PCIプロジェクト

PCIプロジェクトとは?
本研究プロジェクトの目的は、精神障害や高次脳機能障害などの障害名が与えられた人々 (the Communication Challenged; 以下 CC) と精神医療現場の人々(医師、看護師、作業療法士、家族など)が相互の〈やりとり〉を多相化することを通じて、参与者全員が共に障害や困難に向きあえる開かれた関係性を再構築することにあります。(→詳細

松嶋健博士論文「現実のユートピアーイタリアにおける精神医療の生態学的転回と制度化ー」

2013/04/20 20:19 に Miya Matsuoka が投稿

研究班員である松嶋健さんの博士論文「現実のユートピアーイタリアにおける精神医療の生態学的転回と制度化ー」読みました。

 

イタリアの精神医療では、精神科病院を無くそうという「バザーリア法」があまりに有名ですが、

その法律が作られ、実際に施行されてゆく過程が「精神医療のノーマライゼーション」という言葉とともに丁寧に書いてあって、

歴史的背景を知らないわたしにも、わかりやすかったです。

 できごとは、そのことだけでなく、縦糸も横糸もあり、全体のなかから理解しようとしなくてはならないと、思わされます。

 

もっとも印象深いのが、反精神医学レインとバザーリアとの対比でした。

 精神医学における営みを否定するレイン、施設=制度の中にとどまり、制度に対して戦うというバザーリア。

 わたしがレインが好きで、著書に感銘を受けています(写真はレインの詩集)。

たとえば、「みなが平等な社会を」などのスローガンは胸に希望の灯りをともし、時に集団にうねりの力を呼び覚まします。

「ゼロからユートピアを作り上げよう、差別も争いもない世界を。」という想像は、つかのま生きる元気を与えてくれます。

 しかし、理念の正しさはみなで了解しあえても、それをどのように実践してゆくか、という段階では、技術の問題が出てきます。

これまでのノウハウを用いながら、既存の社会的インフラや行政のしくみとの折衝となるのでしょう。

理念を実践したいと願うなら、この社会のなかにしっかり根をはっている必要があるのかもしれません。

「新たなユートピアをゼロから作ることは出来ない」

 という本書の言葉が印象的でした。

 

 

また、「第6章 演劇実験室の実験生活」も印象に残る章でした。

 A市では、精神病者のみによって構成されるプロフェッショナルな劇団をつくろうというプロジェクトが行われたそうです。

 それは、演劇セラピーでもサイコドラマでもなく、演出家ジャコメッティの言葉でいえば

 「気晴らしや、援助や、娯楽の仕事ではない。もっと高い、霊的な仕事だ」とのこと。

 このプロジェクトでは、治療を期待しないということと、精神科医の見学お断り、という考え方が強烈です。

 精神科医や看護師が加わるだけで治療の文脈が生じてしまう。そしてその文脈は良いものでない、という考えは、

治療者として立ち現われる自身のことを思うと、頭をがーんと殴られるような思いです。

 個人的な印象では、表現創作系の輪の中で自分が精神保健福祉士だと告げると、その後

「松岡さん、相談に乗ってほしいのだけど。」と言われたり「自分は障がい者なんだ、松岡さんならわかってくれるね」と

言われたりすることが多くあります。 

 治療者とみなされる人間が、いったい何を醸し出しているのか、自覚が必要だなと、思わされます。

 

本書を読み感じたのは、内面だけでも、環境だけでもなく、互いが呼応しあう次元のものを見る目というのが、必要だということです。

出版されれば、「自分が何かを醸し出しているひと」にはカアンカアンと響く本になると思います。



2013年冬の研究班会議in京都 無事終了

2013/02/25 3:27 に Miya Matsuoka が投稿

2月23日(土)

10:00-14:00 松嶋さん講演 + ディスカッション (1時間昼食休憩)

14:00-16:00 ゲストの松本先生講演 (1時間程度) + ディスカッション   

「学習療法普及過程における実践共同体の事例研究」

16:00-17:00 PCIメンバー近況報告 (小谷さん)

224()

