、人間を堕落させ、大衆迎合の衆愚政治を招いているのです。

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⑬民主主義を衆愚政治に陥らせない方策は何でしょうか(1)
■西洋近代民主主義の閉塞状況を打開し、人間の生き方や社会との主体的関わり方の変革が必要な時代が来ています。

⇒近代人権思想と民主政治の根本的欠陥は、有限な人間、多様な環境にある人間という前提を見失わせ、刹那的・利己的・功利的合理主義の判断と行動を取らせることにあります。人間諸個人は、生来自由でも平等でもない。他者の犠牲の上に勝敗が決する自由競争と、歴史的社会的に相続され制度化された機会の不平等は、人間の社会的紐帯を見失わせ、金銭的契約関係に変えてしまった。

 ではどうするか。敵を作って団結を強いる階級闘争でも、個々の団体の利害を強調して政争の具にしても事態は解決しない。人間の生き方や社会との関わり方自体の変革が求められるのです。

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⑭民主主義を衆愚政治に陥らせない方策は何でしょうか(2)
現代の地球人類的な危機の自覚と人類的大義にもとづく連帯によって、近代民主主義を成立させた啓蒙思想の限界を克服する必要があります。
 ⇒現代の地球人類的な危機の自覚と、人類的大義にもとづく連帯による解決以外に道はない。危機の自覚とは、⑨にも述べた「宇宙船地球号」の限界の自覚と、世界市場の混乱・政治的経済的不安定さ・格差の拡大、さらにイデオロギー的混乱・不信・対立への自覚です。とりわけ民主主義を堕落させているのが近代啓蒙思想を中心とする西洋思想の閉塞と哲学の貧困です。また人類的大義とは、現代文明を成立させた西洋哲学の限界を克服し、東西思想の融合によって民主的社会とその人格を育成することにあります

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⑮民主主義を衆愚政治に陥らせない方策は何でしょうか(3)
少数の勝組による大衆支配と不正競争の実態を見抜き、大衆の連帯と自覚によって民主主義を再創造することができます。
 ⇒資本主義体制のもとで利益を享受している階層(大衆も含む)は、何が問題であるかを理解するよりも、目先の物質的快適さと享楽を選択しがちであり、欺瞞によって成立している商業広告メディアによって欲望の虜にされ、単なる大衆操作の対象として衆愚化されています。しかし、勝組になる者は少数(1%程度)であり、社会的責任と真実にめざめ、公正と正義を希求し連帯を求める人々を増やすことができるならば、社会の腐敗と退廃文化をなくし、真の民主主義にもとづく福祉社会を実現することができるのです。

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⑯具体的にどのような取組が必要でしょうか。
個人や団体の社会的責任(SR)の自覚と政治経済的権力機構(政府、自治体、企業、団体)の情報の透明化を図り、市民的議論を活発化します。
 ⇒まず「社会的責任」の意義を過去と未来の歴史の中に位置づけ明確化します。団体や組織の社会的責任や法的義務としてだけでなく、個人として市民としての社会的責任を自覚します。従来の基本的人権は権利が強調されてきましたが、社会参加と責任・義務の側面を重視します。
 そのためには、人間と人間の関係の透明化と、勝者の義務としてではなく、この実現が困難であるがゆえに不断の研究と学習が必要とされ、組織的活動が要請されます。
 次いで、経済や政治、日常生活を含めたすべての人間関係を、生物的文化的段階から契約関係に至るまで判断や行動の基本に置くこと、とりわけ政治的経済的利害・契約関係とその情報をできるだけ透明にして市民的議論を尽くします。

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⑰所得格差の是正には、どのような社会契約が経済合理的でしょうか。
今までの人類史は、強者の論理によって交換的正義が排除され、差別と格差が正当化されてきました。個人的権力と財によって、生命の個体格差(能力差)を超えた他者支配の社会でした。これからの社会は、人類福祉の観点から分配的正義に加えて交換的正義重視されるようになるでしょう。
 ⇒今まで格差の是正には、累進課税による再分配が一般的に行われてきました。しかし、分配の概念では納税者と受益者の双方に、義務(取られる)と権利(もらう)の関係が曖昧になり、正義と公正を自覚する機会が不十分になります。そこで価値(労働力・金・財・サービス)の交換段階で正義と公正を吟味し、社会契約の意味を認識自覚する必要があります。
 そこで国家による所得への課税・分配の正義と、私的交換過程における正義を考えてみます。両者はともに自己または他者による規制が必要ですが、どちらが人間の本性に適合し、また分配と交換の正義に合致するでしょうか。人間個人の能力や生産性から見ると、後者がより人間の本性に適合しています。なぜなら人間の能力差は、平均的にはそれほど多くの格差があるわけではなく、むしろ偶然や幸運に左右されることが多いからです。
 
