一粒の麦NO.224 反骨爺のつぶやき

2014/09/19 6:01 に 山根岩男 が投稿   [ 2015/03/18 23:26 に更新しました ]
 各地で『資本論』の学習会が盛んである。『資本論』の意義は、資本主義的搾取の秘密の解明と、搾取のない社会である社会主義・共産主義への発展の必然性を示したことにある。
 それに関連して、以前から疑問に思っていたことがある。社会主義の賃金政策とそこに至らない日本の民主的変革の段階における理論的賃金政策の基本はどうなるのか、という疑問である。
 綱領では、社会主義・共産主義の日本では、「人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ」るとされているが、それは、「労働力の価値通りの賃金」という『資本論』の賃金原則とは異なる賃金政策ということになるのであろうか?
 また「搾取の自由」の制限は社会主義日本の課題とされているから、民主的変革の段階では、「搾取の自由」は認められることになる。その場合の理論的賃金政策の基準は、「労働力の価値通りの賃金」ということになるであろう。『資本論』では、労働力という商品が価値通りに売買されることを前提として「搾取度の正確な表現」である剰余価値率が論じられている。しかし、現実には資本主義的蓄積の一般的法則のもとで、産業予備軍の存在が死錘となるところから、労働力は不断に価値以下に切り下げられているから、価値通りの賃金を政策的基準とすることには意味があることになる。
 一人の労働者の労働力の価値は、労働者家族4人(夫婦と子供二人)の生計費である。なぜなら労働力の再生産費用は、労働者の負担とされているからである。となれば、民主的変革の段階の理論的賃金は、子どもの教育費を含む労働者家族4人の生計費ということになり、現在の価格からすると月額40万円を下ることはないであろう。しかし、「ワーキングプア」の現実にひきずられたのか、いまそれが労働者階級の基本的要求になっているとは思われない。「賃金要求の基本は生計費」と言われる場合も、労働者一人分の生計費としてしか考えられていないのではないだろうか?
賃金政策に『資本論』が生かされないのであれば、『資本論』を学ぶ意義も半減してしまう。全国一律1000円以上の最賃実現という当面の要求は当然としても、それにとどまらず、理論的に真にあるべき賃金政策を明らかにし、『資本論』の学習を理論的賃金に結びつけた議論が必要であるように思われる。理念のないところに運動はない。

Comments