9:00-12:00 PCIメンバー近況報告 山川さん、榎本さん。


★松岡がいちばん遅刻してしまい申し訳ないですが、研究班員が8名すべてそろうのは久しぶりのようで嬉しいです。

★松本先生は商学部の先生で、そんな異分野の先生とも議論を共有できるのは、学際的な研究班ならではの喜びです。

★松嶋さんの素晴らしい博士論文「現実のユートピアーイタリアにおける精神医療の生態学的転回と制度化」はイタリア精神医療の貴重な記録で、いずれ出版される予定です。

★班会議に出席することで、考え方の軸というか根本原理のようなものを教えてくださっている気がして、わたしの人生にそれをどのように活かせるかと考え中です。

★お疲れ様でした&ありがとうございました(松岡)。

公開シンポジウム”薬漬け”になる子どもたち‐発達障害をどう理解し、支援するか‐

2013/02/10 20:28 に Miya Matsuoka が投稿

日本臨床心理学会による「公開シンポジウム”薬漬け”になる子どもたちー発達障害をどう理解し、支援するかー」に行きました。

場所は、新設の帝京科学大学。町屋駅から歩きましたが、けっこう距離ありました。

最初は、心理職の藤本豊さん。
印象に残った言葉は、アラレちゃんも発達障がい?という言葉と、診断が付くことがそんなにプラスばかりではないのでは、という指摘。
例えば、診断名が付くと、今まで日常的に接していた隣のナントカちゃんが、「どう扱っていいのか」というふうに、遠い存在に思えてしまう。
「なぜ医学診断に流れてしまうのか。」という言葉も印象に残りました。

2番目は医師の石川憲彦さんは、「誰が障がい者と呼ばれるのかは、社会の有り方と密接に関連している」というお話。
現在は、フィーリングをキャッチし、なめらかに変化するような能力が必要とされているので、空気を読めない人たちが障がい者と呼ばれるようになったとのこと。
逆に、障がい者をみれば、社会がみえてくるということかもしれません。

石川さんは、「薬物はすべて毒である」と言い切りますが、だから使わないというわけではなく、むやみに使わないようにする、使う時には見通しを持つ、とのこと。
子供が薬物を用いた場合の長期データはないので、12歳までは原則使わないとのことです。

三番目は、京都のNPO法人アジール舎「ころぽっくるの家」で児童とかかわっておられる亀口公一さん。
発達障害の法的定義などのお話をされました。
「今は子供ですら自己責任を問わされている」というのが印象的でした。

それぞれのシンポジストの臨床経験が淡々と語られて、さまざまな問題提起がなされたのですが、
特に、薬物の問題そのものよりは、「発達障がいの診断・治療(医療化)と社会環境」というテーマが全面に出ていたように感じます。

わが国では一般に医療の存在感が強く、医師から出された薬は疑問を持たず飲むものだという感覚があるように感じます。
わが国の医療現場において、当事者が専門家と話し合いながら、どれほど能動的に薬物を摂り入れることができるのか。
医療側の試みが紹介されることはあるのですが、当事者さんに近い立場からも、実際の処方についてお話をきいてみたいなと思いました。

この会では、相手が医師でも「石川先生」でなく「石川さん」と呼んでおり、新鮮でした。
こういう小さなところから、変化は生まれてくるのかもしれません。(松岡)


詩に対する高次脳機能障がい者のコメント

2013/01/01 4:29 に Miya Matsuoka が投稿   [ 2013/01/01 4:30 に更新しました ]

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

数年前、助成金を得て行った調査のなかに、詩に対する高次脳機能障がい者10名からの助言、というものがありました。

詩は「脳に障がいをおったわたしから 大切なあなたへの7つのお願い」という創作ですが、それに対する当事者さんたちの意見は鋭いものばかりでした。
代弁をするということ自体の難しさを感じました。
また、「弱者」あるいは「支援を必要とする人」と見られることに対する違和感が表明されており、
支援者としての自分の驕りや偏見に気づかされました。

もう少し、考え方を変えなくてはいけないのかもしれません。

そのような発見もあり、興味深いものなので、画像で紹介いたします。
今年も良い年になりますよう。(松岡)



認知リハビリテーション研究会に参加

2012/10/07 5:38 に Miya Matsuoka が投稿   [ 2012/10/07 5:42 に更新しました ]

2012年10月6日 慶應義塾大学病院で行われた「認知リハビリテーション研究会」で発表しました。
http://reha.cognition.jp/

演題は
「高次脳機能障害者は自らの障害とリハビリテーションをどのように語るか」
演題通りの中味で、高次脳機能障がい者10名のインタビューを分析しましたが、質的ではなく定量的な試みです。

当事者さんは、自分自身の内的なことより、自分自身と外部の接点になることや、外部のことのほうが、語りやすいのではないか、と思いました。

フロアの先生方から、人類生態学の手法が参考になるのではないか、あるいは、直接質問した答えでなく、自由に長い間話をしてもらったら
意外に障害に関する言葉も出るのではないか、といった貴重なご意見をいただきました。