 
 
【道徳的社会主義の7原則】
 社会のしくみは、複雑で不透明な部分もあるが、基本は「生産活動と関係性」によって成立している。生産活動とは物資の生産やサービスの提供である。関係性とは、広義には自然環境や社会環境におけるすべての関係を示すが、政治経済に限れば物資やサービスを媒介とした人間関係であり、商品交換社会では貨幣の形態をとることが多い。
 道徳的社会主義は、社会のしくみを理解しその構成員としての社会的責任を果たすことをめざす。そのために、私的利益の追求を原則とする拡大的資本主義の転換を図り、利己的な浪費と貪欲の経済から節約・抑制と分かち合いの経済による社会の縮小をめざす。
 道徳的社会主義は、再生不能な資源・エネルギーの減少・枯渇と地球温暖化にともなう環境激変の危機・混乱、そして地球環境の「成長・拡大の限界」を克服することをめざす。
 
① 市場経済と社会主義、自由と平等は、万民の幸福をめざす正義と道徳の調整によって両立する。利己的資本主義よりも、社会的(責任を重視する)資本主義が道徳的に価値あるものとされる。
 
② 社会主義は社会的利潤の追求をめざし道徳的・建設的であるが、資本主義は個人的利潤の追求をめざすことによって反道徳的・破壊的となる。社会主義を、資本主義との対立概念とするのではなく、利己主義との道徳的対立概念と考える。
 
③ 修正資本主義では、民主主義の成熟とともに、労働者保護政策、財政金融政策、福祉(社会保障)政策等の分配的社会主義化が進んでいる。しかし分配的正義だけでは人間関係の成熟には限界がある。
 
④ 道徳的社会主義は、③の分配的正義だけでなく、市場の透明化と公正公平、企業倫理、社会的責任、社会連帯等の交換的正義(win winの互恵関係)を推進することによって、資本主義的拡大ではなく、持続的・循環的成長をめざす。

⑤ 道徳的社会主義において、会社法人(企業の資産・組織・活動)は、民主的経営・管理と交換・分配的正義(公共の福祉)を前提とする、経済社会の中心的存在となる。
 
⑥ 道徳的社会主義は、不正不当な個人的蓄財や個人的独占、社会的格差を助長する反社会的資産は制限されるが、「生産手段の社会化(私有財産の廃止・公的所有)」は社会主義の絶対的前提とはならない。
 
⑦ 道徳的社会主義は、個人の労働によって得られた、生涯生活を支えるための蓄財は奨励される。蓄財の投資は、社会的責任と分配・交換的正義にもとづいて行われる。私有財産は、強度の累進相続税によって社会に還元される。
                                     (2013/10/24修正)
 
 
 
◇ISO26000 Guidance on social responsibility(社会的責任に関する手引) 《社会的責任を果たすための7つの原則》・・・・・・国際標準化機構制定
① 説明責任:組織の活動によって外部に 与える影響を説明する。
② 透明性:組織の意思決定や活動の透明性を保つ。
③ 倫理的な行動:公平性や誠実であることなど倫理観に基づいて行動する。
④ ステークホルダー2の利害の尊重:様々なステークホルダーへ配慮して対応する。
⑤ 法の支配の尊重:各国の法令を尊重し順守する。
⑥ 国際行動規範の尊重:法律だけでなく、国際的に通用している規範を尊重する。
⑦ 人権の尊重:重要かつ普遍的である人権を尊重する。
 
