ホーム


西暦 和暦
 寒川町内
 町外
757~764 天平宝字年間 寒川神社近くの大観音寺に読師が住んでいた。(鷹倉社寺考)  
  771宝亀2年武蔵野国が東海道へ編入。これに伴い、東海道が寒川町(当時は寒川郷か?)を通過するようになった。  
  835
承和2年 鮎河(現相模川)、四ノ宮ー田端間に浮橋が架けられた。  
  841承和8年 高座郡大領壬生直黒成従五位下(続日本後記)
  846承和13年 寒川神社が初めて朝廷から位(従五位下)をもらう。(続日本後紀) 
  873貞観15年  相模国国分尼寺が漢河寺へ移転。(日本三代実録)
931~938
承平年間 「寒川」の地名が初めて文献に登場する。(和名抄)  
1181 治承5年  梶原景時、頼朝に家臣として認知され、寒川・一之宮の地を領した。  
1192建久3年 源頼朝、政子の安産祈願のため、「一宮・国分寺」等へ神馬奉納。  
1194
建久5年
11月27日、頼朝が国分寺の修復を命じた。この時の国分寺は寒川神社の近くにあったか?
 
1199 正治元年 梶原景時、結城朝光(ゆうきともみつ)謀反の疑いを将軍頼家に讒言(ざんげん)したとの理由で弾劾され、一之宮に下向。  
1200 正治2年   梶原景時、武田有義(ありよし)を将軍に擁立し、再起を図ろうと京都に向け出立。その途中、駿河国狐ヶ崎(清水市)で討たれ梶原山で最期を遂げた。
1367
貞治6年
宝篋印塔(現興全寺)造立
 
1416応永23年 
上杉禅秀の乱。大森氏、土肥・土屋の跡を給わる。
1417応永24年  大森頼春、小田原城を築く。
1494 明応3年 この頃まで「相州一宮瀬河善竜寺」があった?{「幻の寺、善竜寺」池田銟七 平成9年(1997)7月}
小田原城主大森氏頼没。藤頼小田原城を継ぐ。
1500明応9年 この頃、伊勢宗端、小田原城攻略。大森泰頼、甲斐国へ。
1501文亀元年
3月、伊勢宗瑞、小田原を支配。
1522 大永2年 北条氏綱、寒川神社社殿再興。  
1529 享禄2年   大森泰次、甲斐国(浅利か?)で誕生。
1532 天文元年 一之宮・妙光寺開創。  
1537 天文6年   明珍房宗、小田原にて武田信玄の兜制作。
1544 天文13年 大森泰次、北条の家臣、山中、仙波両氏に伴われ相模国へ。
大森泰頼、甲斐国浅利村で没。(泰次12歳)
泰次の弟親綱(ちかつな)浜松へ。
1546 天文15年 北条氏康、寒川神社修築。  
1559永禄2年 山中彦八郎(後北条氏家臣、倉見領主)没。 
1560 永禄3年   今川義元、桶狭間の戦いで討ち死に。
1561 永禄4年 長尾景虎(上杉謙信)、関東進撃。寒川神社焼失か?  
1562 永禄5年   大森親綱(泰次の弟)、引間城主飯尾連龍(いのおつらたつ)に従い今川氏真(うじざね)と戦い戦死。
1569 永禄12年 武田信玄、小田原攻め。帰路鎌倉八幡宮へ行くと見せかけ寒川神社へ参拝。明珍房宗1537年作兜奉納。信玄芝原で兵を休めた。 武田氏・北条氏、三増峠の戦い。 
1570 元亀元年 一之宮へ本姓大森菊地下総守藤原泰定母宝篋印塔建立。(2018.8 田端生往寺へ移設)  徳川家康引間城入城。浜松城と改称。(家康28歳)
1573 天正元年    ・武田・徳川、三方原合戦。
・武田信玄病に倒れる。
・井伊直虎、井伊谷城を奪還。
1578 天正6年 ・北条氏政、寒川神社修築。
・山角仙千代、寒川神社へ弓と太刀を奉納。
 
1579          
天正7年
成阿(行安寺開山か?)卒(新編相模國風土記稿 倉見村 行安寺)
 
1581
天正9年
成阿(?)行安寺起立(浄土宗寺院由緒書)
 
1582 天正10年  
・本能寺の変、織田信長没。
・井伊直虎没。
1583
天正11年
山中三河守子形部輔卒 戒名号行安院殿宗誉浄定大禅門(浄土宗寺院由緒書)
 
1586天正14年小谷 福泉寺開山(寒川町史10寺院) 
1590 天正18年   豊臣秀吉、小田原攻め。家康も参戦(家康の家臣、高木清方、遠山安吉も参戦か?)。遠山安吉、家康と共に関東へ。
1591天正19年高木清方、倉見村知行。
遠山安吉、萩園村(茅ヶ崎市)知行。

1593 文禄2年 遠山安吉没。田端、生往寺に葬る。  
1596 慶長元年
・菊地(大森)泰次、生往寺開創。
・慶長期、広田修理、田端・医王院開基。
 
1597 慶長2年
・大森(菊地)泰次、一之宮(泰定母宝篋印塔隣)へ車地蔵建立。
 
1598  慶長3年   豊臣秀吉没。
1599慶長4年 高木清方没。葬地、倉見・行安寺北東。 
1600 慶長5年
関ケ原の合戦。佐久間(大森)頼照、関ケ原の合戦へ参戦。
広田修理、寒川・田端へ。
1609 慶長14年 小動、念宗寺創立。  
1610 慶長15年
5/24:泰定継母(円鏡院殿生誉妙西大姉)没。生往寺に葬る。
11/7:菊地(大森)泰次(東岳院殿往誉生西居士)没。82歳。生往寺に葬る。
 
1614慶長19年 広田修理(実厳院心光宗月居士)没。田端・医王院に葬る。大阪冬の陣。
1617 元和3年 小谷地域集会所鰐口制作。  
1638 寛永15年 菊地(大森)泰定没。82歳。生往寺に葬る。  
1647 正保4年 遠山安重、田端、生往寺に葬る。  
1653 承応3年 下大曲神社庚申塔造立。  
1663 寛文3年 佐久間(大森)頼照母没(永宝院殿天誉妙照大姉、庄式部少輔資直の娘)。生往寺に葬る。  
1674延宝2年
大柳堰(小出川から花川用水への取水口)の工事(この頃すでに花川用水があった)。
 
1700 元禄13年 大岡忠相が下大曲村の領主になる。  
1731享保16年 一之宮入沢家、日野屋江戸店開店。 
1735 享保20年 田沼意次が小動・岡田村の領主になる。  
1782天明2年 これより前、入沢家一之宮弁財天堂建立。 
1861文久元年
一之宮入沢家、日野屋惣助に店等を売却し江戸店の商売に終止符を打った。  
1868明治元年 10月15日、沼津藩が上総国菊間に転封させられたため、西大平藩の上総国市原郡の3ケ村が上知となり、相模国2ケ村(堤村、香川村)に付替えされ西大平藩に。
1871明治4年7月、廃藩置県、下大曲村は西大平県に。(上大曲村始め周りの多くの村は幕府の直轄領だったため、神奈川県に。)
11月、下大曲村も神奈川県に編入。
 

[関連サイト]