記憶障害との関連についてもご助言をいただきました。
重い記憶障害と、エピソード記憶が少し残るタイプとでは、語りが異なるようなので、そのあたりもプロシーディング作成において加えたいと思いました。
(松岡)

慶應義塾大学病院11階より、新宿を臨む。

2012年度PCI第1回会合 1日目終了

2012/09/14 8:58 に Miya Matsuoka が投稿   [ 2012/09/14 9:05 に更新しました ]

2012年度PCI第1回会合1日目は、9月14日(金)、東京の蒲田寺子屋で行われました。

参加者は、榎本、山川、串田、岡本、小谷、高梨、松岡。

ゲストとして、イイトコサガシの冠地さん、原さんにお越しいただきました。

イイトコサガシは、<東京都成人(大人)発達障害(アスペルガー・ADHD等)当事者会
「Communication Community・イイトコサガシ」ピアサポート・グループ。>とのこと。
発達障がいのお話や、ワークショップ「イイトコサガシ」のなりたちのきっかけ、
そして実際のワークショップで行われているアイスブレークも体験させていただきました。

会話をするうえで、枠組みのあることが、会話を安全にしてくれる面もあるのだなと実感しました。

ありがとうございました。(松岡)


フランコ・バザーリアの伝記映画

2012/07/25 7:00 に Takeshi Matsushima が投稿   [ 2012/08/18 0:36 に Masashi OKAMOTO さんが更新しました ]

イタリア国営放送RAIで2010年に放映されたバザーリアの伝記映画“C'era una volta la città dei matti”が、日本で自主上映されることになりました。
邦題は、「むかしMattoの町があった」です。mattoは、イタリア語で「狂人」という意味です。
あの時代の社会的なコンテクストや雰囲気を知るのに格好の映画になっています。
ただ版権の関係などで、映画館でお金をとって上映することができないので、各地で順次自主上映会を行うということです。
この映画の字幕を私の友人たちが作っているのですが、資金持ち出しでやっています。
そんな事情ですので、法律180号にちなんで「バザーリア映画を自主上映する180人のMattoの会」を作り、一口1000円以上で皆さんのご協力を仰ぐことになりました。
近日中に入会すると、映画の中に名前を入れてくれるようです。
詳しくはサイトを御覧下さい。
皆さん、ご協力よろしくお願いいたします。

松嶋健

東京大学精神保健学分野で発表

2012/05/30 17:34 に Miya Matsuoka が投稿   [ 2012/07/25 0:46 に Masashi OKAMOTO さんが更新しました ]

自分の出身であり、現在も客員研究員として在籍している精神保健学教室の「教室ゼミ」で、発表してきました。


 教室ホームページによると

1. 積極的な外部との共同研究の推進

>国内外のさまざまな機関、研究者との共同研究をこれまで以上に幅広く推進します。

 http://plaza.umin.ac.jp/~heart/

とのことであったので、この学際的な研究班の活動についても触れました。


 たとえば同じ分野であっても、研究者と臨床家では、言葉も視点も違い、議論がかみ合うまでに時間と労力を要します。

ましてや異なった分野の研究者・活動家がひとつの議題を話し合う、という作業は、ハードなものです。

 異分野を尊重する、と、言葉で言うのは簡単ですが、異文化のなかでは伝えたいことが伝わらないもどかしさがあり、不安にもなります。

 

学際的な研究班が、そのようなかみ合わなさを含むのは、むしろ当然のことで、これは異文化のものが接点をもったときに必ず起こることかもしれません。

支援者―当事者、あるいは研究者―当事者の関係性においても同じようなことが起こるのかもしれない・・・・

そんな気付きを得ました。

 

学際的な研究班は、自分を相対化するには、よい機会だと思います。


発表に際しご準備いただきました教室員の皆様、ありがとうございました。

(松岡)


「看護ポケットマニュアル精神科」発売

2012/05/07 2:39 に Miya Matsuoka が投稿   [ 2012/05/12 21:09 に Masashi OKAMOTO さんが更新しました ]

山川百合子、栗原加代 編著看護ポケットマニュアル精神科」医学出版社、2012.