※注⇒組織への倫理的要請であって、個人の社会的責任や関係性が無視されている。

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【「分配・流通」概念の限界(混乱)と交換(商業)による利益追求】
 かつて古典経済学は、「見えざる手」による一方向的な「富の分配」法則の探求を目標にした。しかし「分配」とされる「生産物(富)の移動」は、賃金や利潤・地代等の自然的な移動ではなく、本来は「労働と賃金」、「資本と利潤」、「土地と地代」のそれぞれの所有者相互の交換過程(取引・商行為)が介在するのが本質である。この過程では、より安く買い(借り)、より高く売る(利子をつける)ことによって得る「商業利潤」の原則(費用に利潤が含む場合がある)があり、「分配」概念ではそれらが無視され正当化・合理化ることになった。
 富の分配の「法則」を平均的な基準として探求・想定することには問題ない。しかし、J.S.ミルのようにこの法則を「社会の法律や慣習によって定まる」(『経済学原理』第二篇)とすれば、現実の公正さを欠く法律・慣習自体が、交換という社会的利害の取引の「公正な結果」となってしまう。従って、「分配」と「法律・慣習」の因果関係は循環論となり、なにも説明しないことになる。
 「分配・流通distribution」とは、分けてdis 配るtributeであり、本来は単なる財貨の移動としての流通distributionではない。分配や均衡の法則を求めた旧来の経済学が重視した分配・流通概念は、モノやサービス・カネの移動のみを捉えて、交換における付加価値(費用に付加した剰余・利益=安く買い高く売る=商業利潤)を無視してきた。交換過程の透明化・公正化は、道徳的社会主義の原点となる。
 経済社会を支配する法則を学問的に探求することには問題はないが、その法則(価値法則、需給法則等)や原則(唯物史観、限界効用等)の適用範囲や条件・限界を明確にしなければ、現実との乖離が広がるばかりである。その点に近年の経済学者が気づいて、スティグリッツのような「情報の非対称性」が提唱されるようになったのである。またケインズも分配理論や需給理論では、景気の循環(企業の倒産、失業、独占等)を著性できないことに気づき、政府の積極的介入を理論づけたのである。
 
 
ダニエル・ベル 『イデオロギーの終焉』
 「個人的諸要望の実現される機会と分配上の正義の原則が存在する社会において、個人がある位置な占めているのだと感じるときにのみ、民主主義は可能である。詳しく述べるなら、このことは高度な社会的移動、機会均等とくに教育上の機会均等、生活水準向上ならびに所得の公正な分配への期待を意味する。」(『イデオロギーの終焉』岡田直之訳 東京創元新社1969 「日本版への序文」p11)
  正義や公正の原則と機会が期待できないとき、民主主義は堕落し社会的混乱が発生する。民主主義は、経済の公正な交換と分配が行われることが必要条件となる。
 
 「わたし(ダニエル・ベル)にとって『イデオロギーの終焉』とは、政治における狂信主義と絶対的信念の終わりであり、一枚の青写真にしたがって、いとも容易に社会の改革ができるという『傲慢さ』の放棄なのである。イデオロギーの終焉は市民的秩序の始まりである。」(同上p12)
  優れたマルクス研究家であり社会学者であったダニエル・ベル(1919-2011)は、先進資本主義諸国における「豊かな社会」の到来とともに、階級闘争を通じての社会の全面的変革というマルクス主義的理念はその効力を失ったとして、マルクス主義を含む宗教的信念や狂信としての「イデオロギーの終焉」を主張した。
   彼のイデオロギーの概念はヒトラーやスターリンに見られるような狂信主義や絶対的信念が前提となっている。しかし、イデオロギーはそのように狭い意味で捉えるべきではない。民主主義にはそれにふさわしいイデオロギーがなければ、欺瞞的経済原則の支配する堕落した市民的秩序となる。民主主義を欺瞞から遠ざけるには、個人が社会的責任を自覚しうる新しい社会契約が必要となる。
 
 
 
 カール・ポラニー『大転換 : 市場社会の形成と崩壊』
 「われわれは、自己調整的市場システムという不条理な命題を実際に適用していたならば、不可避的に社会を破壊していただろうと主張するものであるが、自由主義者は、まったく多種多様な要因によって偉大な創意が破壊されたと非難する。しかし自由主義者は、このような自由主義運動を挫折させようとする共同の企てなるものの証拠を示すことができず、密かなるたくらみという事実上論駁不可能な仮説にすがることになる。」
     (カール・ポラニー『大転換 : 市場社会の形成と崩壊』野口, 栖原訳 東洋経済新報社2009 p260)
 
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スティグリッツ 『人間が幸福になる経済とは』

 「市場には限界がある。その限界は、時として無視できないものなのだ。定期的にあらわれる深刻な失業率は、市場が資源を存分に活用していないことを示すものだが、これも市場の失敗という大きな氷山の一角にすぎない。経済構造が変わるにつれて――農業経済から工業経済へ、そして情報経済へと移行するにっれて――市場の限界、特に情報の不完全性と非対称性に関連した限界は、ますます無視できないものとなっている。

 見えざる手の理論は、CEOにとって大きな救いだった。自分がうまくやることが、社会にとっていいことなのだと、この理論は説いているからだ。したがって、自分の利益に貧欲であることに罪悪感を覚えなくていいどころか、むしろ誇りと思えるのである。
       (J・E・スティグリッツ『人間が幸福になる経済とは何か』 鈴木主税訳 徳間書店2003 p35)
 
