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憲法講座第3回 「日本国憲法を踏みにじる日米安保」

2013/03/04 17:32 に 山根岩男 が投稿   [ 2013/05/29 21:53 に更新しました ]
 

  第3回は「日本国憲法を踏みにじる日米安保」で、3月2日開かれ20人が参加しました。都合で来られなかった人もいましたが新たな参加者もありました。高橋先生の話は最初から力が入っていました。

  「原爆はなぜ投下されたか」という本がある。それにはアメリカは「犠牲を少なく戦争を終わらせるために使用した」と言われているが、そうではないと分析している。1945年2月のヤルタ会談では、出来るだけ早く日本を降伏させるために日本と中立の協定を結んでいたソ連の参戦を求めた。ソ連はドイツ降伏の4ヵ月後を約束した。ドイツ降伏が5月8日だから参戦は8月9日だ。トルーマン米大統領は戦後の世界をアメリカの影響力の下に置くためにはソ連の影響を日本に持ち込ませない、ソ連参戦以前にアメリカの力で日本を降伏させたいと考え、原爆の製造を急がせソ連参戦の前の8月6日に広島、9日に長崎で使用した。

  日本の戦後について連合国内では意見が一致していなかった。アメリカは世界各地で共産党を中心とした革命運動の高揚をおさえ、東欧などでソ連の衛星国家が次々生まれたこと、中国、朝鮮での動きに対処するため、1947年にはトルーマン・ドクトリン発表してソ連を封じ込める政策を進めた。ソ連の統制経済を全体主義と決めつけ、自由主義(資本主義)の優位性を見せつけるためマーシャルプランに基づいて資金援助した。典型はドイツ、「ベルリンの壁」はソ連が西独の復活・復興を東独の国民に見せないようにするために築いたものだ。

  アメリカの国家安全保障会議は48年には対日政策を民主化から経済復興に重点を置き直した。戦犯など公職追放の解除、松川事件のでっち上げや「来なかったのは軍艦だけ」と言われる東宝争議などに介入し、資本家を育成していった。朝鮮戦争の勃発で日本は米軍の兵站基地とされ警察予備隊をつくらせ再軍備の道を開いた。朝鮮特需で急速な経済復興を遂げていく。

  日本はサンフランシスコ平和条約を結ぶことで独立することになったが、同時に安保条約を結ばされた。第2条には「・・・その自由な諸制度を強化することにより・・・」とアメリカのような資本主義をめざすことが求められている。安倍首相が訪米しTPP交渉への参加を約束したのは2条に基づくものだ。辺野古への基地移転、オスプレイ配備も安保条約に基づくものだ。
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