導水事業で損なわれる生物多様性
丸山 隆 (東京海洋大学海洋科学部)

1.長良川河口堰の教訓

1)「最後の清流」長良川の隠された素顔

 ○川に流れ込む栄養物質の量は、流域の面積や人口、耕地面積が大きくなるほど増える

 ○「最後の清流」と呼ばれた長良川も、流域の人口や耕地面積が大きいので両岸から流入する栄養物質は多い

 ○それでも「清流」の名にふさわしい姿を維持できていた理由は?

  本流に大きなダムが存在しない → 川の水量や形、水生植物などが本来の姿を維持

  → 川の自浄能力(≒濾過機能)が高く維持される

2)優れたアユ漁場の成立要件

 ○川の自浄能力(落ち葉などの固形の有機物を川底の砂礫や水生植物の根などが濾し取って貯蔵・分解する能力)が大きい

 ○有機物が分解されて生じた無機質の栄養塩類(肥料分)が、少しずつ水に溶けて下流へ流れ、瀬の石の表面に生えるラン藻やケイ藻などの付着藻類に効率的に吸収・利用される(結果的に水から栄養塩類が取り除かれる)

 ○生産された付着藻類や川虫、分解困難な栄養物質などは、大規模な増水時に砂礫や水生植物帯が攪乱される時に下流へ流れ出る(結果的に濾過機能が復活)

 ○流入する栄養物質の量は多いが、その多くが無害な形で川底などに貯蔵され、分解産物である肥料分が瀬の付着藻類に安定供給されるために、富栄養化の弊害が表面化しにくい。

 ○以上のような特殊な機能と流域環境を備えた「清流」が、優れたアユ漁場となる

3)「清流」を堰き止めたら何が起こったか?

 ○河口から5kmほど上流の汽水域に河口堰が建設され、堰の上流側に長さ35kmの湛水区が出現した

→ 水が淀んで植物プランクトンの活性が高まった

→ プランクトンの遺骸などの有機物が大量に出現して水底に沈んだ

→ 水底に沈んだ有機物が底生動物や細菌に分解される際に大量の酸素を消費

 ○夏には湛水区の水面の水だけ温度が上がって比重が小さくなる

→ 上下層の水が混ざらない

→ 空気中や表層の酸素が下層に届かない

 ○増えすぎた植物プランクトンが光を遮る

  → 太陽光線が下層に届かない

  → 下層や水底では水生植物が生育できない(酸素が供給されない)

 ○湛水域の水底では酸素が補給されないまま有機物の分解に大量の酸素が消費され  → 下層の水や底泥が貧酸素化

    → 底性魚やヤマトシジミは生息も通過も難しい状況に追い込まれた

       (涸沼の水底でも同様の貧酸素化が進行中)

4)河口堰の影響は海にも拡大

 ○湛水域の水底や水中に蓄積された大量の有機物が堰の下流に流出

  ○堰の下流側では表面の淡水層と下層の海水層が分離し「塩水くさび」が発達(上下層の水が混ざりにくいので水面から水底への酸素の補給が絶たれる)

 ○湛水区の濁った水が水面を覆うので下層や水底に太陽光線が届かない

  ○堰から流れ出た大量の有機物が海水中の塩分の働きで塊を形成

  → 有機物の塊は沖合に拡散せず、速やかに下層の塩水くさびの中に沈む

  → 塩水くさびの中の海水は堰の方向に逆流しているので、有機物粒子も逆流しながら水底に沈殿

  → 堰の下流側の広い範囲にわたって大量の有機物が堆積し、酸素の供給がないまま有機物が分解されて貧酸素化が進行

  → ヤマトシジミやアサリ、底生魚などの漁場に壊滅的な被害

        (利根川の河口堰でも同様の問題が生じたが、当局はその実態調査を妨害して漁業被害を隠蔽したので、教訓として活かされなかった)

5)河口堰の影響は回遊魚にも現れた

○巨大な湛水区が両側回遊魚の仔稚魚の流下を阻害

 → アユ・降海型カジカの激減

 → サツキマスの激減

○湛水区の水質・底質の悪化

 → 降海型カジカやアユカケの遡上阻害

 

2.導水事業による取水で那珂川の環境はどう変わるのか

1)堰は建設されないので湛水域は出現しない

→ 湛水域での植物プランクトンの異常発生や水質・底質の悪化は起こらない

2)取水が増水の激しさや発生頻度に及ぼす影響は小さい

 ○流路や川底の形を左右する土砂の動きは増水時の流量で決まるので、下流域や河口の川の形はそう大きく変わることはないだろう

 ○増水時に河口に流下する栄養物質の量や組成はそう大きくは変化しないだろう

3)渇水時には取水は行われない

 ○渇水時に流水が完全に涸れる恐れはないだろう

4)取水の影響は平水位~低水位の時に強く現れやすい

 ○取水により

  → 従来の渇水時と同程度の流量の期間が大きく延長される(渇水期間の延長)

  → 河口に流下する真水と栄養物質の量が低下し、流速も低下

→ 汽水域の塩分上昇(塩水くさびの発達)と栄養不足、川底表面の底質の変化

→ 汽水性の生物の生息水域と生息量の減少、底生生物の種組成の変化

→ 河口域での栄養物質分解機能が低下

 ○平水時と増水時の環境変化の幅が従来より大きくなる

→ 汽水域の塩分や流速、底質などの変化の激しさに耐えられない種は衰退(生物群集組成の変化)

→ 増水時に流入する栄養物質を完全に分解するために必要な期間が延びる

→ 栄養物質を完全に分解できない間に次の増水が起これば未処理の有機物が水底に蓄積される

  汽水域の澪筋の底層の水や底質の富栄養化・貧酸素化が促進される

→ その影響が涸沼にも波及する恐れがある

 

3.導水事業による送水で那珂川の環境はどう変わるのか?

 ○霞ヶ浦からの送水は渇水時に限られる

 ○霞ヶ浦の高濃度の有機物を含んだ貧酸素水が流入すれば

  → 渇水時の汽水域の塩分上昇や栄養不足は軽減される

→ 汽水域の表面を流れる真水が濁るので、水底に届く太陽光線が弱くなる 

→ 汽水域の澪筋の底層の水の貧酸素化が促進される

 ○もし、霞ヶ浦の水質が改善されれば

→ 汽水域の水底に届く太陽光線の量はそれほど変化せず、貧酸素化は軽減される。その代わりに、霞ヶ浦から外来種が生きたまま運ばれる危険性が増す

 

4.導水事業が那珂川流域の社会に及ぼす影響

1)那珂川の流量や水質、底質に変化を引き起こす可能性のある開発行為への制限強化

○人口増加・畜産開発・工場誘致など

2)那珂川河口部の河床低下を引き起こす可能性のある事業の制限強化

  ○治山堰堤・砂防堰堤の建設、砂利採取など

 

5.導水事業が那珂川の環境に及ぼす影響を正確に調べるためには現場実験は不可欠か?

 ○長良川や利根川の河口堰のゲートを開放する実験が可能

  ゲートを開放したまま取水だけ実施 → 取水の影響と堰の影響をある程度分離して把握することができる