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ガルブレイス『悪意なき欺瞞』
 「経営者の報酬が想像を絶するほどの巨額に達しているという事実は、企業経営者たちの悪意の賜物である。と同時にそれは、特別に恵まれた人々が、自分自身の報酬を勝手に決めることのできる経済体制においては、あって当然のことである。こうした事実は、『悪意なき』とは言い切れない欺瞞なのである。
・・・・・・・・・
 現代企業の『良さ』は周知され、評価され、そして言明されるべきである。しかし『良さ』、ばかりを強調しすぎててはならない。現代の企業経営のあり方に、しかるべき改善を施すことこそが肝要なのである。」
                  (J・K・ガルブレイス著 佐和隆光訳 ダイヤモンド社2004p68ー69)
 
 「身体を酷使する反復的な仕事に従事する人々が、優れた労働者のはすである。にもかかわらず、仕事を楽しみながら、ょり多くの報酬を得ている人々、もしくは、まったく働く必要のない人々が、より快適な暮らしをしているという「矛盾」については、ほとんど誰も言及しようとしない。」(同上p50)
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F・エンゲルスの商業批判
 「商業では、相手方の不案内や信頼をできるだけ利用すること、同様にまた、自分の商品のありもしないことを吹聴することが許される。一言でいえば商業は合法的な詐欺である。」
                              (『国民経済学批判大綱』平木恭三郎訳 全集1p547)
※⇒エンゲルスの主張は正しかった。しかし、この原則が産業資本主義においても利潤追求の根源になっていることを、彼は友人マルクスの「唯物史観」と「剰余価値の発見」という非科学的誤認によって見失ってしまった。それによってまた、近代の政治経済学(社会科学)を歪め、人間・動物が騙し騙される存在でもあることを覆い隠してしまったのである。この人類史における悲劇は現代も続いている。
 
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自由交換のデマゴギー (西部邁)
「経済学の教科書で示されている『なめらかな右下がりの需要曲線、なめらかな右上がりの供給曲線』の交差点で適正価格が決まる、というのはばかげた話です。適正価格をめぐる均衡点の近傍を顕微鏡で拡大したもの、それが経済学の教科書に書かれているのにすぎません。公正・適正な価格は『範囲として成り立つ』のだと思われます。先ほどの『範囲としての平等条件』に連関して『価格変動の適正幅』が想定されているのです。そうであるときにのみ、『公正な取引が行われている』という共有観念が社会にもたらされるということになりましょう。
 なぜ、このことが経済学で無視されたのでしょうか。『公正観念は慣習で定められる』ということになると、慣習はあくまで社会学的および心理学的要素であるため、経済学に包摂することができません。需要も供給もみな個人の問題だ、と経済学はみなしたいのです。かくて、経済学においては、公正・適正な価格・数量の近傍を拡大してみせるという誇大妄想狂的な世界、それが『しじょう』とされる有り様です。」
(西部邁『焚書坑儒のすすめ : エコノミストの恣意を思惟して』ミネルヴァ書房2009 p117)
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 マルクス経済学における「剰余価値説」の誤り
 マルクスの経済学説の核心は剰余価値説にある。人間の労働力が商品として市場に登場しているという古典派経済学の分析を受けて、マルクスは労働力が買値(等価交換)以上の価値を生み出すことのできる特別な商品であることを強調する。資本家はこの特別な商品を普通の商品と同様に使用することによって、労働力が生み出す余分な価値(剰余価値)を労働者からこっそり奪いとっている(搾取の隠蔽性)と主張したのである。
 古典派経済学が、労働者の低賃金は等価で正当に交換されたものだと主張したのに対し、マルクスは、正当な交換ではあるが搾取は交換過程でなく生産過程で行われていることを「暴露した」と言うのである。
 それに対し、我々は、労働者の搾取は隠蔽されているのではなく、等価交換自体に欺瞞があると考える。つまり、労働者の低賃金は労働者自身の再生産費用によって決まるのではなく、労働者の労働の人間的価値以下に抑圧的に決められると考える。
 マルクスによる労働力の再生産費用は、労働者の意志によっては決まらず、歴史的階級的に規定され、労働者自身の欲望や意志、生活向上の意欲などは無視され、階級敵を倒して権力を握り生産手段を社会化しない限り不可能であるとされる。
 しかし我々は、労働者の再生産費用すなわち生活費用は、抑圧的な平均賃金以上であると考える。そのため労働者は正当な生活費用を求めて賃上げ闘争を行う。つまり、等価交換の欺瞞性を打破することによって、はじめて人間的な生活と社会を作ることができると考える。
 等価交換の欺瞞性は、労働者の低賃金、資本家・役員の高報酬、独占商品の高価格、金融商品、国際貿易等の市場に典型的に現れている。これらは、売り手と買い手の間の、情報の非対称性や力関係の違いによる隠しようのない不等価交換である。
 
 人間の欲望と資本主義市場経済

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