ミノタウロス

ミーノータウロス【Minotauros】 (ファンタジィ事典)


【ネタばれ注意!】ミノタウロスを語る (佐藤亜紀/大蟻食様ストーキング掲示板)


日記: 2007.11.3 (日記)


新大蟻食の生活と意見:これまでのお話(5) (新大蟻食の生活と意見)
関係のない話だが、君はタチャンカを知っているか!


『ミノタウロス』その一 (事実だけとは限りません)
Ⅰ 人を人たらしめるもの
つまり人間は言葉を使役し、言葉に使役される存在である。それが人間を他種の動物と隔てる。主人公が転落する以前の段階で唯一、 「人間性を剥ぎ取られた存在」として登場するのが、兄のアレクサンドルである。作中、彼の台詞は一言もない。間接的にも、彼が言葉を発したことを示す記述 は皆無である。
兄が最初からミノタウロス=神だったとすれば、転落した主人公はミノタウロス=怪物となる。彼以外のごろつきや頭目たちも同様である。なぜなら彼らはもはや言葉に使役されることもない代わりに言葉を使役することもできないが、かといって言葉を捨て切ってもいないのである。
『ミノタウロス』その二 (事実だけとは限りません)
Ⅱ 20世紀による19世紀の殺害
Ⅲ そのほかいろいろ


本の感想-2008年05月06月分

この人の小説をいつも読んで思うのは、描き方としては常に正統的な(大河?)小説なのだが、社会においての異者の描き方が最高にうまいのだ。

小松士郎のラジオのたまご: 小松士郎のラジオのたまご 読書家への道 7月26日(木)放送分 


ミノタウロス「苦さと甘さ、転げ疾走する人と獣の中間の存在」 (オンライン書店ビーケーワン)
二十一世紀現在の我々と革命期ロシアの語り手を同じ浮薄さの中に位置づけさせる巧みさから、不自然さは不自然さのままにある程度 読むものを納得させるので(この部分の語りの時間の複雑さは素晴らしい)、近代性という歴史上の事件が、しかしある構造を伴って現在もつねにすでに現前し 反復しているのだ、と意識させられずにはいない。


ヴァシリの父親について、メモ (魔術師)
彼が家族について思い出すとき、そこには父親であるはずのオフチニコフの姿がない。


佐藤亜紀『ミノタウロス』を読む (EmmyLinn's garden)
主人公は、普通の男である。大地主の次男だが成り上がりの家で、きちんとした教育を受けているが、高邁な理想も無い。混乱の中、 家を焼かれ、銃を手にし、生きるために略奪を始める。泣き叫んで嫌がる女を強姦するのは、とんでもなく気分が悪いものだといいながら、少し気に入った女は 手篭めにする。むやみやたらと殺すわけではないが、必要とあれば何人でも何十人でも殺し、良心の呵責を感じることもない。これらを主人公は一人称で淡々と 語るのだが、そこに髪の毛一筋ほどの狂気も無いのが恐ろしい。


ミノタウロス (琥珀色の戯言)
書かれている内容はかなり凄惨ですし、この小説のすごいところは、その「凄惨な行為」に関して、読者が「それじゃあしょうがないな」と納得できるような理由付けをしようとしていないところなんですよね。


人間を人間の格好にさせておくものとは?「ミノタウロス」 (わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる)
この小説は、読み手に感情移入をさせないことに、成功している。全編モノローグで、カッコ 「 」で括られた会話が出てこないのが異質だ。読み手を含む他人を寄せ付けない淡々とした語り口が恐ろしい。こいつに感情とやらがあるのか? アゴタ・クリストフ「悪童日記」を思い出す。


『ミノタウロス』佐藤亜紀 感想のためのメモ(その1) (芝フ調:So-net blog)
主人公のヴァシリ・ペトローヴィチ・オフチニコフ(名前違ってたらごめんなさい)は常に自分自身の行動の結果によって転落してい く。その状況に追いつめられたのも元をただせば彼自身に起因するものばかりだ。皮肉なことにそれは彼が弱く愚かだったせいではなく獰猛だったせいである。 肉体的にはただの少年であり、体力気力ともにこれから成長していく時期であった。獰猛なのは頭脳である。


『ミノタウロス』佐藤亜紀 感想のためのメモ(その2) (芝フ調:So-net blog)
ヴァシリはこの突拍子もない行動ばかりする2人によって予期せぬ行動をしていると思っている。しかし、それは実は逆であり、2人に振り回されつつも、彼は自分自身の意志で動いているのだ。前半とは対照的なヴァシリの無意識に対して、どう読み込んでいくべきか。
アレクサンドルはクルチツキーのように死ぬし、ヴァーシャはシチェルパートフのように死ぬ。クルチツキーがいなければアレクサン ドルは生まれることがなかった。しかしヴァーシャはクルチツキーがいたとしても生まれるかどうかはわからなかったのだ。アレクサンドルとヴァーシャの中間 に生まれ、死んだ子同様に。しかしシチェルパートフがいなければ生まれなかったとはいえるだろう。


