NO.221 反骨爺のつぶやき

2014/06/24 6:02 に 山根岩男 が投稿   [ 2014/09/09 0:15 に更新しました ]
 マルクスは、『資本論』のなかで、アリストテレスが交換価値に接近しながらその実体が抽象的人間的労働であることに気づかなかったのは、「ギリシア社会は奴隷労働を基礎としており、したがって、人間およびその労働の不平等を自然的基礎としていたから」と指摘したうえで、次のように述べている。「すべての労働の同等性および同等な妥当性は、人間の平等の概念がすでに民衆の先入見にまで定着するようになるとき、はじめて、解明することができる」。
 平等概念を民衆に定着させたのは、「自由、平等、友愛」を掲げたフランス大革命であった。フランス革命の挫折により、法的・政治的平等にとどめられた平等概念は、その精神を引き継ぐ社会主義運動によって、社会的・経済的平等をもその内容とする階級の廃止という要求にまで高められた。 
 平等概念も一つの歴史的産物であり、今日では「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」に見られるように、「政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等」を意味するに至っている。
 では、歴史的産物としての平等とは何を意味するのか?それは、社会的弱者への差別の禁止である。「女子に対するあらゆる形態の撤廃に関する条約」では、社会的強者である男子の、社会的弱者である女子に対するあらゆる形態の差別の禁止を求めている。つまり平等とは、社会的強者を基準として、その基準に照らし社会的弱者に生じている不平等・不公正を解消するという、下から上への1方向的改革要求であり、けっしてその逆ではない。>
 ところが広島市の「財政運営方針の基本的な考え方」によると、市の「サービスを利用する市民と利用しない市民との間に不公平が生じないように、受益者負担の適正化を図」るとある。つまり、何らかの事情でサービスを受けていない市民がいることを理由に、不平等・不公正を掲げて、社会的弱者であるサービス利用者に新たな負担増を押し付けようというものである。これは「上みて暮らさず、下みて暮らせ」というものであり、歴史的に蓄積されてきた平等概念を冒涜してその意味を逆転させ、福祉切り捨ての口実にしようというものでしかない。崇高な平等概念が泣いている。市議会において、そもそも現代における平等とは何かの根本に立ち返った議論に期待したい。
                                           常任理事 高村是懿


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