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哲学講座第7講 「近代哲学の幕開け」

2012/11/03 5:07 に 山根岩男 が投稿   [ 2013/06/12 21:47 に更新しました ]

「哲学史の総括としての科学的社会主義の哲学」第7講
近代哲学の幕開け
                              宮中 翔(県労学協理事)

 10月27日に哲学講座第7講が開催されました。今回からいよいよ近代哲学の内容へと入っていきました。

①資本主義の台頭・建設
 15世紀後半から始まった商業と都市の発展は、都市の中流市民であったブルジョアジーを新たな支配階級として台頭させ、ルネッサンスと宗教改革、それに続くイギリス革命、フランス革命(ブルジョア民主主義革命)により、封建制から資本主義への転換をもたらしました。哲学上では「神学の哲学」から「真理探究の哲学」へ、「神」から「自然、人間、社会」への復権を遂げた時代であり、科学的社会主義の哲学は、近代哲学の到達点を示すものとなっています。その意味で「近代哲学は本講座のハイライト」と講師は強調されました。

②近代哲学の二大潮流
 近代哲学において、まず問題となったのは人間と自然との関係を論ずる認識論でした。経験から生じる感性こそすべての認識の基礎とする経験論と、感性を信頼せず悟性・理性によってのみ真理を認識しうるとする合理論が対立しました。経験論、合理論ともに一面的な認識論であり、この二つの側面の統一を探求したのが、カント、ヘーゲル、そしてマルクス、エンゲルスでした。

③イギリス経験論
 「イギリス経験論の祖」として知られるフランシス・ベーコンは経験から生まれる感性をすべての認識の源泉と考える唯物論の立場から、先入的偏見(イドラ)を排除し個々の事実から出発し、実験と観察により普遍的命題を導く「帰納法」を確立しました。帰納法に対立するのが、普遍から個別を推理する「演繹法」であり、真理認識には両者の統一が必要となります。また経験論はその入り口においては唯物論ですが、その先では、普遍性・必然性の認識まで経験に含まれるものとする唯物論的経験論(ホッブス、ロック)と、それを否定する観念論的経験論(バークリー、ヒューム)に分かれることが説明されました。

④大陸合理論
 「大陸合理論の祖」であるデカルトは、感覚をしりぞけ理性のみが信ずるに値するという合理論に立って、「われ思う、ゆえにわれあり」の根本命題から「物体」と「精神」の二元論を確立。これが後に「近代哲学の根本問題」として唯物論と観念論を生み出す事になりました。そうした意味でデカルトは「近代哲学の父」と称されています。しかし合理論は、論理的に正しければ良しとするところから、一面では観念論に傾斜する傾向があり、デカルトも自然科学においては機械的唯物論の立場に立ちつつ、世界観においては、神を第一原因と考える観念論を含んでいました。講師は「理性による抽象化、普遍化が物質から切り離されるとき、それは観念論となる」と説明され、デカルトによる「神の存在論的証明が典型的だ」と強調されました。唯物論的な合理的思考はいかにあるべきかを考えさせられる重要な説明だと思います。

⑤近代の自然観
 ガリレオ・ガリレイは自ら望遠鏡を作成し、天体観測をする事によりコペルニクスの地動説を実証的に裏付けました。また「落下の法則」を解明し、中世まで支配的だった目的的自然観に終止符を打ち、機械的自然観に道を開きました。これにより自然現象の原因の探求は法則性、必然性に向かうことになり、近代科学の方法論である「分析と総合の統一」が確立されました。
 今回の講義は、「神から自然、社会、人間へ」と認識の対象がダイナミックに変化していく過程が詳しく説明され、人間の真理探究に対する息吹が感じられる講義でした。
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