ミハイル・バフチン 『フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネッサンス民衆文化』 (芝フ調:So-net blog)
『ミノタウロス』を単純に現代の「グロテスク・リアリズム」だとかなんとかいうつもりはありませんが(さらにひねって逸脱してい るように思えるので)、『ミノタウロス』が好きな方はぜひこの本の一読を勧めたいと思います。いろいろつながってくるから、そういう意味でも面白かったで す。


『ミノタウロス』佐藤亜紀 (本を読め、本を。)
彼は頭が良いが人間性に欠けているらしく、怒り以外の感情表現はまるで今まで必要なかったとでも言うように見える。
ときおり見せる喜びや悲しみの言葉はぎこちなく、そのシニックな寡黙ぶりは言葉にしないだけで周囲の人間を軽蔑していることは明らかである。


「ミノタウロス」佐藤亜紀 (本を読む女。改訂版)
それでも最後まで「ぼく」の一人称をやめない主人公のプライドというか、
それも哀れでやりきれない。


佐藤亜紀「ミノタウロス」 (阿佐ヶ谷⇔荻窪日記/ウェブリブログ)
ここなんていわゆる19世紀ヨーロッパの大衆小説の典型的な修辞で、恥ずかしくなるような紋切り型の連続だ。特に、「こんがり焦 げた焼き菓子のような匂い」がだめ押しである(もちろん主人公ヴァシリにとってここは恋人を讃える詩的なアリア)。かつて福田和也・松原隆一郎との共著 『皆殺しブックレビュー』で、作者がデビッド・ロッジの評論を紹介していたが、「そら笑え」と言わんばかりの底意地の悪さはまさにロッジ的だ。しかも、そ れを自分の小説内の一人称語りの主人公相手にやってのけているのが恐ろしい。


佐藤亜紀『ミノタウロス』の圧倒的な疾走感について (Junk Stage >> 「ことば」という場所で「世界」と出会う。)
今敢えて「ミノタウロスのネガ」と「ぼく」を呼んだのは、この語り手「ぼく」は徹底的に「神性」を欠いているからだ。私たち読者 は、「ぼく」の瞳によって切り取られた世界に最初から最後近くまで付き合わされるわけだが、ここにはたった一つの他者の言説(引用符)もなく、ロマンチッ クな読者の共感を誘う「語り」もないまま、瞳のカメラが回り続けるようにして続いていく。
その挙げ句に最後の5行である。
瞳の速度が肉体を置き去りにしていくかのようなオーバードライブに思わず息をのんだ。

『ミノタウロス』 (目次が日本一のブログ(自称w挑戦者求む))
広大なロシアを舞台にしてるのに、
偶然の出会いが多すぎないか?

『ミノタウロス』佐藤亜紀 (Lエルトセヴン7 第2ステージ
時代のうねり、といったところで、後世を知らぬ語り手が述べることができるのは、自分が死んで失くなるまでに、かろうじて見聞きし、行った所業だけであろう。
「ミノタウロス」佐藤亜紀キワモノ偏愛記 増補版
182ページ、主人公が語る“美しいもの”の描写に戦慄する。
とんでもない。
でも、そのとんでもない光景が、間違いなく美しく描写されている。
「1809-ナポレオン暗殺」でウストリツキ公爵が願った、真の自由の姿。
2008-10-14 (Applesauce)
まさに、この小説の主人公は激流の中にいて、踏みとどまろうとしても、どうにもならない場面がいくつもあり、自分の位置を確認することができない。
ミノタウロス (海獺の読書感想文対策)
内容的には怒涛の人生だと思うのだけれど、すごくゆっくり時が流れていきます。矛盾してるけど。
ミノタウロス (個人的読書)
もう一つの意味として、後半、彼ら馬車に当時としては最新式の機関銃をつけて大地を疾走するのですが、その4輪の馬車に乗った状態がミノタウロスに似ているという意味もあると思います。



【ミノタウロス】佐藤亜紀10【ストラテジー】
34 :吾輩は名無しである:2007/06/06(水) 04:28:07
ミノタウロス78ページの「熱心にハンカチを使ったとは言い難かったが」ってのは
避妊の話なんだろうけど、具体的にハンカチをどう使うのよ?

35 :吾輩は名無しである:2007/06/06(水) 23:17:06
ハンケチを被せて挿入だよ。
ゴムないときやらない?

