「一粒の麦」NO.241号 反骨爺のつぶやき 高村よしあつ

2016/02/21 0:29 に 山根岩男 が投稿
   「戦争法廃止の国民連合政府」が提案されて、5ヶ月が経過した。そのための政党間の協議はまだ始まっていないのは残念だが、他方で国民連合政府をめぐる議論は盛り上がっている。
  個人の尊厳の問題がそれである。戦争法の廃止と立憲主義の回復を論議するなかで、立憲主義の究極の目的は個人の尊厳を守ることにあるのではないかが議論されている。
  思えば、戦争法廃止のたたかいは、一人ひとりの国民が自分の頭で考え、自分の言葉でかたり、自分の足で行動する新しい民主主義の運動であった。その運動のなかで、9条を守る運動も結局は誰も戦争で殺させないという個人の尊厳の問題であり、辺野古も原発も反貧困も同様であることに気づくことになる。こうして「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」は、2000万署名を基礎にして、戦争法の廃止、立憲主義の回復と並んで、「個人の尊厳を擁護する政治の実」}を3本目の柱として掲げることになった。
 アベ政権の特徴は、まず国家があって、その下に国民が存在する、とするところにある。それに対して新しい民主主義は、国家のために個人があるのではなく、個人があって国家があると主張する。個人の尊厳の主張は、戦争法、沖縄、原発、TPP、反貧困など、アベ政権のすべての政治に対決する姿勢を示している。個人の尊厳を根底にすえて、戦争法、立憲主義の回復を求める運動は、その先の運動にも方向性を示すものとなっている。
  憲法13条は、個人の尊重を「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」と規定している。これは、憲法がその基本原理としている国民主権原理にたっていることの現れである。主権者は主権者として尊重されなければならないのであって、それが「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」である。主権者は、自らの生命を保証され、自由に政治を選択し、自らの幸福を追求する権利を有しているのであり、それがすなわち個人の尊厳にほかならない。今回の運動は、国民が主権者として歴史の舞台に登場し、個人の尊厳を主張したところに、日本で初の市民革命的な運動と称された理由があったのではないだろうか。新しい民主主義は、新しい顔つきのもとに歴史の舞台に登場する。
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