◆山川百合子先生のご尽力により、研究班全員のコラムが入った、ユニークな書籍が完成いたしました。

「はじめに」で強調されているのは、この本の著者はみな臨床現場でさまざまな苦労を重ね、難局を乗り越えてきた方々ということ、

そして社会で基本となる人とのコミュニケーションを意識し、精神医療以外のコミュニケーションの専門家のコラムを掲載したこと、

です。

 ◆このような経緯で、研究班メンバーのコラムを多数掲載してあります。

タイトルは以下ですが、これだけも、コラムがバラエティに富んでいることがわかります。

 「アドバイスはなぜ拒否される?」

 「<顔>に出会う」

 「地域生活のなかの記憶障害」

 「嚥下障害とユニバーサルデザイン」

 「多相的コミュニケーションのススメ」

 「多職種連携カンファレンス:気になることが揃っていないこと」

 「精神科医療現場での「エレベーターブザー効果」」


 ◆内容は精神科看護の基本を押さえてあり、臨床、研究、そして教育に活かす事が出来ると思います。

大きさはコンパクトで、価格も抑え目ですので、ポケットにおひとつ、ぜひお持ちください。

「イイコトサガシ」の冠地さんと原さん

2012/05/05 23:52 に Enomoto Mika が投稿

先日、冠地 情(かんち じょー)さんと原 佐知子(はら さちこ)さんというお
二人との出会いがありました。お二人は発達障害がある大人の当事者団体「イ
イトコサガシ」という会の代表とファシリテーターをされています。

原さんが「大学の学びはこんなにおもしろい!」という工科大の私のページ
http://www.teu.ac.jp/interesting/018566.html を見てコンタクトをください
ました。

イイコトサガシは、"コミュニケーションを楽しく試す場をつくる"という
ことを主眼に色々な活動をされているそうです。

私も、精神障害や高次脳機能障害を抱える人々が、息子・娘という役割や患者、
利用者という役割以外で他者とコミュニケーションする場をつくる、というこ
とを目指しているというお話をしたら、全く同じ考えをお持ちでした。

冠地さんは「僕は発達障害というのは発達機会喪失障害だと思っているんです
よね」とおっしゃいます。つまり、人間は他者とのコミュニケーションを通じ
て初めて発達する生き物で、そのコミュニケーションを小学校の時から
あまりする機会がないことが発達障害に結びつくのだと。

小学校には、
・普通学級:他の子どもと一緒に授業を受ける
・通級指導教室:普通学級に所属している子どもが苦手な部分の指導を受ける
ために週に何時間か通級指導教室に通う
・特別支援学級:各種の障害のある子が障害特性に見合った授業を受ける
という3つのシステムがあるんだけれど、普通学級以外のクラスに入ると、「通
級指導学級のAくん」という目でしか他の子どもに見てもらえなくなるそうです。
これがコミュニケーション阻害の始まりで、他者との関わりへの苦手意識を持っ
たまま育っていくことになる。

そして、ある程度同じような悩みを持つ人と接することで安心感は得られるも
のの、その囲いは高校を出てしまうと何もなくなってしまう。そして、成人向
けの支援センターはどこも長蛇の入所待ちで、すんなりは入れない。じゃあど
うするの?っていっても受け皿がほとんど無いんだそうです。

そしてもし入れたとしてもそこでの支援に満足できない人が多い。課題が簡単
すぎたり、現実的でなかったり、指導が上から目線だったりして、当人たちが
望んでいるものと食い違いがある、というのが現状だそうです。

これは、私達がこれまで知ってきた精神障害や高次脳機能障害の人とそっくり
ですよね。退院したらどこに行くの?って。私が、特に統合失調症の人と接し
て感じるのは、思春期以降に獲得するコミュニケーション方略というのが無い
だけなのではないかという疑問なんです。能力の問題というよりは機会の問題。
「統合失調症」というラベルの下でしか世間と接する機会がないから、どう接
していいかわからないんじゃないかと。

イイコトサガシの狙いは、コミュニケーション上の失敗が多く、自己肯定感が
もてない当事者に、自分の良さや可能性に気づいてもらうことだそうです。そ
のための、ワークショップやヴァラエティ・カフェというのを精力的に開催さ
れいます。それは、当事者や家族だけでなく、マスコミや政治家、一般の主婦
などできるだけバリエーションのある人々でコミュニケーションを行うという
ものだそうです。中身については、実際に体験するのが早し、ということで、
今度5月3日に横浜市福祉センターで開かれるワークショップに参加させていた
だくことになりました。

また、ワークショップの体験談載せます。乞ご期待!

(榎本)

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