NO228 反骨爺のつぶやき

2015/01/20 1:36 に 山根岩男 が投稿   [ 2015/03/18 23:01 に更新しました ]
戦後70年、被爆70年。日本は反戦・平和の国という決意を全世界に発信すべき年であり、昨年の総選挙はその出発点となった。
 「人間は考える葦である」(パスカル)。では考えるとは、どういうことであろうか? この問に対し、今から200年以上前に答えを見出したのが、ヘーゲルの「精神現象学」である。ヘーゲルは、人間の意識に対象意識と自己意識の区別があることを明らかにした。後者は現在の認知心理学では「メタ認知」と呼ばれており、いわば「私のなかの私」の意識である。「考える」とは、この「私のなかの私」が「私」の意識をチェックし、それに疑問を呈することである。マルクスが「すべてを疑え」と言ったのは、とりわけ自分の意識を疑えという意味であろう。考える力を身に着けることは、「私のなかの私」に磨きをかけ、「私のなかの私」と「私」との間に、それでいいのかを自問自答する力をつけることに他ならない。
 この点にかんし、来季ソフトバンクの投手コーチに就任した吉井理人氏が興味深いことを言っている(12・26「しんぶん赤旗」)。吉井氏は、プロ野球の世界で一流選手とそうでない選手との差は、「考える力」にあるという。一流選手は「自らのプレーを客観的に見て、どうしたらうまくなれるのかを考え、実践する」のであり、この「私のなかの私」を吉井氏は「選手の中のコーチ」と呼んでいる。この「選手の中のコーチ」は、私がある日の登板で打ち込まれたとき、「単に駄目だった」というだけではなく、コーチとして「制球や配球、球の切れ、体調など、具体的に何が良くて何が悪かったのかを分析し、改善策を探す」のである。一流選手は皆自分のうちに「選手の中のコーチ」を持っていて、問題を自分で見出し、解決する力をもっているのである。吉井氏はこの発見から、コーチの役割とは、選手に対し「ああしろ、こうしろ」という「吉井コーチ」を押し付けることではなく、「選手の中のコーチ」を育てることにある、と結論している。
 労学協としても、ヘーゲルと吉井理論に学んで、情勢学習や科学的社会主義の基礎理論を知識として学ぶにとどまらず、「考える力」それ自体を身に着けることを重視する学習教育に転換することが求められているのではないだろうか。それが変革の主体としての主権者を育成する道だと思われる。
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