36 :Gauche:2007/06/07(木) 01:39:43
 >>35
そう言われても、なかなかイメージを掴み難いだろう。
 >34に実演で教えて差し上げたらどうか。

37 :吾輩は名無しである:2007/06/07(木) 02:09:48
ナボコフの父は息子に中絶性交を教えたらしいよ。
寸前で引き抜いてハンカチに出すんだって。

343 :吾輩は名無しである:2007/07/24(火) 13:55:07
『バーチウッド』を注文したので積ん読だった『ミノタウロス』にようやく手を付ける。
第1章読んだ。
ドストエフスキーを三文小説家呼ばわりするのは
単に当時ドストエフスキーがそう捉えられていたから
というよりも大審問官を真っ黒にして読んでる現代の連中を
批判している面が強いと思った。
というかあそこの部分はまんま笙野頼子だと感じた。
あの風刺の仕方はそうだよね。
麗しい美少年を死ぬほど蹴りつけたところは
男が2人集まったら即ホモにしてしまう腐女子に
「わたしの作品は君らのお望みには適してないぞ」と告げているかのよう。
『ミノタウロス』は今までの作品よりもメッセージ性が強いと思ったな。
本を読んで教養を身につけてもしょせん田舎の小金持ちのけだもの
ってのは亜紀たんそのものだ。
これは佐藤亜紀のもつ鍋宣言か。(日記の花柄との闘争部分参照)

344 :吾輩は名無しである:2007/07/24(火) 14:54:10
いまどき大審問官真っ黒にして読む輩がいるか?

345 :吾輩は名無しである:2007/07/24(火) 20:29:16
そもそも最初の土地を譲り受けるやりとりが充分に
ドストエフスキー的なんだよな。
ほとんどドストエフスキーのパスティーシュと言ってもよい。
土地の権利書にサインするのを迫られてるシーンなんて
あそこで神や不死と言い出せばまさにドストエフスキーだ。
その後のギシギシなんてドストエフスキーの十八番じゃねえですかい。
ドストエフスキーのメロドラマ性(『小説のストラテジー』参照)だけを
模倣して、悩める魂の救済者としての要素は伯父に託し笑い飛ばす。
この意地の悪さが亜紀たんの魅力か。

では第2章に行くとするか。

361 :吾輩は名無しである:2007/07/27(金) 03:49:45
>彼は早死にしたのだ。ぼくより随分と早死にしたのだ。 P25-26

ぼくは死んだときでさえまだ未成年だった。イワンは確か大学生だったはず。
仮にぼくが死んだのがイワンが死んだ年齢より上だったとしても
それで「随分と」早死にしたと表現するかね?
あいつ生きてるんじゃないの
最後の場面は作り話

422 :Gauche:2007/08/10(金) 21:24:14
『ミノタウロス』について
・書くのが10年早すぎたかもしれない。
 もう10年待ったらもっといろいろな史料が出てきただろう。
・ウクライナからの亡命者の回想録がカナダで多く出版されており参考になった。
・気候についてはネットのウェザー・サイトでほぼ1年に渡ってチェックした。
・農事暦をかなり丹念に調べた。
・飛行機については機種まで一応設定してある。
 連載時、門坂氏がその通りの挿絵を入れてくれた。
・飛行機の後部座席の機銃座について良い資料がないと思っていたら、
 なんと「紅の豚」の中で描かれていた。
・タチャンカってすげえだろ。
・架空の地名については時代と情勢を考慮している。写真にうつった道路標識なども参考にした。
・言語と訛りの扱いは難しい問題だった。
 トロツキーの自伝の記述を参考にし、地域・階級による差を考慮した。
・連載を始めた時点で既に半分以上原稿は出来あがっていた。
・『戦争の法』と関連付けて読むことは、あながち間違った読み方ではない。
・20世紀についての考察を試みた作品である。
・「死者」を語り手に設定したのは、20世紀を描く上でそれは外せないと考えたからである。

429 :428:2007/08/10(金) 22:17:24
>・書くのが10年早すぎたかもしれない。
> もう10年待ったらもっといろいろな史料が出てきただろう。
ウクライナは現在建国の最中で、正史を立ち上げているところだから。歴史の暗い部分を掘り出す作業は歓迎されないだろう、ということですね。

>・気候についてはネットのウェザー・サイトでほぼ1年に渡ってチェックした。
20世紀初頭は現在より寒かったはずなので、ミノタウロスはそこまで計算に入れて書いた。

>・「死者」を語り手に設定したのは、20世紀を描く上でそれは外せないと考えたからである。
それも、名誉な死に方をした人ではなく、しょうもない死に方をした人。

469 :吾輩は名無しである:2007/08/13(月) 15:15:31
>『戦争の法』と関連付けて読むことは、あながち間違った読み方ではない。

kwsk


『戦争の法』の戦争は非日常で
『ミノタウロス』の戦争は日常だと思う。
『戦争の法』の戦争はいわゆる祝祭だ。

471 :Gauche:2007/08/13(月) 21:36:15
 >>469
質問に応えてのご発言だったと思います。
間違いではないからといって、必ずそういう読み方をしなければ
ならないかということ、またそうでもないかと。
類似点も相違点もたくさんあると思いますが、ちょっと類似点を挙げておくと。
・「国家が国民を動員する戦争形態」の時代の戦争において、
 正規兵ではなく、野犬化した若者を主人公に設定している。
・銃を手に戦っている者の多くが平時は別の仕事を持っている。
 特に農業に携わる者の農事に則した季節・時間の捉え方の重要性。
・新潟とウクライナいずれでも、北部と南部とでは、
 気候、風土、来歴、言語などが異なること。
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