「一粒の麦」NO.243号 反骨爺のつぶやき 高村よしあつ

2016/04/20 5:54 に 山根岩男 が投稿
 「諺から見た弁証法入門」が、なかなかの人気である。特に一時間の討論時間が人気のもとらしい。先日教室受講生の一人が、「今までの講義で一番面白い。この第二弾をやってほしい」との要望を提出してきた。もともと全七回の講座として出発したものだから、第二弾を用意している訳ではないが、さりとてこの意見を無視するのもいかがなものかと思案に暮れている。

 討論と言っても、一人ひとりの思いを語りあい、自分の意見をのべるため、話は延々と続くことになる。先日は「個人の尊厳と人間の尊厳の統一」から話が発展した。かって石原都知事は「障害者に人格があるのか」と発言し、大問題となったが、障害者も同じ人間として個人の尊厳を持っているのだから、権利主体としての個人の尊厳を主張すべきとの発言から、では主権者とは何歳からなのかとの問題が提起され、論議になった。生まれたときから主権者だから、2000万署名に親が代わって子の名で署名できるとの発言に、一同納得。

 先日この講座のために、60年代に広く普及した高橋庄治氏の「唯物論の哲学」を読んでいて、そのわかりやすい説明に感心した。そこでは、搾取とは「他人の労働をぬすむこと」だと書かれている。確かに搾取とは不払い労働の取得であるから、他人の労働を盗むものに他ならない。ところで、泥棒や詐欺も他人の労働を盗むものである。つまり、搾取とは泥棒や詐欺と何ら変わらない不法な行為であり、だから、搾取は泥棒や詐欺と同様に社会的に許されない行為なんだ、という訳である。

 残念ながら、ここまで搾取の本質をわかりやすく説明したものを目にしたことは、これまでなかった。労働者学習協議会は、科学的社会主義の基礎理論を普及することを目的としている。「普及する」とは、誰にでも分かるように説明することであり、この搾取論こそ、その目的を達している。ここまでやらなければ、労学協はその目的を達し得ないと言われている気がした。 
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