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道徳律

道徳律 (Code of Ethics)

 ロータリー道徳律は1915年7月、サンフランシスコの第6回大会で採択され、職業人としての実践道徳の指針とされていたが、全世界の有用性に関し意見の一致を欠くとの理由でRIは1927年に改訂、1928年は綱領に重きをおくことに改め1951年、理事会は配布はするものの、手続要覧に掲載中止、1977年規定審議会では道徳律に代わるべき適当な文章を検討するとした。1980年規定審議会で道徳律に関するRI細則は削除されその後、その時の決議に基づく代案が1989年のシンガポールでの規定審議会に出された「職業宣言」である。
 事業のすべての分野に適用すべき
ロータリー道徳律
 
 事業を営むにあたって心得とすべき規範には、我々共有の人間性に対する思いやり、という韻律がなければならぬ。事業上の取引、願望、交渉にあたっては常に社会の一員として、最高の義務感に思いをいたすことが先決である。事業上の如何なる立場に置かれても、如何なる責任を負わされても、私の関心事は、私が、その責任を果たし義務を遂行することによって、人類の理想と成果を、自分がそれに取り組む前より少しでも引き上げることが出来たかどうかにかかっている。
 かかる観点よりして、ロータリー国際連合が、事業取引の道徳規範として提唱する基本原則は、以下に示す通りである。
 
 [第一]
 価値ある職業の意義に目覚めよう。職業は社会に奉仕する絶好の機会として与えられたものだ。自己革新に努め、能力を高め、奉仕の輪を拡げ、それによって私が信奉するロータリーの基本理念「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」、ということを実証しよう。 
 [第二]
 自己革新に努め、能力を高め、奉仕の輪を拡げ、それによって私が信奉するロータリーの基本理念「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」、ということを実証しよう。 
 [第三]
 私は事業の人である。従って成功への野心もある。然しそれより先に、私が道徳的人間たることを自覚しよう。従って最高の正義と道徳に基づかぬ成功は望むところでない。 
 [第四]
 収入を得るために商品、労力、智能を提供するが、それに関わる全当事者が、ひとしくそれによって潤う場合にのみ、適法にして且つ道徳的なりと心得よう。 
 [第五]
 自ら携わる職業の水準を高めるため全力を捧げ、仲間の人達が、私のやり方を手本にすることが賢明であり、また利益をもたらし、幸福につながる道だと覚る様に仕事を進めよう。 
 [第六]
 事業を営む場合には、同業者と同等又はそれに優る完全なサービスを提供しよう。若しそれに自信が持てなければ、採算上厳しい限度を越えても、それを上回るサービスを心掛けよう。 
 [第七]
 専門職務又は事業に携わる者にとって、最大の資産は友人であり、友情の故に得られた便益は何れも皆極めて道徳的にして且つ正当なものと理解しよう。 
 [第八]
 真の友人とは、互いに何等求める所のないものである。されば利益のために友情の絆を濫用することは、ロータリーの精神に反するのみか、この道徳律を冒涜するものである。 
 [第九]
現実の社会秩序に照らして、明らかに自分以外の人には与えられない様な、ある種の機会に不当に乗じて個人的成功を収めることは、適法且つ道徳的とは認められない。また物質的成功を得るために、世人が道徳的に問題ありとして避ける様なことに、断じて私は手を染めない。 
 [第十]
 人間社会の他の人々に対して負う義務以上のものを私は同僚ロータリアンに対して負うものではない。何となればロータリーの真髄は競争ではなく協力の中にある。ロータリーの様な組織に於いて偏狭な党派の存在は断じて許されない。
またロータリアンは、人権が単にロータリー・クラブに限られたものとは思わず、広く深く全人類それ自体に存するもの、と断言して憚らないからである。この高い理想の故にこそ、ロータリーはすべての組織に属するすべての人々を啓蒙すべく存在するのである。 
 [第十一]
 結論的に言えば、この黄金律の普遍性を信じよう-“すべて人にせられんと思うことは人にも亦その如くせよ”
そして我々は、最善の人間共存社会とは、この地球上の天然資源に対してすべての人々に平等に門が開かれることだ、と主張してやまないのである。 
要  旨
 
[道徳律の真意]
 この道徳律は、人格の完成と自我保全の為の国家永続、という様なギリシャ的道徳観ではなく、ただ愛の精神より発するものである。即ちロータリアンはひたすら自我保全の権利を主張するものではなく、他人を滅ぼすよりは寧ろ他人に滅ぼされんことを選ぶのである。然るが故にこの道徳律は愛の精神を基盤にして構築された。
[道徳律の価値] この道徳律は、今の世にある保守派進歩派の論争、その何れにも与するものではない。保守か進歩か、ただ単にその様な論争をして何になろう。この道徳律が求める所のものは-価値-それがもたらす有用牲ということなのだ。保守か進歩か、そんなことには関わりなく道徳律の有用ということが、これを起草した人々の意図なのである。この有用性によって道徳律は存立し、それある限りその存在意義は失われない。
    一佐藤千壽 訳- 
 (用語便覧2008)