NO.229 反骨爺のつぶやき

2015/02/26 1:14 に 山根岩男 が投稿   [ 2015/03/18 22:59 に更新しました ]
 被爆70年にあたり、「人道的に受け入れがたい」(2014・12「核兵器の人道的影響についての国際会議」)原爆が、なぜ広島に投下されたのかを原点に返って考察する機会があった。というのも、旧友から「ヒロシマ神話を砕く」と題する歴史小説の出版にかんする相談を受けたからである。
 アメリカの原爆投下に関する公式見解は、「太平洋戦争を早期に終わらせるためには、原爆使用以外の選択肢はなく、これにより100万人の米兵戦死傷者を救った」というものであるが、真実はアメリカの「第2次世界大戦後の世界でソ連をおさえて優位にたつという思惑と威嚇によるもので、被爆者は、アメリカの戦略の犠牲者」(「日本共産党の80年」)となったのである。
 米・英・ソは、45年2月ヤルタで首脳会談を開き、千島列島をソ連に引き渡すのと引き換えに、ソ連の対日参戦の密約を交わした。当時米・英首脳は、日本を降伏させるためにソ連の参戦を不可欠と考えたのであるが、7月16日原爆実験の成功により事情は一変した。日本の敗戦はもはや時間の問題であったが、アメリカはソ連の参戦前に原爆を投下して原爆の威力をソ連に見せつけ、それを切り札としてその後の対ソ外交を有利に展開する方向に転換する。その効果は、翌日から始まった米・英・ソのポツダム会談で早くも発揮された。アメリカは、原爆実験成功を宣伝し、ソ連主導の内容となったヤルタ会談での合意を白紙撤回させるのに成功したのである。
 7月26日、米・英・中の3国の名で対日占領政策であるポツダム宣言が出されることになる。重要なことはその前日にすでに原爆投下命令が出されていたことである。アメリカとしては、日本がポ宣言を受諾して降伏してしまえば原爆の威力を示す機会を失うことから、降伏の意志を示す前に、ソ連に対し原爆の威力を示し、極東におけるアメリカの単独支配を確立する必要があったのである。その真意が対ソ戦略にあったことは、ポ宣言がソ連を抜きに出されていたことにも示されている。その狙いを実現するために、ソ連参戦前に、事前通告することなく、民間非戦闘員を大量殺戮することによって原爆の現実の威力を見せ付けるために慎重に選択されたのが、ヒロシマである。広島市民は単に無駄に殺されたのではなく、モルモット代わりに非人道的に殺されたのである。原爆投下は第2次大戦の最後の軍事行動ではなく、ソ連との冷戦の最初の政治行動であった。
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